間章
3人を飲み込んだ“穴”は、音もなく消えた。
後に残ったのは、まるで穴などなかったかのような、何の変哲もない公園の地面だけだ。恋人を失った男は、膝立ちの状態のまま、暗い地面を見つめた。
「……しず、る?」
乾ききった喉から発せられたのは、目の前で消えた恋人の名。
呆然と呟いた拓真は、もう一度彼女の名前を呼んだ。何度も、何度も。
「静流? 静流……静流、静流。静流、静流、静流静流静流静流ッッ!!」
弾かれたように拓真は地面へと伏せる。
恋人を失った喪失感を身に感じながら、拓真は一心不乱に固く乾いた地面を掘る。
「静流! 静流! 静流!!」
何度も名前を呼び、土を掻きわけ、彼女の姿を探した。
爪に土が詰まる。小石で肌が傷ついた。だが、そんなことはどうでもいい。
あの“穴”は異質なものだった。見た時は底知れぬ闇が奥まで続いているだろうと思った。だが、この地面にも同じ深さがあるのか。
答えは分かっている。こんな冷たい地面の中に、静流も、ましてや慧斗やあの少年がいるなどあり得ないだろう。
もう、ここには静流はいないと、拓真は理解していた。
だが、それでも手は止めない。
もしかしたら、もしかしたらこの中にいるかも。いつか、彼女の白い手が見えてきて、また顔が見えるかも。
そんな確証の無い思いを胸に、拓真は手を止めない。
だが、そんな必死な拓真の想いに、あっさりと現実を突きつける存在が、彼の背後にいた。
「そこに、3人はいないよー」
間延びした緊張感の欠片もない、ふざけた声に、拓真がぴたりと手を止めた。
ゆっくりと振り向くと、そこには静流達を蹴り飛ばし、“穴”へ入れた少女が、ニコニコと屈託のない笑みを浮かべていた。
瞬間、拓真の怒りが爆発した。
自分の胸にも届かない少女の胸倉をつかみ、激しく揺さぶる。
「何処だ! 静流は何処にいる!!」
子供だろうが、拓真の力には手加減など感じない。
がくがくと視界が揺れているのにも関わらず、少女はさもおかしそうに笑うだけだ。
「だーかーらー、ここにはいないってぇ」
「そんなはずはない!! ちゃんと言え!」
「だから、言ってるでしょー? ここにはいないよ。君に、彼女さんは見つけらんないよ」
「――――っ! 黙れ、黙れ!!」
一瞬その言葉に、息を詰まらせた後、拓真は再度少女に怒鳴る。
「言えって言ったり、黙れって言ったり。めんどいなー」
呆れたように溜息を吐く少女に、更に拓真の頭が沸騰する。一際大きく、拓真の怒号があがる。
「答えろ!! 静流は――――ッ」
「うるさいなぁ」
「――――っ!?」
突然の底冷えた声音に、拓真の背筋が一気に冷えたのを感じる。毛穴から冷や汗が吹き出し、あの“穴”に似たような得体の知れない恐怖を感じ、拓真の動きが止まった。
少女の顔からは、笑みは消えていた。
あるのは、暗闇に浮かぶ純白の頭に、なんの感情も表していない表情のみ。
そのあまりにも無機質な顔に、拓真の顔から怒気に上った血が急速に引いていく。
言いようのない恐怖に襲われて、震えだした手を少女の胸倉から手を恐る恐る離した。
少女はまるで、汚いものを落とすように、拓真が触れた部分を手で払いのけている。
わなわなと震える唇から、拓真が声を絞り出す。
「……お前、なんなんだよ」
陶器のように無機質な少女の双眸は、冷たく拓真を見上げる。
