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スカイラフター  作者: 中条 眞
第1章
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第1話

※ここから暴力表現が多少多くなります。


 少年は考えた。自分の存在意義を。

 毎日繰り返される同じような日常。かわり映えのない日々に、少年は刺激をいつも求めていた。だが、同時に平穏に毎日を繰り返したいと思っていた。

 この矛盾した思いを吐き出すことなく、ただただ日常を送る。

 毎日のように町に出て、食糧の買い出しに行く。面倒を見てくれる恩人の言うことを聞き入れ、少年は罵倒の飛ぶ場所へと歩き出すのだ。

 少年は、どの生物から見ても“異端”だった。その姿は、どの生物にも当てはまらず、しかしその脳には人同等の知識を持っている。

 醜い姿に、博識な中身。少年が忌み嫌われるのは、避けられないことだった。

 罵声と暴力が飛びあう中、少年の心を癒すのは、近隣に蔓延る美しい森と湖。恩人の許にある膨大な量の書物と、そして何度となく夢見た外の世界への憧れだった。

 少年は、物心つく時から、育ての親と呼べる恩人の許で暮らしていた。一度も、この場所からは出たことはない。唯一、外を感じることができるのは、大量にある本だった。少年は知識を身に付けたが、体験がない。

 少年には夢ができた。

 閉鎖されたこの空間を飛び出し、自由にこの世界をこの目で見てみたい。外の世界では、何があるのか、何が起きているのか、この世の全てを見てみたい。その願望は矛盾された思いにうずもれ、日常を過ごす。

 だが、その願望は少年が思ったこともないような、意外な形で、少年の前に現れた。




====***====




 緑豊かな自然がある。草花がのびのびと成長し、木々の隙間から落ちてくる、木漏れ日は暖かなものだった。

 太陽の緩やかな光がさすところに、緑と花の色以外の色があった。その白と黒は緑の床には不釣り合いだった。

 一羽の小鳥が、その白に近づく。時折コツコツと小さな嘴で、黒い部分をつついた。

 もぞり、と身じろぎをした物体に、小鳥は小さく鳴きながら飛び去って行った。

 「……う」

 小さくうなるその物体の正体は人間だった。白い服と、黒いズボンを着た、うつ伏せに倒れる黒髪の少年。

 少年は身じろぎをして、差し込む光に目をこすった。少年は光にくらむ目を薄く開け、周囲を見回す。

 ゆっくりと視界に入った緑に目を細めるが、次第に目が慣れ始め、少年は腕で上半身を支え、起き上った。

 「……どこだ、ここ?」

 ぽつりと自然に出た言葉。少年――――ケイトの思考はその疑問ひとつだ。

 改めて周囲をぐるりと見渡す。あるのは緑一色。たまにある明るい色の花以外は、何もなかった。もちろん、ケイトが呟いた言葉通り、見覚えなどない。

 ケイトは暫く呆然とあたりを見ていたが、差し込む日差しを構わずに空を仰ぐ。 

 (落ちてきた、はず。俺は、この空から)

 覚えているのは、迫りくる森の木々と、離れていく夜空。そして、消えていった2人の顔と、あの少女だけだ。

 ケイトは自分に何か外傷があるかどうかを確かめ始めた。だが、この体にはかすり傷一つ無い。あるとしても、押しつぶされた草花の青臭い臭いぐらいだ。

 ゆっくりと膝に手を当てて、立ち上がる。立ちくらみもしないし、足にも痛みはない。

 (落ちてきた? いや、だったらどうして俺は無事なんだ? 静流達のように、俺はあの“影”に包まれた。それで、ここに運ばれたのか?)

 確証はなく、ただの推測にしかならない。しかも、現実的に考えてもあり得ないことだ。だが、ケイトは実際に“影”に包まれた2人が消えたのを見ている。

 (同じように運ばれたなら、2人は無事なのか?)

 無事だと考えたい。だが、やはり確信のない考えは逆に不安を覚えてしまう。

 (俺と同じなら、この近くにいるはず、だと思う。いや、違うところに運ばれた? くそ、一体どうなってるんだ)

 考えがまとまらない。普段なら冷静にできるものを、この状況では平常心ではいられない。

 自然と顔を顰める。平静になろうと思うほど、気持ちが逸り逆に落ち着きがなくなっていく。

 ケイトは目をいったん閉じ、焦りを無理やり押し込めようと深呼吸を一度した。そして、もう一度この状況を思い返し、思考する。

 (俺は落ちてきた。これは間違いない。問題はここがどこで、2人は無事なのかだ。俺が無事だから、同じように考えてもいいだろうが、あの子供とリヒト先生は、俺に無駄に執着していた。俺だけ無事、っていうのもあるかもしれない)

 2人、特にシズルの傷ついた姿を想像し、不安に押しつぶされそうになるが、無理やり飲み込みやり過ごした。

 自身に落ち着け、と気を静めてから、2人をまずは捜そうと考えた。この右も左もわからない森(もしかしたら林かもしれない)を、彷徨うことには少し抵抗があるが、一刻も早くシズル達の無事を確認したかった。それに、この森の出口も知りたい。周りに人の気配はない。

 どの道、この場所を知るためには人を探さなければならないのだ。

 (2人を捜しながら、それから出口を探して……)

 ケイトはポケットを探り、何か役に立てるような物を探したが、生憎と中身は空っぽだった。

 (ライターの1つでもあれば、何かあった時には最低限のことは対処できるんだが、あの2人が持っているはずもないしな……)

 ケイトは周囲に気を配りながら、慎重に足を進めていった。耳を澄まし、人の気配を探る。だが、人どころか、獣1匹の気配すらない。

 (猛獣の類が出てくるのは勘弁だな。今のところ出そうにないが)

 森の中はとても静かだった。あるのはケイトが進む草を踏む音や、木の葉をかき分ける音のみ。あまりにも静かで、逆に不気味に感じてしまう。

 10分程度たっただろうか。やはり、どこも代わり映えのない景色だ。木陰で少し風があるから、それなりに涼しかったが、やはり歩き続けると汗がにじみ出てくる。

 ケイトは噴出した汗をぬぐい、前方へと目を凝らした。何本も立っている木の隙間からのぞく先は、ここよりもだいぶ明るいようだ。

 「出口、か……?」

 自然と速足になり、ケイトはガサリと木々の間から顔をのぞかせた。あまりにも光の加減が違い、思わず手をかざし眩しさをよける。

 次第に目が慣れ始め、最初に飛び込んできたのは、雲ひとつない空を映した、湖だった。

 さほど大きくはなく、歪みのないきれいな円の形をした湖。その周辺には草原が広がり、立ち並ぶ木々はなく、そこの空間だけがぽっかりと穴があいたようになっていた。

 光輝く水が波打ち、美しい光の反射をおこしている。水面には白や淡い桃色の睡蓮が咲き誇っていて、この湖の美しさを際立たせている。澄み切った水の中にも、植物や咲いている花がうかがえた。

 「…………」

 その湖の美しさに、思わず言葉を失ってしまう。

 呆然とケイトは立ち尽くし、地面に止まっていた小鳥の飛び立つ音に我に返った。

 ケイトは太陽の光を受け輝く湖を見ながら、足を入り江の方へと向かわせる。ふと、ぐるりと湖を回った先の入り江に、黒い人影らしきものを見かけた。その人影らしきものは、入り江にある岩に腰掛けているように見えた。

 ここへ来て初めての人間だ。ケイトは少しの緊張と警戒心を伴って、徐々にその人影に近づいた。人影は動く気配はなく、ケイトの足の速度は変わらずに、ゆっくり時間をかけてそばに寄った。

 「……あの、すみません」

 少し離れた位置から、窺うように声をかける。だが、無反応だ。

 訝しげに思い、ケイトはさらに傍にいき、その人影の顔を見た。

 「……っ!」

 思わず、息を飲み、目を大きく見開く。なぜなら、その人物の顔の頬には、大きな穴があったからだ。

 穴の中は暗く、中を覗くことはできない。だが、血は一滴もなく、血が通っていないようだった。

 頬だけではなく、黒い布を頭から被ったその隙間からのぞく肌には、大小さまざまな穴が開いていた。穴の周りには小さなヒビがあり、触ってしまうと脆く崩れそうだ。

 そこで、これが生きた人間ではないことを理解する。まるで乱闘でもあったような状態だ。

 一見、本物の人間のように感じたが、よくよく見ると首の付け根あたりに、うっすらと接続面の線が浮き上がったりしている。これは、間違いなく等身大の人形だ。

 なぜこんな場所に、と疑問を感じながらも、その今にも動き出しそうな人形を見つめた。

 外人をモデルにしたのか、堀は深く端正な顔立ちだ。体つきも線が細く、外見だけでは性別がわからない。黒い布からブロンドの癖のついた髪が風に揺れている。開いたまま動かない瞳の色は、ここの森と同じ緑だった。だが、薄汚れてひどくボロボロなため、本来の色はきっと鮮やかな翡翠なのだろう。

 岩に腰掛け、ケイトの身長ほどの長い棒を抱えている。その棒の先端は深々と地面に刺さり、それを支えに人形はこの体制を保っているようだった。

 よくよく見ると、地に着いた両足には草が絡まり、植物の蔓が人形と岩、そして地面につなぎとめている。どうやら、この人形がここに置かれて、随分と経っているようだった。

 パッと見は本物の人間。いや、この人形がもっと綺麗だったら、注意深く見ていても人間だと思うかもしれない。店頭で並んでいるマネキンとは全くの別物だ。

 「そこで、何をしているんですか?」

 まじまじと人形を見ていたケイトの背中に、子供特有の高い声が降りかかる。突然の自分以外の声に、一瞬肩が飛び上がった。が、すぐに平静を取り戻し子供の姿を見ようと振り返る。

