第七話 外の世界
―――朝靄がまだ地を這う頃。
東の空が朱に染まり始めたその時、俺は誰かに肩を軽く叩かれて目を覚ました。
「……マスター、起きろ。朝だ」
「……ん、ああ……サクさん……」
未だ眠気に支配されている目を擦りながら体を起こすと、骸骨の王は俺を起こした後に再び近くの椅子に腰かけて静かに佇んだ。
その姿は早朝の薄暗闇に溶け込むようでいて、しかし朝の光にも不思議と違和感がない。
「……やっぱりその体じゃ寝られないか?」
俺の言葉にサクラノヴァさんは朝の光に照らされた骸骨の顔をゆっくりとこちらに向けた。
その眼窩の奥に揺らめく青白い魔力の灯火が静かに瞬いており、それが少しだけ儚く見えた。
「……ああ。眠る必要もないんだろう。……眠くはないが、瞼が閉じられないのは違和感があるな」
彼の言葉に、俺は僅かに奥歯を噛み締める。
「……そっか……。じゃああれからずっと起きてるのか?」
「当然だ。……だが、不思議と苦痛は感じん。……恐らくこれもこの体の恩恵なのだろう。……それに、眠れないのは俺だけじゃない。……年上の俺が弱音など吐くわけにはいかないからな」
サクラノヴァさんはそう言って朝の光に手をかざした。
日光の影響をなくす指輪を持っている彼には、きっと暖かさも、痛みも、眩しさですら何も感じることはないのだろう。
でも……それでもそうするべきことに意味があることだけは、十分に分かった。
「……何かあったらいつでも言ってくれよ? これでもマスター……だからさ」
「……ふん。貴様に弱音を吐くぐらいなら俺は死んでも構わん」
「おいおい、そこまで言うか? いくら俺がサクさんに―――」
「―――さて、そろそろ行くぞ。今日の探索は北に見えた丘陵地帯だ。昨夜、その方面で魔力の乱れを観測した……何かあるかもしれん」
俺の話を分かりやすく逸らしたサクラノヴァさんがそう言ってローブを翻したとき、ふと思い出したことを問いかけた。
「……なあ、サクさん。改めてちょっと聞きたいことがあるんだけどさ」
俺がそう切り出すと、サクラノヴァさんは歩みを止め、骸骨の顔をゆっくりとこちらに向けた。
「なんだ?」
「この世界はさ……やっぱり異世界だと思う……?」
その問いにサクラノヴァはしばし沈黙した。
開いた窓から柔らかな風が吹き抜ける。
朝の光が彼の指輪に反射して淡く煌めいた。
「……昨夜も言ったが、今の現状から言えば異世界だとするのが最も納得がいく……不本意だがな」
「そう、だよな……。あ。っていうかさ、俺たちって見た目からして今は完全に“怪物”だろ? ほら、鱗のある竜種の王に、骸骨の不死種の王……普通に考えたら、もし人と出会うことがあったら敵か、災厄か、最悪“魔王”扱いされてもおかしくないよな?」
「……その通りだ。まぁ、最初に会うのが人間種だとは限らないが……その時はこれを使う」
サクラノヴァはそう言ってローブの内側に手を差し入れた。
骨だけの指が布の奥を探り、やがて静かに取り出されたのは――白く輝く一つの指輪だった。
また指輪……とは思うものの、その見覚えのあるものを見て俺は思わず息を呑んだ。
「《幻惑の指輪-人間種》。……これなら一定時間、姿を“人間種”に偽装できる。もちろん俺の分と、お前の分もあるぞ」
「うっわ、また課金アイテムじゃん、やべぇな……」
《幻惑の指輪-人間種》。
【ユグ:ドライアス】の課金ガチャには様々な種類があるが、その中でも戦闘力には直結しないファッション装備というものも当然あった。
そしてこれはその中の一種。
自身の姿を変えることができる"幻惑の指輪シリーズ"は、見た目は地味だが“種族偽装”という特殊効果を持つことで一部のプレイヤーがPVPなどでたまに使う人がいるぐらいのガチャ装備なのだが……。
「俺、イベント報酬で手に入れた“海獣種に変化する指輪”しか持ってないよ……ほら、見た目が魚人になるやつ……ていうかそれいくらしたの……?」
「この指輪はおまけのハズレアイテムだ。値段などすべて覚えているわけがないだろう」
サクラノヴァは淡々と、しかしどこか楽しげに言った。
骸骨の顔に表情はないはずなのに、なぜか“笑っている”ように見えるのが不思議で、少しだけ恐ろしくも思う。
……俺は違う意味で恐ろしく思うけどね……。
「それにしても、まさかこんなアイテムが役に立つときが来るとは思わなかったな……下手なアイテムも捨てないことの大切さが身に染みる。……まぁ今の俺に“身”はないがな」
「……サクさん……昨日からそうだけど自虐ネタ好きだよな……反応に困るって……」
俺は苦笑しながら肩をすくめた。
サクラノヴァさんの“骸骨ジョーク”は、昨日のパーティで少し慣れてきたとはいえ、時々本気で返答に困る。
がしかし、それでも俺らは昔のように笑いあっていた。
それだけで今は―――。
「まぁいいや、それじゃ――異世界探索……行きますか~~~!!」
そう言いながら俺は立ち上がり、俺も朝の光を浴びながら深く息を吸った。
この世界の空気は、どこか懐かしく、それでいて新しい。
