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「お、お邪魔します」


 小さめな声で挨拶をして、古びたパイプ椅子に腰を下ろした。目の前のテーブルは、一人用なのだろうか。簡単に折りたたみができそうなもので、こうして座ってみると余計に小さく感じた。

 

「ソロでよくご飯食べるの?」


 声をかけてくれた女性は、控えめな茶髪でボブヘアが似合う大人女性。なんとなくだが、同世代に見える。

 

「えっと……1人でご飯はあんまり……今日は突発的でした」

「へぇ。あ、私は里奈っていうんだ。突発的な出会いによろしく」

「私は綾と言います」


 ちょうどお互いの自己紹介を終えたときだった。


「ご注文は~」


 暖簾の隙間から大将が顔を出した。すると、里奈さんは思い出したようにぱちんと両手を合わせる。


「そうだよ! 注文しないと。綾ちゃんはなに飲む?」

「えっと……」


 メニュー表がないかと、辺りを探したがどこにも見当たらない。


「飲める口?」

「はい、ある程度は……」

「生ビールか、レモンサワーはどう? 元々酒の種類少ないんよ」

「ビールにしようかな」

「私も追加で頼んじゃお~。大将、ビール2つね! あと、おでんを適当に見繕って~」


 大将に届くように、里奈さんはちょっと声を張った。

 やり取りを見て、きっと常連さんなのだろうと感じる。注文が終わると、里奈さんは私の方へと向きなおした。そして、ハッとしたように口元に手を当てた。


「あっ、いつもの癖で「おでんを適当に見繕って」って言っちゃった。好きな具材注文したかったよね?」

「……いえ、どんな具が来るのか楽しみです」

「ごめんね~。あたし気が利かなくてさ。食べたいときは追加で頼んで?」


 さっきは気が利かないと言っていたけれど。こうして聞いてくれる時点で気が利く人だな、と思う。


「おでんの具で、1番美味しいのはなんですか?」

 

 頭の中にはさっき見たおでんが棲みついている。待ちきれずに質問をすると、里奈さんは嬉しそうに、くたーっと顔を緩めた。


「ん-! これが迷うのよ。大将のおでんは全部美味しくてさ。でも一番をあげるなら……」


 じらすように、次の声がワンテンポ遅れる。思わず私の身体も少し前のめりになった。


「あー! やっぱり決められない! 先入観なしに食べてほしいかも! それで食べ終わった後に一番美味しかったもの言い合おうよ」


 里奈さんは楽しそうに体を揺らした。そんな姿をみて、私のお腹の中でも楽し気な太鼓の音が鳴る。


「グぅ――」

 

 慌ててお腹を押さえた。

 空腹の限界を迎えたお腹は音を立てた訴え続ける。


「お待たせ」


 タイミングよく大将が持ってきてくれた。ごとんと置かれたのは大皿に盛られたおでんたち。テーブルに置いた時の、鈍い音からその重量も感じられる。

 すぐに覗き込むと、ほくほくの湯気の間から、おでんたちが顔を見せる。


「美味しそう……」

「ねっ! 大将のおでんは最高なんだよ」

「はい、ビール2つな」


 大皿でほぼテーブルの面積を占領しているが、空いたところに大きなグラスが置かれた。生ビールの琥珀色と白い泡。このコントラストはいつ見ても綺麗だ。ビールを目の前にしたら、ひどく喉が渇いていることに気づいた。さっそく冷えたジョッキに手を伸ばして、里奈さんに視線を合わせる。



「よしッ! 乾杯~!」

「乾杯!」


 グラス同士がぶつかった音は、夜の街へとすぐに消えた。グッと流し込むと、よく冷えたビールが喉に染みる。


「おいっしい〜!」

 

 ビールを飲んだ途端に、体中にそう快感が回る。やはり最初はビールで間違いなかった。


「おでんは何にする? お互いの自己紹介は後にして、まずは熱いうちに食べようよ!」

 

 里奈さんの提案には大賛成だった。ほくほくと湯気がのぼる目の前のおでんを、早く食べたくて仕方がない。

 大根、たまご、はんぺん、ちくわ、がんもどき、餅巾着。定番のおでんのたちの中で、一際目立つ鮮やかな黄緑色の具材があった。


「これって、ロールキャベツ?」


 茶色にを待った具材が多い中、同じ色には染まらない黄緑色の丸いフォルムは視線を奪う。


 