 「あぁ、この人形を見てい、――――っ!?」

 途中で言葉が出なかったのは、先程の人形を見た時と同様に、驚愕に息を飲んだからだ。

 「どうしましたか?」

 驚きに言葉を失うケイトを、不思議そうな声音でその子供は尋ねた。あまりにも自然に首をかしげたその言葉に、ケイトは目を見開くだけだ。

 ここへ来て初めて接触した生き物は、――――薄い緑色の肌を持った小太りの少年だった。

 「あの、気分でも優れないんですか……?」

 この生き物が“少年”とわかったのは、上半身に服を纏わずに、緑色の肌をさらけ出していたからだ。大きく出た腹で若干隠れているが、どうやら半ズボンは穿いているようだ。

 少年の髪色は光を受けて、金にも茶色にも見えた。だが、その髪型は随分とユニークなもので、まるで馬の鬣のような形で頭から後ろに続いていた。それ以外は髪どころか、産毛にいたるまで生えている様子もなかった。

 シルエットだけなら、体躯のいい一風変わった少年に見えるかもしれない。いや、彼の人より少し大きい頭の上には、まるで子鬼のような小さな角が二本ある。それに、顔だけではなく手足も随分と大きい。あの大きさならば、片手でケイトの顔など軽く覆えるだろう。これではシルエットでも、“人”とは思えない。

 そして、この少年が人間だと断言できない極めつけの物がある。肉のついた頬や腕、腹から胸にも、ところどころ見える、まるで魚のような鱗。鱗の部分だけ少し緑色が強く、太陽の光を受けて鈍く反射をしている。

 通常の人間には付いていないものが、この少年には当たり前のようについている。ケイトだけでなくとも、誰がどう見てもこの少年は“人間”とは違う種別と見えるだろう。

 「あ!」

 少年が突如声を上げ、あわてて両手で顔を覆った。そして、ケイトはその両手に水かきがついているのが目に入った。

 「も、もしかして、旅の方でしたか? そ、そういえば、この国では見ない格好ですし。……でしたら、僕のこと、初めて……ですよね。す、すみません!」

 焦りにつっかえながらも、顔を隠し後ずさりする少年。どうやら、人が驚くような姿をしているということは理解しているようだ。

 だが、“人間”に見えなくとも、その驚かせてしまって焦っている姿はまぎれもなく“人間”の反応。

 ケイトは思わず、落ち着けと言っているように片手をあげて少年を制する。

 「いや……、その、確かに初めてだ。でも、謝ることは、ない」

 内心はまだ驚きに思考が停止しているので、歯切れの悪い言葉になってしまった。さすがにすぐには平静を取り戻すことはできない。だが、ケイトは基本感情を表に出すことがない。はたから見れば無表情にも見えた。先程の驚愕には、さすがに表に出していたが。

 少年は、思ってもみないケイトの気遣いに、小さな目を見開いている。その瞳の色は、肌の色よりも鮮やかな緑色だ。

 「え、っと。僕のこと、見て驚かないんですか……?」

 眉をハの字に下げ、恐る恐るといった感じで訪ねてきた。

 普通に会話が成立していることから、この少年は“人間”に近い存在だと考えた。それにこの少年、見た感じ危害を加えそうな存在には見えない。むしろ、この逃げ腰の様子では、危害どころか少し人見知りのある内向的な子供だ。

 ケイトはわずかに平静を取り戻し、普段と変わらぬ声音で答えることができた。

 「いや、十分驚いている」

 「……あの、そうには全く見えないんですけど」

 「表には、出ない性質なんだ」

 「あ、そうなん、ですか……」

 あまり釈然とはしないようで、少年は曖昧に返事を返した。

 少年に敵意など感じない。ならば、ケイトにとってここで少年に出会えたのは喜ぶべきことだ。ケイトは早速、一歩少年に歩み寄り話を切り出す。

 「なぁ、いくつか質問をしていいか?」

 「え、はい。構いませんよ」

 礼儀正しい子供だ、とケイトは内心思い、とりあえず少年の名を聞いた。

 「名前は?」

 「僕はキックリと言います。この森にある教会で、お世話になっている身です」

 教会……。ならば人(もしかしたらキックリのような生き物かもしれないが)がいるかもしれない。そう思い当たった、ケイトの声は期待に自然と早口になった。

 「俺は桐島慧斗だ。教会は、この近くにあるのか?」

 「はい。少し歩きますが、そんなに時間はかかりません。あの、ところで……」

 そこで、少年――――キックリはわずかに目を伏せ、言いにくそうに言葉を濁らせた。

 「キリシマケイトさんの、そのお名前で思ったのですが……もしかして、貴族の方でありましたか……?」

 わずかに震える声で紡がれた言葉に、ケイトはすぐさま首を横に振った。

 「いや、俺は全くの庶民だ。どうしてそう思ったんだ?」

 不安の色があったキックリの顔はとたんに安心したように力を抜いた。

 「あ、そうでしたか。いえ、随分と名が長いと思って、てっきり地名持ちの方かと」

 「地名持ち?」

 「え?」

 2人の頭に疑問符が飛んだ。ケイトは耳慣れぬ“地名持ち”という言葉に。だが、キックリはケイトがその言葉に首をかしげたのを、疑問に思ったようだ。

 「え、キリシマケイトさん、それはどういうこと、ですか?」

 「俺の名前は、苗字が桐島、名前が慧斗だ」

 「苗字持ちならば、それは地名持ちと同じこと……あれ? でもキリシマなんて地名は聞いたことがないし……」

 「だから、その“地名持ち”ってのは、どういう意味なんだ?」

 「……あれ?」

 「?」

 暫しの沈黙。

 「えっと……、ケイトさん、でいいんですよね? その、失礼ですがお歳の方はいくつですか?」

 「16だ」

 「16!? もう少し下の方かと……いや、でもその年でなんて世間知らずな……」

 一度驚いたかと思うと、考え込むようにブツブツと呟き始める。

 言葉が通じることから、日本の、それこそ自分の常識範囲で考えていたのだが、どうやらそれは思い違いだったらしい。ましてや、このキックリの存在が公になっていないとなると、随分と閉鎖された土地の可能性もある。

 ケイトはここでの自分の常識はあまり通用しないと判断し、キックリに声をかける。

 「キックリ、俺は今日ここへ来たばかりなんだ。お前が持っている常識と、俺が持ち合わせているものは、多分違うんだと思う」

 「え? いや、それでもこれは世界共通の常識ですよ? それを知らないなんて……」

 「世界……? ちょ、ちょっと待ってくれ!」

 わずかに焦ったような声音に、キックリが黙る。ケイトは身を屈め、キックリと同じ目線(近づいて分かったが、キックリの身長はケイトの腹ぐらいの高さだった)で、まっすぐにキックリの瞳を見た。

 「キックリ、教えてくれ。ここは、どこだ?」

 「え?」

 あの言葉が世界レベルの常識用語だったとしたら、高校生が知らないはずはない。こんな10歳ぐらいの歳の子供まで知っているんだ。少なくとも、小学生が当たり前に使う、もしくは知っている言葉。それに、さっきは流したが、貴族に対して使う物だとしたら、自分どころか日本の常識範囲ではない。

 ある種の願いがこもった視線に、キックリは戸惑うように視線を彷徨わせた後に、ケイトの黒い瞳を見返した。

 「……ここは、ディティーラ国の、ウロラの森です」

 ディティーラ国、小さく口の中で呟きながら、ケイトの頭の中は真っ白に染まっていく。

 (知らない。知らない、そんな国! 地名! 俺の中に、そんな名前の場所など、存在しない!)

 ここは、日本ではない?

 その言葉が脳内を駆け巡る。キックリは間違いなく“国”と言った。ならば、ここは日本ではないと考えるのが妥当。

 「っ! そうだ、日本語」

 ケイトとキックリの会話は成り立っていた。つまり、言葉が通じているということだ。ならば、キックリは間違いなく日本語を話している。

 「キックリ、ここの奴らが使っている言語の名前は? 俺たちが今話している言葉は、何語だ?」

 ケイトは焦りを表に出し、キックリの肩をつかんで揺さぶった。ケイトの変わりように瞠目しながらも、キックリはその黒い瞳から視線をそらさない。

 「ディ、ディティーラ語です、ケイトさん」

 宥める様に、最後に名前を呼ばれる。だが、ケイトにその声は意味のないものだった。

 キックリの肩を、しっかりと掴んでいたケイトの手は緩められる。そして、次いでケイトから発せられた物は、か細い声だった。

 「……キックリ、俺が話している言葉は、日本語か?」

 「いえ、間違いなく、ケイトさんが話しているのはディティーラ語です」

 「ここは、日本じゃないのか?」

 「はい」

 「ここは……、この世界の、名前は?」

 覇気のない弱気な声に、キックリは一度間を置いてからゆっくりと、そして確実にケイトの耳に入るように、はっきりと言った。

 「世界の名ははっきりとした形では、ありません。ですが、ディティーラ国を含め、他国や大陸、海に至るまでの総称を、――――“スカイラフ”と、僕たちはそう呼んでいます」

 「スカイ、ラフ…………」

 (知らない土地、知らない言葉、知らない生き物、知らない世界)

 「…………」

 「ケイトさん?」

 (ここは、俺が知る世界じゃない。“地球”じゃ、ない)

 ケイトは様子を窺うキックリから視線を外すも、空を彷徨い、だがすぐに目を閉じた。

 手を置かれた肩から伝わる、ケイトの手の震え。そこからケイトが思う不安を感じ取り、キックリは黙って俯くケイトの行動を待った。

 震える手をキックリの肩からおろし、膝立ちのままケイトは動きを止めた。

 (ここは、俺が住んでいた地球とは全く別の世界。だが、そんなことあり得るのか……? 本当はここは地球で、それで――――いや、違う!)

