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 私はスマホを取り出して、あるアプリを開いた。

 それは「moment diary(モーメントダイアリー」。

 若者の間では、略して「モアリー」と呼ばれているアプリ。


 モアリーは「今この瞬間のリアルな記録」を友達と共有することを目的としたSNSだ。

 日々の記録をつぶやき形式で残せるアプリで、300文字以内と規定があり、お手軽さ重視の日記といったところだ。


 日記の公開・非公開はその都度選択できて、公開を選んだときは、タイムライン形式でフォロワーに見られる形式となっている。

 非公開設定にして自分だけの日記アプリとして使う人や、交流するSNSとして使ったりとさまざまだ。

 私はSNS機能として使っていて、その日あったことをぽつりとつぶやいたりしている。


 初期設定に、diaryタイトルとして日記のタイトルを決めなければならない決まりがあった。

 毎日のご飯を記録したい人は【主婦の夜ご飯日記】

 ペットの呟きが多い人は【愛する愛犬日記】

 こういった感じで、何に対しての日記なのかを、見た人がすぐにわかるようにつけている。


 私がつけた日記のタイトル。それは……。


【アラサーどくぼっちが幸せな結婚をするまで】


 なぜこんなに寂しげなタイトルかというと。

 はじめたきっかけが婚活だったからだ。

 胸に疼く黒いモヤを払いたくて、同時にこのSNSに登録した。渦巻く想いも婚活日記として記録しようと思ったんだ。


 そして【どくぼっち】というのは、私のアカウント名。

 独身とひとりぼっちを掛け合わせてつけた。

 自分でも自虐的だなと思う。

 だけど、そのおかげかどうかはわからないが、同じ境遇のアカウントからフォローされた。決して多くはないがフォロワーも増え始めている。




 星一つ見えない夜の街で、スマホ画面の灯りが私の顔を照らす。寒空の下私は冷えた指先を動かした。


【婚活運営から届いたのはまたお断りメールだった。まだ1回しか会ってないのに。自分を否定された気分で心がえぐられて瀕死。外は寒いし、体の芯まで凍えそう】

 

 ちょっと柔らかい文で投稿してみる。

 正直、瀕死なほどのダメージは受けてはいない。

 だけど、こういうのは少し大げさなくらいがちょうどいい。


 モアリーは、不幸や卑屈な日記なほど、いいねが増えやすい。という傾向がある。この考えが正しいかわからないが、少なくとも私の場合はそうだった。人は自分より少し不幸な人を求めてると思う。だからこそ、この日記はちょうどいい。

 

 投稿ボタンを押してから、夜の街の輝きから目を背けるように空を見上げた。

 星なんて一つも見えやしない。黒く広がる闇はまるで私の心ようだった。


「自分の存在を否定された記念に、ご飯食べてから帰ろうかな」


 どうも家に帰って料理をする気にはなれそうにない。

 本気で婚活に取り組んでなくても、誰かに拒否されたと思うと心は傷つくみたい。

 

 疲れた体と傷ついた心をひきづって、夜の街を歩いていたときだった。


 あたたかい匂いが冷たい風に乗って流れてきた。

 香ばしい匂いは、私の嗅覚と食欲を刺激する。


 美味しそうな香りを嗅いだら急にお腹がすいてきた。

 反射的に今にも鳴りだしそうなお腹に両手を当てる。

 この美味しそうな匂いの出所を探すと、すぐに見つけることが出来た。視界に映ったのは、ぽわりと優しい灯りがともる屋台。


 下げられた提灯の灯は夜に映えた。垂れ下がられたのれんには、白い布地に太字で書かれた「おでん」の文字。

 ごくりとあふれ出てきた生唾をのみこむ。


「屋台か……」


 食欲は今すぐに屋台に向かえと命令してくる。しかし、私の中の理性がそれを邪魔する。


「私……一人で屋台に行ったことないや」


 それに、もし会社の人や知り合いに一人で屋台にいるところを見られてしまったら、コソコソ何を言われるかわからない。

 自分の欲望より、周りの目を気にしてしまう自分がいた。



「グぅ――」


 頭の中で作戦会議をして、立ち止まっていると、お腹の音が盛大に鳴り出した。

 あまりに大きな音だったので、慌てて両手で抑え込む。


 今の音、絶対周りに聞こえてた。

 気恥ずかしくて、周りを見渡すが、街の行きかう人たちは誰も足を止めない。


 意外にみんな見てないのかな……。

 お腹の辺りに嫌な予感を感じる。またお腹の音が飛び出そうだった。

 空腹に逆らえなくなった私は、足早に屋台へと向かった。


 少しだけ、ちょっとつまむだけなら、女一人でいても変な目で見られないよね。


 都合の良い言い訳を考えて、屋台の目の前にやってきた。ますますあたたかな匂いが私の身体へと入り込んでくる。

 「おでん」と書かれた暖簾をめくろうとして、手が止まった。


 この場に及んで、やっぱり躊躇してしまう。

 今まで充分に浴びてきた、結婚適齢期を過ぎても結婚しない女への、世間の強い風当たり。それらが脳裏に浮かんで暴れ出す。


 もう、白い目で見られるのは、嫌なんだよ……。

 諦めて帰ろう。そう思った時だった。

 

