第二十七話 遭遇
―――その日、王都 《サルトルーク》の歴史が大きく変わった。
誰もがいつも通りの朝を迎えようとした民がその異変に気づいた時には―――すでに一つの物語はすべて幕を閉じ、そして新たな章を迎えることとなった。
歴史を変えたのは、勇気ある女騎士とそれに付き従ったという影の従者たち。
差しあたってこの歴史を語るには、こう始めるのが適切だろうか。
―――それは、ある一人の商人の検問から始まったと――――。
◆◇◆
決行日、水路にて―――。
王都 《サルトルーク》の地下を流れる水路は陽の光が届かぬ闇に沈んでいた。
横に並ぶ彼女が手に持つ小さな灯りに照らされた石造りの壁には苔が張り付き、足元の水は濁りながらも静かに流れている。
ソフィアさんに指定された水路に辿り着いて潜入すること数分。
人に見つかることもなく、特に問題はないように思えた……が。
「ソブィアざん……本当にごごなんですが……?」
俺がそう問いかけると、彼女は前を向いたまま静かに答えた。
「……ばい、ごごです……」
その声には迷いがなかった。
だが、鼻に何かが詰まった声のような彼女の言葉に俺は小さく絶望した。
「……まじが……」
……予想はしていた。
異世界における水路とは、現実世界での側溝やそこから繋がる下水道のこと。
となると当然、生活基盤がしっかり整っているわけではない異世界では生活排水は全てここに流れるということであり……。
まぁ、要するに――――汚物に塗れた水路はとてつもない激臭を放っているということで……。
「仰りたいことは重々に理解しております。……ですが、だからこそ、誰も寄り付かず、侵入としては最適とも言えます……オェッ……」
彼女は淡々とそう言いながら、しかし足を止めることなく進む。
その背中は凛としていて、まるでこの水路すら彼女の剣の道のように思えてくる。
……だとしたら汚すぎる道だけれども、彼女の言葉はまぁ筋は通っている……嗚咽してるせいで格好はついてないけどね。
「にしても、サクラノヴァさんがいるから大丈夫とは言え、あんな感じで行けるんかね?」
「……可能性は五分五分でしょう……まさか、あの大岩が反逆者だとは誰も思わないでしょうから……」
「それもそうだ」
と、俺は苦笑しながら、こちらとは違うもう一方のルート担当の二人の姿を思いだす。
猫バイトさんはあれで本当に大丈夫なんだろうか……などと思いながらも、俺はこの激臭を誤魔化すために再び彼女に話しかける。
「……それで、作戦で話してた厄介な五人の隊長って結局強いんですか? 固有魔法自体は聞きましたけど……」
「え? あぁ、強さで言えば当然貴方方には劣ると思いますが……相性が悪ければ少々手間取ることもあると思います」
「なるほどね……んで、俺との相性最悪っていうと、二番隊長か五番隊長あたりか?」
「はい……万能型である者ほど彼らの魔法は厄介ですから……位で言えば私のほうが上ですが、固有魔法の力で言えば彼らは王都守護隊の中でも上位に位置します」
「へぇ、それは逆に見てみたいもんだな」
―――そう言いながらも俺たちは水路の奥へと進む。
特に代わり映えのしない道に話が尽き始めてきたころ、やがて視界が開け、天井が高くなり、壁が広がる水路の分岐点とも言える空間が広がっていた。
「おぉ、ここがもしかして中央?」
「はい、入り口からここまでが半分になりますので、もう半分進めば、王城 《グラン=マギステリア》へと繋がっている水道に出ることができます」
「へ~、なんか意外と近―――」
―――その瞬間だった。
水路の奥、闇の中から――銀の閃光が走った。
その閃光は一直線にソフィアの手元を狙って飛んでくる。
「っ!?」
死角からの攻撃に、驚異的な反応速度を以てしても避けきれない彼女の腕を俺は反射的に引き、飛来する銀の閃光―――小さなナイフを弾いた。
俺の鱗とナイフがぶつかる硬い音が水路に響き、ナイフは勢いのまま壁に突き刺さる。
「……ま、そう上手くはいかないってのがお約束だわな」
俺はそのまま彼女の前に立ち、闇の奥を睨む。
何も見えない闇の中。
そこで微かにだが、気配を殺し、形を悟らせない影が闇夜に蠢いているのが見える。