 認めたくない、だが認めざるを得ない。さまざまな考えが、浮かんでは消えていく。立て続けに起きたことが、あまりにも急すぎて、ケイトの脳内は混乱している。

 だが、どこか、冷静にこの状況を見ている自分がいた。動揺している自分を見て、ひどく冷静に物事を観察している自分が。

 その冷静な自分は、これから自分が何をするべきかを分かっている。だが、認めたくないのだ。自分が、こんなことになるなんて。こんな、非現実的なことに。

 ゆっくりと目を開けた。俯いていたため、最初に映ったのは濃い緑をした植物と、同じ緑だが色素の薄い足だった。

 上半身にはところどころしかなかった鱗が、その両足の甲にはびっしりと敷き詰められている。やはり足も大きく、ケイトの足より二回り程大きい。爪は鋭く、一つ一つが大きい指についていた。よく見ると、足の指の間にも、水かきらしきものがあった。

 自分の知らない、生物だ。

 「――――わかった」

 ケイトは立ち上がり、背をしゃんと伸ばし空を仰いだ。次いで、自分の腹ぐらいしかないキックリを見て、ケイトは言う。

 「受け入れよう」

 ここは地球じゃない。塔子も、健二もいない。家もなければ学校もない。自分が知っている場所など、存在しない。

 夢ならば、頬をつねれば目が覚めるだろう。だが、これは現実だ。目の前にある森も、湖も、このキックリも、全て現実。

 ならば、受け入れよう。

 この世界を受け入れ、共に連れられた2人を捜しだす。そして、連れ出した張本人、リヒトを見つける。あいつなら、日本へ帰る方法を知っているだろう。リヒトが見つからなくとも、絶対に方法を見つけ出してみせる。

 そして、3人で一緒に帰るんだ。無事に、地球へ。

 



===***===

  

 


 「それにしても、別世界から来た人なんて、僕初めて聞きました。どの文書にも、きっとそんな記録ないと思います」

 ガサガサとキックリを先頭に、ケイトは森の中を進む。キックリが住んでいるという、ウロラの教会へ行くためだ。

 道のない道を進むのは、なかなか疲れるものだ。慣れているであろうキックリは置いといて、獣道に慣れていないケイトは、それなりに体力を消耗していた。

 「信じてくれとはいわないさ」

 足元に注意しながらも、汗ばむ額をぬぐい、ケイトは言った。ちなみに、ケイトの目線は先程からキックリの揺れる尻尾に集中している。正面からしか見ていなかったから気付かなかったが、キックリにはズボンから出された牛の尾によく似たものを持っていた。尾の先にある毛色は、キックリの髪(鬣にも見える)と同じ金茶だ。それから、髪は頭から首より少し下の、肩甲骨あたりまで生えている。どうやら、馬の鬣と同じものらしい。

 「いえ、ケイトさんを疑っているわけではないんです。……むしろ、僕ちょっと納得しちゃいました」

 ふと、顔を上げたがキックリは足を止めることなく続けた。

 「ケイトさん、僕を見て、そんなに驚かなかったじゃないですか」

 十分なくらい驚いたんだが、という言葉は口の中に押し込めた。

 「この国の人たちは、僕を見て怖がります。畏怖の目で僕を見ます。でも、ケイトさんはそんな目で僕を見なかった。それに、そのあと……まぁ、多分混乱してたせいかもしれませんが。僕の肩を、嫌がることなく触りましたよね。僕あの時うれしかったんですよ。嫌がらずに、僕と話したり、触ってくれた人、教会の人以外で初めてだったから。だからなんとなく、この人は少し違うんじゃないか、って思って。それで、あなたが別世界の人だって聞いて、少し納得したんです」

 ケイトは何も言わない。キックリも、ケイトが何かを言うのを待つつもりはなく、そのまま独り言のように話を続けた。

 「……僕、生まれた時からこんな姿なんですよ。でも神父様が言うには、僕の脳は人間並みらしいんです。でも、僕は人間には分類されない。もちろん、他の獣にも魚にも……。中途半端なんですよ、僕」

 キックリの声音は、まるで笑っているように明るいものだった。だが、こんな話をするのだ。実際は、胸の内で泣いているのだろう。わずかに肩が震えているのに気付いた。

 「すみません、こんなこと、初対面の人に話すことではないですよね」

 嘲笑をもらすキックリを、後ろからケイトは見つめた。

 こんな時、アキラやシズルだったら元気づけるような言葉を言えるのだろう。だが、ケイト自身も理解してるが、自分は口下手だ。気の利いた言葉など出ることはない。ましてや、その言葉を他人に言うなど、今まであり得ないことだ。

 だが、キックリの後ろ姿はあまりにも奇怪で、そして小さい肩は何故か昔を思い出した。

 ケイトも中学のころは両親のことで、周りから同情の目で見られてきた。境遇も、視線の種類も違うが、人から一線を置かれた時のことを、少なからずケイトは理解できる。

 ――――『そんなに、人の目が気になるの?』

 こんな時、あの人はなんと言っただろうか。

 ――――『じゃあ、放っておきなさいな』

 「……放っておけばいい」

 「え?」

 振り向いたキックリに近づき、ケイトはその頭をなでた。かつて、あの人がそうしてくれたように。表情までは、あの人のまねはできないが……。

 まるで、あやすような優しい手つきに、キックリは目を見開く。

 ――――『どんな目で見るのも、その人の自由よ。それに、どんな状態でも、どんな目線を受けても、慧斗君は慧斗君よ。』

 「そんな奴らは、無視しておけ。それに、中途半端でも、キックリは“キックリ”っていう種類で、いいんじゃないのか?」

 かつて言ってくれたあの人の言葉を思い出しながら、そして自分なりにキックリに合うように言葉を変えていく。

 思ったよりも柔らかい髪を撫で、ケイトは淡々と、表情のない顔で言う。

 ――――『私は慧斗君の気持ちを、全部理解できるわけじゃないから、あんまりいいことは言えないけど』

 「俺は人だから、お前の気持ちを理解するなんてことはできない。だから、今言った言葉はそんなに考えずに言ったから、軽いものだ」

 ――――『でもね、そんな中学校っていう狭い空間で気にしちゃ、気が滅入っちゃうわよ。事件のことを気兼ねなく接して受け止めてくれる人は、この世に五万といるんだから』

 「でも、これは言っておく。お前が思っているほど、お前が言う“少し違う人”なんてのは、大勢いるぞ。お前を怖がらない人間なんて、そこら辺探せばたくさんいる。……だから、お前のことをそんな目で見る人間しかいない狭い世界で、そんなこと思う必要はない」

 そう言って、ケイトは最後にキックリの頭を一撫でし、手を離した。

 ――――『すぐに、その人は慧斗君の前に現れるわ。気長に待つのも、いいことよ』

 ケイトの中に3人の人物が思い浮かべられる。この言葉をくれた育ての親と、肉親であるシズルの姿。そして、――――ケイトをケイトとして見て、受け止めたアキラだった。

 (確かに、あいつは俺の前に現れた。でも、あなたの言うような人間かは、俺にはまだわからない・・・・・・)

 無性に、3人に会いたいと思った。

 「……そう、なんでしょうか」

 ぽつりと、呆けていたキックリが小さく言葉をもらした。だが、その言葉は小さすぎて、ケイトの耳には届かなかった。

 黙りこくってしまったと思ったケイトが、教会へと行く足を進めようと、催促する。

 「教会、連れて行ってくれないのか?」

 「あ、はい。すみません。えと、さっきの言葉、ありがとうございます。嬉しいです」

 ぺこりと、少し大きい頭を下げはにかむキックリに、ケイトはさして感情のない返事をする。

 「いや、俺も人からの受け売りだ。礼なら、その人に言ってほしい」

 「じゃ、じゃあ、ケイトさんが無事帰れたら、伝えてください」

 「あぁ」

 必ず、と言いわずかに口の端を上げた。その笑みにキックリは少し目を丸くするが、すぐに向かい合っていた体を前へと向ける。

 「それじゃあ、行きましょうか。もう少し、歩きますけど、大丈夫ですか?」

 「平気だ。……キックリは、どうしてあの場所にいたんだ?」

 ふと、思い浮かんだ疑問を、素直に問う。

 「あぁ、人が倒れていると、あの子たちに教えてもらったんです」

 「あの子たち……?」

 そう言って笑うキックリが指さす方には、木の枝に止まる数羽の色鮮やかな小鳥たちだった。鳥たちは、まるで2人の目線に応える様に、羽を羽ばたかせキックリの頭や肩に止まる。

 「この子たちが、森でケイトさんが倒れているって教えてくれたんです。僕の友達なんです」

 「……キックリ、お前動物と話せるのか?」

 驚きを隠せずに、目を見開くケイト。

 「はい、物心ついたときから。どうやら、僕は獣全般とは話せるみたいで。でも、この世界には、人語を話す獣が多くいますよ。ケイトさんの世界では、そう言った獣はいなかったんですか?」

