【番外編5】私が生きる世界
××目線のお話です。
これはあなたにとっては不幸な事故だった。
そして私にとってあなたの世界はあまりにも幸せだった。
あなたは、私にとっての美しい幸せそのものだった。
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身体が重く気怠い中、私は自分が書いた日記を読み返していた。
****年**月**日
この日記を美幸の両親が買ってくれた。いつか本当の美幸にこの身体を返した時のために、日常のことを書こうと思う。本当の美幸は私の身体にいるはずだ。どうか無事でいてほしい。私の身体が死ぬことには抵抗はないが、身体を失った魂は長くはもたない。そうなったら取り返しがつかない。本当の美幸があちらで死んでしまう前に、なんとしても果たさなければ。
****年**月**日
授業の小テストがあるのを忘れていて、ひどい点数を取ってしまった。
****年**月**日
給食はとてもいいシステムだと思うが、もう少し味はなんとかならないのだろうか。いやこれも贅沢なことなんだろうけど。しかし今日のサラダの味はひどかった。柑橘系は入れなくていいのに。
****年**月**日
体育で転んでしまって膝を擦りむいた。綺麗に治るといいけれど。
最初はどうでもいいことを書きすぎてページを一気に使ってしまっている。途中からもっと紙を節約しようと意識し始めた。
****年**月**日
夢を見ている状態であれば、霊術に近いものが使えることがわかった。
****年**月**日
学校であった講演がなかなか面白かった。ボランティアという精神はこの世界ならではの考え方だなと思う。私には難しい。
****年**月**日
小学校を卒業した。
紙を節約しようとしすぎて、平気で一か月とか書いていない日もある。ただ単に書き忘れていたともいう。
****年**月**日
中学に入学した。前の机の小野さんという女子がよく話しかけてくる。
****年**月**日
本当の美幸との接触に失敗した。何か条件があるのかもしれない。
****年**月**日
小野さんと適度な距離感を保とうとしていたら、小野さんが不機嫌になってしまった。
****年**月**日
小野さんが話しかけてこなくなった。
そういえば中学の時の彼女は今も元気にしているだろうか。
****年**月**日
体調があまり良くない。明日は学校を休むかもしれない。今日霊術を試したらどうなるだろうか。
****年**月**日
本当の美幸への接触が成功した!彼女はまだ生きている。
この時は本当に嬉しかった。奇跡だと思った。
****年**月**日
小野さんが別の女子と仲良くしているのを見た。それでいい。
****年**月**日
今日国語で読んだ話が面白かった。元の本を明日探してみようと思う。
****年**月**日
中学二年生になった。小野さんとはクラスが離れた。
中学の時が一番身の振り方を悩んでいたような気がする。誰かに入れ込んでしまったり、あまり一人でいすぎたりしてもいけないと思っていた。
****年**月**日
体調が良くない。本当の美幸との接触のチャンスかもしれない。
****年**月**日
再び本当の美幸との接触に成功した。まだ警戒をされているようだが、焦らずゆっくりと距離を縮めていこう。
****年**月**日
男に絡まれていた同年代くらいの女の子を助けた。ああいうのはさすがに無視ができない。
この時助けた女の子がまさか後々大事なポジションになるとは思いもしなかったな。
****年**月**日
美幸の母がアップルパイを作った。見た目はそれほど良くはなかったが、とても美味しかった。
****年**月**日
本当の美幸との接触もスムーズにできるようになってきた。そして警戒を解いてくれたのか、会話ができるようになった。
****年**月**日
中学三年生になった。受験のことを考えないといけない。
****年**月**日
今後のことも考えて、進学校で校内の雰囲気も良い青空南を受験することに決めた。今の学力と内申点なら問題なく受かると思うが、気は抜かないようにしよう。
****年**月**日
本当の美幸がうまくあちらの世界に順応していて嬉しいやら悲しいやら。ただ仲間たちには感謝してもしきれない。
****年**月**日
久しぶりに小野さんに話しかけられた。志望校を聞かれたので青空南と答えた。小野さんは青空北を受けるようだ。
****年**月**日
受験勉強はあまり面白くない。
****年**月**日
夢で美幸と話した。こちらの世界の様子を伝えると関心していた。本当はあなたの世界なのに。
