わたしがしたいこと①
数日後。検査の結果特に身体に異常が見られなかったため、わたしはめでたく退院となった。両親と一緒に家に帰り、わたしは玄関をくぐる。
「ただいま」
数日ぶりの家だったが、何年も長い旅路からようやく帰ってきたかのようなそんな気分だった。部屋に入って、わたしは息をつく。今まで他人の部屋だと思っていた場所が自分の部屋だった。そんな不思議な気持ちで、わたしは机の上を眺める。もう伝言のつもりで書いていたメモ書きは必要ない。
わたしはそっと引き出しを開けて、二冊の日記帳を取り出した。一冊はわたしの。もう一冊の錠付きのものは××のだ。錠は三桁の数字を正しく揃えると開くようになっているはずだ。その三桁の数字とは。
ーーヒント!はじまりの日。
「……はじまりの日」
病院で考えてみたが××のヒントは、××にとって何かが始まった日だという意味だと思った。それは恐らく、××が美幸として生活を始めた日。わたしと××が入れ替わった日。わたしが四歳の時、高熱を出した日。
ーーこの誕生日パーティーの一週間後に美幸ちゃん熱出して救急車で運ばれたのよ。
わたしの誕生日の、3月27日の、一週間後。
”403”
カチリと小さな音がして、錠が開いた。
「…開いた…」
わたしは少し緊張しながら、錠を日記から外す。表紙をそっと撫でて、それをそっと開いた。
日記の一ページ目に、少し幼い字でこう書かれていた。
****年**月**日
この日記を美幸の両親が買ってくれた。いつか本当の美幸にこの身体を返した時のために、日常のことを書こうと思う。本当の美幸は私の身体にいるはずだ。どうか無事でいてほしい。私の身体が死ぬことには抵抗はないが、身体を失った魂は長くはもたない。そうなったら取り返しがつかない。本当の美幸があちらで死んでしまう前に、なんとしても果たさなければ。
「………」
日付を見るに、小学生の頃の××が書いたものだ。
日常の出来事を綴る中に、わたしと接触するために試行錯誤している様子が見て取れた。
****年**月**日
夢を見ている状態であれば、霊術に近いものが使えることがわかった。
****年**月**日
本当の美幸との接触に失敗した。何か条件があるようだ。
****年**月**日
本当の美幸への接触が成功した!彼女はまだ生きている。
****年**月**日
あちらの世界との接触が安定してきた。そろそろ入れ替わりの術を試してみてもいいかもしれない。しかしそのためには、本当の美幸にこちらの世界に来たいと思わせないといけない。彼女は完全に私になりきってしまっている。
****年**月**日
明日は始業式だが、身体が熱っぽい。これはもうすぐ本当の美幸と接触ができそうだ。次こそ元に戻ることはできるだろうか。
日記はそこで終わっていた。この日の夜にわたしと××は入れ替わりを行い、お互い元の世界に戻ることができたのだ。
「…ありがとう」
わたしは呟いた。やはりわたしは××のことは恨めない。たとえ原因が××の霊術にあったとしても。だって××はずっと諦めないでいてくれてた。わたしをこの世界に帰そうとしてくれていた。日記を読んでいると、もう一度顔を合わせて××と話がしたくなった。しかしそれは叶わない。もうお互いの声は二度と届かない。それはやっぱり、寂しいと思った。
翌日、わたしは無理をしないようにと言いつけられたうえで学校に久しぶりの登校をすることになった。
「美幸ちゃん、おはよう!」
「おはよう、莉子」
莉子が家まで迎えに来てくれた。
「体調は?」
「全然平気。むしろ早く身体動かしたいくらい」
わたしの言葉に莉子はおかしそうに笑った。莉子はあの日と同じように、わたしの手を取って歩き始めた。
今日も通学路は何も変わりなく、道行く人も変わりなく、そこには普通の日常があった。
事故があった交差点で、わたしたちは足を止める。赤信号だった。
