表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/4


【どくぼっちさん、大丈夫ですか?】

【更新がないので、心配してました】


 家に帰って気づいたのは、届いていたのはどくぼっちに寄せられたコメント。moment diaryの通知以外にも、婚活サイトの運営からも連絡がきてたっけ。


 届いていたメールを開こうとして、やっぱりやめた。


 【婚活は……もう、やめたい】


 メールの代わりにmoment diaryを開いた。コメントに返信しようとして、思いとどまる。

 私が打ち込んだのはあふれ出た本音。

 里奈さんと出会ってから、どうしても婚活に前向きになれなかった。


 いや、違う。

 きっと最初から、婚活に前向きな気持ちなんてなかったんだと思う。

 

 里奈さんと話した時、解放されたような。そんな風に心がすっきりした。私はいったい、何におびえて、何を気にして生きてるんだろう……。


 考え込んでいると、フォロワーのタイムラインが更新された。


 【今日は常連の屋台。食べ友と一緒。美味しいを共有出来て、幸せを分かち合えるっていいよね。女友達最高!満たされて幸せな一日でした】


 それは、里奈さんの日記だった。

 読み終えると、視界がぐにゃりと歪む。涙なんて最近は流すことなんてなかったのに。

 私のお腹を満たした「美味しい」は、感情にも踏み込んでくるらしい。


 その時、持っていたスマホが震える。誰かからの着信だ。画面に映った名前を見て、どきりとする。




「……お母さん」

 

 気軽に通話ボタンを押すことは出来なくて、浅く深呼吸した。今までだったら、またあれこれ言われるのがイヤで、この電話も出ていないかもしれない。


 だけど、意を決してグッとスマホを強く握った。

 ゆっくりと通話ボタンを押す。

 

「も、もしもし?」

「綾? 今大丈夫?」

「少しなら……」

「すぐ終わるから。あのね、そろそろ実家に戻ってきたら?」


 唐突すぎる提案に、思考が一時停止する。

 どうして? なんで?

