ある男の願い②
「リシャーナが庭の奥に駆けていくのを追ってみれば……まさか兄上との密会でしたか。はっ」
殺気すら感じさせるカルオットの物言いに、ダルウィンは「おいおい待て待て」と慌てる。言っておくがダルウィンの好みのタイプは年上だ。
「弟よ……お前、ティーナ嬢では飽き足らずとうとう娘にまで束縛しだしたのか?ほどほどにしないと嫌われるぞ」
世間一般の常識では、娘というのはある一定の年頃になると父親を毛嫌いする。
それは健康に育った何よりの証拠であるが、今からこんなに愛情を押し売りしていたら、この先の毛嫌い度は恐ろしいほどに跳ね上がるかもしれない。
そんな懸念を覚えてダルウィンがやや本気でカルオットに忠告をすれば、なぜか彼は拗ねた顔になる。
「嫌われる?はっ……いいですよ、どうせ私は兄上より下ですから」
「はぁ?お前ほんと何言ってるんだ??」
食い気味に首を傾げたダルウィンにカルオットはますます不貞腐れた表情を浮かべる。もう意味が全然わからない。
弟のカルオットは時折、面倒くさい自己完結型になる。そしてそうなってしまったら手に負えない。しかもここ最近の冷たい態度も、おそらくこの会話の延長線上にあることに気付いたダルウィンは、泣きたい気持ちになる。
だってカルオットが拗ねている理由は、兄の愛情を以ってしても理解できないから。
そんなわけで、つい助けを求めるようにダルウィンは腕の中にいるリシャーナに目を向ける。
ダルウィンの視線に気付いた王城の天使は無邪気な笑みを返してくれたけれど、父親が不機嫌でいる理由は教えてくれなかった。その代わりに、カルオットから更に冷たい視線が刺さって痛い痛い。
ーーやっぱ、兄上に相談しよっかな。
国王となって多忙を極めているフレデリックの時間を割くのは心苦しいが、もうそれ以外に手立てが見当たらない。
でもここで、途方に暮れるダルウィンにカルオットのもう一人の子供、息子のランドルが救いの手を差し伸べた。
「伯父上、伯父上、あのねお耳をお貸しくださいーー」
いつの間にかダルウィンの傍に立ったランドルは、伯父のズボンを引っ張りながら小声で囁く。
「リシャーナ、今度は父上に抱っこをしてもらおうね」
「えー……わたくし、伯父様に抱っこされていたいのですのにぃ」
「う……うーん。ちょっとだけだから、な?」
「わかりましたわ、でもちょっとだけですわよ」
「あ、ああ」
鬼の形相でこちらを睨むカルオットの視線を直視しないように気を付けながら、リシャーナを託したダルウィンは、すぐに膝を折り甥に向けて耳を出す。
「あのですね、ちょっと前に父上がリシャーナに伯父様が辺境伯になることを伝えたら、リシャーナが泣いちゃったんです」
「あ、そうなのか」
「はい。父上も僕も精一杯なだめたんですけど、リシャーナは泣いて泣いて……」
その時のことを思い出しているのだろうランドルは痛みを堪えるように歯を食いしばる。
その仕草は大人から見ればただただ可愛らしいものだが、口に出すほどダルウィンはデリカシーが無い人間ではない。
「お菓子を与えても、お気に入りの縫いぐるみであやしても駄目でした。そしてとうとうリシャーナは、とんでもないことを言ってしまったんです」
「……ど、どんなことを言ったんだい?」
物々しい雰囲気を感じたダルウィンがゴクリと唾を呑んだと同時に、ランドルが言葉を続ける。
「リシャーナは”そんなの要らないっ!伯父上が良い”と。そして父上の腕をペチンと叩いてしまったのです」
「……うーん、そっか」
この世の終わりのような口調で語り終えたランドルに対し、ダルウィンの口調はいささか軽かった。
だがしかし、その顔は苦虫を口いっぱいに詰め込んだような顔をしている。
ーーなぁーるほど。それで俺に八つ当たりをしていたってわけか。
リシャーナは、ただただ身近にいる遊び相手が居なくなってしまうことを寂しがっているだけなのだが、愛妻家で子煩悩であるカルオットからしたら己より兄の方が好きだ言われているようで悔しかったのだろう。
大人であっても大切な誰かとの別れは辛い。まだ世界が狭く物事に上手に折り合いを付けることができない幼い子供にとっては、大人が思っている以上に耐えがたいことだろう。
だからこそ、リシャーナはその場しのぎで誤魔化そうとする父親に対し怒りを覚えたのだ。……きっと。
そうして我が子に拒絶されたカルオットの苛立ちの矛先は、ダルウィンに向かってしまった。
これまでのカルオットの態度の急変と、妙に甘えん坊になったリシャーナ。二人のここ最近の行動を思い起こせば、この推理が正しいとダルウィンは結論付けた。とはいえ、
「なぁ、ランドル」
「何でしょう?叔父上」
「君の父上のことを悪く言うつもりはないが、少々大人げないと思わないかい?」
リシャーナを片腕に抱きつつ、とろけるような笑みを浮かべているカルオットをチラリと見てからダルウィンがランドルに耳打ちすれば、甥はなぜかここで遠い目をする。
「確かに父上は、そういう部分があることは認めます。が、」
「が?」
「僕もリシャーナから”嫌”と言われて少々傷付いてますので、父上の気持ちはとても理解できます」
最後は父親そっくりの眼差しを向けるランドルに、ダルウィンは更に立場が悪くなったことを瞬時に悟る。次いで、「はははっ」と乾いた笑い声を上げた。もう笑うしかないじゃないか、という心境で。