「……」
莉子は何かを警戒するように、車が行き交う道路からかなり離れた歩道で立ち止まった。わたしもつい、辺りを見渡す。しかしあのフードの男は、もういない。
病院で両親から聞いたところによると、莉子を道路に突き飛ばしたのは文化祭で喧嘩した男の一人で間違いないようだった。文化祭でわたしに負けた腹いせに、莉子を狙ったと警察で自供したらしい。どんな罪になるかはこれから決まる。謝罪が欲しいなら要求することができると両親に言われたが、わたしは要らないと伝えた。謝罪をしてほしいのは莉子だとも。
信号が青になった。わたしと莉子は横断歩道を渡る。
あの男に対しての感情はそれ以上は特に湧かなかった。わたしがこちらの世界に戻るきっかけを作ったのは彼のおかげでもあったが、彼が馬鹿なことをしたことには変わりがない。この世界のルールに従って適正に裁かれ、更生してくれと思った。でもそこにわたしは介入する気はもうない。それがお互いのためだろう。
そんなことを考えていると、いつの間にか学校に到着した。門をくぐって校舎に入り、廊下を歩いていると何人かから声をかけられた。
「あっ片桐さんだ!おはよう!もう大丈夫なの?」
「おはよう、うん。大丈夫」
「片桐じゃん!おはよ~」
「おはよう」
わたしが事故にあったことは、クラスメイトたちに先生から教えられたらしい。そしてそこから同級生たちにその話が密かに広がったようだ。だから、わたしのことを知っている人は気遣って声をかけてくれているみたいだ。
「じゃあ美幸ちゃん、また昼休みにね」
「うん」
教室の前で莉子と別れる。教室に入ると、クラスメイトたちがやってきて朝の挨拶とお見舞いの言葉をくれた。
「ありがとう。身体は大丈夫」
気遣いに有難く返事をしていたら、教室に古城が入ってくるのが見えた。その姿を見た瞬間思わず身体が固まったが、古城はわたしの姿を認めた後興味なさげに視線を反らした。
「……?」
今までの冷たい視線や挑発的な視線とは全く違い、わたしは内心首を傾げる。その後も古城からの視線は感じることがなかったし、すれ違っても全くこちらに目を向けなかった。言葉こそ交わしていないが、わたしへの興味はもう微塵もないとその態度が言っているようだった。
昼休みになると、教室に莉子が迎えに来た。驚いたのはその後ろに入船、藤谷、青葉がいたことだ。
「全員で来たの?」
「廊下で会ったから。連れてきたの」
莉子は満足げに笑った。
「行こう、美幸ちゃん」
わたしは莉子に手を引かれて、教室を出た。その時に横目で教室に残る古城の様子を確認したが、彼は参考書に視線を落としてこちらを見向きもしなかった。
中庭に出ると、日差しはまだ少し暑いくらいだった。中庭のいつもの場所に腰掛け、わたしたちは昼食を取る。
「…」
お弁当に箸を伸ばしながら、どこから話を切り出そうかとわたしは視線をうろうろとさせる。すると、莉子が口を開いた。
「美幸ちゃん、体調は大丈夫?」
「うん。なんともないよ」
わたしは頷く。すると入船が笑った。
「無理するなよ」
「うん」
次は藤谷が口を開く。
「古城のやつには何も言われなかったか」
みんなの視線が一気にわたしに集まる。
「うん…理由はわからないんだけど、今の古城は全くわたしに興味が無いみたい。こっちを見向きもしないし、目も合わないし声もかけられない」
「えぇ?」
莉子が眉を潜めた。
「あんなことしておいて?」
「何もしてこないならそれで越したことはないんじゃないか」
入船の言葉に、莉子がむうと唇を尖らせた。
「まぁ…そうなんだけど」
古城の話になったことを好機だと思い、わたしは意を決して口を開く。
「その件なんだけど、古城は…古城が、全部悪いわけじゃないんだ…」
莉子が困った顔をして、藤谷が眉を潜めて、入船が首を傾げて、青葉はただ視線をこちらに向けた。わたしは真っ直ぐみんなを見る。
