第三十四話 二つに一つの選択
水面を蹴り上げた飛沫が、暗い水路に白い弧を描いた。
その中心に立つのは、王都守護二番隊長――シェイド。
仮面の奥から放たれる眼光は鋭く、動きには確かな殺気と洗練が宿っている。
本来なら、王都でも屈指の暗殺者として恐れられる男……。
……そう、本来なら、ね。
(……おっそいんだよなぁ、これが……)
俺は、自身の身体に迫ってくるナイフを、肩をすくめながら横にずらす。
後ろではソフィアさんが一応剣を構えたまま、こちらを心配そうに見ているが……。
「マスター殿、油断は禁物です! 彼は本来ならば、王都でも屈指の速さを誇る男……!」
「うん、わかってる。わかってるよ……ありがとうね……」
彼女がそういえば言うほど、どこかやるせない気持ちが沸き上がり、心なしかシェイドとやらの半分見える顔が赤くなっているようにも思える。
……うん……せっかくの王都守護二番隊長との戦いだし……なんかもっとこう……手に汗握る死闘を期待していたんだけどな……。
「……くっ……これならどうだ!」
呆れる俺とは対照的に、シェイドは苛立ちを隠せずさらに踏み込んでくる。
首筋を狙ったかと思えばその軌道は急速に肩へと捻じ曲がり。
心臓を狙ったかと思えば腹部を貫こうとしていたり。
水飛沫を利用した目眩ましをしたり。
(……普通の速度なら、多分すげぇ動きなんだろうな……)
俺は頭を抱えながら、迫る刃をひょいひょいと避け続けた。
一応補足しておくと、実際に力のない村人から見れば十分速い速度だし、通用もするだろう。
けれど、普段の剣聖の動きですら目線の動きや筋肉の動きが見える俺の恵まれた動体視力では、この程度の動きはまさに小学生の時に友達とやっていた遊びでスローモーションになってする攻防のようであり、言ってしまえばこれは子どもの遊びレベルというか……。
シェイドは俺に何度避けられてもなおも仮面の奥から鋭い視線を放ち続けている。
その眼差しは決して揺らがず、この状況を真剣に続けられる精神力はまさに王都守護隊長の名に相応しい……のかな? まぁわかんないけど……。
とはいえやはり、動きが遅いせいでその格好良さが全て失われており、ついに―――。
「……マスター殿……こっ……これは……どうしましょうか……!」
思わずこの状況に耐えられなかったのか、ついに剣聖が彼の姿を見て僅かに嘲笑を交えてそう口にした。
……そして当然、その嘲笑を向けられた本人は堪ったものではないようで……。
「……剣聖……笑うな……! 俺は必ず今日、貴様を……!」
◇◆◇
――それから。
「マスター殿……シェイドは……この者はどうしますか?」
ソフィアさんの声が湿った空気の中で低く響いた。
腰に下げた小さなランタンが淡い光を放ち、揺れる炎が水路の壁に影を踊らせる。
「……」
多勢に無勢……いや、今回は無勢に多勢……か?
そもそもシェイドの魔法で同じ力で拮抗した三人。
そしてご自慢の速度や反応速度でさえ俺の前には意味を成さず。
意気揚々とこちらに向かってくるも、しかし剣聖に呆気なく捕らわれ……。
今やかつてのカッコいい雰囲気を醸し出していた王都守護二番隊長の彼は、鼻を突く悪臭が漂う汚泥の中で膝をつき、腕を縛られこちらに差し出されていた。
……ごめんね……俺のクソ装備のせいで……。
しかし、どうするって言ったってなぁ……。
サクさんはやばい奴なら殺せとか言ってたけど、こいつ、そんなヤバい奴かなぁ……?
