第七話
朝靄がまだ村の縁を薄く包む頃、馬車は大きな石の門をくぐり抜けた。
エリスの家を出てからわずか一日――森を抜け、峠を越える道のりは予想外に短く感じられた。
けれどボクの胸の奥は、重たく、早鐘のように打っている。
「リオナ、準備はいい?」
エリスは落ち着いた声で訊ねる。
腰に巻いたローブの端には、細やかに刻まれた護符が光っている。
彼女の目は戦場で見せる冷たさを少し含んでいて、でもその奥には確かな優しさがあった。
「うん……多分」
ボクは短剣を握りしめる。
柄は冷たく、手に馴染まない。
マルクが教えてくれた盗賊団、“黒の尾”のアジトは、峠の向こうの古い採石場にあるらしい。
盗賊たちはそこで夜更けに待ち伏せし、通りがかりの荷馬車を襲っては人と荷を奪っていくという。
エリスは治癒師の顔だけでなく、時折冒険者の依頼を受けて剣を取ることもある。
薬草から作り出した薬で命をつなぎつつ、刃で敵を断つ――それが彼女の戦い方らしい。
馬を降り、森の小道を歩いて行く。
朝露で草が濡れ、足元が冷たい。鳥のさえずりが、どこか遠い祝祭のように聞こえるのが、かえって恐ろしかった。
「静かに忍び寄りましょう。見つかったら即座に逃げ道を確保する。それと、私の合図まで動かないこと」
エリスの声は低く、だが明確だ。ボクは頷く。
胸が張り裂けそうなほど心臓は鼓動し、でもその張り裂けそうな感覚が怖さだけではないことに気づく。
――これは、戦う緊張ということでなく、誰かを守れるか、という緊張もあるのかも。
やがて道が開け、古い採石の跡が視界に入った。
崩れた石壁、風化した柱、そこかしこに悪臭と焚き火の跡。近づくにつれ、空気が淀み、遠くで犬が低く唸るような音が聞こえた。
「見張りが二人、いえ三人いる。あの岩の陰に一人、逆手に短剣を持ってる」
エリスがささやく。彼女の指が静かに動き、ボクの方へ軽く指示を出す。
心臓は喉の奥まで上がりそうになるが、ボクはできるだけ息を殺し、足を運ぶ。
エリスが先に動いた。影に紛れて、まるで風のように岩陰を滑る。ボクは彼女の背中を見て、どうしてこんなにも手慣れているのかと驚いた。
魔導具の紋が薄く輝き、彼女の手元は確かな慣れに満ちている。
短い呪文を口の端でつぶやくと、エリスの刃先に青い光の輪が浮かぶ――それは相手の動きを鈍らせる小さな紋だ。
音もなく、最初の襲撃は終わった。
エリスが一閃、相手の首筋に届かせる。
倒れる男の足元で、もう一人の見張りが慌てて笛を吹くが、間に合わない。
ボクはただ、背中でその光景を見ているだけだった。
血が、地面に赤い線を描く。
心がぎゅっと締めつけられ、反射的に短剣を振り上げようとするが、体が言うことを聞かない。
「動いて」
――エリスの低い声。合図だ。
ボクは頭の中が真っ白になりながらも、必死に走る。足が空回りし、砂利を蹴散らす。
前方で二人の盗賊が振り向き、驚きの声を上げた。
その瞬間、彼らの一人が槍を振るう。
刃が鈍く光り、ボクの脇腹をかすめた。
痛みが走る。思わず声が漏れる。だが、その痛みが、逆に何かを呼び覚ました。
細胞の奥で、温かな何かがざわめく。
――フェンリルの力、説明できない鼓動が、ボクの血を強く押し返す。
次の瞬間、体が自分の意志とは別に動いた。
爪先で地を掴むように踏ん張り、短剣を振るう。
刃は相手の袖を斬り裂いただけで致命傷には届かないが、相手の動きは確かに遅くなった。
エリスが横合いから飛び込み、一撃で敵の膝を切り裂く。
相手の顔が驚愕で歪むのを見て、ボクは息を荒げながら立ち尽くした。
血の匂い、砂利の感触、エリスの重たい呼吸。
これは夢じゃなく現実だ。
初めて、自分が“戦い”というものの中にいると知った。
怖い。だけど、どこかに小さな光が差し込んだ気がした。
「大丈夫?」
エリスがボクの肩に手を置く。
