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美幸じゃないということ③


言った。


「ようやく認めたね」


言ってしまった。


古城は清々しく笑って、制服のポケットから携帯を取り出した。そしてその携帯を、ボタンを何も押さずにそのまま古城の耳に当てた。


「だ、そうだよ。聞こえた?日高さん?」

「……は?」


今、古城は、何て言った?その電話は、誰に繋がっている?


遠くで誰かが廊下を走る音がした。段々近づいてくるその足音はこの教室の前で止まり、すぐに教室の扉が開く音がした。


「…はっ…」


その人は走ってきたから息が乱れている。振り返るまでもなかった。違う、怖くて振り向くことができなかった。息遣いでわかった。


莉子だ。


「……………美幸ちゃん」


莉子の震えた声に呼ばれた。


「…………」


身体が固まったように動かない。それなのに心臓がひどく早く鼓動を刻んでいる。


「今の…話…」


振り絞るような莉子の声を聞いて、これ以上莉子の存在を見て見ぬふりもできなくなった。わたしは強張った身体を無理矢理動かして振り返る。そこには硬い表情の莉子が携帯を握りしめて立っていた。わたしは今、自分がどんな顔をしているのかわからない。


「…あの、あたし、古城くんから電話がかかってきて……よくわからないまま、話全部聞いちゃって…」


莉子が戸惑ったように揺れる瞳をこちらに向けてくる。動悸がする。息が上がる。


「…そ、それは…」


なんとか乾いた口を開こうとする。


「“わたしは、この身体の中身は、片桐美幸じゃない“」

「…!」


背後から美幸の声がした。生ではない、録音の音声だ。そちらを勢いよく見ると、古城が小さな機械を持って笑っていた。


「証拠、二つ目」


やられた。それを理解した瞬間、絶望的な感情が頭を支配した。わたしは古城に嵌められたのだ。


「…………」


聞かれた。知られた。もう手遅れだ。何もかも。


「みゆ…」


わたしは徐に莉子の方を見る。莉子はこちらを見て口を閉じた。そうだね、その呼び方はわたしにふさわしくない。



そう、わたしは美幸じゃない。

今まで騙していてごめん。

美幸だと思って慕ってくれてありがとう。

本当の美幸は今、異世界であるわたしの世界にいる。

わたしは片桐美幸のニセモノなんだ。



「……………っ」


言えるものか。言えるわけがない。それはわたしが一番恐れていたことなのに。沈黙が場を支配した。背後で古城が息を吐いて笑ったのが聞こえた。これ以上何か言われたらどうにかなってしまいそうだった。


「っごめんなさい…」


何もかもが耐えられなくなって、わたしはその場から逃げ出した。


「美幸ちゃん!」

「あっおい!逃げんなよ!」


二人の声を無視してわたしはとにかく全力で走り、学校を出て美幸の家に向かった。このままどこか遠くへ逃げ出してしまいたかったが、この身体は美幸のものなのでそれはできなかった。


美幸の部屋に飛び込んで、わたしはその場に立ち尽くした。


「はあっ…はあっ…」


激しい鼓動も息も、しばらく収まる気配が無かった。



ーーわたしは、この身体の中身は、片桐美幸じゃない。



聞かれた。莉子に。知られた。どうしよう。わたしはこれから、どうすれば。途方に暮れたまま時は過ぎ、晩御飯はろくに喉を通らなかった。美幸の両親に体調が悪いのかと心配され、その言葉に甘えて布団に籠った。


その夜、莉子からメールが届いた。何が書いてあるのか怖くて、メールを開くことができなかった。翌日、美幸の両親に体調が悪いと嘘をついて学校を休むことにした。だってどうすればいいかも何も決まっていないのに、どうして顔を合わせることができるのか。


朝、莉子から再びメールが届いた。

昼頃、入船からメールが届いた。

その後、珍しく藤谷からもメールが届いた。

そこでわたしはようやくメールを開いた。


莉子から。

”美幸ちゃん、ちゃんと話がしたいな。駄目かな…”

”美幸ちゃん、お大事にね。あたしは美幸ちゃんを信じるからね。いつでも連絡して。”


入船から。

”なんかあった?日高さんに話せないことなら、俺でよければ聞くけど。”


藤谷から。

”あいつにまた何されたのか?”


