二
その後会社には一週間ほど出勤した。
いくら死が身近に差し迫っているとは言え、何も告げずにそそくさと辞めることは出来なかったし、男自身もどうせ辞めるならキリの良い方が後腐れがなかった。
会社の中でもごく親しい人にだけ挨拶をし、部下や後輩達にも入念に引き継ぎをした。男は自分が思っていたよりも、二十年足らずという短くも長すぎもしない時間を過ごしたこの職場に愛着を持っていたらしかった。辞めることだけは伝えたが、具体的な病状は殆ど口洩らししなかった。会う人会う人に自分の命の短さを嘆くのは男の嫌悪する類の態度であったからである。これから訪れるであろう静謐な死に対しての冒涜であるとすら思っていた。
「先輩。」
「うん?」
「もしかして、癌…とかだったりします?」
勘の働く者の中にはこう尋ねてくる者もあった。身近な人間が病院に行った次の週に会社を辞めると言い出したのだから気付くのも不自然ではない。
「いや、癌じゃなかったよ。」
すっかり物慣れた男は質問の意図を汲んで返す。
「なんだ、よかった。すみません、失礼なことを訊いて。」
後輩の男はほっ、としたように表情を緩めた。
去年、大学を卒業したばかりだという。まだ学生らしい溌剌さを瞳の奥に残したまま、人懐っこい笑顔をして、向上心もある。気遣いもできる。
(俺には勿体無いくらいのよく出来た後輩だったな。)
既に男の心の声は過去形をとっていた。
「そもそも、癌だって今の医療技術なら昔ほど絶望の象徴じゃないんだよ。」
「そうなんですか?」
「ものによるらしいけどね。」
そっか、そうですよね。と後輩は言って笑った。人が死ぬことなんて知らないような朗らかな笑みだった。
いや、実際知らないかもしれなかった。彼くらいの歳なら、祖父や祖母が元気でいても何ら不思議はない。
(大抵の人は癌より篤い病を知らないんだろう。)
それもまた仕方のないことである。当の男でさえ、自らが直面したこの問題に対してこの一週間で考え、調べてから初めて知ったのだ。
今日を境にこの後輩と会うことはもう無いのだろうと思うと、流石に多少なりとも込み上げてくるものがあった。その中では、この後輩にも免れぬ死というものの絶望を知って欲しいという仇な願望と、絶望から切り離されて、快活な青年のままであって欲しいという隣人愛が激しく葛藤していて、男は次第に居た堪れなくなった。
男は全てを終えて会社を出た。
残すべきものも、引き取るべきものも最早無い。
(それにしてもだ。)
男は次第に強くなる不満を抑えきれなかった。
(それにしても皆は、いや俺達は、死というものに対して無知が過ぎるのではないか。)
それは不意に湧いて出た割には本質的な問いであった。確かに死に繋がる要因というのはいくらでも溢れている。誰でも、この先見たことも聞いたこともない病に倒れるかもしれないし、明日車に轢かれて死ぬかもわからない。結局何も判りはしないのである。
それでも多くの人はその殆どに怯えることなく、盲目的にその日を生き、友人と先の約束をし、少しの酒を呑んで明日の為に眠る。誰もが明日があると信じて疑わないのである。
(理由は単純だ。そんなことを考えたって毒にも薬にもならない。いやむしろ猛毒だろう。)
しかし男の明日は崩れてしまった。
聞いたり調べたらしたところでは、男の病は睡眠障害や幻覚から始まり、徐々に体を蝕み、やがて認知を奪い、人としての尊厳を時間をかけて陵辱するようなものであった。
(どうせ人間じゃいられなくなるんだ。最後くらい人間が何かって、見せつけてやろうじゃないか。)
恐怖は勿論あったのだが、それ以上に残された時間をどう過ごすのが美しいのか。それにばかり囚われて、来るべき苦しみへの恐怖を蔑ろにしていた。
(今の時代、治らなくたって、苦しまずに死ねる方法だっていくらでもある筈だ。スイスかどこかは忘れてしまったが、いざとなったら安楽死できる国に行けばいい。なに、そのくらいの金は貯めてある。)
そう考えるくらいには楽観的になっていた。
男は家までの道をずんずんと歩く。男は会社から電車で三駅程離れたマンションに住んでいたが、この所は電車を使わずに歩いて帰るようにしていた。お陰で通り道に好みの喫茶店も見つけることができた。今となっては会社に近い住処を見つけて喜んでいた当時の自分がとても滑稽に思えて仕方がなかった。まだ半年分残っている、ケースに入れたままの定期をポケットから取り出すと、母の遺影のように男に笑いかけていた。
寝不足による疲れは日増しに増してゆく。暴発して誰かに当たってしまう前に会社を辞められた幸運に男は感謝した。
(さて、これからどうしたものか。何だったら引越しちまおうか。)
男はこれからのことを考え、恐らく元気でいられるであろう日々を指折り数えながら歩いていた。
すると何かの拍子にこつん、とつまずいた。振り返って見てみたが、何につまずいたのかは分からない。
その時男の脳裏に、先日自分の病気について調べていた時インターネットで見かけたある文面が思い浮かんだ。
——やがて運動能力が著しく低下し、自力で排泄することも困難になる——
「運動能力が低下し。」
今度は口に出して言った。その時、何か堰が切れたように身体中が疼いた。と思ったら、男は突如として走り出した。スーツ姿のまま、鞄を強く握って走り出していた。男自身にもなぜそうしたのかは分からなかった。ただ、走ってやりたかった。闇雲に。
「はあ、はあ。」
もう息が切れ始めた。やはり弱っているのだろうか。
いや、ずっと運動してなかったからすっかり鈍ってるだけさ。男はぐるぐると言い訳を考えながら猛烈に走った。
「はあ…っ、はあ。」
空は暮れ始めている。このまま走れば太陽に追いついて、昼を手に入れられるだろうか。
視界の端で、母親に手を繋がれた子供が無感情に男を目で追っているのが見えた。反対の歩道にいる若い女の二人組が怪訝そうに男を睨む。
(ああ、苦しい。息が入ってこない。だが見ろ、お前達は道端でこんなにも自由に駆けることができるだろうか。俺は走っているぞ、死と鬼ごっこをしているんだ。お前達には想像もつくまい。)
男の脳は飽和した感覚と快感のせいで、もう恥や矜持
などどうでも良くなっていた。ただ、今の風を切る気持ち良さだけが男の全てだった。
ついに男は立ち止まった。十数年ぶりの激走に付き合わされて、二対の脚は震えながら男に赦しを乞うていた。
(仕方がない。ここまでだ。)
一体何キロ走ったのだろう。男は気になった。
(さぞいい距離を走り続けたに違いない。)
少し楽しみでもあった。スマートフォンで位置情報を見て道を確認してみる。走り出した場所の景色は覚えているのでそこから逆算して、そして愕然とした。
結局男が走り抜けたのは500m足らずだった。
千里の道を駆け抜けた馬のごとき優越感は、たちまち仏の掌で弄ばれる孫悟空の屈辱へと堕ちてしまった。
とぼとぼ、男は競馬で大敗したような喪失感を抱えながら残りの家路を歩いた。
しかし嬉しいこともあった。
あれだけ走って体が疲れ切ったのか、風呂に入ってコンビニで買った弁当を食べてしまった後は、ここ数日分の興奮が一気に冷めたように眠ることができたのである。明日からは会社に出勤することもない。信じられない程の穏やかさがゆりかごのように包み、男は眠りに落ちた。