 私ではない誰かによって、目の前の暖簾が開いた。それは、一瞬の出来事で固まる私のすぐ目の前には、白いタオルを巻いた男性。眉間にしわを寄せて、ぎろりと睨んでくる。


「……なにずっと突っ立ってんの。他のお客さんの邪魔になるよ」


 すごみを感じる低い声に、思わず足が半歩下がった。

 やっぱりすぐに帰ればよかった。自分の行動に後悔して振り切ろうとすると。

 ……美味しそうな出し汁の匂いが鼻の中に広がった。

 思わず視線を奥に移すと、モヤモヤと立ちのぼる湯気。食欲を刺激する匂いは、やはりここからだった。

 すぐ目についたのは大きな四角いおでん鍋。鍋いっぱいに注がれた出し汁は、透き通った黄金色で目を奪われた。味がしみ込んだ汁におでんの具材たちが浸かっている。パッと見ただけで分かる具は、大根、こんにゃく、卵、しらたき。よくしみ込んでいるのだろう。しらたきは色が出し汁の色に染まっている。そして、餅巾着のくたっとしたフォルムは、私の食欲を掻き立てた。思わず、またごくりと生唾をのむ。


「で、どうすんの?」


 不機嫌なような重々しい声にドキリとする。

 おでんに見入ってしまっていた私は、しばらくフリーズしていたようだ。



「し、失礼しました」


 軽く会釈をして引き返した。重いため息が聞こえて振り返ると、男性の姿は見えず、暖簾は閉まっていた。

 胸元辺りに手を当てると、心臓がバクバクと揺れている。

 突発的な行動なんてするもんじゃないな……。


 

 名残惜しくてもう一度屋台を振り返った。すっかりおでんの口になってしまったが、流石に諦めよう。そう思っていたら。

 

「ねぇ! 食べないの? ここのおでん絶品だよ!」


 肩を落とす私に、女性の声が飛んできた。

 反射的に辺りを見渡すと、声の主はすぐ近くにいた。屋台のすぐ横に配置されたこぢんまりとしたテーブルは、大きめの段ボールほどの広さしかない。そのテーブル席に座った彼女は、にこりと笑って手招きをしている。

 

「満席だった?」

「いや……数席開いてたと思います」

「だったら、食べていけばいいじゃん! ここ人気でいつも満席だよ?」


 小さな声で返すと、その倍のボリュームで返ってきた。


「えっと、おじさんの迫力が怖くて……1人で入る度胸が出ませんでした」

「……あははッ」

 

 事実を正直に話すと、女性は大きな口を開けて笑い出した。あまりに突然だったので、うろたえてしまう。


「わ、私……なにか変なこと言いました?」

「大将はね、愛想なくて顔が怖いんだよ。あれは怒ってるとか悪気はなくて……ただ顔が怖いだけだから」


 大将というのは、先ほどの強面の男性のことだと思う。

 そっか。怒ってるわけではなかったんだ。

 彼女の言葉のおかげで、胸の辺りに残っていた黒いモヤが少し晴れた。

 


「ここ大将の店のテーブル席! って言っても1つしかないけどねー」


 まるで仲の良い友達に対するように、軽やかな声が再び飛んでくる。

 よく見ると彼女の頬と鼻先は、ほんのり赤い。

 それはたぶん、しばらくの間この寒空の下にいたからだと思う。


「寒い中、外テーブルで食べる人ってあんまりいなくてさ。まぁ、私が占領してるからだけど!」


 大きな口をあけて笑う姿を見たら、悪い人ではなさそう。なんだかそう思えた。

 彼女の提案にどうするべきかと躊躇していると、テーブルにあるお皿には、つるんとしたおでんの卵。綺麗に染まった姿に視線が奪われてしまう。


「あッ」


 思わず声が漏れる。途端に、頭の中では出し汁にしたるおでんの数々が駆け巡る。

 

「ふふッ。大将のおでん食べないと、絶対後悔するよ?」


 その言葉は、矢のように心に突き刺さった。


「た、べたい……。ご一緒していいですか?」


 気づいたころには、小さく返事をしていた。

 食欲に負けた私は、普段の生活にはない未知の世界へ足を一歩踏み入れた。

 




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