【番外編2】あいつは不可解な奴
東雲藤谷目線のお話です。
初めてそいつを見た時、得体の知れない奴だと思った。
それは高校に入学してすぐの頃。良光が一目惚れをしたとかなんとか言って、とある女子のところに俺を連れて行った。良光が気になるその女子は、別の女子にやけに熱心に声をかけていた。良光と俺がその二人を遠巻きに眺めていると、ふとその声をかけられている女子が顔をあげた。
目が合った。
その瞬間、喧嘩相手に対峙しているような緊張感を覚えた、ような気がした。
しかしその女子はすぐにこちらから目を反らした。多分、俺たちのことをその瞬間に値踏みしたのだと思う。普通の女子ならそんなことはしない。だからその女子はただ者ではないのだと俺は密かに思った。良光は気付かなかったようだが。
そいつは片桐美幸という名前だった。正直第一印象は良い印象ではなかった。できるならあまり関わりたくない人種だと思った。
俺と同じことを思ったのかはわからないが、その後何回かそいつと顔を合わせる機会があっても向こうはこちらに完全に無関心だった。それでいいと思っていた。そいつとは特に関わりもなく、疎遠のまま卒業していくのだと思った。
二学期の始業式の日までは。
「この人たち、誰?」
どことなく体調が悪い様子のあいつはそう言った。さすがにかちんときた無関心にもほどがあるだろう。それにその日のあいつはいつもの得体の知れなさが無く、どこかとぼけた雰囲気だった。だから挑発してみることにした。
「へえ、俺たちのこと忘れちゃったの?」
あいつが俺を見た。その目に警戒の色が浮かんだ。それさえも珍しかった。それまでのそいつは、俺たちのことなんて眼中にないような態度だったから。
「ぼけてんじゃない?片桐サン」
さらに一歩詰め寄ると、あいつが身体を固くした。別に危害を加えるつもりはなかったが、もうちょっと揶揄ってみたいと思った。
「目覚ました方がいいんじゃないの?」
そう言ってあいつに手を伸ばした次の瞬間、俺の身体は宙に浮いていた。
「…っ!」
気が付けば、俺は廊下に仰向けで倒れていた。何が起きたのかわからないまま、何故かあいつまで俺の隣に倒れてきた。その顔は真っ青で、冷や汗で額に前髪がはり付いていた。しばらくその顔がやたら頭に残った。
その時から何かおかしいなと思っていたが、決定的だったのはその数日後の出来事だ。
「その人、知り合いなんです」
そう言ったあいつに、思わず声を出さずにバカと悪態をついた。
「だから助けます」
意味がわからなかった。俺のために喧嘩に参戦するのも、素直に俺の後についてくるのも、さらには俺のことを仲間と呼ぶのも。明らかに俺の知っているそいつではなかった。でも見目は明らかにそいつだった。やっぱり意味がわからなかった。
それからあいつは俺たちと少しずつ関わるようになった。
「じゃあ、藤谷?」
素直に俺を下の名前で呼ぶようになったり。
「藤谷も、もし助けが必要だったら言って」
当たり前のように俺を守るような言い方をしたり。
「たすけて…」
予想もできない弱々しい姿を見せたり。
「わたしは水族館に来てみたかっただけ」
あまりに無垢な素直な気持ちを口にしたり。
「仕方ないことだったから、謝ることない」
どこまでも真っ直ぐで眩しいやつだと思った。
そんな日々を過ごす中で、あいつをたまに目で追う自分がいた。あいつは何をしているんだろう、何を考えているのだろうと思う自分がいた。けれどあくまでそれは好奇心のようなもので、それ以上の感情はないと思っていた。あいつのことがよくわからないから、なんとなく追っているだけなのだと。
それは二年生の文化祭の日。
一年の時の文化祭はくだらないと思って学校には行かなかったが、今年はなんとなく行く気になった。当日は響一と空き教室でだらだらと過ごしていたが、良光が日高とあいつの担当の時間に教室に行くと言っていたので、その時間に教室に行った。
「美幸ちゃんなんだか遅いね」
「別の自販機に行ってたとか?」
教室に行くと、良光と日高がそう話していた。聞けば、あいつが飲み物を買いに行って戻ってきてないらしい。どうしたんだろうと話していると、同級生の女子二人組が教室に入ってきた。その同級生に日高が尋ねる。
「ねえ、美幸ちゃん見なかった?」
「え、片桐さん?見た?」
「さっき廊下で誰か案内してるの見たよ。第二校舎の方歩いて行ったような」
「え、第二校舎に何か展示あったっけ…」
案内?展示が無い校舎に?