 そう聞きたかったけど、母のマシンガントークは止まらない。


「婚活うまくいってないんでしょ? だったら、お母さんが地元で探すわよ。結婚してくれるなら、誰でもいいでしょ?」


 誰でもいい? そんなわけないじゃない。


「34歳だもんね。貰ってくれるならありがたいわよね」


 人をまるで、余りものみたいにいうな。


 言い返さないでいると、母の言葉の毒はヒートアップして止まらない。

 聞きたくない言葉も、次々と鼓膜をさした。


 あぁ、めんどくさい。

 ぷつりと何かが切れる音がした。


「お母さんはさ、なんでそんなに結婚させたいの?」

「なんでって、綾に幸せになってほしいから」


 勝手に幸せを決めつけられるのは、もううんざりだ。


「だったら、大きなお世話。もう、幸せだから」

「結婚もしてないのに、なにいって……」

「私の中では、結婚がイコール幸せじゃないの! その考えはお母さんの考えだから。私の人生にまで、お母さんの価値観持ち込まないで!」

「……あ、綾?」


 一度本音が放たれると、我慢していたものがあふれ出す。


「婚活だって、本当はしたくなかった。いや、違うね。お母さんにいわれたとき、自分の人生が幸せなのか、確信が持てなかったんだ」


 そうだ。あの時、自信が持てていたなら。きちんと反論できたはず。

 だけど、今なら……。


「ごめんけど。もう心配してくれなくていいから! 人生幸せに過ごせてるんで! 自分の幸せは、私に決めさせろ!」


 殴りつけるように、強い語気で言い切った。そして、返事を待たずにぶつりと通話を遮断する。


「……ははッ、完全に言いすぎた」


 途端にちょっと笑えてきた。

 だけど、通話が終わり暗くなったスマホ画面に映った私は、開放的な笑みを浮かべていた。





 金曜日


 また一段と冷える日だった。けれど、寒空の下食べる楽しさを知った私は、寒さなんて平気だ。

 ただ念のため、首元にマフラーを巻いて防寒対策も欠かさない。


 冷えた指先をさすりながら屋台に到着すると。

 淡く灯る提灯の近くで、里奈さんは手を振っていた。


「おつかれさま」

「お疲れさまー」


 里奈さんもボリュームのあるスヌードをつけていたので、同じ思考だったのかな。と思わず笑ってしまった。


「綾ちゃんも暖かそうなマフラー付けてる」

「里奈さんはスヌード? いいよね。あったかい」

「そっ。すっぽりかぶるだけだからね」


 テーブル席に座って、雑談を交わしていると。


「今日はカウンターで食べてって」


 静かに現れて、ぼそりと言い捨てたのは、相変わらず不愛想な大将。

 カウンターに招かれるのは、はじめてのことだったので、里奈さんと顔を見合わせた。


「どうしたんだろ?」

「寒そうだから?」


 屋台のカウンター席も、けっして暖かい場所ではない。だけど、大きな鍋が目の前にあるので、テーブル席よりはあたたかいのだ。

 外で食べる私たちに気を使ってくれたのかな。そんなことを思った。


「お邪魔します」


 さっそく暖簾をくぐると、ふわりと美味しそうな匂いが広がる。おでん鍋から放たれる香りは、一気に食欲を刺激する。


「あれ、他のお客さんいないんだね」

「本当だ。いつもは満席なのに……」


 大将のお店はいつも繁盛していて、どの時間帯も誰かしらお客さんがいた。誰もいないカウンターは初めてのことだった。


 不思議に思ったけど、たいして気にしていなかった。

 今日は焼き物のお品書きあるかなー?そんなことに思考を張り巡らせていた。


 そんな時、衝撃の一言が下りてくる。





「実は、店じまいすることにしたんだ」


 大将は、ぽとりと雫がおちるように呟いた。抑えた低い声が耳の底に響く。


「え、お店しめちゃうの!?」

「そんな……移転するとかですか!?」


 受け止めきれずに、間髪入れずに返すと、大将は顔を左右に振った。


「いや……俺も、もう年でね。引退するんだ」

 

 真剣な物言いに、私たちは何も言えなくなってしまう。

 ちらりと里奈さんを見ると、瞳が潤んでいるように見えた。


 そうだよね。里奈さんは、私と出会う前からこのお店の常連だ。悲しさも寂しさも、私より数倍大きいと思う。


 

「今日は最後におでん食べてってな。そんで、これはサービス」


 寂しげに目尻を下げた大将は、コトンと白い器を置いた。その瞬間、里奈さんは顔を緩ませた。


「……あたし、これ大好きなんだよね」


 ぽってりとしてまるっこい器。これを見ただけで里奈さんには、正体が分かったみたい。ほぐれた里奈さんの表情から、美味しいものだとわかる。それだけで、喉がなりそうだった。


 気になって仕方がない私は、すぐに蓋をあけてみる。すると、湯気と共に上品な優しい香りが広がった。


「……茶わん蒸しだ」


 立ち上る湯気の間から見える薄黄色の幕には、綺麗な三つ葉。絶妙な色のコントラストは、視覚の情報だけで唾液を刺激する。


「熱いうちに食べよ?」

「……いただきます」


 木のスプーンで一口分すくってみる。乗った瞬間、ぷるるんっと揺れた。口に入れると、だし汁の味が口の中いっぱいに広がる。そして、ツゥルンと流れるように喉を潤した。


「おいし……」


 あまりの美味しさに、ボソリと感想が溢れる。

 出し汁の海の中には、具材がゴロゴロと入っていた。さっそくもう一口すくうと、大きめの鶏肉。噛んだ瞬間に、じゅわっと肉汁が出て、出し汁との相性が抜群だ。


 えび、鶏肉、かまぼこ、シイタケ、銀杏。スプーンですくうたびに、新しい美味しさと出会えた。

 上品なおいしさに「ほぅ」とあたたかなため息がでた。



「はぁ~、大将の茶わん蒸しだいすき。食べれなくなるのやだー!」


 冗談っぽく言っていたけど、里奈さんの本心だったと思う。その証拠に、声が少し震えていたような気がした。



「これ……」


 悲しみが押し寄せる中、茶碗蒸しを夢中で口に運んだ。そんな私たちの前に、大将は深刻な表情でそっとあるものを置いた。

 それは、二つ折りになった白い紙。

 

「ん?」

「なに? お別れの手紙?」


 質問には答えずに、大将は気まづそうに背中を向けた。私たちは不思議に首を傾げながら、2つに折られた紙を広げる。そこに書かれたのは……。



「だし巻き卵のレシピ……?」

「え、これって……」


 背中を向けたままの大将は返事の代わりにこくりと頷いた。そして照れたように、ポリポリと頭をかく。



「……ずっと教えてって言っても、教えてくれなかったのに。最後にずるいじゃん……」

「いいんですか? 秘伝のレシピじゃ……」

 

 乱雑な文字で書きなぐられたのは、だし巻き卵に使う調味料。そして、火加減まで詳しく書かれた料理過程だった。


「うちの味、忘れないでいてくれよ」


 ぽつりとやっと聞こえるほどの大きさの声。その一言は、妙に心に響いた。


「忘れない……です。本当に美味しかった。大将のご飯に出会えて、人生変わりました!」


 息巻いて伝えると、大将は目をパチクリさせた。



「大袈裟だな……」


 眉間によっていたシワが解けて、フッと笑った。

 大将の笑顔を見たのは初めてだ。


 なんだか嬉しくて、私の口元も緩んだ。

 それに、大袈裟なんかじゃない。

 美味しいと満たされるということを教えてくれたのだから。


 涙の感情が混ざった大将のご飯は、この日も絶品で箸が止まらなかった。







「はぁ~、大将の屋台がなくなるのは、寂しすぎるなぁ」


 里奈さんの大きなため息は、静かな夜の空にとけた。

 屋台を出た後、眠りについたように静かな夜の街を肩を並べて歩いた。


 満腹なお腹と、アルコールが入った体はポカポカとあたたかい。だけど、大将の屋台が閉店という事実に、心は冷え切っていた。


 大将のお腹も心も満たしてくれるご飯。それに、里奈さんと出会った場所が消えてしまう。


 そう考えたとき、嫌な予感が走った。

 大将のお店がなくなるということは、里奈さんとのご飯の日々もなくなってしまう……?