 「いや、いないな」

 いたら、相当なスクープだろう。人の言葉を理解するならともかく、言葉を話す動物はいないだろう。インコなどは、別枠だ。

 「そうなんですか。言葉が通じないのは、少し不便ですね」

 苦笑を洩らすキックリに、曖昧に「そうだな」と返した。

 「……なら、その友達に聞いてくれないか? この森に、他に俺のような人間はいないかと」

 「例の、一緒にこの世界へ来た友人ですか?」

 頷いて見せたケイトに、キックリは申し訳なさそうに目を伏せ、首を横に振った。

 「この森は、そこまで広くないんです。だから、人がいたらすぐに情報が回ってくるはずです。ましてや、倒れている人がいたら、すぐに僕に伝わってくるはずです。この子たちは優しいので」

 だから、と言いキックリは続きの言葉を伏せた。

 「……そうか」

 表情には出さないが、やはり落胆する気持ちはぬぐえない。この森にいないとなれば、やはりもっと遠い場所に落とされたのではないかと思うようになる。ならば、すぐにでも捜しに行きたい。

 「とりあえず、教会へ行きましょう。そして、これからの行動を考えましょう。僕も、協力します」

 「ありがとう」

 意気込むキックリは、この世界で唯一頼りになる存在だった。一見情けなさそうな顔だが、頼るものがないケイトにとって、キックリの存在はとても大きくなっていた。

 あの2人にも、キックリのような存在がいてくれれば、少しは安心できるのだが。2人の安否すら謎なのに、ケイトがそんなことわかるわけがなかった。

 2人の無事を願うことしかできない自身を、情けなく思う。歯がゆい思いをしながらも、必ず見つけ出すという覚悟を、ケイトは胸の内に刻み込んだ。




===***===

 

  

 

 目を覚ましたら、そこは闇だった。

 自分の姿さえまともに見えない暗闇の中、シズルは膝を抱えて涙を流していた。きっと、目を腫らした状態であると思うが、鏡もなく、ましてやこんな暗い中、自分がどのような顔をしているか分かるはずもなかった。

 唯一わかることと言ったら、地面が冷たいごつごつした物であること。きっと、石畳のようなものだろうと予想した。そして、風が吹かないので窓が無い室内であろうということだ。

 この暗闇の中、当てもなく歩くことに不安を感じ、シズルは目を覚ました場所からは一歩も動いてはいない。だが、こうしていても何も起きないということは分かる。だが、闇から感じる恐怖に身をすくませ、そして一人きりと言う孤独感でシズルは動けないでいた。

 目を覚ましてから、もう何時間もたっている気がしていた。だが、腹をすかせることもないので、実際には長くとも1時間程度の時間しか経っていないのだろう。

 これらのことを、涙を流しすぎてぼうっとした頭でなんとなく感じ、シズルはもう一度自身の体をきつく抱えなおした。

 目が覚めて、最初に思ったのはこれが夢だということだ。何度も目をつむり、何度も体のいたるところをつねった。だが、見なれた景色は一向に現れず、相も変らぬ闇のみ。今ではその行為を意味のないものだと思い、何もやる気に起きなかった。

 その、心が狂いそうなほどの時間をじっと過ごしたその時、それほど遠くはない場所で物音がした。

 シズルは反射的に顔を上げた。だが、それも闇にまぎれて分からない。

 「だ、だれ? だれか、いるの……?」

 かすれた声を絞りだし問うが、答は帰ってこない。かわりに、コツ、と先程と同じような足音が聞こえる。最初は一歩一歩、ゆっくりとしていたが、徐々に普通のリズムのいい足音へと変わっていった。

 足音はシズルから見て、左から右へと移動した後止んだ。シズルは期待と不安に満ちた目で闇の中にいるであろう“何か”を見詰めた。と言っても、どこにいるかはわからず、足音を頼りにその場所を割り当てたのだ。

 5秒程度の静けさの後、闇の中衣擦れの音が聞こえたかと思うと、小さな光が見えた。その光は徐々に大きくなり、闇に慣れたシズルの目には眩しすぎて、思わず固く目を閉じた。

 光に慣れようと薄眼を開け、同時に光をつけたであろう人物を見ようとした。だが、それよりも早く、足音が駆ける様に早まり、そして次々と光が現れ始めた。

 シズルは強すぎる光達に手で目を覆った。

 ようやく慣れ始めた目を薄く開けると、そこは闇から打って変わり、茶色い石でできたさほど広くない部屋が見え始めた。その部屋にはシズル以外の何物もなく、ただ石が敷き詰められているだけの部屋だった。

 いくつかの光は、壁に掛けられた松明にともる火だった。壁に統一の感覚でかけられた松明の火は、シズルの金茶の髪をゆらゆらと照らしている。

 明るくなったという安堵感を感じたが、同時にこの原始じみた場所に対する不安もこみあげてくる。シズルはあたりをキョロキョロと見渡すと、隅には他の部屋につながるであろう四角い穴があった。

 そこで見えた物に、シズルは思わずびくりと肩を飛び上がらせた。

 その穴にちらりと見えた、この茶色い場所にはあまりにも不似合いな、白い長い髪。その髪を翻し、すぐさま奥へと消えていったが、あれは確かにあの公園で見た少女だった。

 先程とはまた違った恐怖を身に感じる。だが、ここにいるのはおそらく自分一人だけ。頼れる存在などいないシズルには、あの少女でも十分すがれる対象だった。

 「――――ま、待ってっ!」

 飛び起きるような勢いで、シズルは立ち上がり少女の後を追うように通路へと入った。少女の姿は、通路を曲がるところでギリギリ体の一部が見えるようなもので、まるでシズルから逃げる様に、だがまるで誘うような動きだ。だが、そのことを思う余裕などが無いシズルは、今にもこぼれそうな涙を瞳にためながら、必死に足を動かした。

 異様に入り組んだ通路は、少女が駆け抜ける場所だけ明るい松明の光に照らされていた。ところどころにあった他の通路には、松明の光は一切ついてなく、あるのは先の見えない闇だけだ。

 「待って、待って!! お願い、独りに、しないでっ!」

 全力出かけても、少女には追い付かない。シズルはこれでも体育は得意な方で、短距離走も遅くは無い方なのだが、まだ10歳程度の子供には到底追いつきそうにもない。

 体力の限界に近づいたころ、少女の姿が角を曲がる。シズルも遅れてその角を曲がると、最初の部屋よりも大きな部屋に出た。一瞬立ち止まり、少女の姿を捜したが、どこにもその白い姿はいなく、ましてや他の通路に続くような場所も無かった。

 シズルは身を屈め、膝に手をついて息を整えようと息を大きく吸い、吐きだす。少しばかり治まったので、顔を上げ改めて部屋を見渡した。

 石で囲まれている様子と、壁にいくつかの松明があるのは先程の部屋と同じだった。だが、先程の部屋にはないものが、この部屋にはあった。

 汗をじんわりと額に浮かべた、シズルの目に映ったのは、部屋の中心に置かれた、大きな石でできた台だった。

 まるで祭壇のような石の台の上には、汚らしい布でくるまれた太い棒状の物が置いてある。直線ではなく一つの場所で少し折れ曲がているその棒は、長さはシズルの腕よりも少し長い程度だろうか。その棒にはまるでお札のような、字の書かれた長く古めかしい紙が巻きつかれ、四方八方に伸びていた。それらの先には石柱があり、その棒が動かないよう紙を石柱に巻きつけていた。

 お札のような紙と、その異様な状態に、まるで何かを封印しているような印象を受けた。

 「なによ、これ……」

 触るのはよした方がいいだろうと判断し、少女を探そうと振りかえ、ろうとした。

 ――――ドン。

 と、背中を押されたかと思えば、体が前へと倒れていく。突如のことに反応が遅れたが、反射的に足を前に出す。だが、つんのめりシズルの体はその固い石畳に倒れこんだ。

 「い、ったぁい!」

 石畳との間に手をつけたので、強く体を打つことは無く、鈍い痛みが広がった。

 「もう、なんなのよ……――――あ!」

 思わず声を上げたのは、手の中に敗れたお札のような紙が握られていたからだ。倒れた拍子に思わず掴んでしまったのだ。

 「え、嘘!」

 顔を上げると、石柱に巻きつかれた紙は破れてほどけている。シズルの顔に、冷や汗がたらりと垂れた。

 一つの紙がほどけた拍子に、四方八方に伸びた紙たちも、次々とほどけていく。あれだけピンとはり、きつく結ばれた紙が、いとも簡単にほどけ、地面に着いた途端灰と化していく。

 どういう原理でなっているのか全く見当もつかないが、これが何か危ないことだということはなんとなく理解した。

 「え、嘘。待って、直すから! ちゃんと直すから!! ごめんなさい!」

 後ずさるシズルは、誰に向けているのかもわからない謝罪を必死に言う。だが、もちろんその謝罪を聞き入れる存在などいなく、最後の紙がほどけ灰となった。

 「…………」

 緊張の空気が流れるが、何かしらの動きは一向にない。

 「な、何よ。何にもないじゃない」

 身構えして損したと感じ、詰めていた息を吐き出す。

 「――……」

 また少女を探そうと踵を返した時、ふと何か声のような物が聞こえた気がした。恐る恐る振り返るも、あるのは変わらない祭壇と布でくるまれた棒だけ。注意深くも見てみるが、やはり変化はない。