ふと嫌な予感がして、俺はその女子に尋ねる。
「どんな奴案内してた?」
「え?大学生くらいの…男の人」
俺はそれを聞いた瞬間、教室から飛び出していた。勘違いであればそれでよかった。しかし、もし予感が的中したらあいつが危ないかもしれない。そう思いながら第二校舎の人通りの少ない方に駆けて行くと、どこからか声がした。
「きゃあっなに!?喧嘩?」
俺は声のした方に駆けた。そして見つけた。第二校舎裏の駐輪場で、男に馬乗りにされているあいつの姿を。その姿を見た瞬間、血が沸騰したのかと錯覚するほど身体が熱くなった。俺は走る勢いのまま、あいつにのしかかる男に飛び蹴りをした。そして解放されたあいつを引き、俺たちはその場から逃げた。
あの時のことを思い出すと、今でも肝が冷える。もっと喧嘩相手らのことを警戒しておけばよかったと後悔する。そしてこの一件でどうしようもなく思い知らされた。俺は、あいつが傷つけられているところを見たくない。悲しんでいる顔を見たくない。それくらいに、あいつの存在のことを大事に思っているのだと。
ある日を境にあいつからメールが度々来るようになった。よくわからないが俺を笑わそうとしているらしい。しかしどうにもそういうセンスはあいつにはないようだった。でもどんなメールでもあいつから送られてくることに俺は密かに喜びを感じていた。
俺は喧嘩をやめた。万が一にももうあいつを巻き込みたくなかったから。
小さなイベントごとにあいつに会うようになった。初詣、バレンタイン、ホワイトデー、あいつの誕生日。あいつが嬉しそうにしていると気分がいいし、あいつに別の男が近寄っていると不快に感じた。その日々の中で、俺は良光が日高を追いかける気持ちが少しわかってしまった。それはなんだか嫌だなあと思いつつ、あいつを想う時間は別に嫌ではないと思った。それでもあいつのことはよくわからないことのほうが多かった。
三年生になって、古城という男が現れた。
「片桐美幸のニセモノ」
古城はそう言った。頭の隅の方でなるほどと頷く自分もいたが、本人の前で言っていい言葉とは到底思えなかった。
案の定あいつは、古城の言葉にただ青くなって震えていた。しかしあいつが本物でも、偽物でも、どうでもよかった。俺が想っているあいつであることに違いはなかったから。だから、古城の言っていることはどうでもよかった。そんなことより、あいつに害をなす古城がとにかく許せなかった。
それから古城の件がひと段落して、良光にバイトの手伝いに誘われた。普段なら絶対に行かないが、あいつが来るというので仕方なく頷いた。古城の一件があってから、良光も日高も俺も、多分響一もあいつという存在を特に気にかけていた。
遊園地でのバイトは面倒だったが、行って良かったと思った。あいつがお化け屋敷で怖がる姿は新鮮だったし、浦川とかいう大学生をけん制することができたからだ。
そして三年生の夏休みに入って、ある日の夕方。
コンビニで飲み物を買っていると、あいつからメールが届いた。そこに添付されていた写真を見て俺は急いでコンビニを出て公園に向かった。
「何度同じ場面に出会っても、わたしは藤谷を助けたよ」
なんてことないように、あいつはそう言った。決意の籠った強い、それでいて優しい目だった。敵わない、と思った。その強い光にどうしようもなく惹かれる自分がいた。
「藤谷はいつもわたしに優しいよ」
そんなことを言い出したあいつに、俺は辛抱が効かなくなって思っていることをついぶちまけてしまった。
「俺は、お前が好きなんだ」
声に出して、急に不安になった。この感情を”好き”と言っていいのかを。恋愛事なんて初めてのことだったからだ。だから、最後に負け惜しみのように付け足した。
「…多分だけど」
俺の言葉を聞いたあいつは、真っ白な顔色になった。その反応は明らかに異常だった。告白された女子の顔にはどうにも見えなかった。告白されたというよりは、絶対やってはいけないことをしてしまった時みたいな。やらなきゃいけないことを、やらなくて叱られた時みたいな。焦りと困惑と、とにかくそこに喜びの感情はなかった。