****年**月**日
明日は受験だ。しっかりやってこよう。
****年**月**日
青空南に合格した。良かった。美幸の母が奮発したごはんを作ってくれた。美味しかった。
****年**月**日
今日は中学の卒業式だった。小野さんに今まで無視していたことを謝られた。もう会うことはないだろうが、元気でいてくれるといい。
****年**月**日
青空南に入学した。日高さんが友だちになりたいと申し出てきた。前に助けた女子らしい。一度は断ったが、諦めないと宣言された。どうしたものか。
****年**月**日
日高さんが離れない。小野さんと同じ方法じゃだめか。
****年**月**日
莉子と呼べと日高さんに詰め寄られた。あまりにしつこいのでそうすることにした。
****年**月**日
私と同じように図書室に入り浸っている奴がいるのに気付いた。私よりも本に詳しそうだ。
****年**月**日
高校の勉強は中学よりも覚えることが多く楽しい。
****年**月**日
久しぶりに本当の美幸と接触した。少し疲れている様子だった。無理もない。早く帰さないと。
****年**月**日
二学期になった。まだ暑い日が続く。相変わらず莉子がつきまとってくる。かわいい顔してるくせに強かな子だ。
いつの間にか、莉子が追いかけてくるのも慣れていた自分がいた。深い付き合いをする友人は美幸のためにも作らないほうが良いと思っていたけれど、本当はあんな友人が私もほしかったのかもしれない。
****年**月**日
三学期になった。冬は寒いが空が遠くて嫌いじゃない。
****年**月**日
図書室の顔見知りが図書委員になっていたので話しかけてみた。私が知らない本もたくさん知ってるようだ。
****年**月**日
あちらの世界との接触が安定してきた。そろそろ入れ替わりの術を試してみてもいいかもしれない。しかしそのためには、本当の美幸にこちらの世界に来たいと思わせないといけない。彼女は完全に私になりきってしまっている。
****年**月**日
莉子に美幸を託せるだろうか。莉子はどんな”美幸ちゃん”も好きだと言うが、どうだろうか。偽物の美幸の私を慕ってくれた彼女には申し訳ないが、本当の美幸も慕ってくれるといいけれど。
****年**月**日
終業式があった。高校一年はあっという間だった。
****年**月**日
部屋の整理整頓をした。これでいつでも美幸と入れ替わりをしても大丈夫だ。
私は一番新しいページに今日の日付を書き込んだ。
****年**月**日
明日は二年生の始業式だが、身体が熱っぽい。これはもうすぐ本当の美幸と接触ができそうだ。次こそ元に戻ることはできるだろうか。
次で入れ替わりに成功したら、これが私の美幸としての日記の最後になる。これが最後になると良い。私はペンを置き、ベッドに寝ころんだ。
私がこの世界に来てしまってから長い長い時間が過ぎた。美幸はこの前誕生日が来たから、16歳。入れ替わりが始まったのは、4歳。12年。なんて長いんだと私は強く目をつぶる。美幸が過ごすはずだった12年を私が食いつぶしてしまったことを、私は一生後悔する。
すべて私に原因があるとはいえ、気が狂いそうだった。こちらの世界のぬるまのような暖かい日常は、自分にとってはあまりに刺激が強すぎた。自分が生きていた世界はこちらだったのではないかと自分に言い聞かせたくなるほどに。
正直、12年の間にいくらでもここで生きていく決意をすることができた。でもしなかった。私の世界は、ここではない。どれだけ暖かくとも、どれだけ居心地が良くとも、私はこの世界では永遠に異邦人であるということを忘れてはならない。忘れることができない。あの異世界のファンタジー小説の主人公のようになることなんてできなかった。
ここで生きていく決意をすることは、永遠に異邦人であるという痛みと罪悪感を抱えて生きて行くことだった。それをすることはできないほど、私は臆病だった。こちらの世界よりあちらは生きにくいのに。暗くて痛くて辛い凄惨な世界なのに。それでも私の魂の故郷はあちらだった。
ここではない。ここではないんだ。だから、早く帰してくれ。私が狂った選択をしてしまう前に。
応えてくれ、本当の美幸。
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冷たく固い地面の上で私は目を覚ました。埃っぽい空気を吸って、伸びをする。懐かしい夢を見たようだ。
「××」
名前を呼ばれて振り向くと仲間の一人が天幕の隅に座り込んでこちらを見ていた。
「やあ▽▲□早いね」
「俺もさっき起きたばかりだ。調子はどうだ」
「悪くないよ」
私は笑って答えた。