少女の長い髪が、風もないのに翻った。
一歩、少女から後ずさり、拓真は恐怖に顔を歪めた。
「なんなんだよ…………」
その言葉を最後に、拓真の意識は途絶えた。
――――静流。
拓真の呟きは、誰に聞こえるわけでもなく闇の中へと落ちていった。
足元から崩れ落ちるように、地面に沈む目の前の少年。
白い少女は少年を冷たく一瞥した後、後方にいる男に向き直る。
「は、……なんの、つもりだ」
短い呼吸を繰り返し、地面に膝をついて、眼前の少女を睨んでいる。
少女はうっすらと口元に笑みを浮かべると、一歩踏み出し口を開いた。
「リヒトこそさぁ、何のつもりなの?」
質問を質問で返され、リヒトは全身に広がる疲労感を感じながら目を眇めた。
少女はリヒトが口を開くその前に、言葉を紡ぐ。
「ケイトをあっちに送り込んで……、なに? そんなに殺したいの?」
「――――違うっ!」
瞬時に激昂し、否定するが、少女はその言葉を予想していたらしく、口元の笑みを深めた。
「違う? じゃあ、なんでケイトを連れていこうとしたの?」
「あちらは、安全だ」
――――ふと、リヒトは自分の口で綴る言葉に、違和感を覚えた。
「安全? どこが? どういうふうに?」
「少なくとも、ここよりは、彼にとって安全だ……」
――――また、違和感。
その違和感は、徐々に大きくなり、次第にリヒトの胸の内に大きな不安の塊となる。
だが、そう頭では理解できても、何故だか言葉を吐き出す口は止まらない。
「ここは、危険に満ちている。彼の命が危ない。だから、俺は――――」
「――――本当にそう思ってるの?」
嘲笑の意を込めた少女の視線と、少女の言葉により目を見開くリヒトの視線がぶつかった。
「『危険』? 『危険』!? 笑わせないでよっ! “ここ”が、“あちら”よりも危険だって!? 君は一体その2つの世界で、何を見てきたんだい!?」
おかしくてたまらないというように、少女は腹を抱えて高らかに笑いだす。
少女は笑いながら歩を進めていき、近くに転がっていた狼に酷似した犬の傍へ行く。
そして、先程自分の手で強制的に意識を失わせた犬の首に、容赦なく小さな靴底を振り落とした。
「君は、こんな“化け物”がいるような場所が、ここよりも安全だって、本気でそう言っているのかい!?」
少女が“化け物”と差す、地面に伏している犬は、ピクリとも動かずに、ただただ少女による暴力に体を揺らすだけだ。
リヒトは止めようともせずに、少女の尚も続く言葉の羅列を、必死に脳内で処理しようとしていた。
「こんな平和ボケした国が『危険』なんだったら、この世界はどれだけの脅威に人々は震えているんだろうね」
――――『危険』。そうだ、“ここ”は“あちら”よりも、『危険』だ。
「人が毎日のように不条理に死んでいるのかい? 空から鉄の雨でも降っているのかい? 目の前が真っ赤に染まる程の赤い水たまりでもあるのかい!?」
――――なぜ、そう思った? そうだ、どうして“ここ”が“あちら”よりも、『危険』だと思った?
「あぁ、リヒト! 君は最高だよ!! 僕は今、君に助演男優賞でもあげたい気分だ!」
――――俺はさっき、なんて言った?
「もちろん、主演はケイトだよ? といっても、彼に至っては演技じゃなくリアルなものだけどね」
――――俺は、何を思った?