 ロールキャベツは味が染みれば染みるほど、美味しいはず。おでんの中にしたれば、美味しくないわけがない。

 まず食べる一軍として、大根、卵、ロールキャベツを選んだ。


「……いただきます!」


 おでんのだし汁の香りにごくりと唾を飲んだ後、まずは汁をを口に運ぶ。



「ッ……! 美味しい!」


 湯気が立ち昇るおでんの汁は、だし汁の味が濃くて舌で踊った。喉を通り、空腹の腹の中に落ちていく。冷えた体に染みて思わず「ほぅ」とため息が出た。


 次はロールキャベツに箸を向ける。キャベツに包まれたのは肉汁たっぷりのお肉。味の染みたキャベツを噛むと、次の瞬間にはじゅわっと感動がやってくる。



「美味しいー!」


 暖かさとおいしさに、また「ほう」とため息が飛び出した。


「大将の美味しいでしょー!」

「すごく美味しいです。もう止まらない」


 次に口に運ぶのは、摘んだ瞬間ほぐれてしまいそうな大根。丁寧に口に運ぶと、その瞬間にほどけた。染み込んだ出し汁が口いっぱいに広がる。

 


「綾ちゃんは会社勤め? この辺はよく来るの?」

 

 里奈さんは、おでんを美味しそうに頬張りながら話を振る。


「会社は割と近いです。でも、この辺に屋台が出てることは知らなかったなぁ」

「そうなの。この屋台ちょっと穴場なんだよ」

「里奈さんの会社も近いんですか?」

「あたしは一駅先だよー。会社の最寄だったら、こうして外で飲めないからね」


 里奈さんの表情が曇ったような気がした。もしかしたら、触れてほしくないことだったのかもしれない。


「あ、別に触れていい話だよ? ただ、あたしって会社では結構なお局なのよー。だから会社の人間は仕事以外であたしとは会いたくないと思って」


 私が気にかかっていたことを否定して、里奈さんはからりと笑った。私は顔に出やすいとよく言われる。きっと今も顔に出てしまっていたんだと思う。

 里奈さんが気が利かないなんて、やっぱり嘘だと確信した。


「里奈さんが上司だったら、一緒に飲みたいけどなぁ」

「それはこうやって外で会えたからだよ? あたし『総務課の鬼』って呼ばれてんだから!」

「お、鬼!?」

 

 鬼とは無縁の印象だったので、ひどく驚いた。


「会社では、どんだけ怖いんですか……」

「ひひッ! 会社で出会ってたらこんな風に笑い合えないかもね~」


 わざとらしく怪しげに笑った。確かにそれは一理あると思った。

 大人になってからの出会いとタイミングというのは、すごく重要で。少し歯車が違えば、仲良くなれなかったりするのだと思う。

 おでんを頬張りながら、深いようなそんなことを考えた。


 そのあとも、私たちの箸と会話は止まらない。里奈さんは無邪気だったり、核心をついてきたり掴みどころがない。でも、なんとなく親近感が湧くような。

 私はすっかり里奈さんとのご飯を食べる時間を楽しんでいた。



「美味しかったー! やっぱり大将のおでんは最高だな」


 大皿に盛られたおでんは、いつのまにか綺麗になくなっていた。おでんの汁までしっかり堪能したので、艶のある大皿の模様までしっかり見えた。


「では……1番を発表しようか」


 改まって何かと思えば「食べた後に美味しかったおでんを言い合おう」最初に提案された質問だった。

 私の中ですでに決まっていたので、浅く頷いた。



「ロールキャベツ」

「大根」


 同時に飛び出た答え。私がロールキャベツで、里奈さんが大根。


「わかるー。ロールキャベツ最高にうまいよね!」

「大根もほろっと砕けて美味しかったです!」

「おでんは、色々なものが食べられるのがいいところだよね」


 共感すぎて何度も深く頷いた。



 

「「ごちそうさまでした」」

 

 両手を合わると自然と声が重なる。意識せず重なった声に、目を見開いた私たちは互いの顔を見つめる。そして、また笑い合った。

 