俺はあいつとは結構しっかり仲良くできていたつもりだったので、その反応は堪えた。しかし同時に、あいつのことをもう少しちゃんと考えるべきだったとも思った。どうしてあいつがニセモノという言葉に怯えていたのか。少し考えればわかることがそこにあったのではないかと。
あいつは弱々しく俯いた。そんな姿が見たいわけじゃなかった。俺は言葉を探してひねり出す。
「別になんか返事が欲しいわけじゃない」
あいつはゆっくりと顔を上げた。今にも泣きそうな顔をしていた。何かを堪えた顔をしていた。何かを我慢している顔をしていた。痛々しい表情ではあったが、少なくとも嫌悪はそこに無いように見えた。
「なんとなく、お前には知っておいてほしいって思っただけだ」
するとあいつはどこか悲しそうに唇を結んだ。
「じゃ、またな」
これ以上何か言うとあいつを追い詰めてしまいそうな気がして、俺はその場を去った。公園を出て少し歩いてから、俺は振り返った。公園には両手で顔を抑えたあいつがぽつりと立ちすくんでいた。あんな辛そうな顔をさせるくらいなら言わなければよかったと夏休み中はそのことが何度も頭をよぎった。
それからあいつと会うこともなく、連絡をすることもなく夏休みが終わった。新学期の初日、あいつと顔を合わせるのを気まずく思って俺は昼休みいつもの場所に行かなかった。けれどこのまま避けてばかりじゃ良くないなと思っている中、翌日あいつが学校を休んだ。
日高曰く、古城とあいつの間にまた何かあったらしい。
許せない。そう思って古城の元に行こうとする俺を日高は止めた。俺はその真剣な顔を見て、日高の言葉に素直に従うことにした。あいつを想う気持ちは同じなのだろうと思ったからだ。
その日の夜、あいつからメールが返ってきた。
”いろいろとごめん。明日ちゃんと話すから”
別に何も謝ることはないと思ったが、あいつのしたいようにすればいいとも思った。俺は簡潔に返事をした。
話すことであいつが少しでも楽になるならそれでいい。あいつが何を言っても受け入れるつもりでいた。
それなのに。
あいつが事故にあったのを聞いた。
それを聞いた瞬間、頭が真っ白になって何も考えられなくなった。心臓が冷えて、そのまま止まるんじゃないかと思った。あんな思いをするのは二度とごめんだ。
その後、日高からあいつが一命を取り留めたが目を覚まさないことを聞いた。
「…」
「藤谷、顔色悪いぞ」
「あぁ…」
あいつが眠りについた一週間、ろくに眠れなかった。それはまだよかった。何より嫌だったのは、限界が来て意識が途切れた時だ。
夕焼けの観覧車の中、あいつは笑って俺を見た。
「藤谷」
もう聞き慣れた声と言葉。そしてあいつは悲しそうな顔をして、こう言った。
「ニセモノでごめんね」
あいつはそんなこと言ってないのに。
「ばいばい」
「待て!」
俺が手を伸ばすと、あいつはオレンジ色の光となって消える。
学校に行くとあいつのことをみんな知らないと言う。存在が無かったことになっている。
「藤谷」
呼ばれた気がして振り返ると、あいつの姿があって俺は慌てて駆け寄る。
「わたし、元いたところに帰るよ」
「どこに!」
「ここからはすごく遠いところ」
そしてまたあいつは悲しそうに笑う。
「わたしは、莉子と藤谷と入船と青葉とこの世界をわたしとして生きてみたかった」
「生きてるじゃねぇか!今!」
あいつは静かに首を振る。
「わたしはニセモノなんだよ、藤谷」
そして俺を見つめる。
「わたしなんか、好きになんてならなきゃ良かったね?」
そんな夢を、何度も見た。
「……くそっ」
俺は起き上がり、自分の髪をかき回す。夢でもあいつにあんなことを言われたくなかったし、あんな顔を見たくなかった。だから、寝るのが嫌だった。
日高に見舞いに行かないかと誘われたが、見舞いになんて行けなかった。寝てる姿を見てしまったら何かが折れてしまいそうだったから。
あの日々がもう少し長かったら俺は狂ってたんじゃないかと思う。ストレス発散で喧嘩をまたいつ始めるかもわからなかった。あいつを事故にあわせたやつに復讐にでも出かけていたかもしれない。
”美幸ちゃんが目を覚ましました!”
