第二十三話 マスターたる所以
魔力灯の光が、風のない空間に淡い影を残す。
そして今―――その影さえ置き去りにするほどの速度で、白銀の斬撃が迸った。
王都にて、その圧倒的な剣技と身のこなしから"剣聖"という名を冠している女性―――ソフィア=グレイスの身体が、重厚な鎧を纏っているとは思えないほどしなやかに沈み、跳ね上がる。
その流れるような動作の中で彼女の剣は光の線となって軌跡を描いた。
金属が空気を切り裂く高い摩擦音が耳を打ち、斬撃が落雷のように目の前の男―――マスターへと迫る。
刃は迷いを感じさせることなく寸分の狂いもなく降り下ろされた――が。
「……なっ!?」
相対するマスターは彼女の剣が振り下ろされる直前。
肩と腰をわずかに捻っただけでその軌道を外した。
―――まさに紙一重。
風圧が頬を叩き、剣先が髪を数本さらって飛ばすほどの近さ。
それでも彼の動きには焦りの色がなく、最短かつ流麗な動きでそれを避けた。
……まるで、先に装備したデバフが意味を成さないほどに。
しかし、当然そんな装備を付けていることを知らない彼女が驚いたのはそこではない。
――無論、剣聖として讃えられている彼女自身の剣がいとも容易く避けられたことにも驚いたことだろうが、本質はその先―――。
彼女が次の一手を講じようとしたその時既に目の前のマスターは身体を即座に捻り、剣を振り下ろした直後で守りが甘くなった彼女の腹部へと右脚を矢のように一直線に伸ばしていたこと。
「――くっ!」
剣聖としての経験か、その技量によるものか。
彼女の体は自然にその動きに反応し、剣を引き戻して刃で蹴りを受けようとする。
だが一瞬――ほんの一瞬、彼女の思考を支配した"強者の圧力"に、僅かに動き出しが遅れた。
―――こと上級者同士のPVPにおいては、僅か一手のミスで勝負が決まると言われている。
……だが、目の前の彼――マスターは、上級者の中のさらに上。
つまり、僅か一手はおろか……コンマの思考の遅れですら、致命傷となる―――。
――気づけば、彼の脚が白銀の鎧に叩きつけられていた。
ただの脚のはず。それなのにも関わらず、鈍い金属音と重い衝撃音が闘技場に響く。
(―――この一撃はまずいッ……!)
そう頭で思うより早く、彼女の身体は生存本能により衝撃をいなすために後方へと大きく跳躍していた。
まるで舞うように滑らかに後ろへ退くも、しかし完全に衝撃を消し去ることはできず。
砂上に大きく線を引いて停止した後、肺の中の空気が一気に押し出されたことにより呼吸が飛ぶ。
「……かはっ……」
彼女は荒い息を整えながら、それでもなお鋭い眼差しでマスターを見据える。
視線の先では、マスターがすでに次の攻防に移る体勢を整えていた。
肩の力を抜き、だが視線は絶えずソフィアの足の向き、指先の角度、重心の移ろいまで計算しつくして追っているようにすら感じる。
……それなのに。
「いや~……思ったより早くてびっくりしたわ! これはマジで死ぬかと……」
先の重く、鋭い一撃に反して軽く吐き出された言葉。
ただそれだけで、彼女の思考はたった一言で埋め尽くされた。
(……これは確かに……格が違うという他ないな……)
そう、彼女が誰にも分からないように苦笑いを浮かべた一方で――――。
◆◇◆
―――闘技場の中央に、未だ砂塵が薄く残っているその余韻の中。
周囲を円形に取り囲む観客席の最前列では猫バイトが身を乗り出し、可愛らしい猫耳をぴんと伸ばしたまま呆れ声を漏らしていた。
「……ねぇサクラノヴァさん。マスターって本当に弱体化してるんだよね……?」
あからさまに半信半疑の問いかけに、隣の椅子の上で胡坐をかいて眺めていたゴラクZが鬣を揺らし、胸の奥から低い唸りを響かせる。
「ウム……サクラノヴァを疑うワケではないが、我が目にもマスターが弱体化しているようには到底思えん……。確かに動き出す瞬間の微細な遅れはあるが……それでもあの速度は異常の一言だ。ステータスが初期化されているのなら理論上あんな芸当は成立しないはずだが……」
