本当の美幸②
誰かに呼ばれた気がした。
目を開くと、青空が目に入った。これは夢だろうか。それとも死後の世界か。そんなことをぼんやりと思いながら身体を半分起こした。
「…?」
何か不思議な感覚があり、身体を触る。
「…美幸の身体だ」
そしてその瞬間、先程思い出したことを思い出した。額を抑えながら、わたしは呟く。
「……わたし、わたしが、……美幸……?」
「そうだよ」
背後から聞きなれたような、聞きなれない声がして、わたしはそちらを振り向いた。しかし誰が立っているかはもうわかっていた。
「思い出した?美幸ちゃん」
そこには××の姿をした人が立っていた。それは今までのわたしの姿だった。しかし、今はそれが違うのがわかる。わたしは××じゃなかった。だからこの人は。
「………××?」
「そう。私が本当の××。少し長い間、美幸の姿を借りていた者」
澄み切った青空のように、××は晴れやかな顔をしていた。
「そしてあなたが、本当の美幸」
わたしはゆっくりと立ち上がる。それと同時に、××が荒れた地面に跪いた。
「え?」
「この度は本当にすまなかった!」
突然の謝罪にわたしは困惑して慌てて××に手を伸ばす。
「いやちょっと待って」
「いや真実を明かせたらこうすると決めてたんだ」
「そうなの?…みゆ…いや、××がそうしたいなら…そうしたらいいけど…」
姿は××とはいえ、わたしは今までこの人のことをずっと美幸だと思っていたので、つい美幸と呼んでしまいそうになる。わたしは××の頭を見下ろしながら、まあいいかと息をついた。
「そっちの気が済んだら顔をあげてよ。話したいことがたくさんある」
するとわたしの声を聞いて、××は素早く顔をあげた。
「私もあるんだ!話したいこと」
それを聞いてわたしは笑ってしまう。そして××の隣に腰を下ろした。
「じゃあいいじゃない。話そうよ」
「……そうだな」
××は薄く笑って、膝を立てて座った。わたしはさっそくそんな××に尋ねる。
「なんか口調変わった?」
「こっちの身体だと慣れた口調になっちゃうんだ」
「美幸の時は無理してたってこと?」
「まあ…そうだな」
××は苦笑いをする。
「とにかく警戒心を与えないようにしないといけなかったから」
「…わたしに?」
「そう」
確かに初めて美幸と夢で会った時、かなり警戒をしていた気はする。しかし美幸の人懐っこい性格と軽快な会話にやがてそんな気もなくなったのだ。
それから××はまずどうして××と美幸が入れ替わることになったのかという説明をしてくれた。
考えられる要因は三つ。
一つ目は、××の転移の霊術が暴発したことで××の世界と美幸の世界が繋がってしまったこと。
二つ目は、霊術が暴発したその時に美幸が高熱を出していて身体と魂の結びつきが揺らいでいたこと。
三つ目は、××と美幸の魂がとても似ていたこと。
この三つが偶発的に重なり、××と美幸の中身が入れ替わるという結果が起きたのだという。
「こっちに戻ってきたとき、長に聞いたんだよ。転移の霊術で異世界に行くことはあるのかって」
「え、長まだ生きてるんだ」
「ああ憎たらしいくらい元気だよ。やっぱしぶといよな。そしたら、大昔に転移の霊術に失敗してこの世界から消えたやつがいたんだと」
「初耳だ…」
「だろ?それ先に言っておいてくれよって思ったよ」
しかし転移の霊術を使うのは日常茶飯事だ。本当によっぽどのことがない限りその事象が起こるとはなかったんだろう。
「今回もただ私が失敗しただけなら、私が美幸の世界に来ただけだけで入れ替わりはなかったのかもしれない」
××はどこか遠い目をしながら語る。そしてわたしに向き合って再び頭を下げた。
「美幸には本当に申し訳ない。四歳から高校まで私がその人生を消費してしまったこと」
消費だなんて随分な言い方だ。わたしは首を振る。
「きっかけは××の霊術だったとしても、これは事故だったんだ。仕方がないよ」
美幸は頭を下げたまま、さらに続けた。
「あと感謝もある。あんな世界で××として生きてくれててありがとう」
××の話によると、わたしは四歳に××の世界に前線として放り出されたことになる。その時仲間たちは霊術の失敗による記憶喪失だと判断して、霊術で××の記憶を補填したと聞いた。それからなんとか××として生きてこられたが、確かにそう言われればなかなかすごいことをしていたのかもしれない。
「…それは、どういたしまして」
わたしが素直にそう言うと、××はようやく顔をあげて微笑んだ。だからわたしも××を真似して軽く頭を下げる。
「××も、美幸として生きていてくれてありがとう。あと、元に戻そうとずっと頑張ってくれて」
すると、××の顔がくしゃりと歪んだ。××は耐え切れないように、片手で目元を覆う。今まで自分だった人のそんな顔を見るなんてなんだか不思議な気持ちだった。
「…そんなこと言ってもらえる資格なんてないんだ…私は…」
その声は少し震えていた。じっと見つめるのも無作法かと思って、わたしはそんな××からそっと目を反らして空を見上げた。空は青い。美幸の世界の空の色だ。