剣聖のことを殺したがってるって思う割に、最初に狙ったのも手だったし……。
うーん……これは―――。
俺は少し考えた後、シェイドに問いかけた。
「なぁ、シェイドさんはさ、もし俺らが今の王を倒せたとして、その時も剣聖であるソフィアさんを殺したいと思う?」
そして、その問いかけはシェイドにとって可笑しなものだったようで。
仮面の奥から鋭い視線を向けつつも、鼻で笑った。
「……はっ、何を馬鹿なことを……! 俺よりも弱い貴様が、あの王……いや、王に従う獣に勝てるわけがないだろう!」
いやいや、獣ごときに負けるわけがないだろ、という言葉を俺はギリギリで呑み込んだ。
そうだった……結果的にとはいえ、今の俺はこの人よりも圧倒的に弱いと思われてるんだったな……。
「……まぁまぁ、ほら、仮定の話でいいからさ。……教えてよ?」
そうして俺は"軽く"笑いながら促す。
―――彼にとっては、だが。
「――――ッ!?」
シェイドは想定外の事態によってこんな呆気ない結末を迎えているが、しかし実力でこの巨大な王都における、二番隊長にまで上り詰めた人間である。
故に、マスターのその言葉に、どこか漂う強者の威圧感を感じた。
たった一言。
ただそれだけの言葉なのにも関わらず、気が付けば彼は思わず言葉を零していた。
「……っ、俺が剣聖を殺すのは、王にそう命令されたからだ……! ……俺が剣聖を殺せなければ、今度は俺が奴に殺される……」
その悲痛な叫びは、静かな水路に響いて、流れていく。
そして、それを聞いたソフィアが一歩前に出た。
「……そうか……やはり、あの王の命令だったのか……しかしこの対応の速度……これはサヴァンの案か?」
ソフィアが低く呟くと、シェイドはそれに沈黙をもって答えた。
小さなランタンの光は依然として彼女の横顔を照らしていたが、その瞳には下劣な王への怒りが宿っている。
そして、彼の言葉に俺も納得の表情を浮かべた。
……なるほどね。やっぱり、そういうことか。
さっきも首や心臓を狙うふりをして、急に肩や腹部――命に別状のない場所へ軌道を変えていたから変だと思ってたけど。
そういうことなら……。
「じゃあやっぱ、あの王についてる獣を倒せばシェイドさんには戦う理由がないってことだよね?」
俺がそう問いかけると、シェイドは顔を上げ、再び声を発する。
仮面の奥の瞳が、驚愕と焦燥で揺れる。
「……だからそれが無理だと言っている……! 奴は魔法が通じないんだぞ!? 剣聖ですら……恐らく適わんだろう……」
その声は怒鳴り声ではなく、震えていた。
恐怖と、焦りと……そして、どこか心配するかのような声色に、俺はふっと息を吐いた。
――――シェイドはもはや抵抗する気などなかった。
たとえ今、剣聖や目の前の男が自分を見逃したとして、王の命令を守れなかった者がどうなるかを嫌というほど知っている。
ましてや王直々の依頼である“剣聖殺害”という重大任務を失敗したのだ。
つまり、ここで殺されようとも、殺されなくとも、自分の命はもはや無いに等しかったのだから。
故に、彼が今しがた、目の前の無謀なことを口にする男に対して抱いた感情は、男と剣聖に対する、純粋な危惧だった―――。
◆◇◆
王都守護隊の二番隊長として、王の命令に従い数多の命を奪ってきた忠実な暗殺者。
そして冷酷な執行者――――そう評されてきた彼の真実は、しかし違った。
マスターが感じた彼に対する評価は正しく。
……実は彼は一度も人を殺してはいない。
シェイドは孤児として育ち、飢えや病、暴力といった死を間近に見続けた結果――誰よりも“死”を恐れるようになっていた。
"死"を恐れた彼は、自分が生き残るためにと独自の歩法を編み出し、潜在的な力から固有魔法が発現してからは生き残り続けるために王都守護隊へと入隊した。
しかし、例に漏れず、やがてかの王から他国にいる重鎮を"殺せ"という依頼を受けるも、しかし自身が抱える"死"への恐れからか、彼に人を殺すことはできなかった。
刃を向けることはできても、最後の一線を越えられない。
―――そのため、彼は考え抜いた結果、“殺したように見せかける”技術を磨いた。
権力を奪い、立場を奪い、表向きは“死んだ”とされるように仕向ける。
そうすることで、結果として相手を殺すことなく、王の依頼をも完遂していった。
ただ、幸か不幸か、王は自ら動くことはなかった。
そのためシェイドの“殺していない”という事実は誰にも知られず、王からすれば"依頼をすべて完遂する優秀な手駒"に見えてしまった。
――結果として、さらに多くの命令を下され、それをまた“完璧に遂行してしまう”。
そんな無限ループのような悲しい運命を背負った男―――それが、シェイドだった。
今回のソフィアの殺害に関しても、あくまで殺すフリであり、初手の暗闇からの不意打ちで手元を狙ったのも剣聖である彼女に剣を握れなくさせて降伏させるため。
そして、彼の口にしていた「剣聖、今日こそは殺す」という言葉が、実は「剣聖、今日こそは(常に命の危機にあるあなたを救うために、表向きは)殺す」であることは、当然彼しか知らないことである。
―――話を戻すが、"死"を恐れ、心優しくも口下手な彼は知っていた。
王に……あの獣に直接逆らうことの意味を。
だからこそ。
彼は目の前の男を死なせたくなかった。
そして何より、王に従うことなく己の信念を貫いている尊敬すべき存在―――ソフィアを、絶対に死なせてはならないと思っていた。
だから自らの手で彼女を匿おうと……そう思っていたのに!
目の前の男は気軽に構え、彼女もまたそれに倣って落ち着きを払っている。
どこにそんな余裕があるのか―――そう問おうとした疑問は、しかしすぐに解けることになる。
「うーん、困ったなぁ……あっ、そうだ! えっと、確か……」
シェイドがそんな思惑を抱えていた頃。
そんなことなど露ほども知らない俺は、かつてサクさんから聞いていた、ある話を思い出していた。
それが―――装備品の“変更”について。
ゲームの基本機能であるこれは、インベントリにある道具を取り出すことができる【アイテム】という魔法と同様、インベントリにある装備品を思い浮かべながら【チェンジ】と唱えることで、実際に装備品を取り出すことなく変更することが可能であることは既に検証済。
つまり!