 気のせいか、と思いもう一度通路へ戻ろうと足を向けた。

 「――……っ、……」

 次は、はっきりと聞こえた。勢いよく振り返り、声の主を探そうとした。だが、姿は見えない。

 「――……っ、……――っ!」

 その声は、次第に大きくなり、やがてどなり声のように聞こえた。

 「なに、なんて言ってるの!? 誰よ!」

 そう、その言葉は日本語ではなく、シズルには理解ができなかった。英語には聞こえず、だが中国語や他のシズルが聞いたことのある言語にも当てはまりそうにはない。

 「何よ、わかんないわよ! なに喋ってんのよ……!! どこよ、ここ!!」

 正体のわからない声に、とうとうシズルはパニックを起こしてしまう。

 「――――!! ――――っ!!」

 だが、混乱したシズルを無視するかのように、その声は叫んでいる。成人した男性の声のようで、どなり声は怒りともとれるし、焦って叫んでいるようにも聞こえた。

 もう嫌だ、とシズルは部屋を飛び出した。全力で松明のともっている通路を駆けていく。声はだんだんと薄れていく。

 だが、一つ目の角を曲がったところで、シズルは目の前に飛び出してきた異様な白を見つけ、足を止めることとなった。

 「――――っ!!」

 少女は、間近にいるシズルを見上げて、その口元を上げていた。一旦引っこんでいた涙を、また瞳に浮かべたまま、少女を見下ろしている。

 少女は目を細め、にっこりと笑う。その笑顔が、夜の公園でのこと、そしてあの夜空を急降下した時間を思い出させて、再びシズルは恐怖に襲われて後ずさりをする。

 怯えるシズルに対し、少女は黙ったまま笑むだけだ。その姿にゾクリと背筋に悪寒を覚え、シズルは踵を返し駆けた。

 (もう嫌だ、もう嫌だ! 夢なら、早く覚めて。お願いだから!)

 何度も心の中で願い、必死に入り組んだ道を駆けた。光のある方向へ行けば、あの声が聞こえ出す。だが、戻っても少女がいる。ならば、シズルが行く道は、光のない闇の道だけだった。

 体力の限界は超えていた。学校指定のローファーが、走るのには足に合わなく、すでにシズルの足は痛みが走っていた。それでも、シズルは走った。この恐怖から逃れようと一心に思い、走る。

 だが、またしてもシズルの足は止められることとなる。

 「――――っ痛!」

 ドン、と勢いよく壁にぶつかった。暗闇の中を走るのは危険だと思い、少し足をゆるめた途端、壁にぶつかったのだ。幸い、顔はぶつけずに済んだので、これと言った外傷はないようだった。

 ――――ボッ。

 突然、すぐそばにかかっていた松明が、独りでに炎を灯した。炎がともったことにより、目の前にある壁がオレンジ色に染まる。

 ――――ズル。

 息も絶え絶えなシズルの耳に、奇妙な音が聞こえた。それは、この道の先から聞こえてきた。松明が灯されているのはこの場所だけで、そこから先の道は何も見えなかった。

 ゆっくりと首をめぐらせて、その暗闇を見詰めた。

 ――――ズル、ズル。

 また、聞こえる。まるで、何かを引きずるような音だ。そして、その音以外にも、金属を引っ掻くような音も聞こえる。

 嫌な予感しかない。シズルは息を飲む。足が、恐怖に小刻みに震えていた。

 ――――ズル、ズ……。

 その音が止まり、同時にシズルの表情が恐怖に歪まれる。堰を切ったように、また涙が頬を伝った。

 「何よ、なんなのよ……。一体、何なのよぉ……っ!!」

 オレンジの光に灯された場所に出てきたのは、土だった。茶色い腕と、茶色い足、茶色い胴体。茶色い、目や鼻、そして口の位置に穴のあいた顔をした、土の塊だった。人型を模しているようだが、肝心な人間の部分は備わっておらず、ただおぞましいほどの雰囲気を携えている。

 人間ではない。それは、一目でわかった。だが、これが生き物なのか、それともそれ以外の何かなのか、シズルには理解ができない。

 ガガガ、と引きずるような金属音が通路内に響き、シズルが視線をその土人形の手元を見る。

 歪な形の指に持っていたのは、錆びついた鋭利な刃を持った、巨大な鉈だった。よく見れば、そこには血らしきものがこびりついていたが、シズルはそれに気付くよりも、小さく悲鳴をこぼした。

 「――――っひ」

 小さく、本当に小さいものだったが、土人形はその悲鳴にピクリと反応し、ゆっくりとその鉈を振り上げた。

 シズルの頭上に影が差す。シズルのひくついた顔に向かって、まっすぐに鉈が振り下ろされる。

 「き、きゃあああああ!!」

 間一髪でそれを避けた。勢いをつきすぎて尻もちをついた瞬間、シズルの足元にすさまじい音を立てて、石畳に鉈が激突した。どれだけ凄まじい力だったのか、鉈は石を砕き、あたりに散らしてその石に深く突き刺さっていた。

 全身に冷や汗が吹き出した。足が震え、喉がからからになり、唾を飲み込んだ。

 今の一撃が直撃していたら、間違いなく自分の頭は砕かれていた。生まれて初めて、シズルは命の危機という状況に晒された。

 ボゴリ、という鈍い音を立てて、深く突き刺さっていた鉈を軽々と抜く土人形。

 (逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ。――――殺されるっ!!)

 も一度、今度こそシズルに当てようと、土人形が大きく鉈を振り上げる。

 足が震えて動かない。動いてほしいのに、まるでこの冷たい石に縫いとめられているかのように、動いてくれない。

 「――――っ!!!」

 奥の通路から、男の怒号の声が響いた。

 弾かれた様に、シズルは身を起こしギリギリでその鉈から逃れた。

 あの声は、先程の言葉のわからない男の声だった。最初聞いたときは、声の主の姿がわからずに逃げたのだが、今はその怒号の声により、シズルは我に返り反応できたのだ。

 シズルは素早く土人形に背を向け、元来た道を駆け抜けていく。それ以外に、道がなかった。

 一つ目の分かれ道が見える。右に行けば、祭壇があった部屋に出る。左には、先程は少女がいて通れなかった場所だ。その先は、シズルが最初にいた部屋になる。どちらにせよ、明りの無い暗い道に行かなければ、行き止まりだ。ならば、途中に分かれ道が何度かあった左へ行く方が妥当だろう。

 シズルは左に体を向ける、――――が。

 「きゃあ!」

 二体目の土人形が、道を塞いでいる。ぶつかる寸前でシズルは足を止め、祭壇の方へと足を向けた。

 「――っ! ――!!」

 ――――ズズズ、ズズ。

 男の怒号と、土人形の足を引きずる音。そして自身の走る足音が通路内に響く。

 我武者羅に走り、祭壇のある部屋へ出た。男の声はまだ叫んでいる。

 「……はぁ、はぁ。……っ、どこ? どこにいるのよ!? ねぇ、助けて! お願い!!」

 息を切らし、シズルは目に涙をためて懇願する。だが、男は姿を見せずに、相も変わらずに叫んでいる。

 「お願い!!」

 一際大きく叫んだ。だが、現状は変わらない。

 ズズズ、と音が大きくなる。通路を見ると、そこには2体の土人形が。

 「いや、いやよ! いやあああ!!」

 シズルが頭を抱えて叫んだ突如、――――視界の端に白い髪が入りこむ。少女は至極楽しそうに笑み、シズルを見ていた。

 「――――っぁあ!」

 瞬間、シズルの頭に激痛が走った。脳が潰されているかのような錯覚に陥るほどの激痛。全ての音が耳に入らなくなるほどの痛み。あまりの痛みに膝を折り、固い石畳に崩れ落ちた。

 だが、その激痛は5秒も経たずに薄れていき、そして、変化が現れる。

 「――――ぃ、――――ぉい、おい聞いてんのか、ガキ!!」

 痛みを逃れ、正常な耳に最初に飛び込んできたのは、自分の理解できる言語で話す、男の声だった。

 「え」

 「逃げろっ!」

 「――――、きゃああ!?」

 焦ったような男の言葉を受け入れる前に、シズルの体が宙に浮く。同時に、目前に迫る土人形の顔を視認し、右腕に走る痛みと圧迫感に襲われる。土人形の腕が、シズルの右腕を掴み上げたのだ。

 手足をばたつかせ全身で抵抗するが、土人形にとっては何にも効果は無かった。

 「いや、離して! 離して――――っああ!!」

 背中に激痛を感じ、自分があの祭壇に抑えつけられたことに遅れて理解した。

 土人形は、シズルを祭壇の右端に押さえつけ、仰向けのまま右腕をまっすぐに伸ばし祭壇に寝かせた。もう1つの土人形が、シズルの肩と右手を強い力で上から固定させる。

 「なに、何するつもりよ!? いやあ!」

 力を振り絞るも、無意味なものになる。土人形が何をしようとしているのか、見当もつかないシズルの耳に、再びあの男の声が飛び込んだ。

 「おい、ガキ! 右手でその布を剥ぎ取れ!!」

 布、シズルは混乱した頭の中で、その言葉を復唱する。視界の端に映る、シズルが右腕を固定させられたことによって、若干位置のずれた小汚い布に包まれた棒があった。

 「俺なら、この危機からお前を救える!! その布を取れ!!」

 この布を取ったところで、何が起こるのだろうとか、男はどうやって自分を救うのだろうだとか。こんな状況じゃなかったら、シズルの頭にはその疑問が浮かび上がっただろう。

 だが、男の言う『救える』という言葉に、シズルは反射的に右手を動かした。

 「急げ!」

 切羽詰まった男の声に合わせ、シズルが布を掴み、ボロボロの布を引き裂く。

 ――――ダンッ!!