彼女の手は泥と血で汚れているが、不思議と冷たさはない。
ボクは混乱した目で頷くだけだった。
まだ戦えるとは言えない。でも今、確かに動けた。
たとえ小さくても、その事実が胸の中で静かに強くなっていくのを感じた。
戦いは続く。黒の尾の本隊が気づき、数が増えてくる。
だがエリスは冷静だ。
護符で結界を張り、回復魔法と補助を織り交ぜながら、ボクを守る。
ボクは彼女の後ろで息を整え、次に来る一撃に備えた。
――初陣は、まだ終わっていない。
盗賊たちの叫び声が、岩場にこだまする。
数は五……いや、六人。全員、粗末な革鎧と錆びた武器を手にしている。
だけど彼らの目は、飢えた獣のようにぎらついていた。
「エリス、囲まれた!」
ボクが叫ぶより早く、エリスは詠唱を始めた。
手のひらで光が弾け、空気が一瞬ざらつく。
次の瞬間、地面から突き上がるような風が巻き起こり、前列の盗賊たちを弾き飛ばした。
「今のうちに――リオナ、右へ!」
「う、うんっ!」
走る。足元の砂利が滑るたびに、胸の奥の傷が軋む。
けれど、止まったら終わる。そう思って、歯を食いしばった。
ボクの背後で、金属がぶつかり合う音。
エリスが一人、二人と倒していく音が響く。
それでも敵は止まらない。背後から、ひときわ大柄な男が叫んだ。
「クソガキどもが、ぶっ殺してやる!」
大剣が振り下ろされる。
エリスが振り向くより早く、ボクは反射的に彼女の前に出た。
瞬間、目の前で銀の閃光が爆ぜた。
世界が、静止したように感じた。
何かが、体の奥で弾ける。
骨の髄が灼けるように熱くなり、心臓が獣のように唸る。
視界の端に、白銀の毛のような光が揺らめいた。
次の瞬間、ボクの腕が勝手に動いた。
短剣が光の尾を引き、迫る大剣の軌道を逸らす。
火花が散り、刃がぶつかり合う音が轟いた。重い。だけど、負けない。
唇から唸り声のような息が漏れた。
短剣は滑るように男の手を切り裂き、瞬間男の手が弾けた
「……ああ、なるほど。これが、ボクの中の……」
男がよろめいた。その隙を、エリスの杖が貫く。
閃光。雷のような音。
男の体が痙攣し、地面に倒れ込んだ。
息が荒い。頭がぐらぐらする。それでも、体の奥の力がまだ暴れていた。
「リオナ!」
エリスが駆け寄り、ボクの手を掴む。
その瞬間、光がすっと収まった。まるで、彼女の手が“獣の力”を鎮めてくれたみたいだった。
「大丈夫……? 今の、あなた……」
「うん……ちょっと、わかんない。でも、動ける」
エリスは少しだけ目を細め、それから微笑んだ。
「なら、行こう。今は深追いはしない。目的は頭目。そいつさえ倒せばあとは烏合の衆よ」
ボクは頷いた。胸の中で、わずかに熱い力が鼓動する
力の意味はまだわからない。でも、あの瞬間、確かにボクは“守りたい”と思って動いた。
それだけは間違いない。
そして夕暮れが訪れた。
ボクたちは盗賊団のアジト、採石場の外れに座り込み、風に当たっていた。
遠くに煙が上がり、鳥が鳴く。世界は何も変わっていないように見えるのに、ボクの中だけが、何か確かに変わっていた。
「……怖かった。」
「うん。でも、あなたはちゃんと戦ったわ。最初の一歩としては上出来よ」
エリスが笑う。その横顔が、夕陽に照らされて美しかった。
「ありがとう、エリス。ボク……守れた、のかな」
「ええ。あなたが動いた瞬間、私は確かに“助けられた”の。――ありがとう、リオナ」
胸の奥が温かくなった。
ボクはただ、小さく笑ってうなずいた。
夕陽が落ち、空が群青に染まる。
結局頭目はここにはおらず、残っていたのはアジトを守る奴らだけだったみたいだ
頭目は必ずここに帰ってくる
それを待ち、頭目を倒す手はずになった
それにしても、エリスはなんでこんなに強いんだろう?
疑問はあったけど、今は聞かないことにした




