勇者パーティー、魔界経由で夜逃げする
瘴気の嵐が渦巻き、邪悪な紫の霧が立ち込める魔王城の心臓部。
「頼む、これで最後なんだ…! 世界の未来を、俺に預けてくれッ!」
勇者アッシュは血の滲むような声を絞り出し、最後の希望をすべて手元にある一粒の魔石に込めて、生死を分かつ羅針盤に魔力を流した。
ガシャ、ガシャラララ…。
静寂に包まれた戦場に、硬質な小気味よい音が響き渡る。
緊迫した空気の中、示された天の啓示──その刻印の数は『3』。
「ああっ、ダメです勇者様! その歩数で進むと、そこは地獄の『魔力崩壊・財産半減』の呪界です!」
「な、何だと聖女見習いのルルッ!? 俺たちの手元に残っている魔力残量は今どのくらいだ!?」
「王家と交わした防衛の契約スクロールが2500万魔素と…この未開拓地の結界権利書が3枚です」
「壊滅だあああああ! 誰か生命維持の救済魔術を発動するために、俺を殺してくれ!!」
アッシュは頭を抱えて、絶望のあまり冷たい床に突っ伏した。
そう、これは世界を賭けた聖戦。
「ククク…愚かなる人間どもめ。 戦術の波を読めぬ者に、この世界を統べる資格などない。 次は余の領域展開だな!」
ふんぞり返って禍々しい魔導盤に指をかけ、勢いよく弾いたのは魔王であった。
魔導盤の針が高速で回転し、チチチチッと音を立てて止まった目は『6』。
「あ、魔王様! 『未知の霊草栽培が大成功。 敵の生命力を500万ずつ吸収する』の極大呪詛が執行されます」
「やったぞクロード! ほら、お前たち、余にみつぎものをよこすのだ! これで算数ドリルともおさらばだぞ!」
小さな魔王は、ぶかぶかのマントをバタバタと羽ばたかせ、短い手でテーブルをバンバンと叩いた。
その可愛さに、敵であるはずのアッシュたちも思わず頬を緩ませそうになるが、戦況の計算は別である。
「くっ…魔王のやつ、これで『魔導院の長』から『霊草の覇王』にクラスチェンジしやがった。 なんて恐ろしい魔力量だ…。 おいキース! お前の職業は『影の呪術師』だろ! 賢者未満の『遊び人』の分際で、何か一発逆転の魔法とかないのか!?」
勇者から『遊び人』と呼ばれた瞬間、それまでニヤニヤしていたキースの顔が引きつった。
「あァん!? 誰が『遊び人』だコラァ! 俺はあと一歩で大賢者になれるはずだったんだよ! お前が王都のショップで『覚醒の魔導書』を買う金をケチったから、俺は賢者になれずに未だにただのニート(遊び人)なんだよ!!」
──そう。
これは聖戦などではなく、特大テーブルの上に広げられた『人生ゲーム:魔界エディション(対象年齢6歳以上)』の盤上で行われている、ただの泥沼の身内ゲーであった。
彼らが命を懸けているのは世界の覇権ではなく、ペラペラの紙幣である。
「うるさい! あの時はパーティーの資金が足りなかったんだよ!」
「嘘つけ! ルルが『聖女への覚醒オーブ』が欲しいって泣きついたから、一人分しか買えない予算をそっちに回したんだろ! 結果、ルルも金が足りなくて『聖女見習い』止まりだし、俺は完全にハブられて遊び人据え置きじゃねえか! 全部お前の采配ミスだろ、この借金まみれの無能勇者が!」
「ば、暴露するな! 過去の生々しい予算配分を魔王の前で暴露するんじゃない!」
「ひゃっははは! だがな、賢者『未満』の俺をナメてもらっちゃ困るねぇ。 こういう時のために、俺は裏で地道に魔力を練ってたのさ…!」
キースが懐から取り出したのは、ルールブック(ハウスルール追記アリ)だった。
「見やがれ! 遊び人秘奥義!! 暗黒魔法『タックス・ヘイヴン(インフレ・デフレ交換)』!!」
「何だその禍々しい名前の魔法は!?」
「ルールブックの第14条を書き換える魔法さ! これにより、現時点で一番お金を持っているプレイヤーは、全員の借金を全額肩代わりしなければならない!」
「な、何ですと!?」
銀行役のクロードが叫ぶ。
キースの指先から放たれた怪しい光が盤面を包み込むと、魔王の手元にあった数千万ゴールドの束が、シュウウウンとアッシュたちの手元へ移動し、代わりにアッシュたちの山のような借金カードが魔王の陣地にスライドしていった。
「えっ…? 余のおかねは…?」
7歳の魔王は、一瞬にしてすっからかんになった手元を見て、大きな目をうるうると潤ませ始めた。
「さらに追撃だ! 空間転移魔法『アプロプリエイト(コレ・オレの)』!」
キースがパチンと指を鳴らす。
すると、ルルが大事そうに抱えていた『生命保険の証書』と、魔王が持っていた『高級タワーマンションの権利書』が、ふわりと浮き上がってキースの手元に収まった。
「ああっ!? 私の老後の蓄えが!?」
「ひゃっははは! これで俺様がこのゲームのトップだ! 医療保険も、お宝の『伝説のツボ』も全部俺のもんだ!!」
「キースお前っ! 敵味方関係なく身ぐるみ剥ぎ取るなんて、魔王より魔王らしい真似しやがって…!」
アッシュが戦慄していると、隣でじわじわと涙を溜めていた魔王が、ついに限界を迎えた。