「まだわからないのかい!?」
突如、頭に痛みが走り、無理矢理に顔を上げさせられる。
月明かりで逆光となっているが、そこにははっきりと少女の顔があった。
病的な白さの顔を、不気味に歪めて、嗤う少女。
細められた目と、歪んだ口は奇麗に弧を描き、見ている者がその不気味さに身をすくますほどの、狂気。
リヒトの髪の毛を掴みあげた少女は、リヒトの赤い眼を覗き見て、互いの鼻が触れそうになる程顔を近づけさせる。
そして、ゆっくりと、言葉をその口から吐き出した。
「――――リヒト、君は僕のいい“駒”だったよ」
妖艶に笑む少女の顔を、リヒトは大きく目を瞠り、驚愕の表情をだした。
「おま、え……、俺を、操ったのか……?」
言葉が、唇が震えるのは、怒りからか。それとも溢れ出る体の疲労感からか。
その疑問は、既にリヒトの中で答えは見つかっていた。だが、聞かざるを得なかった。認めたくなかったのだ。
だが、そんなリヒトの気持ちを知ってか知らずか。少女は深い笑みを更に深くして言う。
「悪い?」
「――――っ!!」
そのたった三つの文字が、リヒトを動かす。
先程から悲鳴を上げていた四肢を動かし、少女の顔面に怒りのままに拳を振り下ろす。
その拳はまっすぐに少女の右頬に吸い込まれるはずだった。
だが、それよりも早く少女の右ひざが、リヒトの胴体にめり込まれた。
「――――がっ!!」
身長が190近くある巨体を、少女は難なく蹴り飛ばす。
ただの少女がなせる技とは到底思えない力で、リヒトは後方へと飛ばされ、地面に砂埃を舞い散らせながら仰向けに転がった。
少女は疲れを微塵の欠片も見せずに、大袈裟に両手をあげて困ったように溜息を吐く。
「あーあー、こんな可愛い女の子に手を挙げるなんて。それでも教師なの?」
背中から地面に落ちたため、肺が詰まった感覚に、リヒトは何度か咳き込んだ。
「それから、操ったって言っても、ちょっと思いこみをさせただけだからね。さすがに完全には操るなんて無理だから。普通の人間だったら簡単だけど、君は特別だからね」
最後は少し含みのある言い方をし、少女は横に転がっている犬を一瞥する。
「それにしても、その犬は君の異変を指摘しなかったんだね。それとも、気付かなかったのかな? どちらにしても、役立たずには変わりないか」
興味のない、冷めた目つきを犬から外し、少女は再度リヒトに向かって笑みを作った。
「まぁ、気付かなかったおかげで、こんなにも事がすらすら進んでいったんだけどね。まさか、君が本当に僕の予想通りに動くとは思わなかったよ。といっても、多少の邪魔はあったけどね」
ケイトと一緒に落ちていった2人を思い出して、苦笑を浮かべるが、すぐにそれは少女の顔からはがれおちる。
「ま、いい駒が増えたって思っておくよ。場合によっては、君よりもよく動いてくれるかもしれないしね。――――ん?」
ふと、仰向けに倒れるリヒトの赤い3つの光が目に入る。額の瞳は既に閉じかかり、本来人間があるべき場所の二つの眼は、赤色が薄くなっていた。
そのことが、そろそろリヒトの意識が限界だということを理解し、少女は早急に言葉を速めた。
「とりあえず、今は僕の“分身”が彼らの所にいるけど、僕もすぐに行くから」
「……ま……て……」
「待つのは無理な話だなー。早く行かなきゃ、もしかしたらケイト死んじゃうかもよ? 君はここでその疲れた体をゆっくりと癒すといいよ。1人でも厄介なのに、3人も送ったんだ。疲労は相当なものだろう?」
言葉だけ聞くと、リヒトの体を気遣うような口ぶりだが、本心は全くの逆だろう。
少女が一歩下がった後、少女の足元から“影”が浮き出て、少女の足元から徐々に包み込んだ。“影”は少女の胸元まで到達し、最後に顔を覆うように大きく広がった。
そして、完全に少女が“影”に姿を隠す瞬間、少女の小さな腕が上がり、緩く振られる。
「ばいばい、リヒト」
少女は消えた。