「古城は見抜いてただけなんだ。この片桐美幸という身体の中身が、入れ替わってたことに」
そう口にすると、心臓がどくどくと大きな音を立てて鳴っているのがわかった。わたしは自分の手を握りしめて、一言一言慎重に告げる。
「わたしが今から話すことは、みんなにとっては現実味のない話だと思う」
それでも話さなければならない。話したい。聞いてほしいと思っている。
「…わたしは、四歳から高校二年の始業式の日まで異世界のある人と入れ替わっていた」
改めて言葉にすると、やはりどこかの創作された物語のようだなと思った。
「異世界…」
青葉がその音を確かめるように呟いた。
「入れ替わった原因は事故みたいなものなんだけど、わたしはつい数日前まで自分自身がその異世界の人間だと思い込んでいた」
真剣な顔をして話を聞いていた莉子が、ゆっくりと口を開く。
「…今の美幸ちゃんが異世界にいた間にこっちの美幸ちゃんの身体にいたのが、その異世界の人ってこと?」
「そう」
わたしは頷いた。
「その人は、片桐美幸という人間が四歳から高校二年になるまでわたしの代わりにその人生を生きてくれた」
わたしはさらに付け加える。
その人は、異世界の人間だと思い込んでいたわたしを片桐美幸の生活を送らせることによって、片桐美幸としての記憶を呼び覚まそうとしていたこと。
わたしは、高校二年の始業式の日からつい先日目覚めるまでは片桐美幸という人間をただ演じていたつもりだったこと。
事故をキッカケにわたしは自分が片桐美幸であることを思い出し、お互いがもとある場所に戻ったということ。
古城はその入れ替わりを察知して、わたしに絡みに来ていたこと。
「…そういうことなんだ」
みんなの目がわたしのなんとか話を飲み込もうと揺れていた。
「ずっと黙っていて、ごめんなさい」
沈黙が下りた。みんなは何を思っているのか、何を言うのか。張った空気を静かに破るように、青葉がぽつりと呟いた。
「その異世界は、どんなところなの」
わたしは青葉を見る。青葉の目には、純粋な好奇心が見えた。わたしは向こうの世界を思い浮かべる。
「この世界とは随分様子が違ってて、大地はどこまでも緑はなく荒廃していて、そこに生きる人々はずっと自分の生きる場所を守るために戦っているような…とにかく荒れた環境だったよ。食べ物も飲み物も足りていなくて、もちろん学校なんかも存在していなかった」
「…戦うって…美幸ちゃんも?」
莉子が目を丸くした。
「そう。わたしは後衛が多かったからそんなに激しい戦闘はしなかったけど。あと向こうには霊術っていう魔法みたいなものが存在していて…異世界のその人はその霊術の使い手だった」
「へえー」
入船の気の抜けた相槌で空気が柔らいだ。
「向こうの世界は、ただ生きることさえ大変なところだった。こちらに来たときはその差に驚いたよ」
莉子が悲しそうな顔をする。わたしは慌てて付け加える。
「でも悪いことばかりじゃなかったよ。仲間がいたし、笑顔でいる日だってあった」
「……そっか」
莉子が切なそうに微笑んだ。そして少し気を取り直したように明るい声を出した。
「ね、その異世界の人の名前は何て言うの?」
「あー…」
「どうしたの?」
「いや、多分みんなには聞こえないかも」
「え?」
みんなが首を傾げた。わたしは口を開いた。
「××」
わたしの口から出た言葉は意味のない音となって霧散していった。それを聞いた莉子たちが顔を見合わせた。
「一音目、ソだった?」
「え?イじゃね?」
「……わからん」
「…異世界の言葉ってそういう感じなんだ」
莉子、入船、藤谷、青葉がそれぞれ呟く。××の名前は、やはりこの世界では発音することができないようだ。
「美幸ちゃん、も、もう一回言って…?」
悔しそうに莉子がそう言うので、もう一度名を口にする。
「××」
すると莉子が絶望的な表情で頭を抱えた。