 目の前に壁が現れた。

 「……え、」

 一瞬、何が起きたのか理解ができなかった。目の前には、巨大な錆びついた鉈が。

 全てがスローモーションのように感じた。目の前にある鉈は、きっと土人形が振り下ろしたものだろう。頭を狙おうとして、外したのだろうか。

 (あ)

 鉈には、真新しいと思える赤い液体がついていた。きっと、血だろう。誰のだろうか? そして、気づく。

 (右腕の、感覚が、無い)

 目だけを動かし、肩辺りを見る。あるはずの、肩から先の物が、鉈で遮られていた。鉈で、切断されていた―――――セツダンサレテイタ。

 「…………っ、……っぁ、あああぁぁぁぁ――――っ!!!」

 気付いた途端に、右肩から全身に、今まで体験したことのないような激痛が響く。痛みに背を仰け反らせ、喉が潰れるかと言うぐらいに悲鳴を上げた。

 体をのた打ち回りたい衝動に襲われるが、土人形が体を押さえているためそれは叶わない。

 シズルは体に響く痛みにただただ、声にならない叫びをあげる。

 (腕が、腕が! ないっ! 無くなった!!)

 右腕が無くなったという絶望感と、痛みに、叫び続ける。

 肩から出る血しぶきが、顔面に降りかかる。白いワイシャツにも、スカートにも降りかかった。鉈にも、押さえつける土人形にも、祭壇にも大量の血がかかる。もちろん、切断され動かない右手に握られた布や棒にも、その暖かい血は付いていた。

 「――――っ!!!」

 声にならない叫びを続けるシズルには、もう周りは見えていない。部屋の隅で少女が笑いながら、影に身を包まれ姿を消したことも、シズルは知らない。

 女の悲鳴が響く部屋の中で、違う声が響いた。

 「おい、ガキ!」

 男の声が、シズルの叫びにかき消されながらも部屋に響く。だが、シズルの反応はない。

 「ガキ! 俺が助けてやる! お前を、ここから助け出してやる!」

 男の声音は、今にも笑い出しそうな印象を受けた。喜悦に染まる男の声は続ける。

 「その代わり、お前は俺と共にあることを成し遂げてもらう! さぁ、返事を聞こう!!」

 意識が今にも飛びそうなシズルに、断るという選択などあるはずもない。

 (もう、なんでもいい!! なんでもいいから、私を助けて!)

 痛みに朦朧とする意識の中、シズルは首を縦に振る。

 「ハハハ、お前名前は!?」

 「ああぁ、しず、る。雨宮、静流!!」

 叫びの合間に言葉を紡いだ。男は笑い、力強く言う。

 「よしっ! アマミヤシズル! お前が、今日から、この俺の宿主だ!!」

 ハッと、痛みに固く瞑っていた瞳を開けた。――――その茶色い瞳に映ったのは、一面に広がる植物のような模様のした、赤褐色の、腕。

 手をこちらに向け、宙を浮く腕を見た瞬間に、シズルの意識は闇へと堕ちた。



===***=== 

 

 


 「――――っ!!」

 ガバリと、文字通り飛び起きた。全身にあふれ出る汗を感じ、激しい動機と息切れに襲われた。

 「――――あ」

 目の前は、白だった。それは壁で、手元には淡いピンクの花柄が散りばめられた羽毛の布団が握りしめられていた。

 服は制服ではなく、いつも愛用している水色の寝巻だった。

 シズルは汗で張り付いた前髪をかき上げた。普段は赤いピンで前髪を止めていたのだが、今はない。それに、ポニーテールをしていたはずの髪は下ろされていた。

 そこで、気づく。今、自分は右手で髪をかきあげたのだ。

 「…………ゆめ?」

 ぼうっと、シズルはあたりを見渡す。そこは、いつも通りの自分の部屋。散らかったままの服もそのままで、ノートやアクセサリーの転がった机も、普段見なれているものだった。

 「ゆめ、……そうだ。ゆめ、だったんだ」

 右手を開いたり閉じたりしてみせる。どこにも、外傷などなかった。

 「は、はは。そうだよ。夢だったんだ。なんだぁ」

 全身の酸素を、ゆっくりと吐きだした。長く、恐ろしい夢を、見ていたんだ。

 笑いがこみあげてきて、シズルは肩を震わせた。

 (そうだよ。全部夢にきまってるじゃん。あんな、ありえないことなんて)

 もう一度、自分の右手を見た。変わらない、いつもの右腕だ。

 「……父さん」

 無性に、両親に会いたかった。悪夢を見て、人肌が恋しくなったのだ。物悲しい気分を胸に、シズルは身を起こし部屋を出た。

 シズルの部屋は2階にあるので、リビングに出ようと階段を下りる。

 「父さん? 母さん?」

 呼んでも、返事はない。普段ならば、母は朝食を作り、父はテレビを見ているはずなのに。不安を覚え、階段を下りる足を速め、リビングに出た。誰もいない。

 「……どこ? 父さん?」

 震えた声に気付かないふりをして、シズルは父の姿を探す。だが、どこにもいない。

 外だろうかと思い玄関を開けるが、外には人っ子一人いなかった。

 (きっと、どこかに出かけてるんだ。そうだ、そうに違いない)

 シズルは玄関を閉め、またリビングへと足を運ぶ。

 「よお、アマミヤシズル」

 「――――っ!?」

 夢の中の男の声を聞き取り、シズルはあたりを素早く見渡した。だが、どこにも人はいない。その代わり、さっきはなかった妙な物を見つける。

 「そう、そこだ。アマミヤシズル。俺はそこにいるぜ」

 そこにあったのは、霧だった。いや、霧と言うより、白い靄のようなものだった。その靄は後ろにあるものを透けることなく、厚みのある白いものだった。靄の形は、楕円形で、まるで食卓の椅子に腰かける様に、人型に折り曲がっていた。そして、その靄から唯一見えたものに、シズルの瞳は大きく見開く。

 「そ、その、腕……!!」

 震える指先で指し示した先には、赤褐色の太い腕が、靄から顔を出していた。腕は右肩の位置から靄の外に出ており、位置は椅子の背もたれより少し上ぐらいだ。ちょうど、父が座った時の肩の位置と同じくらいだ。

 「んな、驚くんじゃねぇよ」

 面倒くさそうにその腕は上に持ちあがり、まるで頭を掻いているかのような動きを見せた。だが、掻いているといっても、その場所には白い靄があるだけなのだが。

 「夢、じゃなかったの……? あれは、夢じゃ……」

 泣きそうに顔を歪めるシズルに、白い靄からため息を吐いたような気配が伝わった。

 「泣くんじゃねぇよ、めんどくせぇ。現実だ、受け止めやがれ。てか、こっちが夢だ」

 “こっち”と地面を指すような動きを見せる赤褐色の腕。

 「うそ、嘘よ」

 「嘘じゃねぇ。……まぁ、こんなところに住んでたお前から見りゃ、“あっち”が夢って思いたくなるのは分かるわ」

 「……あっち?」

 「さっきまでいただろ。お前があの土人形から逃げ回ってた場所だ。いや、場所っつうより、世界か」

 「せ、かい」

 呆けたように、シズルは男の言葉を復唱した。男はもう一度ため息を吐き、続ける。

 「お前は全く知らなさそうだから、少し説明してやる。しっかり聞けよ」

 反応はない。だが、男は気遣うことなく喋り出した。

 「まずこの場所だが、ここには俺とお前しかいない。ここは、お前の“夢”の中、まぁ精神世界だ。だから、お前に馴染みのある景色だし、お前が望む場所でもある」

 シズルは光のない瞳で空を見つめている。

 「そこで、俺はちょいとここらを探検した。俺とは全く違う世界なんでな、少し戸惑ったが、なかなかいい世界だな」

 「…………」

 「……おい、聞いてんのかクソガキ」

 全く反応を示さないシズルに、男が不機嫌な声をかける。それにも、シズルは無言だ。

 「……ッチ」

 男は舌打ちすると、靄を纏いながら椅子から立ち上がるそぶりを見せる。そして、靄は少し速めに放心状態のシズルの前へと移動し、植物のような文様の付いた右手がシズルの胸倉をつかみ上げる。

 「おい、聞いてんのか!? 現実逃避してんじゃねぇよ!!」

 怒号をシズルに浴びせ、がくがくと揺らすが、シズルの目はその靄を通り越しているようだった。

 「クソが! おい、アマミヤシズル。いいか、ここはもう、お前の世界じゃねぇ! お前は、受け入れなきゃなんねぇんだ!!」

 ピクリと、シズルの肩が揺れる。

 「逃げねぇで受け止めろ! 帰りてぇんだろ!? んなこと、ここの場所を見ればわかんだよ!」

 ここはシズルの夢の中。馴染みのある、シズルが今望んでいる場所。

 「だったら、受け止めろ。受け止めて、自分でこの世界に帰る方法を探し出せ! 家族がいるんだろ? 友達とか恋人だって、その世界にいんだろ? だったら、逃げるんじゃねぇ!!」

 なんて、強引な言葉だろうか。だが、そんな乱暴な言葉でも、シズルを動かすには十分だった。

 シズルの中で、今会いたい人物が次々と浮かび上がる。

 「……たい」

 「あ゛あ?」

 「かえ、りたい。帰りたいよぉ……!」

 くしゃりと顔を歪ませ、目から大粒の涙が流れだした。涙はとめどなく流れ出て、顎を伝いフローリングを濡らしていった。

 「…………」

 男の腕は緩められ、シズルの胸倉から離れた。

 帰りたい、と何度も泣きながらこぼすシズル。男はそれ以上何も言わずに、無言でシズルの頭をなでた。骨ばった、大きい男性の掌だった。

 


