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たった5分で終わった父との決別③

 子供みたいに泣きじゃくりながら、シャシェはずっと己の母親の名を呼び続ける。その姿はかつての自分の姿と重なった。


「おかあさんにあいたいよぅ……ごめんなさい、おかあさぁーん……うっうう……ごめんね、ごめんなさぁーい……ううっ……うっ」


 シャシェは涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら謝罪の言葉を紡ぐけれど、それは全て母親に向けてのものだった。


 徹底してティーナに対してこれっぽっちも悪いと思っていないその態度は、一周廻って感服する。


「なぁティーナ……やはり、こやつは斬首で構わないと私は思う」


 背後からカルオットに耳打ちされ、ティーナは苦笑する。こちらはこちらで徹底した態度を貫いてくれる。そんな彼がたまらなく愛おしい。


 けれどティーナの心の天秤はもう傾いてしまっている。シャシェが母親に会いたいと言った瞬間から。






 シャシェとこうして対峙する前日、ティーナはシャシェの母親の元に向かった。カルオットと共に。


 王都郊外にある平民街の小さな家に彼女はいた。ごめんください、と扉を叩いてすぐに姿を見せたシャシェの母親はとてもやつれていた。


 それは娘を案じてのことか、もっと別のことなのか……と、ティーナが考えを巡らせたその時、シャシェの母親はその場に平伏した。


「娘の悪行をどうかお許しください。全てはわたくしの責任でございます……罪は全てわたくしが受けます。ですからどうか……どうか……娘だけは……」


 涙を流しながら訴えるシャシェの母親にティーナは冷たく言い放った。


「その言い方ですと、まるであなたには何の罪もないと聞こえますわね」


 額を床に擦り付けて謝罪するこの女は、母が懐妊中に父ジニアスと密会しシャシェを身ごもった。


 ーー謝るなら、まず最初にそのことで許しを乞うべきじゃないか。


 全ての元凶がそこにあるとは言わない。けれど父とシャシェの母親が不貞行為をしなければ違った未来があったことは間違いない。


 そんな憤りを覚えた瞬間、カルオットの声が頭上から降ってくる。


「見苦しい真似はやめてもらおう。人の目があるところでこうすれば、同情が引けると思ったなら大間違いだ」


 低く重い声音は、きっと自分と同じくらいに……いや、それ以上に怒りを覚えているような気がした。


「立ち話で終わる要件ではございません。中に入れていただけますか?」


 嵐のように暴れる感情を抑え込んでティーナが告げれば、シャシェの母親は涙を拭いながら立ち上がり「どうぞお入りください」と言って、扉を更に大きく開けた。






 シャシェ親子が住む家は名門貴族の愛人とは言い難い外観ではあったが、室内も質素な造りだった。


 通された部屋は客間ではなかった。しかしティーナもカルオットもそこに不満を漏らすことは無かった。どう見たって、この家に来客を通す部屋など無いのがわかっていたから。


 長持ちすることだけに重きを置いた茶器で淹れた茶をティーナとカルオットの前に置いたシャシェの母親は、向かいのソファに着席することなく再び謝罪と詫びの言葉を紡ぎ始めた。


 ジニアスが名門貴族の男性とは知らず、声をかけられ熱心にアプローチされ恋に落ちてしまったこと。娘を授かってから、彼との身分差を知ったこと。


 何度も別れを告げたけれど、ずるずると関係が続いてしまったこと。シャシェに分相応なことは求めてはいけないと口を酸っぱくして言い聞かせていたけれど、聞く耳を持ってくれなかったこと。


 日が暮れても夜が明けても謝罪を続けそうな勢いを感じて、ティーナはシャシェの母親を止める。


 それから立ち上がり、改めてシャシェの母親と向き合った。


 今だから言えるけれど、シャシェの母親は訪ねてきた自分に対して、てっきりふてぶてしい態度を取ると思っていた。


 もしくは何が悪いと居直られ、金品を要求してくるかもと警戒していた。


 しかし彼女は悔しいほどに己の立場を弁えた慎ましい人だった。そしてシャシェに良く似たきれいな人だった。自分が憧れてやまなかったブロンドの髪と翡翠色の瞳を持っていた。