「帰りますか」


 立ち上がった里奈さんは、慣れた手つきでお皿とグラスを持つと屋台の暖簾をめくった。私も真似してテーブルに残った食器を手に持っていく。


「大将、ご馳走様~」

「はいよ」


 もう一度よく顔を見ても、やっぱり怒っているように感じた。ボソリと低い声で話すので、それも怖さを引き立てる要因だと思う。

 だけど、里奈さんは大将は怒っていないと言っていたっけ。


「あ、あの。先ほどは失礼しました。おでん美味しかったです」

「……まいど」


 グッと勇気を振り絞って話しかけると、相変わらず声は低いが、不思議と恐怖は感じなかった。それに、口角がニヤリと上がったような気がした。


「綾ちゃん、大将喜んでるよ?」


 え、そうなの? そうだとしたら、すごくわかりにくい。

 それにしても、里奈さんはエスパーなのだろうか。私の浮かんだ疑問をいつも解消してくれる。


「また来週くるねー」

「ご、ご馳走様でした」


 軽く頭を下げてから、暖簾をくぐった。


「美味しかったなあー」


 余韻に浸りながら肩を並べて歩いた。深く吐いた息が、白く、高く、夜の闇に上っていく。風が寒いくらいに吹きつけてるはずなのに、ちっとも寒さを感じなかった。美味しいご飯と、楽しい会話に体温が上がった私には、ちょうどいいとさえ感じた。


「楽しかったよー。ありがとね」


 改めて言われて、ご飯が終われば里奈さんとお別れだということを思い出した。

 どうしよう。また一緒にご飯を食べたいな。

 せっかくの楽しい出会いを、今日で終わらせたくない。そう思った私はハッと顔を上げる。


「また一緒にご飯食べない? 来週の金曜日も、あたしはあの屋台にいるからさ」


 目が合うと、先に言葉を発したのは里奈さんだった。

 

「わ、私も! 今誘おうと思ってました」


 それは、喉まできていた言葉だった。先にいわれたことに、驚いてちょっと声が大きくなる。



「あははッ。待ってるね」

 

 そう言った里奈さんは、横並びに歩いていたわたしの肩にこつんとふれる。

 触れられた肩と心がじわりとあたたかくなる。そのままもうしばらく肩を並べて歩いた。





 

 



 家に帰ってきた私はそのままシャワーを浴びた。私は外着のままのんびりするより、さっとお風呂に入って、綺麗にしてから休みたいタイプだ。

 お風呂のお湯に温まった体のまま、ベッドにダイブする。


「楽しかったな……」


 ぽつりと零れたのは、本当の気持ち。

 思い出すのは、美味しい記憶と楽しい暖かな記憶だった。


 その時、ベッドに投げ出されたmoment diaryの通知が赤く光っていることに気づいた。きっと投稿した日記に、いいねやコメントを誰かくれたのだろう。

 アプリを開くと予想は的中する。

 

【どくぼっちさん。それは悲しい。お疲れさまでした。また頑張りましょう】

【どくぼっちさん、悲しいですね】


 全て私を慰めるようなコメントだった。

 フォロワーからのコメントを見てハッと思い出した。そういえば、お断りメールが届いて落ち込んでいたことを。


 美味しくて楽しい時間は、見事に悲しいという感情を忘れさせてくれていた。


 

【落ち込んでいた帰りにおでんを食べた。冷えた心までほっこり温まるような優しい味のおでん。そのおかげで悲しい感情は消えた。一番うれしかったのは、新しい出会いがあったこと。一緒にご飯を食べてたくさん笑い合って、胃も心も満たされた】


 楽しかった記録を残したくて、今日の出来事を綴る。新しい出会いとは、もちろん里奈さんのことだ。いつもは後ろ向きな日記が多いけれど、たまにはこういう前向きな日記もいいだろう。更新ボタンを押すと、すぐにコメントが飛んできた。


【新しい出会い! もしかして良い男性と出会ったんですか? ナンパされたとか? 良かったですね!】

 


 私の書き方が悪かったのかもしれない。

 里奈さんとの出会いを記録したつもりだった。

 けれど、男性と出会ったのだと捉えられてしまったみたいだ。

 驚いたのは、頭の中に婚活のことが消えていたから。

 