これによって、この忌まわしき“クソ装備”を外すことができれば俺は本来の力を取り戻すことができ、そこで本来の力を見せればこの男も潔く納得してくれるというわけ!
……ん? じゃあ今回はどうして装備品を"外す"ではなく"変更"なのかって?
まぁそれは単純な話、ここが異世界で、しかも地下水路だからだ。
俺が今つけているのは、サクラノヴァさんの課金装備である、指輪と腕輪。
……正直カスみたいな能力を持つこれらだけど、ここが異世界である以上、この装備はきっと二度と手に入らないものだ。
あくまでこの装備品は鍛冶師が作ったものではなく、ゲームシステムで作られたもの。
であるのなら、カスゴミ装備とはいえ、貴重品であるこれを失くすことは決して許されない。
ただ、こんな薄暗くて臭くて濁った水の水路で小さな指輪や腕輪を外そうもんなら確実に失くす自信が俺にはある!!!
つまり、外すことはリスクが高い上、人の装備品を失くすことは人道的にもよくないことから、交換一択になるわけなんだけど……正直。
……正直な話、俺としてはこの"交換"をやりたくない気持ちが か な り 大きい。
もちろんステータスが元に戻るのは利点だし、やらない理由ももちろんない。
……だけど、それでもやりたくないと思えるほどの大きなデメリットが一つだけある。
……ただ、そのデメリットも自業自得だし、結果的に交換はするしか選択肢はないんだけどさ?
そう俺は心の中でそう愚痴を吐きながら首を垂れる。
今現在装備している腕輪に関して言えば、"視界が二秒遅れになる"だけだから別に交換しなくても戦えなくはないんだけど、集中しないと避けるのが難しいのでここも一応変えておいたほうがいいだろう。
そうして俺は小さな声で交換呪文を唱える。
―――すると、自身の腕につけられた装飾のついた腕輪が一瞬にしてミサンガのような腕輪に変わった。
おぉ、視界が滑らかになったような気がする!
―――今、俺がつけたミサンガのような腕輪は、かつてロマン砲という高威力の技を打つために使用していた腕輪―――【吉凶の枷】というもの。
―――【吉凶の枷】。
これはその名が示すように、付けている装備者のあらゆる攻撃手段において"吉"と"凶"判定が行われるというもの。
言わば、運が良ければ相手を一撃で粉砕することも、運が悪ければ何度も攻撃しなければいけないというギャンブル装備ってわけ。
正直これも扱いづらさで言えば上位ではあるのだけど、個人的には二秒の視界遅延よりはマシという俺なりの判断だな。
―――して。
問題は!!! この指輪のほう!!!!
今、俺がつけているのは【始原の輪】。
すべての元凶たるこいつは何が何でも外さねばならない。
……が。
【ユグ:ドライアス】において、指輪は主に魔法職向けの装飾装備として販売されているものだった。
通常は魔力増幅、詠唱短縮、MP回復速度上昇、はてはサクさんが付けている日の光によるダメージ軽減や、魔法を二重に発動させる指輪など、魔法を使う者にとっては必須級の効果を持つために、装飾品のスロットを増やすことは不思議ではないほどの有用性を持つもの。
しかし!!!
俺のような魔法をあまり使用しない竜種の王ともなれば指輪の恩恵はほとんどないためにスロットの拡張もせず……というか拡張が結構な値段の課金必須のためにわざわざやる必要がない俺は、指輪自体をそもそも持たないようにしている。
そうだ、俺は指輪を持たないようにしているんだ。
……ただ。
……ただ一つを除いて。
さて、そんな俺が唯一持っている指輪とは何か覚えているだろうか―――?
そう、かつてサクさんとの会話にあった、あのイベントの“アレ”だ。
――――“海獣種に変化する指輪”。
これがイベント期間限定ガチャから出る本物の指輪であれば、しっかりと水中戦闘が可能になる海獣種へと完全に変化する指輪なのだが、俺が持っているのはイベント期間でもらえる偽の“試作品”。
試作品は本物の性能の半分以下の力に加えて半身だけが海獣化するもの。
普段の装備としては全くと言っていいほど使い道がなかったこれは、しかし意外なところで役に立っていたために、俺は指輪としてこれだけは持っていた。
その役割とは単純明快!
上半身だけが海獣化―――しかもアホ面になるという、完全なるネタ装備のこれは、普段はギルドの宴会や悪ふざけで使っていたものだ!!!!!!!!
黒目がちの丸い目が左右に離れ、 まばたきのたびに“ぽふっ”と音がしそうなほど緩んだ表情。
口は半開きで、どこか間の抜けた笑みを浮かべながらだらしなく舌を出し。
まるで「えへへ……」と声が聞こえてきそうな、 知性の欠片も感じさせない海獣フェイス……。
……何度目かのつまり。
今の俺は二択を迫られている。
全ステータスが初期化された状態で王のもとに向かうのか。
それとも、アホ面の半魚人の姿で王のもとに向かうのか。
王都を救うものとして、どっちを取るべきなのか……。
その、二つに一つも選びたくない状況の中……俺は天を仰ぎ、静かに呪文を唱えるのだった――――。
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