「もうこの話は十分ですわ。終わりにしましょう。それよりお尋ねしたいことがあります。どうか嘘偽り無くお答えください……お願いします」


 頭を下げれば、カルオットがぎょっとした様子でティーナの腰を抱く。


「ティーナ、何をやってるんだ。そなたがそのようなことをする相手ではないだろう」


 とにかく座れとカルオットの手によって着席させられたティーナだけれど、視線はずっとシャシェの母親に向いている。


 その強い視線を受けたシャシェの母親は、静かに跪いて深く頭を下げた。


「お嬢様のお望みどおり、どんな質問にでもお答えします。何なりとお尋ねくださいませ」


 ティーナが知りたかったのは、シャシェが夜会で発言した内容だった。


 父に斬り捨てられようとしたその時、シャシェは自分の母親が父親の下着を保管していると叫んだ。カリナ家の紋章が刻まれた懐剣もあると強く主張していた。


 あの時、シャシェが苦し紛れにデマカセを言ったのかもしれない。でも追い詰められたシャシェの発言が本物だとしたら矛盾を感じてしまう。


 だってシャシェの母親は、これまで幾たびも父ジニアスとの関係を終わらせようとしていたのだ。


 ならジニアスが忘れていったそれらは、処分するか返却すべきことだ。まだ自宅に保管している意味がわからない。


 そんな疑問を包み隠さず伝えると、シャシェの母親は再び床に額を擦り付けた。


「お嬢様のおっしゃるとおりです。ここには確かにあのお方の私物がございます。ですが誓って何か謀ろうという考えではなかったのです」


 そう言って、保管している父親の私物を渡そうとするシャシェの母親を、父親の下着なんて見たくもないティーナは強く制し、とにかく理由だけは知りたいと告げた。


 重い沈黙の後、シャシェの母親は「どうしても手放せなかったのです」と苦しげに言った。


 しかしティーナには「ただただ愛する人の面影を一つでも残しておきたかった」と聞こえてしまった。


「……そうですか。お答えいただき、ありがとうございます」


 目を閉じて一つの結論を出したティーナは、シャシェの母親にそう言って立ち上がった。そして暇を告げる。


 カルオットは何も言わず、俯くティーナを馬車までエスコートした。労りと言う言葉では言い表せないほど、それはそれは大切に。




 カルオットと共に二頭立ての豪奢な馬車に乗り込んだティーナは、次第に小さくなっていくシャシェの家をぼんやりと見つめる。


 昼過ぎに到着したはずなのに、陽はだいぶ西に傾いていた。思ったより長居をしてしまったようだ。


「……ねえカルオット」

「なんだい、ティーナ」

 

 愛する人の声をただ聞きたかっただけのティーナは「なんでもないですわ」と言って微笑む。


 馬車は車輪をカラカラと回して、お城へと進んでいく。人通りの多い市場を過ぎれば、貴族の邸宅の合間からお城の側防塔が見えてくる。


 この速度なら、間違いなく夕食に間に合うだろう。


 ティーナは安堵し、そして誰かと食事をすることが当たり前の日常になりつつある自分に少し驚く。と、同時に大切な我が子の安否を祈りながら一人寂しく食事を取る女性を思い出し、胸が詰まる。


「ねえ、カルオット……お願いがありますの」

「いいさ、何でも言ってごらん」


 隣に座るカルオットは、特上の優しい声で続きを促してくれた。


「明日、シャシェに会いたいですの……二人っきりで話したいことがあるのです。どうか牢獄に立ち入る許可を与えてくださいませ」


 カルオットの袖を掴んでそうお願いすれば、返って来たのは無言だった。


 しかし無言のまま抱き寄せる彼の腕は、途方も無く優しかった。 

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