たった5分で終わった父との決別②
名を呼ばれたシャシェは緩慢な動作でこちらに振り返った。すぐさま父と同じ翡翠色の瞳が憎悪に染まる。
「あんた、何しに来たのよ」
吐き捨てたと同時に立ち上がったシャシェは、荒い足取りでティーナの元に近付き鉄格子を乱暴に掴む。
食事をほとんど取っていないと報せを受けて少なからず心配していたけれど、思いのほか元気そうで、ティーナは安堵の息を吐く。
その仕草をどう受け止めたのかわからないが、シャシェは妖精のように可憐な顔を歪めて口を開いた。
「あたしを笑いに来たんでしょ?ならさっさと笑って出て行って!あんたの顔なんて見たくない!!」
「黙れ」
唾が飛んできそうな程の叫びに怒りを覚えたのは、ティーナではなくカルオットだった。
「今すぐ処刑されたいのか?」
「なによその言い方!どうせ何を言ったって何をしたって、結局あたしの首を跳ねる気なんでしょ!?なら、勿体ぶらないでさっさと切っちゃえば良いじゃない!」
「ほう」
自分の未来が無いことを悟っているシャシェは、怖いものなど何もないのだろう。王族であるカルオットにすら煽るように鼻で笑ってみせる。
すぐさまカルオットが、なんの躊躇いもなく腰に差してある剣の柄に手を添えた。
「二人ともやめて下さいませ」
望まぬ展開にティーナは、二人の間に割って入る。
今日ここに来たのは、シャシェを断罪するためだ。しかし彼女の首を跳ねるかどうかは、まだ決めていない。願わくば、そんな選択はしたくない。
「偉そうなこと言わないで!どうしてあたしが、あんたの言うことを聞かないといけないのよっ」
カルオットはしぶしぶではあったが、すぐに自分の背後に移動してくれた。なのにシャシェの態度はこれである。ただ威勢だけは良いけれど、その姿はあまりに惨めだった。
夜会服は没収されたのだろう。到底ドレスとは言い難いくるぶしが見える粗末な服を身に着けている。
光り輝いていたブロンドの髪には捕らえられてから一度も櫛を通してないのだろう。ぼさぼさで艶を失っているし、足元に至っては靴すら与えられず裸足のままだ。
一度目の生では、シャシェは妖精のように可憐で誰からも愛される存在だった。変わり果てたその姿に、情を傾けてはいけないとわかりつつもどうしたって心が揺れてしまう。
「そんな目で見るくらいなら、笑えば良いじゃない!同情なんて気持ち悪いことしないでよ。あたし、あんたに可哀想って思われるくらいなら死んだ方がマシよ!」
まるでティーナの心を読んだかのように、シャシェは噛みつくように叫んだ。
「随分と嫌われたものね……わたくし」
これまで父から居ないものとして扱われ、社交界では嘲笑と憐憫の目を向けられてきた。けれど、ここまで憎悪を剥き出しにされるのは初めてだった。
「はんっ、なによ今更」
馬鹿馬鹿しいことこの上ないと言った感じで、シャシェは唇を歪めて言葉を続けた。
「あたし、あんたのことが大っ嫌い!この気持ちはずっと変わらない。死んだって、生まれ変わったって、あたしはあんたのこと、ずっとずっと嫌いでいるから」
「……どうして?」
「どうしてって……あんた……よくもあたしにそんなことが言えたわね!あんたがいるせいで、あたしはずっと私生児だったのよっ。お母様は親族からも近所からもアバズレって言われて、あたしはアバズレの子って皆から馬鹿にされてきたのっ」
シャシェの血を吐くような叫びに言葉が詰まった。
確かにシャシェの言う通り、ちょっと考えればわかることだった。貴族でも平民でも、未婚の女性が子供を産めば、その扱いはとても酷いものになる。
けれど同情するつもりはない。自分の母親だって苦しんだし、悲しんだ。
疑いが晴れぬまま死を迎えたのだ。さぞ悔しかっただろう。ティーナだって母の無念を受け継いでこれまで生きてきたのだ。
そんなティーナに、まだ言い足りないシャシェは鉄格子を揺さぶりながら再び口を開いた。
「あんたは奇麗な服を着て毎日お父様と一緒にいられて、もうすぐ王子様と結婚するんでしょ?なら……その後にあたしがお屋敷で過ごしたって良いじゃない!あたしは本当にお父様の子供なんだから……あんたはお城で過ごすんだから別に良いでしょ!?それが駄目だなんて、こんなの不公平過ぎる!」
恨みがましい目で紡ぐシャシェの言葉はとても身勝手なものだった。けれど、その厚かましい願いにティーナは救われた。
一度目の生でさんざん自分に辛く当たっていたシャシェだが、そこに殺意はなかったのだ。同じ父親を持つ姉妹でありながら、自分だけが貧しい生活をしていたことが許せず、これまでの鬱憤を自分にぶつけていただけ。
二度目の生を歩み始めてから、ティーナはずっと考えていた。
一度目の生で死に絶えた自分は、果たして本当に病だったのかと。
カリナ家は名門貴族だ。鉱山も幾つも所有している。そして、その鉱山で有毒な物質ーーヒ素の原料になる鉱石を手に入れることは、どこの貴族よりも簡単にできる。
父ジニアスとシャシェが結託して、自分を殺害したのではないか。
肉親を疑うのは、あまりに非道だ。しかしこれまで受けてきた仕打ちと、一度目の生の末路を考えると恐ろしく辻褄が合う。
けれど今、向き合っているシャシェは自分に対して憎しみこそ隠さないが『死』を連想する言葉は一言も吐いていない。
これが唯一の救いだった。だからといって何もかも許すつもりはない。
「貴女には、わたくしが幸せそうに見えたかもしれないけれど、それなりに色々あったのよ」
シャシェが羨むくらい裕福な生活を送っていたことは認める。仕立ての良いドレスを身に着け、口に入れる食べ物は全て高価なものばかりだった。
雨風にさらされて凍えたこともなければ、飢えの苦しみを味わったこともない。でも、ずっと心の中は凍えていた。
カルオットに愛されることは至上の喜びだ。しかし生まれて初めて味わう温もりが親ではなく婚約者であった事実は一生心の傷となって残るだろう。
「シャシェ、わたくしは貴女が羨ましいと思っていたわ」
隠さず本音を紡げば、シャシェは信じられないものを見る目になった。しかしすぐに顔をくしゃりと歪める。翡翠色の瞳は涙で揺れている。
「あたし……あんたに羨ましいって思われたかった。自分のほうが勝ってるって実感したかった」
「そう。では実際に言われてみた感想を教えてくださいます?」
「嬉しくない……ちっとも嬉しくないっ……虚しいだけ……あたし何やってんだろう。いい暮らしをしたくって、私生児って馬鹿にされたくなくって、ついムキになってお母様が引き留めるのも無視して、お父様について行っちゃって……結果がコレ?馬鹿みたい……あたし」
憎々しげな態度から一変して、シャシェは子供みたいに泣きじゃくる。これにはティーナも面食らった。
思わず背後にいるカルオットに助けを求めれば、彼も自分と同じように困惑した表情を浮かべていた。