わたしはぼんやりと考える。自分が美幸だったことは頭では理解できる。しかし実感はまだ正直なかった。この夢から覚めたら美幸として生きていくことになるのか。そこでわたしははっと思い出す。
「そういえば、わたし事故に遭って眠ってると思うんだけど大丈夫かな」
するとその言葉に驚いたように××が顔をあげた。
「事故?何があったんだ」
「あー…それも結構いろいろあって…」
今度はわたしが説明する番だった。古城のこと。事故のこと。
「魂の入れ替わりに気付く奴がいるのか!」
わたしの話を聞いて、××はそこに心底驚いたようだった。やはり古城の感覚はかなり凄いようだ。
「そんなことになっていたなんて思いもしなかった。大変だったな」
そして事故のことはまあ大丈夫だろうと口にした。
「この霊術は夢渡りだ。死んでたら夢も見ることができないだろ。だから今はまだ美幸は生きているってことだ」
「なるほど…」
「それと魂が正しい身体にようやく戻ったんだからその結びつきは強いはずだ。美幸の世界の医療は発達しているし、なんとかなったんじゃないか」
××の言葉にわたしは胸をなで下ろした。
「それならいいけど…」
××はそんなわたしを見て、唇を歪める。
「にしても皮肉なことだな。恐らくその事故が美幸の自意識を駆り立てるきっかけになったんだろう」
「え…」
「事故に遭った時、美幸の世界で生きたいと願ったんじゃないか?」
確かに、思った。
「それでようやく美幸の魂が目覚めたんだろう。美幸の中にずっと眠っていた、美幸そのものの魂が」
どこかで聞いたあの花火のような音は、もしかして目覚めの音だったのだろうか。雛が卵の殻を割るような。
「だから、美幸は昔の記憶を思い出した。××として過ごしている間に忘れてしまった、美幸としての記憶をね」
あの記憶は、わたしがずっと持っていたものだったのか。
「…美幸を美幸の世界に少しでも長くいさせようとしたのは、その間に美幸の魂が目覚めないかと思ってのことだった」
「…手っ取り早く、会ってすぐに教えてもらうことはできなかったの?」
「それはできなかったな。拒否感っていうのは強い力だ。何も知らない美幸にいきなり話をして強い拒否反応を起こされたら夢で会う事さえ叶わなくなる可能性があった」
確かにそうかとわたしは頷く。だって最初に美幸の姿の××に会った時はめちゃくちゃ警戒していたし、いきなりお前は美幸という別世界の人間だって言われても理解できなかったし、さらに警戒していた可能性がある。
「…本当に手探りの日々だった」
××が遠い目をして呟く。
「でも良かった。冬になる前に美幸が目覚めてくれて」
そういえば最後に会った美幸の姿の××は冬が来るまでにはと言っていた。
「冬に何かあるの?」
すると××はやや気まずそうに、口を開いた。
「…実は美幸の世界で冬頃に、こちらで大規模の作戦が行われることに決まった」
「えっ」
「戦況は明るくはないが、それでもやらなきゃいけない作戦だ。それまでに、なんとかならないかと祈りを込めて冬と言っていた」
そして××はわたしを見て笑う。
「結構美幸も美幸の世界を気に入ってたみたいだったし、あと一押しって思いもあったよ」
なるほどと思ってわたしは頷く。しかし大規模作戦かとわたしは内心で呟く。中規模の作戦には参加したことがあったが、それでも味方に多数の死者が出ていた。
「…」
大丈夫なのだろうかと、そんな思いで××を見るとこちらの思ったことを見透かしたように笑った。
「なあに、なるようになるさ。私は私の使命を遂行するのみだ」
わかっているつもりだ。わたしもそちらの世界でそう短くない期間生きてきたのだ。××は慰めるように、わたしの頭に手を乗せた。
「これからは美幸は、そっちで美幸としての生をまっとうしてくれ」
そう。これは心配しても仕方がない問題だ。わたしは微笑んで、××を見た。
「わかった。××も、生をまっとうしてね」
「もちろんだ」
わたしと××はお互い拳を突き出し、それを合わせた。かつてわたしの手だった××の手は、美幸であるわたしの手より随分大きかった。
「他に言っておきたいことや、聞いておきたいことはないか?これが最後だぞ」
その言葉にわたしは目を丸くする。
「これからもう夢で××とは会えないの?」
すると××は苦笑いを浮かべた。
「そりゃそうさ。魂が元の場所に戻ったんだから、もう夢渡りは必要ない。多分、出来なくなるんじゃないかな。繋がりもこれで途切れるだろうから」
「そ、そっか」
「少なくとも私は、もう二度と会うのはごめんだね」
冗談めかして××が笑う。しかしわたしが神妙な顔をしているのを見て、眉を下げた。
「そんな顔するな。これが正しい形なんだ」
「…うん」
「ほら、最後に誰かに言っておきたいこととかないのか?」
「え…」
わたしは少し考えて、一緒に過ごしてきた仲間たちの顔を思い浮かべた。
「…じゃあ隊長と仲間に、長い間お世話になったと伝えておいて」
