新年小説【コタツにみかん】
白い窓。窓枠にまで雪が積もっている。
ガラスはすっかり曇ってしまい、外の景色を映すこともない。真っ白な一枚の板だ。
四つに区切られた窓の桟に、白く曇ったガラスが嵌め込まれて、白い壁だと思っていた室内の漆喰が実は淡いベージュだったのだと気付かされる。勘違いしてしまうほどに白と見紛う白に近いベージュの壁は、暖かい空気で満たされているからか、柔らかな印象を与える。
雪の降る外と隔てて室内を暖めているものは、白いものが積もる窓とは反対の側にあるダルマ型の古いストーブだ。年代物のケトルがひっきりなしと白い蒸気を吐き出し続けている。ストーブは全体が鉄製で触れることは出来ない。床に当たる面が焦げるせいだろうか、ストーブの置かれた場所は板張りではなく赤いレンガが敷き詰められている。壁に半円に敷かれたレンガは花壇のように同じ赤レンガの枠を取ってから、面を埋めたもの。そこに、全体を鉄で作った樽のようなストーブが設置されている。
床は長年ワックスで磨かれてきたものだから、飴のようにとろりとした艶を持って、焦げ色に染まっている。
鉄のストーブは使いこまれて黒く、艶やかで重厚でレトロチックだ。燃料を入れる釜の口は開けられ、煌々と燃え盛るオレンジの炎がよく見えた。
静かな室内に、ときおり、炭のはぜる乾いた音響が鳴る。
静かな夜だ。
新年を迎え、世間はどこものんびりとしたムードに包まれていた。
山あいの温泉郷とは言え、人はもっと居てよさそうだったのに、まるで無人の館のように他人の気配は見えなかった。洋風の旅館で、内風呂がある。建物を出て少し歩けば町営の露天風呂があるという話を仲居の女がしていった。
寂れた山間の駅舎は普段から閑散として旅人も居ないのだろうか。大晦日の昼間に辿り着いた東北の小さな私鉄の駅でも、人の姿はまるで見えなかった。
都会の喧騒から逃れたいと思う者には、都合の良い静寂をもたらす土地。
駅舎を出ればすぐに、両脇に迫る黒い山々と谷間に貼り付くように展開する田や畑の棚地という風景が広がる。ぽつりぽつりと見える民家もどこかくすんで幻想のように映る。
時間通りに送迎の小さなワゴン車がやってきて、旅人を山あいの温泉郷へと運んでゆく。
車はすでに停車していた。
運転席には温泉郷組合と白く打ち抜き文字のある半被を着た中年男性が座る。曇天は今にも雨粒を吐き落しそうな黒さで、肌を刺す寒気が吐息を白く凍らせる。男は防寒の厚いジャージを着た上に半被を羽織り、そうして背を丸めて客を待っていた。
「あの車がそうみたい、」
赤いコートを着た雪絵が、長い黒髪を手で掬って肩の後ろへと流した。
細く白い指先に黒く艶やかな髪が絡んで、見る者に邪まな想いを抱かせる仕草だ。自覚を持たない雪絵は、じっと見つめる視線に気付いたようにふいに視線を絡めて微笑んだ。
細い手、それと同じに細い肢体を持つ女で、腰のくびれた尻の大きめな事を気に病んでいる。すらりと遠慮もなく伸びた両足は長く、太腿は肉付きがよく、本人が悩むほどにはバランスは崩れていない。
脱げば細く、衣装に身を包んでいる間はグラマラスに映るというだけだ。
「はやく乗りましょうよ、寒いわ。」
雪絵は、傍にいた男の手を取り、素早く腕を回した。
無防備に立っていた男はすんなりと腕を取られて、女の促すままに送迎バスに向かって歩を進める。曇天の空を見上げて、身震いをして、今夜は雪になるだろうと予測をした。
男より少し身長の低い雪絵は、自然と男を見上げる視点になる。上目遣いに男を見上げて、微笑んだ。
男が予測した通り、夜のうちに降りだした雪はそのままこの地方を白く染め変えたようだった。
白く塗り込められたガラスの向こう側にはきっと、真っ白に染まった昨日の景色が見える。手で軽くこするだけで見えるその風景を、確認しようとする者が居ないかのように、白い窓は白いままで外と内とを隔てて時を止めている。
男は安楽椅子に座ってくつろいでいた。
静寂が好きでこの宿に泊まることを幾ばくかは期待で待ち望んでいたが、思う以上にうら寂しい気分に打ちのめされてもいる。静かで暖かな空間は、優しく包み込む母のように懐かしい。
ゆっくりと前後に揺れる安楽椅子に、ひざ掛けの毛布は淡い茶系のチェック柄だ。
珈琲が欲しい、そう思った。
静かな空間に、室内風呂から絶え間なく響くシャワーの音響だけが少し耳障りだ。
漆喰の淡いベージュの壁、白く塗り込められた窓、雪に閉ざされた山あいの村、古風な洋館、温泉郷、なのに不釣り合いな室内風呂はシステムバスが設えられていて、台無しだった。
プラスチックの無粋な型抜きの造形は、いかにも安っぽく、風情がなく、味気ない。
シャワーの音は一晩中続き、男の眠りを浅くした。
篭もる湯気の中、濡れそぼる雪絵の白い裸体を思い出していた。
「コタツにみかんがなぜ無いのと煩かったんだ。」