「お前がもう寝込むことがないのがなんだか新鮮だな」
▽▲□がからかうように言う。
「そうだね、みんなには本当に苦労をかけたよ」
▽▲□と話していると、周りで寝ていた仲間たちも次第に目覚め始めた。私たちが話しているのを聞いて、仲間の一人がこう尋ねた。
「そういえば、お前に入っていた子は、向こうでは名前はなんていうんだ?」
そういえば今まで聞かれたことがなかった。私は答える。
「教えてもいいけど、多分わからないよ」
「なんだそれ」
「いいから教えろよ」
仲間たちがやいやいと声をあげた。私はやれやれと肩をすくめて大事な彼女の名前を口にした。
「”美幸”」
こちらの世界で口にしたあの子の名前は、無意味な音となって霧散した。それを聞いた仲間たちは顔を見合わせる。
「ん?」
「それ名前なのか?」
「今なんて言った?」
私は笑う。
「ほら、わかんないだろ」
向こうの世界の名前は、こちらの世界で音にならない。莉子も、青葉も。お互いの世界が違うものだという証明かのように。仲間の一人が関心したように呟いた。
「へえー異世界の言葉ってそんな感じになるんだな」
すると別の仲間が口を開く。
「名前の意味は?意味くらいはわかんだろ」
「ああ、うん。美しい幸せって意味だよ」
私がそう言うと、仲間たちは再び顔を見合わせた。
「美しい…」
「幸せ……?」
「美しいはわかるが、幸せって随分古い言葉だな」
「今どき使ってるやつなんて聞いたことないぞ」
そう。この世界に”幸せ”という言葉はもうほとんど使われることはない。もうしばらくすればその意味も存在も知る人もいなくなると思われるくらいには。
「そうだよね。でも向こうでは当たり前に存在する言葉だったんだよ」
「へえ、本当に別世界なんだな」
仲間が笑う。そう、違う世界だったんだ。向こうは。私が遠い目になりかけたところに、▽▲□が尋ねる。
「そういえば××、お前の名前の由来は知ってるか?」
「え?知らない」
そんなの聞いたこともない。仲間たちが▽▲□の方を見る。
「なんでお前は知ってるんだ?」
「××の名付け親と顔見知りだったんだよ。そこで聞いたことがあってな。まあそいつは今どこにいるかはもう知らんがな」
私は名付け親どころか、産みの親が誰かも知らないけれど。▽▲□は天幕を見上げる。
「××っていうのは、空とか天とかの意味らしい」
空。それを聞くと、つい美幸の世界の青い空が脳裏に浮かんだ。どこまでも広く、透き通るような青い色。いつまでも見飽きることがない、美幸の世界の象徴だった。
「へえ…」
私がしみじみと返事をすると仲間の一人が小さく手を叩いた。
「わかった。それって××の目の色が空に近い色だからだろ」
▽▲□は頷いた。私の目は、泥のような土のようなそんなくすんだ色をしているはずだ。そう言われると確かにこちらの空もそんな色をしている。
「多分そうだろ。それくらい安直な奴だったからな」
「…知らなかった」
そうか。私の名前はそういう風につけられたのか。
「知れてよかった」
そう呟く私に、仲間たちがさらに尋ねる。
「まあそれよりさ、幸せの子の世界の話もっと聞かせてくれよ」
私は思わず苦笑いをする。
「幸せの子って…どんな呼び方だよ」
「名前が聞き取れないんだから仕方ないんだろ」
まあ確かに。意味的には間違っていないから別にいいか。しかしそろそろ動き出さないといけない時間だし、あまり過去ばかりを振り返っていると今の時間に集中ができない。私は不敵に微笑んで見せた。
「じゃあ全員で生還してこの場を乗り切ってから、話すよ」
「おいおい不吉なこというんじゃねえよ」
「そういったやつから死んでいくんだぞ」
そう言いながらも、仲間たちは軽く笑いあう。
「さあそろそろ、ひと暴れしよう」
私は作戦の準備を始めるために、天幕の外に出た。
外に出ると、視界に荒廃した空と地面が広がる。鈍い光と、生ぬるい風。遠くから爆発の音と、奮起する仲間たちの声。
そんな中、私は空を仰ぐ。
私はかつて、青い空の下で美しい幸せな日々を送った。それは私にとって幸福でもあり、罪の日々だった。
私が数年生きた青い空の世界は今は遠く、もはや夢物語だ。けれどその遠い世界に確かに美幸という人がいることは、決して忘れはしない。美幸への罪を忘れないように、美幸の代わりに過ごした日々を忘れないように、私はここで精一杯生きていく。
私の世界の空は、今日も私の目と同じ色をしている。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。それでは登場人物たちと、彼らの物語を見届けてくださったあなたがあなた自身の世界で生を全うできることを祈って。