【男性じゃないですよ……もっと良い出会い……】


 なんだか少しだけムっとしてしまった私は勢いのまま返事を入力した。せっかくの楽しい出会いを、否定されたような気がして嫌だったのだ。


 しかし、投稿ボタンを押そうとして思いとどまる。

 そもそもこのアカウントは、婚活用アカウント。

 新しい出会いと聞けば、男性が思い浮かぶのも不思議なことではない。


 そう思い直した私は、モヤモヤを残しながらも、コメントにとりあえずいいねを返した。






 金曜日

 里奈さんと約束した日。

 朝からずっとそわそわしていた。なんだか落ち着かなくて、緊張と楽しみの高揚感で胸が躍っている。


 定時で仕事を終わらせると、化粧を軽く直した。

 そして、大将の屋台へと向かう。冬空は夕方でいられる時間は短い。あっというまに夜の闇が空へと広がっていた。

 

 仕事の疲労が残っているはずなのに、足取りは跳ねるように軽い。

 すっかり暗くなった道を歩くと、屋台に灯る提灯が道標となった。

 先週ぶりなのにどこか懐かしさも感じる。屋台につくと、テーブル席にはすでに里奈さんが座っていた。


「おつかれー!」

「お疲れ様です」

「特等席、とっておいたよ」


 まぶしいほどの笑顔を向けられて、途端にホッと心が和む。

 さっそく椅子に座ると、里奈さんからの視線を感じた。


「ど、どうしたの?」

「本当はね、来てくれるか半信半疑だった」

「え! ずっと楽しみにしてましたよ!」


 思わず声のボリュームが大きくなる。私の反応が予想外だったのか、里奈さんは目を丸くさせた。そして、次の瞬間には目を細めて笑った。

 


「よかった。あたしも楽しみだったよ」


 実のところ誘ってもらえたのは、その場の社交辞令だったのかもしれない。そうどこかで疑心暗鬼になっている自分がいた。

 里奈さんも楽しみだったと言ってくれたことに、肩に乗っていた不安が降りた。


 会った途端に会話が弾む中、テーブルの上に置かれた一枚の紙に視線を奪われる。

 乱雑な字で「お品書き」と書いてある。

 映え要素は見当たらないくらい思いっきりアナログなのだが、それが味が出ているような気がした。

 

――――――――――

 【お品書き 今日の焼きもの】

 ・オムレツ

 ・だし巻き卵

 ・枝豆

 ――――――――――



「今日の焼き物? あれ先週はなかったですよね?」

「先週は、売り切れだったの。おでんの他にもメニューあるんだ。おでんの鍋の横に使えるコンロがもう一つあるんだって。簡単にできるメニューが日替わりであるんだよ」


 首をかしげる私に、里奈さんが教えてくれた。

 てっきりおでんのみだと思っていたら、別メニューもあるみたい。

 数は少ないけれど、どれも惹かれるラインナップだった。

 お品書きと睨めっこしていると、里奈さんは細い指でなぞりながら教えてくれた。


「ちなみにおすすめは、だし巻き卵!」

「だし巻き卵……か」

「大将のだし巻き卵は、口に入った瞬間、だしの味がじゅわーと広がるの!」


 写真も映像もないのに、里奈さんの食レポを聞いただけで、ごくりと喉が鳴った。 

 日替わりということは、今日以外にこのメニューが食べられる保証がないということ。

 そう思うと、お腹の辺りからグぅーっと情けない音が。

 言葉にするより先に、体の方が食べたいと叫びだした。

 

「だし巻き卵食べたい!」

「お腹すいてる? おでんも食べるでしょ?」

「もちろんです! このために一週間仕事頑張ったから」

「ははッ。屋台はね、匂いで釣られるんだよね~。じゃ、頼みに行こっか」


 里奈さんは立ち上がると、一歩足を踏み出して暖簾をめくった。


「大将、おでん適当に見繕って~。あとだし巻き卵!」


 淡々と注文する里奈さんの後ろから、ひょこっと顔を出すと、白いタオルを巻いた大将と目があった。

 軽く会釈をすると、返事の代わりに大将は頷く。


「あ、飲み物はどうする?」


 里奈さんの言葉に、私は一瞬考えてすぐに口を開いた。


「……ビールで」

「大将! ビール2つ!」

「はいよ」

 

 

