第三十五話 仮面を捨てた影
湿った空気と鼻を突く悪臭に満ちていた地下水路。
そこで繰り広げられた、歴史には残らない影の戦いは呆気なく幕を閉じ。
今やそんな殺伐とした空気はどこへやら……先頭を案内するように歩いているソフィアさんが俺のほうを見て、静かに呟いた。
「……外で城に向かう謎の影を見たときには竜の可能性を考えていましたが……まさか海獣種だったとは……目にするのは初めてですが……なるほど……だ、だいぶ個性的な顔をしているのですね……くっ……」
―――多分、この言葉は俺のことを馬鹿にしているわけではない……と思う。
以前ソフィアさんにこの近辺のことを聞いたときに海は近くにないと言っていたから、本当に海獣種のことは知らず、純粋にそう思っているのだろう。
けれど、この小さな音ですら反響して増大する地下水路では、僅かにソフィアさんの笑いを堪えるような声が聞こえてきた。……おい。
―――なんて……まぁ、それは当然……か。
上半身がアホ面の魚人で下半身は人間の足。
間の抜けた笑みを浮かべ、大きなヒレでシェイドを抱えながら、必死で水路の水をばしゃばしゃと掻き分けて進む姿を見て、笑わないほうがむしろ失礼というものだ。
「えぇ、他の海獣種はみんなこんな感じですよ。もちろん例外もいますけどね」
そうして俺は歩きながらも、できるだけ自然に、できるだけ堂々とそう返した。
……まぁ、堂々としたところで、このアホ面じゃ説得力ゼロなんだけど。
とはいえ、俺がいま、彼女らに“竜種”ではなく実は“海獣種”でした~、で通しているのには、ちゃんと理由がある。
サクラノヴァさん曰く。
情報をすべて彼女……ひいては王都に伝えることが得策ではない、ということだったかな?
俺たちはまだこの世界にきてからこの人間種の住む王都しか知らない。
つまり、他種族の領域や政治的な力関係についてはまだ全然未知な状況にあるわけで、だからこそ、こちらの情報をすべて王都に伝えるのではなく、ある程度誤認させておくことで、今後の予測不能な問題が起きた時の手札にしようということらしい。
今回のことで言えば、たとえ今後王都が襲撃に遭って俺たちの情報を漏らしたとしても、そこに俺が竜種である情報や、サクさんがリッチではなくさらに上の存在であることは含まれない。
こうすることで、いざという時には実は竜もいるし、リッチじゃないじゃん!という、相手への心理的防御を崩すことができるというわけらしいが……。
……いや、こんなのよく思いつくよな……?
俺一人なら何も考えずに竜です!って言っちゃうもんなぁ……。
まぁそれはさておき。
そういう事情があるから、俺は今、哀れな海獣種を演じているというわけ。
……いや、あえてだからね? あえて……。
――――などと考えていると、俺に抱えられたシェイドが仮面の奥から真剣な眼差しを向けてきた。
その視線はさっきまでの焦りや苛立ちとは違い、水路の薄暗い光を受けて、仮面の奥の瞳だけが鋭く光っている。
「……なぜ、他種族であるあなたが我らが王都にそれほどまで干渉を……? その上、この威圧感はいくらなんでも海獣種といえど……あなたは一体何者ですか……?」
声は低く、しかし震えてはいない。
むしろ、覚悟を決めた者のように静かで、真剣そのものだった。
……いや、よくこんな状況でそんな真面目に話せるな。
アホ面の魚人に抱えられながらだぞ? 俺なら恥ずかしさで死ぬけどね。
……なんて、多分この人もちゃんとした実力者だからか、装備を変更する前から俺が放っていた、"竜種"の持つ専用パッシブスキルである"威圧"を、俺が抑えているとはいえ先の初期化装備から変更したことで、より強く感じ取っているんだろう。
……ただ本当のことを言うわけにはいかないので。
「ただの海獣種の一体ですよ。少しおせっかいのね」
俺が軽く返すと、シェイドは一瞬だけ沈黙し―― 仮面の奥で眉をひそめたような気配を見せた。
そして――――。
「おせ……いや、それでは説明が……」
「あ! おせっ海獣種~……なんつって―――ははっ……なんつって……ね……あ、はは……」
――――その言葉を最後に。
しばらく誰も喋らなかったことは、もはや語るまでもない話だ――――。
◆◇◆
そんなこんなで進むこと数分ぐらい。