3人が消えたように、影も形もなく、ただ夜の公園の風景が広がっていた。
静寂を取り戻した公園は、まるで今夜の騒動がまるでなかったように日常の顔をしていた。
ただ一つ違うのは、大人と少年の2人の男と、一匹の黒い犬が地面に寝転がっているだけ。
月明かりの下で、リヒトは青色の瞳を空へと向けた。
星の光は、満月の光によってあまりにも微弱なものだった。それほどまでに、今日の月は明るい。
「…………」
痛む体をぐったりと冷たい地面に預け、リヒトは自分の重い過ちに胸を痛めていた。
――――“ここ”は“あちら”よりも、危険。
その言葉を、少女はリヒトの脳内に植え込んだ。
シンプルで、なんて単純なもの。そのありえない勘違いを、リヒトは間違いないと信じたのだ。
逆らえないということは理解していた。だが、それでもそのせいで慧斗を危険にさらしている。
そのことが、リヒトの中で悔恨の念として胸にうずまく。
だが、後悔してもすでに遅く、やり直しなどできる状態ではないほど、状況はひどいものになると予測する。
いや、予測などではなく、これは確信だった。
確実に、このリヒトのミスにより、慧斗はもちろん、あの巻き込まれた2人の少年少女にも、影響が出てくるだろう。
彼らの人生は、自分のせいで狂ってしまう。
なんたる失態だろうか。
あの少女に操られた馬鹿な人形のせいで、彼らはきっと深い傷を受けるだろう。
そうなることが解るのならば、自分が取るべき行動は――――。
「レオ」
慧斗の愛犬である、倒れている黒い物体に声をかけた。
「レオ、起きなさい」
ピクリ、と視界の端で黒い毛並みが動いた気配を感じる。
暫くすると、レオが震える四肢で立ちあがった。そして、ゆっくりとした動作でリヒトに近づいた。
「レオ、君を“あちら”へ送ります」
レオはリヒトの青い瞳を見つめた。リヒトもまた、レオの青が混じった灰色の瞳を見つめ返した。
「残念ながら、この体ではすぐに送るということはできません。ですが、必ず送ります」
本来なら、今すぐにでも主人の許へと行きたいだろう。
彼は、リヒトに忠実な犬だ。だが、いつだって一番に考え、絶対の信頼と忠誠を誓うのは、本来の飼い主である慧斗、そして慧斗の叔母である塔子だけだ。
慧斗に危険があるのならば、リヒトの命令には背く。そして、リヒトが慧斗に危険を浴びさせるのならば、レオはリヒトを“敵”とみなすだろう。
だが、少女に操られたリヒトは、『慧斗を絶対に安全な場所へと送り届ける』ということを胸に、今晩レオを使って慧斗をここへ連れてきた。
もし、操られているのではなく、慧斗を傷つけようとたくらみを持っていたのならば、その時点でレオは気付いたはずだ。
だが、本心からそう思い込んでいたリヒトには、敵意など存在するはずもなく、むしろ保護の意がありありと存在していた。
その完全なる少女の呪いともいえる思い込みを、本人すら気付かないことをレオが気付くはずもないのだ。
「君を次に送ることで、僕の体は動かなくなるでしょう。“穴”を開けるのは、とても疲労がたまるのです。ですから、あなた1人で行ってもらいます。そして、ケイト君を探してください」
第一に探すのは慧斗。それは、言わなくともレオは理解していた。
彼らが必要とし、護るべき対象は慧斗なのだ。あの2人には酷なものかもしれないが、それは決定事項だった。
「3人も運んだことにより、僕の体は暫く指一本動かすことすらままならないでしょう。動けるようになるまで、どのくらいかかるかは見当がつきません。……それまで、待てますか?」
寡黙な犬は肯定の返事として、こくりと首を縦に動かした。
「ならば、とりあえず、僕の家へもどりましょう」
ふと、レオが後方を振り向き、一つ吠える。
リヒトも同じように視線をそちらへ向くと、そこにはひとりの少年が倒れたまま動かずにいた。
(あぁ、すっかり忘れていた)
彼は少女の手によっておちたのだろう。死んではいないはずだが。