 注文を聞いた大将はぼそりと返事をする。まだ早い時間だというのに、カウンター席には6人ほどのお客さんが座っていた。大将は一人ですべてこなしているため忙しそうだ。

 テーブル席へと戻ると、里奈さんはわたしに投げかけた。


「ねぇ、敬語辞めようよ。その方が話しやすい」

「はい……あ、敬語になっちゃった。でも、里奈さん話しやすくて、ため口混ざってたよね」

「それが嬉しかったりしたのよ」


 敬語が抜けると、ただそれだけなのに、距離が一気に近づいた気がする。

 楽しく会話をしていると、大将がおでんとだし巻き卵を運んできた。


「はいよ」


 日替わりメニューのだし巻き卵は、白身と黄身がまざった優しい色合い。お皿のはじに添えられた大根おろしも、ポイントが高い。なぜなら、私はだし巻き卵と大根おろしの組み合わせが大好きだからだ。



「あたしも大将のだし巻き卵、食べるの久しぶりだなぁ」

「そんなにレアなの?」

「日替わりメニューとはそういうものだよ」


 里奈さんは、まるで子供をからかうように怪しげに目を細めた。


「話したいこともたくさんあるけど……」

「まずは……」

「「いただきます」」


 両手を合わせて挨拶をすると、箸が伸びたのは、揃ってだし巻き卵だった。

 大ぶりな1つを箸でつまむと、そのやわらかさにふわりと揺れた。

 口に運ぶと、噛んだ瞬間にじゅわっと広がる優しい出しの味。そのまま食べても、味がしっかりとしていて、体があたたかくなるような。そんなおいしさだ。

 すきっ腹にすとんと落ちると、優しい味が胃に染みた。


「おいしいー」

「美味しいでしょ! 大将のだし巻き卵は絶品なんだよ」

「優しい味だけど、上品で、美味しすぎる」

「あたし、居酒屋でもだし巻き卵はよく頼むなぁ」

「お店のだし巻き卵って、自分では絶対に出せない味なんだよね。大将のだし巻き卵は、味付けは一体なんだろう……」


 箸でつまんだ綺麗な層に巻かれた、だし巻き玉子をじっと見つめる。

 だし巻き卵は、自分でも作れる料理だ。しかし、簡単に作れるが、味には格段に差が出てしまう料理でもある。

 

「それ気になるでしょ?」

「気になる……」


 あわよくば自分でこの味を出したいと思ってしまう。


「隠し味を聞いても、絶対に教えてくれないんだよね」

「企業秘密てことかぁ」

「通い出してから、何回も聞いてもダメだったよ……」

「そっかぁ。残念」 

「何度か再現しようと思って家でも作ってみたけど、全然この味とは程遠いんだよ」


 里奈さんは白い息と共に、大きなため息をついた。その反応から、再現するのに何度も挑戦したのだろうなと思う。

 

「まぁ、この店に通えってことだよね。はいはい、通いますとも」


 落ち込んだのは一瞬ですぐにぱあっと笑顔を見せる。里奈さんの明るさは、その場の雰囲気も灯してくれるので、私の目にはたまに眩しい。

 

 

「ぽわん」


 そのとき、テーブルに置いてあった里奈さんのスマホから通知音が鳴った。この気の抜けるような通知音には、聞き覚えがある。


「あれ、その通知って……」

「moment diaryの通知だよ。綾ちゃんもやってる?」

「はい。その通知音って何か気が抜けません?」

「かわいいよね! アカウント教えてよ! フォローしたい!」


 スマホを差し出されて、ハッとまずいことに気づいた。私が持ってるアカウントは【どくぼっち】。婚活垢としてだ。


「あ、嫌なら無理しなくてもいいよー?」

「ち、違うの! イヤとかじゃなくて……その……」


 一瞬教えるのを迷ったが、嘘をつきたくないと思った。説明する代わりに、スマホをグイっと差し出した。


「これが綾ちゃんのアカウント? えっと……どくぼっち、アラサーどくぼっちが幸せな結婚をするまで……」


 画面に表示されたのは、私のアカウント名と、日記のタイトル。それらを読み上げられた途端、指先が冷えるほど寒いはずなのに冷や汗が湧き出た。

 