何かが始まるような……そんな予感を感じる。
そうして俺たちは《オルディレスト城》の門をくぐった。
まだ何も知らぬ、この世界を探るために――。
◆◇◆
「――ッははっ! これはいい! 最高だ!!!!」
吹き抜ける風が、黒いローブをはためかせる。
そう叫んでいるのは何を隠そう、普段は冷静沈着な彼―――サクラノヴァさん。
珍しく声を上げて笑っている彼のローブが風圧にはためき、骨の指先が空を掴むように広がる。
「これはまるでジェットコースターだな! ……いや、それ以上か? 空間そのものを滑っている感覚……これは病みつきになるぞ!?」
「……いや……楽しみすぎじゃない?」
そして俺は――――俺の背中に乗る彼に振り返らずにそう言った。
風の唸りが耳を打つが、サクラノヴァさんの声は魔力の振動に乗ってはっきりと届いてくる。
「当然だろう! 俺は不死種の王だぞ? 死の恐怖はない。だが、こういう“スリル”は純粋に娯楽として最高なんだよ!」
「へぇ、そりゃ俺も乗ってみたいもんだ」
「これはいいぞ? それにしても、やはり加速の瞬間がたまらんな。おい、マスター! 今の角度、もう少し傾けてみろ! 重力の錯覚が面白いんだ!」
「……へいへい、っと」
俺は苦笑しながら、指示通りに少しだけ軌道を傾ける。
すると、サクラノヴァさんは骨の腕を広げて、まるで空を抱きしめるようなポーズを取った。
「――ッははっ! これだ! これが“生”だ!!!」
骸骨の王が、空の中で“生”を叫ぶ。
正直それはあまりにも滑稽で、奇妙で……思わず笑ってしまった俺の体がぐらつくが、それさえも背中に乗る彼は楽しんでいた。
……ま、何はともあれ、色々悩みのありそうなサクラノヴァさんがこうして楽しんでいる姿が見れるのなら……俺はそれでいいかな―――と、指示に従いながら空を飛ぶこと数刻。
やがてはしゃいでいた彼は、突然ぽつりと呟いた。
「……そういえばマスターは竜種なのに翼で飛ばないんだな? 姿も変わってないし……確か変化できたよな?」
「……ん? ああ、別にできるけど……」
俺は振り返らずに答える。
風を切る音が言葉をかき消しそうになるが、しかしサクラノヴァさんには届いているようだった。
「そもそも、竜って翼で飛んでないぞ?」
「……ほう?」
「ほら、ゲームでもそうだったろ? 飛行スキルは魔力による浮遊と推進が基本。翼は人間でいう手みたいなもんかな? ……まぁ、見た目の威圧感もあるけど、飛ぶだけならなくてもそんなに変わらないんだよ」
「……なるほど。確かにゲーム内の竜種も翼で飛んでいる様子はなかったかもしれんな」
「そういうこと。竜種の基本スキル《天翔》は、空間の魔力流を読み取って滑るように飛ぶだけ。……だから正直な話、翼なんてなくても問題ないんだよな」
「……ふん。合理的だな。だが、見た目は少し寂しいかもしれん」
「……骸骨姿のお前が言うか、それを」
俺は思わず笑った。
骸骨の王に“見た目”を語られるとは、なかなかの皮肉だ。
おっと、彼風に言うならば、サクラノヴァさんに肉はないけどな。
なんて、そうしてしばらく飛び続けていると、眼下に小さな集落のようなものが見えてきた。
森の端に寄り添うように、いくつかの家屋と畑が広がっている姿はまるで――。
「あれは……村、か?」
「っぽいな。人の気配もある。……降りるぞ」
俺は高度を落とし、風を巻きながら近くの林の陰に着地した。
土の感触が足に伝わる。空の滑走から地上への切り替えは、いつも少しだけ重く感じる。
「やはり、乗り降りの瞬間だけはなんとも滑稽だな……」
「まぁただのおんぶだしな」
とまぁそんな軽口を言いつつ、サクラノヴァさんがローブから指輪を取り出した。
「……軽く見たところ、恐らく村の住人は人間種だったな……偽装するか」
「装備自体のシステムはそう変わらないんだったよな? 普通に付けるだけなのはありがたいな」
サクラノヴァさんから指輪を受け取った俺は、それを指に嵌めた。
すると淡い光が走り、俺の鱗の腕が滑らかな肌へと変わり、サクラノヴァの骸骨の姿も瞬時に凡庸な黒髪の青年へと変化する。
「……よし、これで人間種だ。ただ、あくまで見た目だけだからそこは注意しろ」
「おぉ、なんか心なしか、サクさんの声も普通になった気がする」
そうして、完全に互いに人間種へと擬態した俺たちは林を抜け、村へと歩みを進めた。
◆◇◆
たどり着いた村に入ると、そこでは数人の農民らしき人間種が鍬を振るい、土を耕していた。
その姿はどこか懐かしい気持ちを感じたけれど、そこで以前話していた懸念を思い出す。
「……さて、どう接触するか。いや、まずは言葉が通じるかどうかだよな」
「外交は俺に任せろ。最悪の場合は……」
「あの……洗脳だけはやめてね?」
俺はそう言って、サクラノヴァさんと並びながら、初めての“異世界住民”との接触へと歩みを進めたのだった――――。
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