「……っ、これは―――!」
彼女の声が水路に響いた瞬間、その影が消え。
「……剣聖……貴様らは今日……ここで死ぬことになる……」
低く冷たい声とともに水路に蠢く闇が今、うねり始めていた――――。
◆◇◆
決行日、南門にて―――。
王都 《サルトルーク》の南門は夜も深いことから出入りは少なく、静まり返っていた。
灯火の揺れる検問所には、数人の兵士が立っているだけ。
その空気は緩く、警戒というよりは惰性に近い状態だった。
そこへ、大きな荷台を音を立てて引いている一人のローブの男が現れた。
フードを深く被り、顔は見えない。
荷台には布がかけられ、何か重そうなものが積まれている異質さから、何人かの兵士の視線を集める中、一人の兵士長らしき人物が声をかけた。
「……通行許可証は?」
兵士が手を差し出すと、ローブの男は無言で指示されたものを差し出す。
兵士はそれを受け取り、簡単な確認を済ませたのち、今度は大きな荷台に寄り、掛けられた白い幕をわずかにズラす。
そこにあるのは何の変哲もない大きな岩。
「……中身は?」
「……建設用の……石材だ……」
兵士の問いにそう答えたのは低く、掠れた声。
そのあまりの違和感に兵士は眉をひそめる。
「……? なんだその声……風邪か?」
ローブの男は無言で頷く。
その仕草はぎこちないが、しかし一兵士が疑うほどではなく。
「そうか……お互い夜の仕事は大変だな、無理はするなよ」
兵士は通行を許可し、ローブの男は気にすることなく荷台を引いて門を通過する。
その背後で、兵士たちは再び緩い空気に戻っていった。
だが―――それは、ほんの束の間だった。
荷台が王都の石畳を軋ませながら進んでいたその時。
街中の陰から目の前に突如、貴族風の男と酒に酔ったようにフラフラと歩く男が現れた。
「お待ちください。御仁……お手数ですがその荷台、少し確認させていただいても?」
ローブの男はその問いに無言のまま立ち止まる。
「おいおい~、俺らが問いかけてんのに無視することぁ~ねぇじゃねぇかよぉ~? あぁ~?」
その沈黙に貴族風の男が不審を抱き、酔っている男に目配せで荷台の幕を剥がさせた。
その瞬間―――。
「―――猫バイト、プランBだ」
その声と同時に、荷台の中から大岩が跳ね起きる。
岩の巨人――猫バイトが、貴族風の男と酔った男を一瞬で捕らえた。
「ちぇ~! もう少し潜入感楽しめると思ったのに! まぁいいや。君らは少し大人しく―――」
だが、その言葉が終わる前に―――二人の世界は暗転した。
◆◇◆
猫バイトの視界が一瞬で変わる。
周囲は酒の匂いが立ち込める、歪んだ空間。
壁も床も曖昧で、まるで酔った夢の中にいるような感覚。
「……ん? なにこれ……?」
手元を見れば、捕らえたはずの二人は消えている。
しかしその代わりに、目の前には先ほどの酔った男――だが、酔っているとは思えないほど冷酷な瞳を持つ男が何もない空間に座っていた。
「ヒック……うぃ~……アンタが裏切りモンの仲間かぁ~? デケぇ岩の鎧だなぁ~?……ヒック」
男の言葉に周囲を見渡した猫バイトはすぐに状況を理解した。
剣聖との作戦会議で事前に聞いていた情報をもとに、脳内である一人の人物像が繋がる。
「ふーん、なるほど。これが疑似空間……ってことは君が四番隊長のイアンって人?」
猫バイトは軽く首を傾げながら問いかける。
その声はいつもの調子だが、視線は鋭く男を捉えていた。
そしてその問いに男は酒瓶を揺らしながら、ふらついた足取りで立ち上がる。
「ヒッ……っとぉ~、そうかぁ、そいつを知ってるってこたぁ、やっぱ裏切りモンなんだなぁ~? ヒック。ま、おれぁアンタを知らねぇけどなぁ~? ははっ」
男はそう笑いながら、酒瓶を口に運び、それを見た猫バイトは肩をすくめ、岩の指先を軽く鳴らす。
「うへぇ~くっさ……ねぇおじさん。どうして今の王様に従ってるの? 話に聞いたけど、結構非道なんでしょ~?」
その言葉に男は一瞬だけ動きを止め、次いで肩を揺らして笑い始める。
「くくっ……非道~? そりゃあちげぇな、ボクちゃん……ヒヒッ、俺たちはなぁ~? 選ばれたんだよ……ヒッ……」