「……」


 沈黙が地獄のようだった。きっと顔は真っ赤に染まっていると思う。恥ずかしさで顔をあげられない。


「あ、婚活アカウント? 綾ちゃん、婚活してたんだー」


 返ってきたのはからりとしていた。

 ホッとしてやっと顔を上げる。


「母が結婚しろってうるさくて……」


 婚活の理由を母のせいにした。自分で言った台詞のはずなのに、どこか胸がちくりとする。


「まぁ、良い年になると、周りはうるさいよね」

「聞いてなかったけど、里奈さんも……?」

「あたしも独身貴族! ただ婚活には、一切興味なし!」


 にかっと笑って言い切った。あまりに潔くて、思わず息をのむ。

 その瞬間、また棘のような小さい針が私の胸をちくりと刺した。


「……周りの反応とか、気にならない?」

「周り? どうしてあたしの人生なのに、周りの反応を気にする必要があるの?」

「それは……」


 まっすぐな瞳を向けられる。

 里奈さんの質問に、答えが出てこない。


 あれ、何で気にする必要があるんだっけ。

 なんで、私はいつも周りの目を気にしてるんだっけ。

 

 正解に迷って、全身がみるみる冷え固って行くのを感じた。



「なーんてね、偉そうに言ってみたけど。あたしも気にしてたよ。ってか、気にさせられた(・・・・・・・)

「え……」

「『早く結婚しないと』『今は若い子も婚活する時代』『貰い手なくなるよ?」』そんなこと散々言われたなぁ」

「辛くなかった?」

「辛かった。だけど、あたしの人生じゃん?ってい思いなおして、聞いてもう流すことにした」


 自分と重なり、思わず息を呑む。


「コソコソ言われようと、あたしの人生が楽しかったら、勝ちなのよ」


 そういうと、ジョッキに半分ほど残っていた生ビールをグイっと飲み干した。


 

「開き直るのも、けっこう悪く無いよ? もちろん、婚活も楽しいなら素敵なこと」


 あまりに優しい声だったので、自分でもよく感情が整理できずに、泣きそうだった。

 婚活は私にとって、楽しい……?

 その答えはすぐに出た。私にとって、婚活は楽しいものではない。



「楽しくないな……」


 ポロリと落ちた本音。雰囲気を悪くしてしまいそうな発言をして、自分に向かって焦る。


「あ、えっと」

「楽しくないなら、やめちゃえ!」


 底抜けに明るい声に、私の方が拍子抜けしてしまった。

 

「私たちはさ、もう大人だから、自分の人生は決めれるし、楽しめるんだよ!」


 その言葉はまっすぐに心に浸透する。

 まぶしくて、あたたかくて、ずっと欲しかった言葉だったのかもしれない。


 


「ちなみに、あたしの日記のタイトルは「アラサーソロ活御飯道」どう? 見ただけで美味しそうじゃない?」


 里奈さんのアカウントの画面には、パッと見ただけで、美味しそうなご飯の写真が見えた。


「美味しそう……それに、楽しそう」

「楽しいよ。もちろん綾ちゃんのおかげでね」

「え、私?」

「こうして一緒にご飯を食べて、美味しいを共有できて。満たされる友達って、最高じゃない?」

「それは……完全同意」

「ねっ!」


 会話が弾みながらも、箸の進む手は止まらない私たち。だし巻き卵も、大皿に盛られたおでんも見事に完食する。


「はァ~。美味しかったぁ」

「満たされたぁ」



 満腹になったお腹をさすりながら、夜空を見上げた。

 寒空の下、体の芯から温めてくれるご飯を食べる。こんなに素敵な構成は、この場でしか味わえない。余韻にしたりながら手を合わせた。

 


「「ごちそうさまでした」」

 

 美味しいご飯で満たされた後は、心も弾む。

 夜の街はすでにアルコールが入った人。足早にスタスタと歩く人。様々な人が行き交い、笑い声があちこちから聞こえてくる。

 まだ話し足りなくて、まだしばらく2人並んで歩いた。




「どくぼっちさん、来週はどうする?」

「あ、その名前、さっそく覚えてるじゃん!」


 里奈さんは満足そうに、ニヤリと笑う。

 

「ゴロが良くて。覚えやすいー!」

「リアルで呼ぶのはやめてよね?」

「まぁ、あたしも独身だから、どくぼっちだけどね?」

「来週は、何食べようかな~」

「来週もお品書きあるといいね!」


 自然な会話の中で、来週も一緒にご飯を食べる約束が交わされた。



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