それを聞いて、××は少し嬉しそうに笑った。
「伝えておく。あいつら美幸のことめちゃくちゃ気に入ってたからきっと喜ぶよ」
「…××は?」
「ん?」
「目が覚めたら、入れ替わりのことを…莉子たちに話そうと思ってる」
これはもともとそうしようと思っていたことだ。伝えることが少し増えたけど。
「××が莉子たちに伝えたいことはない?」
すると××の視線がふと揺らめいた。莉子は美幸の姿をした××のことを慕っていた。それはこの数か月で身に染みてわかっている。その莉子になんとか××の言葉を伝えたいと思ったのは、わたしの勝手な気遣いだ。
「……そうか…そうだな…」
××はそう呟いて、考えるように俯いた。少しして、××は口を開く。
「…じゃあ莉子に」
わたしは黙って頷く。
「……お前の愛をなめていて悪かった」
謝罪から始まったので少し面食らう。
「それと、感謝してる」
××はさらに続ける。
「あと青葉に」
青葉の名前が出てくるとは思わなかったので、これまた面食らう。
「おすすめしてくれた本は全部面白かった」
その言葉からわたしの知らないところで、二人は交流をしていたことが伝わってきた。
「感謝してると」
××と青葉がかつてどんなやりとりをしたのか気にならないわけではなかったが、そこを深く聞くのも無粋に思えた。
「わかった」
「頼んだ」
すると、ああそうだと××が付け加えた。
「あと美幸の両親には本当に感謝してるが、入れ替わりのことは話さない方がいいかもしれない」
××は自嘲気味に微笑む。
「本当は私自身から直接話して謝るべきなんだろうが、そんなことは叶わないからな…実の娘が入れ替わっていたなんて話、理解できるかはともかくショックが大きいだろうから」
「…うん」
わたしは大人しく頷いた。わたしも両親に変なショックは与えたくない。ただでさえ事故に遭ったのは事実なのだから。
「その代わり、しっかり親孝行してくれよ」
「任せてよ」
柔らかく微笑んだ後、××は眉を下げて少し俯いた。
「本当は美幸にも、もっと身を尽くして償いたかった」
風に吹かれれば消えてしまいそうな声だった。××はずっと悔いていたのだろう。わたしと××が入れ替わってしまった原因を作ってしまったことを。しかし事故は仕方ないことだし、入れ替わりも意図しないものだったから別に××が全て気負わなくてもいいと思った。それに、全部が悪いことばかりではなかった。それをちゃんと伝えておく必要があると思って、わたしは口を開く。
「…××のおかげで、わたしは××の世界を知ることができたよ」
わたしの言葉に、××はゆっくりと顔をあげる。
「普通に生きてたら知れなかったことを知れた」
自分が生きる世界と別の世界があることを、身を持って知れた。それは、××が償うことじゃない。
「××に出会えて、わたしは良かったと思うよ」
××の眉が情けなく下がった。
「だから、あんまり自分を責めないでね」
××が再び俯く。そしてぽつりと呟いた。
「…ありがとう……」
わたしは微笑んで、首を傾げる。
「…××は?」
「え?」
「××にとっては、みゆ…わたしの世界を知れてどうだった?」
××が顔をあげて目を丸くする。そして唇を歪めた。
「最高だったよ」
「それはよかった」
わたしと××は顔を見合わせて静かに笑った。
「でもこれで終わりって思うと、やっぱり寂しいね」
そう言うと、××は首を振る。
「終わりじゃないよ。これは始まりだ」
しかしすぐに首を傾げた。
「…いや、始まりもちょっと違うか」
晴れ晴れとした表情で××は言った。
「これは続きだ。ただ、私たちは私たちの人生の続きを再び始めるだけ」
寂しいことではないのだと、喜ばしいことなのだと言い聞かせるような声音だった。
「うん。そうだね」
××が空を見上げる。黒髪が青空に揺れた。
「そのための、本当のさよならだ」
××がそう言うやいなや、空が、地面が、花が散るように静かにほどけ始めた。わたしの身体も細かい花びらとなってさらさらとほどけていく。不快感はなかった。むしろ、暖かい何かに包まれているような不思議な感覚だった。ふと顔をあげると、××の身体も、同じようにほどけていくのが見えた。散っていく空を眺める××のその顔は、満足そうな微笑みをたたえている。
夢が終わる。
お互いの身体が全てほどける前に、空と地面が無くなった。そこにあるのは何もない白っぽい空間だ。周囲が何もなくなって、××はこちらを見た。もう身体は半分以上花びらとなって消えていた。××は口を開いた。
「さよなら、美幸ちゃん」
いつも別れのあいさつは”またね”だったのに。どうしても拭えない切なさと共に、わたしは微笑んだ。
「うん。さようなら、××」
それを言い終えると、何も見えなくなった。けれど不思議と安心感に包まれていた。そしてふと眠りに誘われるような感覚を覚えて、わたしの意識は遠くなった。
最後に、××の呟く声が聞こえた。
「ありがとう。私の美しい幸せ」