低く唸る重い声が観客席の床を震わせる中、当のサクラノヴァはそれに対して骸骨の両腕を固く組み、不服そうな姿勢のままマスターを見下ろして淡々と、しかし僅かに嫌味を込めて発言する。
「……あの指輪や腕輪の効果は既に俺自身で検証済みだ。故に、マスターのレベルが初期値に戻っているのはおろか、視覚情報にも確かな遅延が発生していることは間違いない」
そう静かに断言したサクラノヴァへ、猫バイトが再び怪訝な顔を向ける。
「えぇ……ってことは、だよ? レベルが初期だから高度なスキルさえ発動できない、かつ視界も遅れて見える状況であんな完璧に動きを読んで戦ってるってこと? え……いや、それどういうバグ?」
「……ふん、バグも何もない。……だが説明はできん。……目の前にある現実がそうなっているのだから、そうなのだとしか言いようがない……全く、本当にふざけた男だ」
闘技場で再び重い衝撃音が響く中、ゴラクZはそのやり取りを聞きながら燃える鬣を揺らしつつ深く頷いた。
「ウム……本来のマスターの力量は俺も知っているが、とはいえ素の状態でもここまで圧倒的だとは……。……いやはや、ギルド内で最も人間に近い見た目をしている男が、実際には異形揃いの中で最も化け物だとは誰が予測できるだろうな……」
ゴラクZのその呆れるような言葉に猫バイトもまた尻尾をぱたぱたと揺らし、肩をすくめる。
「う~わ、それわっかるわぁ~……。この城のトラップって物理罠や魔法罠もいくつもあるけどさ……正直一番エグいのってマスターの“擬態能力”だよね。一見して弱そうなのに一番強いみたいな? いや~、にしてもこれを目の当たりにするとさ、そりゃ【ユグ:ドライアス】屈指の最強モンスターって言われてたあいつを単体討伐できるって言われても納得するね……」
感心とも諦めともつかない声を聞いて、サクラノヴァがぼそりと付け加える。
「……生来の直感と反射神経。……あの未来視を扱う“休日”ですら、マスターに勝てなかったからな」
「ウム……。かつての"休日"との一戦……あの時のマスターの戦い方は後の先……というのも正しいかどうか……」
「後の先ってあれでしょ? 相手の攻撃を見てから先に動くってやつ。まぁ確かに未来が読める"休日さん"の動きのさらに先に行くんだから……後の先の先……? てか、これだけ動ける上で普通の状態なら竜種の王クラスのステータスも持ってんだよね? そりゃ他の種族王たちが協力して狙うわけだよ~……」
猫バイトのその感想に対し、ゴラクZはふと視線をサクラノヴァへ向けた。
その瞳には、僅かな期待と興味が込められている。
「……ところでサクラノヴァ。万が一だが……貴殿がマスターと己が剣を交える事態になったら――今度はどう戦う?」
―――その問いに、空気が止まる。
猫バイトですらその言葉の答えに耳を傾け、まるで時間が一瞬だけ止まったかのような静寂が生まれる。
やがてサクラノヴァは腕を組み替え、闘技場の中心で佇むマスターから自身の手に視線を向ける。
骨の顔には表情がないはずなのに、どこか人間以上の“覚悟”を感じた両名は息を呑んだ。
そして――。
「……愚か者の戯言だ。そんな状況に陥らぬよう、俺はあいつを同じギルドに迎え入れたのだからな……」
形式的な否定。しかし、その声音の底に別の感情が潜んでいた。
「……そうか」
しかしゴラクZはそれを問いかけることなく、ただ、自身の中で押し留めた。
そしてゴラクZと猫バイトが、サクラノヴァから再びマスターに視線を移したその時。
サクラノヴァの脳裏に響く声が、強く届いた。
「―――だがもし、その最悪が訪れるのなら―――」
その声は静かだった。
けれどもそれを聞いた両名は、同じ立場の王でもあるに関わらずに背筋が凍り付いた。
人間としての根底にある感情である"恐怖"を呼び起こさせる言葉。
不死種という死をも超越した存在の王たる言葉は―――。
「―――俺は“すべて”を捧げてでも、次は必ず勝つ……」
―――両名の息を呑む音とともに、かき消されていった――――。
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