「うっ…わかんない…!!」
「不思議なもんだな」
一方で入船が何故か感心したように呟いた。
「そういうわけで、こっちではあの人の名前呼べないんだ」
そう言うと、俯いていた莉子がはっと顔をあげた。
「じゃ、じゃあ!呼び名、あたしたちで考えちゃだめかな」
「呼び名を?」
「そう。この話をするたびに異世界のあの人って呼び方するのは…なんか嫌じゃない?」
そう言われると確かにそうかもしれない。しかしこっちで本当の名前が呼べないからと新しい呼び名を考えるなんて考えたこともなかった。
「うん、いいんじゃないかな」
「やった!」
莉子が嬉しそうに笑って、わたしに尋ねる。
「じゃあ……そうだ、その人って向こうの世界ではどんな見た目なの?」
「えっと…黒髪で…目の色が…茶色みたいな…向こうの世界の空みたいに濁った色だよ」
わたしの言葉に、青葉が首を傾げる。
「向こうの世界の空はこっちとは違うの?」
「うん、そうなんだ」
そうか、これもみんなに言ったことはなかった。わたしは青い空を仰ぐ。
「向こうの世界の空はいつも茶色みたいな泥みたいな色で濁っていて、こっちみたいに青く透き通る瞬間なんてない」
「朝も昼も夜も?」
「うん。朝も昼も夜も」
「そっか、だからよく空を見てたんだ」
莉子が納得したように呟いた。
「あの人も、美幸ちゃんも」
「なるほど」
青葉も同調するように頷く。
「こっちの青空が珍しかったんだね」
「……うん」
青い空が興味深いのは××もやはり同じだったようだ。すると、莉子がぽんと手を叩いた。
「じゃあソラさんていうのは?」
「空?」
「うん。向こうの空の色と同じ色の目なんでしょ?その人」
「なるほど。ソラ…ソラさん…」
なんだか不思議な響きだと思った。××はどう思うだろう。こちらの世界でソラさんと呼ばれるようになったと言ったら。なんとなく苦笑いが脳裏に浮かんだ。しかしそれを確かめる術は、道は、もうない。
「わたしはそれでいいと思うよ」
わたしの言葉の後、莉子が入船たちを見た。
「俺たちは日高さんたちに従うよ」
入船の言葉に藤谷と青葉が頷く。莉子が嬉しそうに笑った。
「じゃあこれからは、ソラさんって呼ぼうね!みんな!」
和やかになった空気の中、わたしは少し戸惑いを感じて思わず尋ねた。
「名前はそれでいいけど、みんなわたしの話信じてくれたの…?」
一番に返事をしたのは莉子だった。
「もちろんだよ!美幸ちゃんの言うことをあたしが疑うわけない」
次に入船。
「現実味は確かにないけど、特に疑う意味もないしな。信じるよ」
さらに藤谷。
「お前の言う事なら」
最後は青葉だ。
「僕はもっと異世界の話が聞きたい。事実は小説よりも奇なりって言うし」
みんな疑いもせず信じてくれた。わたしは胸がいっぱいになりながら、頭を下げる。
「ありがとう」
ずっと騙していたのに。本当のことを隠していたのに。
「あと、わたしずっと言いたかったことがあって」
今なら言える。息を吸って、胸を張る。
「莉子、入船、藤谷、青葉と一緒にいれて、わたしは幸せだった」
莉子が唇を強く結んだのが見えた。
「もしみんながいなければわたしはこの世界に戻ってくることもできずに、あの人…ソラさんは後悔で苦しんでいたと思う」
そのつもりが無くとも、わたしとソラさん、両方を救ったのは他でもないここにいる莉子たちだ。
「本当にありがとう」
すると莉子が小さく呟いた。
「過去形じゃないよ」
莉子は潤んだ瞳で、わたしを見ていた。
「美幸ちゃんは、これからずっと幸せになるんだよ」
莉子につられて涙が浮かびそうになりながら、わたしは笑って頷いた。
「うん。ありがとう」
それからわたしは尋ねられるままに異世界の話をしたり、美幸のふりをしていた時のことを話したりした。
わたしが思ったことを、言いたいことをそのまま伝えられることがただひたすらに嬉しかった。