「彼のことは、きっと放っておいても警察がなんとかしてくれるでしょう。僕はこの状態だから“能力”を使えるわけでもない。少し心配ですが、彼が何か警察に話したとしても、きっと相手にはしないでしょう」
少しばかり楽天的な考えかもしれないが、疲労により意識が朦朧とする中、明確な決断などできはしない。
それに、今は一刻も早く体を休めなくてはいけない。
「いきましょう、レオ」
それを最後に、リヒトは重い瞼を閉じて、視界を闇にする。
少女の呪縛が解けた今、“あちら”のあらゆる危険が脳裏に次々と浮かんでくる。その危険が彼に今まさに迫っていると思うと、今にもこの身が後悔の念で焼け死にそうだ。
体を万全の状態にしなくてはならない。まずはそれからだ。
――――僕は、君を守らなければならない。なんとしても、この命に変えても君を守って見せる。
僕は、そのために生き続けてきたのだから。
「だから、何度も言ってるだろう!? 静流達は、変なガキと男が作った“穴”に吸い込まれたって!!」
「そんな信憑性の欠片もない、お前の妄想話を聞いているんじゃない! 俺は真実を聞きたいんだ!」
「だから、それが本当だって言ってんだろ!?」
不毛な言い争いを、二人は繰り広げていた。
制服を着た少年は、無精髭を生やした男に怒鳴りつける。そして、その言葉に男もまた怒鳴り返す。繰り返し、彼らは衝突しあった。
男は影山と名乗った。それから、自身が警察だと。少年――――拓真の恋人、雨宮静流とその従弟である桐島慧斗、そして友人の竹内晃。その三人が行方不明となったことから、影山は唯一の当事者である、拓真の話を聞いていた。
だが、何度訊いても、それは現実味のない、それこそ漫画やアニメのような話しか、この少年は話さない。そのありえない話に影山は、恋人が失って気をおかしくしたと思い、哀れに思うのと同時に激しい苛立ちを感じていた。
同時に、拓真もまた、真実しか話していないのに、相手にもされないということ。そして、今すぐにでも静流を捜しに行きたいという焦燥感に、苛立ちを感じている。
影山が拓真の家を訪れてから、2人が話し合いを始め、すでに1時間以上は経過している。そして、3人が姿を消してからは、5日が過ぎた日だった
「じゃあ、その子供と、男はどこに行ったって言うんだ! 公園に倒れていたのはお前だけ。他には人がいた気配なんざどこにもなかった!」
「もっとよく探せよ! 特徴言っただろ? 男はともかく、あんな目立つガキ、すぐに見つけられんだろ!」
「例の全身が真っ白なガキか!? お前の言うとおりにすぐに調査に向かわせたさ! 大事な当事者だ。かれこれ血眼になって捜してる。だが、そんな特徴をもったガキは、一人だっていない!」
「だったら、あの男は――――」
「あぁ、てめぇの言う“リヒト先生”とやらか!?」
拓真の言葉をさえぎり、影山は怒声を重ねた。
「お前の言うとおり、俺は捜したぜ! 行方不明の桐島慧斗と竹内晃が通っている高校に、わざわざ出向いてその“リヒト先生”とやらを捜したさ! だが!」
ダンッ! と、両手を机に叩きつけ、向かいに座る拓真を鋭く睨みつけ、言葉を吐いた。
「そんな奴、存在しねぇんだよ! あの高校で働いている、新・旧の教師を洗いざらい捜した。だが、どこにもそんな奴いやしねぇ! 記録にも乗ってねぇんだ!」
影山の怒りと焦りに満ちた声音に、わずかに尻込みする拓真。だが、すぐに影山をにらみ返し、言葉を返した。
「竹内があいつの名前を言ったのを、俺はこの耳ではっきりと聞いたんだ! 他の学校も探してみろよ!」
「お前に言われなくても、こっちはやってんだよ! 竹内晃はバスケ部に入っていた。試合やら合同練習で交流のある、各高校のバスケ部の顧問、もしくは関係者、さらにはそこの教員全員を調べ上げた。だが、どこにもいない!」
「……っでも!」
「でもも、くそもねぇ!」