 それから大分たち、やっとシズルの涙が治まったころには、シズルの目は真っ赤になっていた。

 「俺はすぐ泣く女は嫌いだ。これ以降は絶対泣くんじゃねぇぞ。いいな」

 「…………」

 「わかったな?」

 「いっ、たい、痛い痛い! わかった、分かったから!!」

 頬をつねられる痛みに耐えかねて、何度も首を縦に振ると、男は漸く手を離した。

 2人は今、テレビの前にあるソファに肩(?)を並べて座っている。相手は腕以外に白い靄を纏っているため、非常にこの様子はシュールだ。

 思いっきり泣いてすっきりしたのか、少しばかりの心の余裕ができたため、シズルは取り乱さずにいる。だが、やはりすぐに現実を受け止めるのは難しい。

 「さて、いろいろ話すことが大量にある。とりあえず、俺の説明から行こうか、アマミヤシズル」

 「あのさ、そのフルネームで呼ぶの、やめてくれない? すっごい、違和感ある。普通に、静流って呼んで」

 腕の男に対して、多少の恐怖はあるが、先程の容赦のない言動や男のたち振る舞いを見て、見かけさえ気にしなければ人と同じだろうと、無理やり気持ちを押さえつけた。

 「あんたは、なんていうの?」

 その言葉に、男の声は反応を示さない。

 「? なんで黙るのよ」

 突然黙りこくってしまった男に、シズルが疑問符を飛ばした。男は黙ったまま暫く経ち、ようやく声を出した。

 「わかんねぇ」

 「はぁ?」

 思わず気の抜けた声を出してしまう。

 「わかんないって、どういう意味よ?」

 「そのまんまの意味だ。俺には、こうなる状態の前の記憶がない」

 その言葉に、シズルは目を見張った。男は右腕を持ちあげて、ゆるく手を握ったりほどいたりしている。

 「気付いたら、あの布に包まれ、鎖みてぇな紙に縛られてた。声も出せずに、意識がはっきりする中で、俺は暗闇の中ずっとあそこにいたんだ」

 あの紙をシズルが破ったからこそ、男は漸く声が出せるようになったのだろう。そして、シズルが布を剥いだおかげで、男の右腕は自由になった。

 「ずっとって、どのくらいなの……?」

 「さぁな。数年か、それとも数百年、数千年……。時間の経ち方も、あそこがどこかでさえ俺には知る術はなかった」

 暗闇の中、自分以外の生物の存在を認知できることもなく、ただ独り孤独に過ごした。気が狂うほどの時間を、男はただじっとしていたと言う。

 「どういった経緯で、俺の体が右腕以外ないのかは分からねぇ。ただ、これだけは分かる」

 低い男の声が、一段と低くなり、拳を握りしめた。声音と、その強い力で握られた拳を見て、分かる。

 「俺は、何かを無償に殺したくてたまらねぇ」

 あふれんばかりの憎しみが、シズルに伝わってきた。

 「その何かが、人間なのかそれとも獣なのか、あるいは生物以外なのかはわからねぇ。だが、この感情は本物だ。俺は、それが逃げても逃げても、必ず追いつき、ズタズタに原型も残らないようにぶち殺してぇ。それが、体が死んでも右腕だけでも生き残った理由だろう」

 ゾクリ、と身の内から這い上がる悪寒に、シズルは身をすくめた。男には悪いが、男が声だけしか感情を表す術がないことに、内心安堵した。きっと、この男の憎悪に燃える瞳や、怒りに歪む顔を見たら、間違いなく逃げ出すと思ったからだ。

 男は握りしめた拳をほどき、白い靄の上に置いた。きっと、男は膝の上に置いたつもりなのだろう。

 「それを成し遂げるために、俺は待っていた。自分の宿主になる人間を」

 「やどぬし……」

 「とりあえず、誰かが来ないと俺は動けない。まずは、自分を解放してくれる人間を待った。そして、俺はそいつにとりつくつもりで、待った」

 自分が何をすべきか、本能で男は分かっていたのだ。

 「そして、お前は俺を解放した」

 あるはずのない視線を、シズルは感じた。この靄が男の体を模っているのならば、きっと男はシズルをまっすぐに見ているのだろう。

 「声が出せる様になって、何度もお前を呼んだんだぜ? なんで来なかった」

 不貞腐れたような声音に、シズルは「だって」と続ける。

 「いきなり意味わかんない言葉で怒鳴られたのよ? 逃げるのは当たり前でしょう」

 「根性ねぇな」

 「悪かったわね!」

 「てか、なんで分からなかった? お前も意味不明な言葉言ってたが、今は会話できてんじゃねぇか」

 「……わかんない」

 あの時、少女が現れ、突然の頭痛がおきた。そして、男の言語が日本語に変わったのだ。いや、男の様子からして、男は日本語を話していない。変化したのは、シズルだ。男の言語で話し、男の言語を理解できるよう、変化した。

 あの少女がなにかしたとしか、考えられなかった。

 「まぁいい。通じたほうが、俺としてもお前にとってもかなり楽だしな」

 男はどうでもいいと言いたげに、投げやりな言葉を吐いた。

 「話を戻すが、お前あの化け物たちに何かしたのか?」

 「そんなわけないじゃん。いきなり襲われたのよ?」

 「じゃあ、なんであいつらはお前を襲い、右腕を切り取ったんだ?」

 「っ!」

 思わず、自身の右腕を左手で握りしめた。感触は、あった。

 強張ったシズルの表情を見兼ねて、男はその右腕をシズルの右腕に添えた。

 「言っとくが、お前が右腕を失ったのは現実だからな。ここはお前の精神世界。お前が望む姿に変化する。今は右腕があるが、目を覚ませばその右腕はない。その代わり――――」

 赤褐色の肌をした右手が、シズルの右腕を掴んだ。

 男はゆっくりと口を開く。極力優しげで、男の気遣いが窺える声音で。

 「その代わり、俺の腕が、お前の右腕になった」

 大きく、シズルの目が見開く。自身の右腕から、男の右腕に視線を移した。赤褐色の、一面に植物のような黒い模様の描かれた、たくましい右腕を見た瞬間、思った言葉は――――、

 「嫌よ!!」

 「……ぁあ?」

 「絶対に、嫌!」

 断固拒否の意思を示すシズルの言葉に、一瞬反応が遅れてしまう。

 「……おい、腕が失わずに済んだんだぞ。むしろ喜ぶところだろぉが」

 「誰が、そんなごつい腕もらって喜ぶと思ってんのよ!?」

 その言葉を聞いて、シズルの右腕を掴んでいた腕が、ピクリと動く。

 「……てめぇ、この俺様の右腕がその貧弱な体に着いたんだぞ!? 感謝しやがれ!」

 「誰もあんたの腕もらいたいだなんて言ってないわよ! ごついし、肌の色は違うし、なんか変な刺青ついてるし。あんた趣味悪いんじゃないの!?」

 「知るか、んなもん! 気付いたらあったんだよ! 文句なら昔の俺に言いやがれ!」

 「不可能なこと言ってんじゃないわよ! バカじゃないの!?」

 「てか、太さはお前の腕と大差かわんねぇよ!」

 男の言うとおり、筋肉は一応ついてはいるが、そんなに太くはない。だが、無駄な脂肪がなく筋肉ばかりなので、触り心地は最悪だ。

 「とにかく、絶対に嫌! 目覚ましたら、取って!」

 「……いいのか? そんなことして」

 突然、熱くなっていた男の声音に、落ち着きが戻っている。だが、シズルは構わずに怒気を孕んだ声で言い放つ。

 「いいに決まってんでしょ!」

 「じゃあ、お前死亡確定な」

 「は!?」

 なんで、と目を剥くシズルに、男は当たり前だと言わんばかりの声で答える。

 「俺の腕は完璧にお前の右肩とつながっている。骨も筋肉も神経の一本一本残らずにな。それを取ったらどうなる? まぁとりあえず、出血多量で死ぬな」

 もし、この男に体があったなら、きっとその表情はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべているのだろう。笑いを含んだ声がそう物語っていた。

 「ちょ」

 「そうかー、残念だな。せっかく出会えて、お前の命の危機を救ってやったのに」

 命、という部分を大きくはっきりと強調するあたり、恩着せがましい男だ。

 「不慣れなこの世界で、いろいろと助けられるところもあるのに。そうか、そんなに嫌かー。なら仕方ない。俺は他の宿主のところへ移動するか。いやー、非常に残念だなー」

 棒読みのセリフが非常に腹立たしいのだが、この男がいなければ不慣れなことは確か。ならば、シズルはこの男を受け入れるしかない。

 「……分かったわよ」 

 「あぁ? 聞こえねーな」

 「分かったっつてんでしょ! もうどんな腕でもなんでもいいわよ!」

 「最初からそういやーいいだろうが。めんどくせーな。てか、まず自分が助かったことに対して、俺に感謝しろよ」

 この命令口調などの男の横暴さ加減が癪に障る。だが、あの土人形から救ってくれたのは事実なのだろう。

 あまり気乗りがしないためか、シズルはぶすっとした顔で礼を述べた。

 「……ありがとう」

 「よくできました」

 男が短く笑った気配とともに、頭をなでられた。

 「そろそろ、時間だ」

 男がそう言った途端に、睡魔がシズルを襲う。

 重くなった瞼をこすり、起きようとするが、こする手を男に取られてしまう。

 「目が覚めたら、こことは違う別の世界だ。しっかり、前を見ておけ」

 「……あんたは?」

 「安心しろ、傍にいる。俺は、お前の中にいる」

 それを最後に、シズルは目を閉じた。




===***===





 目が覚めると、そこは見なれた自分の家ではなく、蒼然とした空と植物たちが広がっていた。

 腕で支えて体を持ち上げる。次いで、自分の右腕を見た。

 そこにあったのは、夢で見た男の右腕だった。赤褐色の肌に、植物の刺青。

 ワイシャツの袖が全部無くなっており、片方だけノースリーブになっている。付け根を見ると、切断面に綺麗にくっついていた。普通の肌色から赤褐色へ、急に色が変わっている。