「選ばれた? 何に?」
猫バイトの言葉に男は待ってましたと言わんばかりに酒瓶を掲げ、空間の天井に向かって振る。
その動きは誇らしげで、まるで神に捧げる儀式のようだった。
「この世界の王にさ! 恵まれた力! 従える力! 上に立つ力を持った俺たちぁ王に認められたお陰で自由になれんのさ!……ックっはっは」
猫バイトはその言葉に、わずかに首を傾げる。
その岩の顔に、ほんの一瞬だけ影が差す。
「ふーん、王……ね。……で、おじさんは人を殺したりとか苦しめたりしてるの?」
真剣な問い。
だが男は笑いながら依然として酒瓶を振り回す。
「何を当然なことを……! 力ある者が弱者を蹂躙するのは当然だろうが~! あ~?」
その言葉を聞いた瞬間、猫バイトの動きが止まった。
岩の腕がゆっくりと下がり、顔がわずかに歪む。
そして―――。
「あっそ。……クズだね、お前」
まるで本当の岩のように冷たく無機質な声が、疑似空間に響いた―――。
◆◇◆
一方、同様の空間に飛ばされていたサクラノヴァは、冷静に今の状況を分析していた。
「……ふむ、二人の姿が消えたということは、奴かお前が疑似空間魔法の使い手であるイアンか?」
サクラノヴァは周囲の曖昧な空間を眺めながら静かに呟く。
すると男はゆっくりとサクラノヴァに歩み寄りながら、口元に笑みを浮かべた。
「おや? 彼を知っている、ということは最早私が貴方に誰かを聞く必要はなさそうですね。……えぇ、貴方様の推察通り、彼が四番隊長のイアンです。そして私が王都守護三番隊長のサヴァン・デル・ラ・フェレスと申します。この辺りの【領主】といえばご理解いただけるでしょうか?」
その声は柔らかく、まるで舞踏会の挨拶のように滑らかだった。
所作は洗練されており、まさに貴族の鑑といった一礼をサクラノヴァに向ける。
だが、サクラノヴァは一つも動かず、ローブの裾を揺らすことすらなく答えた。
「悪いが知らないな。それで? 民に慕われるべき貴族が……どうしてあんな王に付く?」
その言葉にサヴァンは目を細め、口元の笑みを深めた。
「ふふっ、貴方も人が悪い……一目見ただけで貴方が頭が切れる人物というのは分かりました。……であるのなら、この私がかの王に付き従う理由もお見通しでしょう?」
サヴァンの声には余裕と自信が滲んでおり、目の前の男を試すように見据えるが、なおも依然としてサクラノヴァは動かず言い放つ。
「……ふん、分からないな。強い力を持つ者が力のない王に従う理由など皆目見当もつかん」
その時、彼の笑みが一瞬だけ止まった。
だがすぐに彼は目を伏せて小さく笑い、再び顔を上げる。
「……そうですか。……では貴方はまだ“あの存在”を見たことがないのでしょうね……」
「それは王が付き従える魔獣とやらの話か?」
彼の言葉にサヴァンはしかし答えず、手を胸に当てながら言葉を紡ぐ。
「……ふふ、長く話しすぎるのは私の悪い癖です。……さて、ここで貴方様が投降するのであれば、一生私の領地でよい暮らしをさせてあげますが、いかがでしょうか?」
「断る。生憎いい暮らしは俺には必要ないのでな。……あえて言うのならば貴様の魔法に準えてこう返してやろう。貴殿にこそ投降をお勧めするが?」
その瞬間、彼は楽しげに笑い、手を広げて応じる。
「……おやおや! そこまで知られていますか……ま、裏に彼女がいる以上当然ですかね……。では、貴方様はそれを知ってなおも挑む愚か者という認識でよろしいので?」
「貴様にそう見えているのなら、そうなんじゃないのか?」
一瞬、空間の空気に緊張が走る。
だがすぐに再び元のように口元に笑みを浮かべ、静かに言葉を継いだ。
「……ふふふ、どうやら私は面白いお相手と出会えたようだ……では、これもご存じでしょう。……"忠告は三度まで"が私の信条でしてね。……本気でやるおつもりで?」
「悪いが貴様に興味はない。三割で十分だ」
「……面白いお人だ……ではその力、見せてもらいましょうかね――――!」
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