影山は拓真の反論を有無も言わせずに、さらに事実を叩きつけるように叫んだ。
「生徒や学校周辺にも聞き込みもした! 市役所にも行ってその教師の名前を捜した! だが、どこにもお前が言う2人の人間はいなかった! 俺たちは唯一の当事者であるお前の言葉を信じた。その結果がこれだ! どこにもいやしねぇんだよ! 白いガキも、教師も、ここには存在しねぇんだ!!」
しん、とリビングに静けさが流れる。あるのは、影山のわずかに上がった息だけだ。
俯いたまま反応のない拓真に、影山は額を抑えてため息を吐いた。次いで、拓真の見えない目を見て小さな声で言葉を発した。
「……悪かった。怒鳴ったりして」
「……いえ、いいんです。俺も、すみません。なんか、頭ぐちゃぐちゃしてきちゃって……」
2人は互いに黙りこくり、暫く沈黙の時間が流れた。最初に口火を切るのは影山だ。
「今日は、もう帰る。また、近いうちに話を聞きに来る」
「……はい」
覇気のない声音に、わずかに影山は眉根を寄せ、項垂れる拓真の頭をなでた。少し肩が跳ねたが、振り払う様子も無くなすがままになっている。
「お前、ちゃんと寝ろ。恋人想いのもいいが、体壊したら元も子もねぇ。探すのは、俺たち警察に任せろ。ガキは、安心して家で待ってろ」
わずかに顔を上げた拓真の表情は、心配の色に染まり、目の下にはわずかな隈があった。とても健康とはいえないものだった。
影山は拓真と目があったことで、二カリと安心させるように笑う。それに応えようと、拓真もまた苦笑にも似た無理に出す笑みを見せた。その悲痛な笑顔ともとれるものに、内心眉根を寄せるが、表には出さず影山は席を立つ。
「じゃあな」
影山は拓真の家を出て行った。それと同じタイミングで、隣室から母の姿が現れる。母の顔は、心配とそれから息子に対する気遣い、そして事件での息子に対する怪訝のものがあることを、拓真は母から感じ取った。
「……刑事さん、帰ったのね?」
「うん……」
「……大丈夫?」
ソファーに座ったまま動こうとしない息子に、労わりの言葉をかけた。それは、刑事との言い争いに対してのものか、それとも事件をきっかけに気が狂った息子に対してのものか。
「大丈夫、だよ」
実際は精神的にも、この5日間まともに寝てないことから、体力にもきついものがあったが、母に心配は掛けれないと嘘をついた。
息子の気持ちには気付かずに、母は「そう」、と一言言うだけでキッチンへと入って行った。
「…………」
事件をきっかけに、拓真に対する周りの反応は激変した。
目の前で恋人を失った拓真に対し、世間は憐みの目で見た。同情の言葉を口にし、拓真を労わった。だが、だんだんと拓真の言い分を聞いた者たちは、奇怪な目で拓真を見始めた。そして、当初とは違った憐みの目も、増えていった。
拓真が証言した話は、あまりにも現実味のないものだ。喋ったところで、誰も相手にはしてくれないだろうと、拓真自身も十分理解していた。だが、拓真は喋らざるを得なかった。それは、静流が一刻も早く帰ってきてほしいため。
どんな小さな情報でも話してほしい、と影山は最初に言った。それが、3人を救う手立てになると。その言葉に、拓真の迷いは一切消えた。
拓真は話した。晃と一緒に2人で慧斗を探し始めるところから、3人が“穴”に落ち、自分があの少女と衝突して気を失うまでを。全て、影山に話した。
影山は親身になって話を聞いてくれたが、やはり信じてもらうことは叶わなかった。そして、その話については相手にさせてもらえなく、話した結果がこの母でさえも訝しげに息子を見る状況だ。
だが、後悔は微塵もない。この話を影山たちが覚えていて、それが事件の解決に少しでもつながってくれれば、それでいいのだ。自分のことなど、どうでもいい。
拓真は膝の上で絡ませた両手を強く握り、目を閉じた。
全ては、静流が帰ってくるまでのこと。静流が無事に自分の許に戻り、その顔を見れるだけで、それでいいのだ。