 右腕を軽くつねってみた。痛い。拳を握ったり開いたりしてみる。ちゃんと動いた。

 この右腕は、シズルの右腕になったのだ。

 「…………」

 『んなしょげんなって、シズル』

 「いやいや、これで気にするなって言われても無理に決まって……、え?」

 思わず辺りを見渡す。だが、あの白い靄があるわけでもなく、むしろ人っ子一人いない。

 『別に右腕ぐらいいいじゃねぇか。おまけにこの俺のたくましい腕がタダで手に入ったんだ。喜べ』

 「喜ぶか! ……てか、あんたどこにいんの?」

 反射的に言葉を返すが、やはりあの男の姿は見えない。声も姿同様どこから聞こえてくるのか分からない。耳からではなく、頭に直接聞こえてくるような感じだ。

 『お前の中』

 「……それってつまり、あんたの……、なんていうの? 魂、みたいなのが、私の中にある、ってこと?」

 『まぁ、そんな感じだ。俺の腕がお前とつながったことによって、俺はお前の精神の中に入れる、ってわけだ。まさに一心……いや、二心同体ってことだな』

 「てっきり、あんたとは夢の中でしか会えないかと思ってた……」

 『んな不便だったら、お前のことサポートできねぇだろ。宿主であるお前が死んだら、俺も死ぬんだからな』

 「そ、そっか」

 ゆっくりと、安堵の息を吐き出した。

 目が覚めて傍に誰もいないことに、シズルは心細く感じていた。それも無理はない。なんせ、未知の世界にいるのだ。独りでは耐えられないことだ。

 (なんか、ムカつくやつだけど、こいつがいてよかった、かも)

 『おお、そうかそうか。もっと俺に感謝しろよー』

 「っ!!! え、ちょっと、私何にも言ってないわよ!?」

 『俺とおまえはつながってるんだぜ? もちろん、心の中で思ったことも筒抜け、ってわけよ』

 「そんな、プライバシーも欠片もないじゃない!」

 『まぁまぁ、いいじゃねぇか。あ、もちろん俺の声は周りには聞こえねぇからな。つまり、お前は今かなりの不審者だ。よかったなー、周りに人がいなくて』

 そうカラカラ笑う男は、至極楽しそうだ。繋がっているからだろうか。男の“楽しい”という感情が、シズルにも伝わってきている。

 男の楽しげな声と心に釣られ、シズルにも影響を及ぼした。

 最初の暗闇の部屋のように、シズルはもう独りではない。不安に押しつぶされそうになっても、この男がいるならば大丈夫な気がしてきた。なにより、この男の明るさが、最大の救いであった。多少、不快にさせる物言いが残念だが。

 「分かったわ。人がいるときは声に出して喋らないことにしとく」

 『そうしとけ。あぁ、そうだ。シズル、足元見てみろ』

 促され、ボロボロになったローファーを履いた足元にあったのは、見覚えのある小汚い布に包まれた細長い物体だった。

 「何これ?」

 拾い上げると、その拍子に包みがはだける。中身が見えないと、さらに布をまくると、中から白い手が出てきた。

 「――――っっ!!!」

 『お前の腕』

 声にならない悲鳴を出すシズルとは裏腹に、男は淡々とした口調で告げた。

 思わず落としそうになるのを、あわてて掴みなおした。恐る恐る見ると、そこにはやはり自分の左手と同じような手が、布から顔を出している。

 切断面が出てこなくて、本当によかったと心底安堵した。

 「さ、先に言ってよ。思わず自分の腕ぶん投げるところだったわ」

 『お前が言う前に開けたんだろうが。一応持ってきた。多分、全部終わったころには必要だと思ってな』

 「あー、それはありがとう」 

 だが、切断された自分の腕と一緒に、ずっと行動するのだろうか。それは、かなりきついものがある。もし誤って落としたとしよう。そして誰かに拾われでもしたら、確実にバラバラ殺人事件として、監獄行きだ。

 頭の中で様々な映像が流れて混乱するシズルの心を読み取り、男はいたって冷静に言う。

 『まぁ、お前がしっかり管理してれば大丈夫だろ。それから、その布は封印の術が施されてる。だから、腐る心配はねぇ』

 「え、この世界って魔法とかあんの?」

 聞きなれない言葉に、若干の期待を胸に聞く。

 人間魔法を使ってみたいという気持ちは一度は思うだろう。空を飛びたい、とか瞬間移動をしてみたい、といったものを。まぁ。一度瞬間移動は体験したのも同然なのだが、あんなのは二度とご免だ。

 『お前の世界にはいなかったのか? 不便な世界だな』

 「そんなものなくても、便利よ」

 『拗ねんなよ。まぁ簡単に言えば、魔法だな』

 「宙に浮いたり、スプーン曲げたりするの?」

 『あー、まぁそこらへんもできるっちゃあできる。いろいろ種類があんだよ。物体を対象にするものが、主に魔法と呼ばれている、はずだ。今の時代もそうだとしたらな』

 「ふーん」

 血の気のない腕を見ていると、たとえ自分の腕だとしても気分が悪い。早急に布で包み、思ったより大きい布の端と端を結んだ。これで、肩から掛けられるだろう。

 『さて、シズル。これからいろいろと忙しいぞ。まずは、この体になれなきゃならねぇ』

 「それって、私なんかすることあるの?」

 『あったりめぇだ。一応動くが、細かい作業となると、まだ慣れねぇと思うしな。それから、腕の長さや重さもバランス取れてねぇんだ。体の負担が大きいぜ。とりあえず、暫くは肩こりに悩むな』

 「えー、やだ」

 『んなこと言っても、無理だっつの。ほれ、行くぞ』

 「行くって、どこ行けばいいのよ」

 腰を持ち上げて、改めて辺りを見渡しても、背の高い植物しか見えない。人が住んでいる気配は全くしない。

 『俺があの遺跡から出たのが、今お前が向いている方向だ。だからまぁ、適当に進んでおけ』 

 「アバウトな言い方ね。ホントにそれで大丈夫なの?」

 『俺を信じろ』

 「無理ね」

 『んだとテメェ』

 「なによ」

 他愛のない口喧嘩を繰り返し、シズルは当てもなく歩き出す。道なき道を、草たちをかき分けて進んでいく。

 そういえば男の呼び方はどうしよう、と思い当たる。いつまでも「あんた」ではなかなか不便なものだ。

 『名前? んなもんわかんねぇって』

 「……勝手に心の中読むのよしてくれない?」

 『俺に言うな。勝手にわかっちまうんだよ。心を制御する修行でも積んどけ』

 「それよりも、名前。あんたばっかり偉そうにシズルシズルって……不公平よ」

 『何がどう不公平なのかわかんねぇよ。あー、そうだなぁ……』

 男は考えるように黙り込む。

 ふと、シズルの脳内に、何故か澄みわたる青空が浮かんだ。それが男の思ったことと気付いた時には、男の声が答を出していた。

 『……“ゼノ”。そうだ、ゼノがいい』

 頭の中にある雲一つとない青空に感化され、シズルは空を仰いだ。雲はわずかにあるが、浮かび上がる青空と同じ色の空だった。

 『“ゼノ”は、俺の知っている言葉で、“青”の意味だ』

 「あんたの、……ゼノの故郷の言葉?」

 男――――ゼノは、その言葉には答えなかった。

 シズルの高い位置で結ばれた長い髪を、風が撫でる。血のついたワイシャツは、すでに乾いていた。

 「ゼノ……変な名前ね」

 『ああ? んだとてめぇ。お前の方が変じゃねぇか』

 「はぁ? 普通の名前よ。あんたおかしいんじゃないの?」

 『ざけんなてめぇ。殴るぞ』

 「殴ってみなさいよ。自分の体にできるもんならね」

 『てめぇ……。全部終わったら、ぜってぇぶん殴る』

 「あらそう」

 テンポの良い会話をしながら、シズルの気だるい体は前へと歩く。

 そのシズルの後方には、3メートルもある植物よりも、はるか高い物体がそびえたっていた。

 その巨大な建造物は、一つ一つの大きな長方形の石を積み上げた物だった。積み上げられまるで山のような上部がとがり、下部へと広がっている。石畳に張り付いた植物たちを覗けば、その姿はまさに地球に存在するピラミッドそのものだろう。――――ただ一点を除いては。

 石畳に張り付く、蔓状の緑ではなく、その遺跡に影を指すほどの大きな大木。その大きさはこのあたりの植物などの比ではない。青々と茂る葉を、四方八方へと伸ばし、巨大な影を作り上げている。その大木は、遺跡の中から、まるで外へと飛び出してきたように、その太い幹に合わせた穴を、石壁に開けている。

 かつてはシンメトリーであっただろうが、その大木が全てを壊している。だが、その天に向かって葉を伸ばす樹自体には、遺跡の圧倒的な存在感とはまた違う、神秘的なものを感じさせている。

 何故ゼノがあの遺跡の中にいたのか、何故あの遺跡にシズルは落とされたのか。シズルとゼノは、その真意を知らずに、共に旅をする。元の世界に帰るために、そして、男の願いを果たすために――――。

 




  

===***===





 「――――慧斗?」

 

 



===***=== 


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