なんとか水を跳ね上げながらも道なりに進み続けた俺たちはようやく目的地らしきところへとたどり着いた。
「ここ、ですね」
そう口にしたソフィアさんの前方には、ぼんやりとした光が差し込む場所が見えていた。
水路の天井にぽっかりと空いた穴。
その先に繋がる壁際には、ホラーゲームでよく見るような錆びた鉄製の梯子が壁に打ち付けられていた。
「……これが王城の真下なんでしたっけ……?」
俺がそう呟くと、ソフィアさんは真剣な眼差しでこちらに向き直って頷いた。
「はい。ここを上がれば王のいる部屋までは後は階段を上るのみですね」
彼女がそう告げた時、俺の手……いや、片ヒレに丸め込まれた姿の男――二番隊長のシェイドが思わず息を吐く。
「……本当に、行くんだな……?」
そのあまりに心配そうな声は、先ほどまで剣聖を殺すとまで息巻いていたとは思えないほどか細く、そのあまりの変わりように俺は思わず吹き出しそうになりながらも答えた。
「大丈夫だって。っていうかさっき話してたけど、王が連れてる魔獣ってのは魔法が効かないだけなんでしょ? なら俺には関係ないよ」
水路の冷たい空気の中で、俺の声だけが妙に明るく響いた。
そして、その言葉に続くように―― ソフィアさんがふっと微笑む。
「……シェイド。この方なら問題ない。なぜならこの方は、この私よりも強いからな」
彼女は静かに、しかし確信を持って言い切った。
「剣聖よりも……!? そんな……」
その一言に、シェイドの肩がびくりと震えた。
仮面の奥の目が大きく見開かれたのが、気配だけでわかる。
彼にとって、剣聖とは“絶対に敵わない存在”だった。
王都に生きる者なら誰もが知る最強の象徴。
純粋な力で彼女に並ぶ者など存在しない―― シェイドはずっとそう信じていた。
だが、その剣聖が自らよりも強いと認める存在……それがこんなアホ面の海獣種であるその事実に最初は戸惑いを隠せなかったものの、やがて小さく首を振り、納得したように息を吐いた。
「……いや、そうか……貴様が言うのならそうなのだろう……では、私はここに置いていくといい。……ここを俺を抱えたまま登るのは無理だろう……」
その言葉は彼にとっては"賭け"のようなものであった。
裏切りを犯し、敗北した自身は本来なら剣聖はおろか、この海獣種の男に殺されてもなにもおかしくはない。
だが、彼らはここまで自分を殺さずに連れてきた。
会話は軽く、敵意も薄い。
―――もしかしたらこのまま見逃してくれるのではないか?
そんな淡い期待すら抱いてしまうほどに。
だからこそ、ここで置いて行ってくれれば、彼らが去ったのちに自分で縄を解いてこの王都を去り、遠くの村でひっそりと暮らそう……そう考えていたのだが――――。
「え? 何言ってんの? ここに居たら臭すぎて鼻死んじゃうよ??? 解いてあげるから、これで自分で登れるでしょ?」
「―――!? て、敵である俺の拘束を解くのか!? 自分で言うのもなんだが……正気か……?」
シェイドの声は裏返っていた。
仮面の奥の瞳が大きく揺れ、 まるで“理解不能”と叫んでいるようだった。
しかし彼はそんな動揺など一切気に留めず、本当に、何のためらいもなく縄を解いた。
水路の冷たい空気の中、 縄がほどける“しゃらり”という音だけが妙に響く。
自由になった自分の体は多少痺れがあるが、問題なく動くことはできる。
(……このままなら、再び襲える……。 いや、逃げることもできる! なのに……なぜ……?)
疑念と困惑が胸の中で渦を巻く。
シェイドは思わず、縄を解いた男の横顔を見つめた。
そしてその視線に気づいた彼は、先と同じように肩の力を抜いた軽い声で言う。
「う~ん、人を見る目には自信がある、ってのもあるけど……ま、それを抜きにしても問題ないからね! ……それに、シェイドさんも言ってたけど、この姿で抱えて登るのは無理あるし……そうでしょ?」
そう言って彼は片ヒレをバタバタと揺らし、汚い水を跳ねさせながら錆びた梯子を示す。
……いや、確かに手……というかヒレみたいなもので俺を抱えて登るのは無理だとは言ったが……。
だからといって、それでも置いていく選択肢はなく、敵である俺を解放するとは。
(……この男は……何なんだ……?)