「う、うわあああああああん! キースのばかー! 余のタピオカ、余のタワマン返せえええええ!」
「ああっ、魔王様! お泣きにならないでください! よしよし、クロードが後で本物のパフェを買ってあげますから!」
「いやだあああ! ゲームのタワマンがいいのおおお! びええええん!」
魔王城の心臓部に、7歳児のマジ泣きが響き渡る。
クロードはキースを般若のような顔で睨みつけた。
「…おい、遊び人。 我が主を泣かせるとはどういうことだ。 これより、リアル物理によるターンを開始するが、異論はあるか?」
「ひえっ!? いや、ゲームだし! ハウスルールだし!」
緊迫した(?)空気の中、泣きじゃくる魔王の頭を、ルルが優しく撫でた。
「よしよし、魔王様。 キースがズルしたから、今の魔法はナシにしましょうねー」
「…ほんとう?」
「はい。 ついでにキースは罰金として、全財産を銀行 (クロードさん)に没収されます」
「おい拘束魔法 (ポリス)はやめろ! 俺のタワマンがあああ!」
キースがクロードに引きずられて部屋の隅へ連行されていく中、勇者アッシュは、涙を拭いて鼻水をすすっている魔王の姿をじっと見つめていた。
(…ダメだ。 勝てるわけがない)
アッシュは静かに、自らの聖剣(裏庭の木製)を床に置いた。
「ルル。 俺たちは、とんでもない過ちを犯そうとしていたのかもしれない」
「えっ、どうしたんですか急に真面目な顔して」
「見ろよ、あの可愛い生き物を。 あんな小さな子が、一生懸命悪い顔をして『余は魔王だぞー』って頑張ってるんだぞ? そんな子を、俺たちの都合で倒せるわけないだろう。 心が痛む」
「……アッシュ。 要するに、魔王討伐の報酬(王族からの賞金)が貰えなくなった時の言い訳を探してますね?」
「ギクッ」
さすがは聖女見習い、勇者の本心を一瞬で見抜いた。
そうなのだ。
本来、魔王討伐パーティーには王族や大貴族の子息が一人混ざり、国費から潤沢な遠征費が出るのが通例である。
しかし今回、神から選ばれたのは孤児院出身の幼馴染三人組。
後ろ盾のない彼らに対し、王都のケチな上層部は『平民にくれてやる予算はない。 だが魔王は倒してこい。 道具代は貸し付けてやるから、倒せたら帳消しな』という、あまりにも世知辛い『出世払い(実質タダ働き)契約』を押し付けてきたのだ。
もし魔王を倒さずに帰れば、待っているのは自己破産とタコ部屋行きである。
「だってよ、ルル! ぶっちゃけあの魔王、世界を滅ぼすどころか、さっき『算数ドリルが世界で一番嫌い』って言ってただけだぞ!? 滅ぼされるの世界じゃなくて算数セットだぞ!? あんな可愛い子倒せるかよ!」
「それは確かに、討伐対象としてはあまりにも不憫ですね…」
「だろ!? しかも、俺たちが王都に帰ったら待ってるのは、あのケチな大臣たちからの借金取り立てだ。 まともに払えるわけがない!」
アッシュは部屋の隅でクロードに正座させられているキースを呼び戻し、パーティー3人で緊急の作戦会議(ヒソヒソ話)を始めた。
「おい、いいかお前ら。 ここで魔王を倒しても、俺たちの懐は一銭も温まらない。 それどころか、可愛い子供をいじめたという罪悪感で一生枕を高くして寝られなくなる」
「つまり?」
とキース。
「…踏み倒そう。 あんな不平等契約、知ったことか!」
アッシュの提案に、ルルの目が怪しく光った。
「踏み倒すって、王族からの借金をですか?」
「そうだ。 魔王討伐は『引き分け』だったことにして、このまま魔界を突っ切って国外逃亡しようぜ!」
「ひゃっはー! いいねぇ! 隣の国なら俺、カジノのツテがあるぜ! 一山当てて、孤児院のババアに美味いもんでも送ってやろうじゃねえか!」
「私も、あっちの国なら無資格でも高額で雇ってくれる、怪しい治療院を知っています! そこで稼いで、孤児院の建て替え費用にします!」
「お前ら本当に光の陣営か!? まあ、動機が最高に泣けるからヨシ!」
とにかく、満場一致で『夜逃げ』が決定した。
「あの…にんげんども、つぎは、だれのターン…?」
キャンディをくわえた魔王が、不思議そうにこちらを見つめている。
アッシュは最高の笑顔を作り、魔王の前に膝をついた。
「魔王様。 今回の戦いは、我がパーティーの『負け』だ! この人生ゲームは、君の大勝利だ!」
「わーい! 余の勝ちだ! ゆうしゃ、よわいぞー!」
無邪気に喜ぶ魔王の後ろで、クロードがフッと安堵の息を漏らし、アッシュたちに一礼した。
「…我が主の遊び相手になっていただき、感謝する。 お前たちの『(ゲーム内の)借金』は、私が免除してやろう」
「ありがとうクロードさん。 ついでにリアルな方の逃亡資金として、このタピオカの権利書(本物)を買い取ってくれないか?」
「それは魔界の不法占拠になるので不可だ。 早く立ち去れ」
こうして、世界を揺るがすはずだった魔王討伐は、一人の7歳児の笑顔と、勇者パーティーの盛大な夜逃げによって、平和に(?)幕を閉じたのであった。