それは日高から届いたメールだった。俺と良光、響一に向けて一斉に送ったようだった。
「……はあーーー」
俺はメールを見て、深くため息をついてその場にしゃがみ込んだ。随分長く息をしていなかったような、そんな錯覚を覚えた。目に雫が溜まって、俺は顔を抑えた。泣いたのなんて、もう何年ぶりかわからなかった。
日高たちとあいつの見舞いに行った。あいつはあいつのままで、俺はホッとした。夢のようにあいつがどこか遠いところに行ってしまって、昔のそいつのようになっていたらどうしようかと思っていたからだ。
それからあいつは今まで秘密にしていたことを俺たちに話した。俺がかつてみたそいつは、異世界の人間だったと言う。
俺は密かにそいつに感謝した。そいつのおかげでおれはあいつに出会うことができたから。
それから古城の件を片付けたり、受験があったり、残りの高校生活はあっという間に過ぎ去っていった。あいつからは告白の返事は特にないまま、卒業を迎えようとしていた。返事がいらないなんて言わなきゃよかったと少し思ったりもした。しかし、急かすのも違うと思った。あいつが今の日々を懸命に生きているのは見ていて良くわかった。
そんな卒業式まで残り数日となったある日。
「俺、やっぱり日高さんに告白しようと思う」
俺と響一は良光の言葉を聞いてそれぞれ呟いた。
「ようやくか」
「とうとうだね」
「……ど、どうなると想う?」
良光は情けない顔をして俺たちに尋ねた。
「知らん」
「同意」
「お前ら、もうちょっと俺を応援して良くないか?」
そんなこと言われたって、日高が良光をどう思っているかなんてわからない。
「まぁいいけどな…」
良光はやれやれとため息をついて、俺を見た。
「藤谷は?」
「なにが」
「いつからか片桐美幸と仲良いじゃん。実際どうなの?」
本を読もうとしていた響一がこちらに目を向けた。
「…………………」
俺は適当にごまかそうかと思って口を開きかけたが、別にごまかさなくてもいいかと思い直した。良光と響一に伝えたところでどうとなることでもない。良光は口が軽いほうだが、他の奴らに知られたところで何も起きないだろう。
「俺はもうした」
「え?」
良光が首を傾げた。察しの悪いやつだなと心の中で呟くと、響一が口を開いた。
「告白を、ってこと?」
察しの良いやつだ。響一の言葉を聞いて、良光が目を見開いた。
「ええっ!!!!」
「うるさい」
「え!それどうなったんだよ!返事は?!振られたか?」
俺は良光を睨みつける。
「返事はまだ」
「まだ…?」
「それ以上のことはない。この話はこれで終わりだ」
すると良光が俺を同情的な目で見てきて、肩をぽんと叩いた。
「そうか…まぁ気に病むなよ」
「やかましい」
俺は良光の手を払いのける。すると響一が呟いた。
「告白されて返事をしないなんて、なんだか片桐さんらしくないね。実は藤谷が返事はいらないとか言ったんじゃないの?」
「…」
察しが良すぎる。俺は響一から目をそらした。良光が愉快そうに笑った。
「なんだよ!カッコつけやがって」
「うるせぇ」
「やっぱり返事ほしいって言ったら?」
「響一まで…」
響一は静かな目で俺を見る。
「せっかく片桐さんはこの世界にいるのに」
その言葉にやや引っかかりを覚えたが、響一はいつも通り穏やかに微笑んだ。
「欲しくないの?返事」
「……………そりゃ」
欲しくないことはない。あいつが俺のことをどう思っているかなんて、気にならないわけがない。
「まあ藤谷がなにか言うより先に片桐さんが言ってくれるかもね」
「…なんでそんなことわかるんだよ」
「僕の知る片桐さんは人の気持ちに対して不誠実なことはしないと思うから」
俺は何も言えなくなって、黙るしかなかった。
「そんな片桐さんが、好きなんじゃないの」
真っ向から言われるとなんだか居心地が悪い。
「…もういいだろこの話は」
「そうだぞ、次は俺の告白の計画を聞いてくれよ」
「それは別に…」
「おい!」
それから俺は卒業式の当日に無事にあいつから返事をもらうことになったわけだが、高校生活の最後まであいつがやること言うことには驚かされてばかりだった。
そう、初めて会った時からあいつは本当によくわからない奴だった。多分きっとこれからもそうなんだと思う。
でもそれで良い。
そんなよくわからなくて、でも真っ直ぐで、強いと思ったらたまに弱くて、眩しいくらいに純粋なそんなあいつが……いや、もうあいつって呼ぶわけにはいかないか。
そんな美幸のことが、俺は好きだ。