敵である自分を解放し、 背中を無防備に見せ、 それでいて一切の恐れもない。
そんな存在、今まで見たことがない。
そう思ったとき、ソフィアが静かに歩み寄り、 シェイドの横に立った。
水路の冷たい空気の中、 彼女の声は小さく、しかしよく通る。
「……不思議な人……いえ、不思議な方でしょう?」
その言葉に、シェイドはゆっくりと視線を向ける。
その表情には、仮面越しでもわかるほどの困惑が滲んでいた。
「不思議……というより、もはや理解ができん……彼は本当に何者なんだ?」
シェイドの何度目かのその問いに、ソフィアは軽く息を吐いて笑みを浮かべた。
「……正直、それは私にもわからない。……だが、彼が私たちの味方であることだけは疑いようがない事実だ」
その言葉に、シェイドの眉が僅かに動く。
「……ふん……私たち……か……。俺のことを味方だと思っているのか? ……俺は貴様を殺そうと――」
――そう言いかけた瞬間。
ソフィアは、 その言葉を断ち切るように静かに、しかし強く声を重ねた。
「―――気にするな。……すべては王を倒せば終わる話だ。……そうだろう?」
その言葉には優しく柔らかい含みがあったが、同時に溢れんばかりの怒りが滲み出していた。
王への怒り、仲間を守れなかった悔しさ、そして、今度こそ終わらせるという決意。
彼女のその意思に、シェイドはしばらく黙り、 ゆっくりと自分の手のひらを見つめた。
その手は、王の命令で“殺すふり”を続けてきた手。
誰も救えなかった手。
そして今―― 初めて“救われた”手。
やがてシェイドはゆっくりと顔を上げる。
薄暗い水路の光が仮面の奥に差し込み、 その瞳に宿ったものを照らし出した。
恐れでも、疑いでもない。
ただ一つの覚悟。
そしてそのまま彼は、"初めて"ソフィアの目を真正面から見据えた。
「……彼の力は俺には何となくでしか分からないが……本当に彼はあの王を……この国を救う力を持っているのか……?」
その問いは、彼にとってはこの先の人生を決めるほどの重みを持っていた。
だが―――。
「あぁ、持っているとも。間違いなくな」
それは、あまりの即答だった。
今まで探るように言葉を選ぶようにしていた剣聖が、しかしこの問いだけは……。
……そして、やがてシェイドは大きく深呼吸をする。
鼻に刺さるのは何かが腐ったような、酷い悪臭。
けれども、今の彼にとってはそれは今まで吸った空気のどれよりも澄んでいた。
……やがて彼はゆっくりと手を伸ばし、 長年身につけてきた仮面に触れる。
冷たい金属の感触。 重く、暗く、息苦しい“過去”そのもの。
シェイドはそれを迷いなく外す。
そして、軽く振りかぶると――――それを地下水路の闇へと投げ捨てた。
金属が水面に落ちる音が、 “ぽちゃん”と小さく響く。
その音は、まるで 彼の過去が沈んでいく音のようで―――。
「……! ……君とは長く一緒にいたけれど、素顔をちゃんと見るのは初めてだな……どういう心境の変化だ?」
大きく目を見開いているソフィアに、しかし向き直ることなく男を見据え続けるシェイドは言う。
「……ただ、この国が変わる瞬間をしかと目に焼き付けようと思っただけだ……。……だが……そうだな、地下だというのに、不思議と世界が明るく見える……」
その声は静かで、どこか晴れやかで……ソフィアはその言葉に、 ほんの少しだけ微笑んだ。
「……あぁ、そうだな」
そして二人は同時に視線を上げ、錆びた梯子に大きなヒレをかけ、 滑りながらも必死に一段目を上ろうとしているアホ面の海獣種の姿を見て―――。
「……ほ、本当に大丈夫なんだろうな……?」
「……と、当然……だろう!」
シェイドが思わず呟き、ソフィアは苦笑しながらも、どこか誇らしげに答えた。
しかしそれはあまりにも滑稽で……。
シェイドはその時、王都守護隊になってからの、初めて心からの笑みを浮かべていた―――。
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