 

 確かめたいのに「もう終わり」そう言われるのが怖くて、なかなか勇気が出ない。

 いつもよりゆっくり歩く私たちは、しばらく無言が続いた。


「綾ちゃん、ありがとね。大将のお店で出会って、こうしてご飯友になってくれて……」

「……私のほうこそ」


冬の風と夜の闇のせいだろうか。どうしてもしんみりしてしまう。俯く私に降りてきたのは、普段通りのからりとした声だった。


「提案なんだけどさ。金曜日、大将のだし巻き卵作ってみない?」

「えっ」

「うちで作ろうよ! せっかくだから、一番最初に綾ちゃんと食べたいと思った」

「つ、つくりたい!」


 思わず返事が早口になる。



「思い出のお店はなくなってしまうけど、私たちのご飯友達は続けようよ」


 その一言に、冷え切っていた心に灯が点った。


「そうだ! 毎週金曜日、お互いの家でご飯を作るってどう?」

「記念すべき第一回目のメニューは、大将のだし巻き卵」

「いいね!異論はないです!」

 

 その場に似つかないくらいに声を張ってしまった。そんな私の肩に、里奈さんは肩をこつんとする。


「きっとこれからも別れにぶつかることもあるけど……まだまだあたしたちの人生は、楽しいよ!」

「……うん! 美味しいご飯たくさん食べたい!」

「そう! ご飯は体の栄養だけど、心の栄養にもなるのだ!」


 笑い合ってどちらかともなく、ぎゅっと腕を組んだ。

 肌を指すような冷たい風は、私たちの背中を押すように、いつのまにか追い風になっていた。







 大将のお店が閉店という寂しさを感じながらも、里奈さんと交わした約束。


 毎週金曜日。一緒にご飯食べる。


 新しい楽しみが増えて、部屋で独りニヤリと笑う。誰かに見られたら、完全に怪しい人だ。


 

 そのとき、通知音が耳に届いた。

「ぽわん」

 気の抜けるような通知音。moment diaryの通知だ。

 実はこれまでも何度も来ていた。だけど、婚活を辞めた私は、開くことなくスルーしていたのだ。


 スマホに手を伸ばしてアプリを開くと、予想以上にコメントが来ていて驚いた。

 スクロールしていくと、どくぼっちに向けての心配のコメントの数々だった。


【どくぼっちさん、元気ですか? 更新がないから心配です】

【この間のこと引きずってますか?】


 アカウント名、どくぼっち。

 それは婚活用アカウント。婚活を辞めた今、普通の日記を書くのも違うと思って、しばらく更新していなかった。

 

 

 気分を落ち着かせるように深呼吸をする。

 SNSは必ず更新するなんて決まりはない。このままひっそりフェードアウトしたって別にいい。

 だけど……私はスマホをぎゅッと握りしめる。


【ご報告があります。どくぼっち、婚活を辞めました。このアカウントをどうするか迷ったのですが、継続したいと思っています。どくぼっちというアカウント名はそのままで、ありのままの私の日記を書いていきたいと思ってます。結婚ではない人生。ガールズライフも悪くない……】


 スマホで文字を打ち付けながら、ぴたりと手が止まった。

 ガールズライフも悪くない……?

 自分で打った文章に違和感を覚える。


 いや、違う。


【……ガールズライフは最高だ】 


 本音を日記に載せると、胸のつかえが取れた気がした。モヤが消えて、嬉しさに心も体も包まれる。


 このままアカウントを消したって、世界中の誰も困りはしない。

 だけど、私はこの幸せな毎日を記録として残したい。

 幸せにあふれた私の日記を発信したい。

 つまり、”私の幸せな生活”を自慢したいのだ。


 勢いのまま更新ボタンを押した。タイムラインに私の日記が更新される。

 途端に、ひゅっと背中が寒くなる。

 フォロワーさんの反応が怖くて、じっとタイムラインを見つめた。


 すると、すぐに通知のボタンが赤く光った。

 

【いいと思います!】

【結婚がすべてではないですよね。女友達との時間も幸せです】

【大人になって仲良くできる友達って最高ですよね!】

【わかります。私もガールズライフ最高民です】



 次々とあがる共感の声。ここは婚活垢なのに、こんなにも共感されるなんて思っていなかった。私の価値観が古かったのかもしれない。




 それから自分でつけたタイトルをしばらく見つめた。

 【アラサーどくぼっちが、幸せな結婚をするまで】


 見慣れたタイトルを、消去ボタンを押して消していく。

 【 】


 まっさらになった日記のタイトル。

 そうだ。このタイトル同様に、私の人生だって自由に決めていいんだ。

 間違えたら、正しい道で上書きをすればいい。


 これからは……ありのままの日記を綴りたい。

 

 

 吹っ切れたように指が滑らかに動いて、タイトルが打ち出される。

 新しいタイトル。それは……。

 

 ――私の幸せなガールズライフ。

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