携帯を持つ手が震えた。どんな感情を抱いているのか、自分でも判断がつかなかった。それらに何にも返信ができないまま、夕方にも彼らからメールが届いた。



”古城くんのことは心配しないで。あたしは、美幸ちゃんの言葉だけを信じるから。入船くんや、東雲くんや、青葉くんだってそうだよ。”


”日高さんから話を聞くのは気が引けるから、片桐美幸の口から話が聞きたい。聞いてもいいならだけど。”


”何があったのか知らないけど、あいつの言う事なんて俺は信じないし、日高たちもそうだ。お前がやりたいことをしろよ”



文字を読んでいると、自然と涙が溢れてきた。こんなにも、こんなにも莉子たちは心配してくれている。莉子はあの言葉を聞いたのに、それでも”わたし”の言葉を信じてくれている。


わたしは彼らにこのまま背を向けてていいのか。

わたしが一番大事にすべきは何だ。

何のためにわたしはこの世界で生きてきたんだ。


わたしは強く目を閉じた。落ちた涙が手に落ちた。


ーー美幸でいる間は、××ちゃんがしたいことをしてね。

ーー次の夢までにあの世界に未練を残しちゃだめだよ。


美幸はそう言っていた。莉子たちだけじゃなくて、美幸に言われたことまでないがしろにするのか。


わたしは涙を拭って、震える手を抑えて、返信画面を開いた。



”莉子。逃げ出してごめん。莉子にちゃんと話したいことがある。”



わたし自身の言葉で、ちゃんと莉子に伝えたい。



”聞いてくれるかな。”



送信ボタンを押す時、今まで感じたことがない緊張感があった。命をかけているわけでもないのに。そう思うとふと笑いがこぼれた。いつの間にか命と等しく大事なものになっていたのだ。この生活が、この関係が。


なおさら簡単に手放すわけにはいかない。欲しいものは自ら手を伸ばさないと手に入らないものだ。それはわたしの世界でも、美幸の世界でも同じこと。


今のわたしが望むもの。それはどれだけ気まずくともどれだけ辛くとも莉子たちにちゃんと事情を話して、残りの日々を穏やかに過ごすこと。


わたしは送信ボタンを静かに押した。


「……」


沈黙が部屋に満ちた。莉子から返事が来るまでの時間は永遠のように感じたが、ほんの数分で携帯が震えた。一度深呼吸をして、メールを開く。


”美幸ちゃん、返事くれてありがとう!そんなのもちろんだよ!明日の朝、迎えに行ってもいい?”


その文から莉子の声がそのまま聞こえてくるようだった。わたしはほっと息をついて、返事を送る。


”うん。ありがとう。待ってる”



そして次は入船への返信をした。莉子への返事よりは緊張しなかった。


”心配かけてごめん。明日は莉子と一緒に登校する。それと、入船たちに話したいことがあるから、明日聞いてほしい。”


入船からの返事も数分後すぐに返ってきた。


”それは良かった。待ってるよ。でも無理するなよ。”


気軽で、入船らしい返事だと思った。


そして最後に藤谷への返事だ。これはしばらく文面に悩んだ。


”いろいろとごめん。明日ちゃんと話すから”


そう送ると、一分も経たずに返信があった。


”わかった”


簡潔なその一言に、不思議と安堵した。携帯を閉じて、わたしは大きく息を吸って吐いた。大丈夫、きっと大丈夫だ。そう自分に強く言い聞かせて、明日みんなにどう話そうかと考え始めた。その日の夜はほとんど眠れなかった。


翌朝制服に着替えて部屋を出てきた美幸わたしに、美幸の母親が心配そうに声をかけてきた。


「美幸ちゃん、体調は大丈夫なの?」

「うん、もう大丈夫」


そう言ったものの、美幸の母は目の下に隈があるのに気付いたのだろう。そっと手を美幸の頭の上にのせてきた。


「無理しないでね」

「…ありがとう。行ってきます」


わたしは莉子が家に来る前に外に出ることにした。家にいるとどうにも落ち着かないからだ。


歩道に下りて、空を仰いだ。今日の天気は晴れで、空は青く、白い雲が悠々と空を流れている。夏休みは終わったが気温はまだ高く、朝でも日向に立っていると汗が滲む。


「…」


ふと賑やかな声が聞こえると思ったら、近くを通学する小学生たちが通っていった。その小学生たちをぼんやりと眺めていると、こちらに駆けてくる足音が聞こえた。


そちらを見なくてもわかった。


「美幸ちゃん」


莉子に呼ばれて、わたしは顔をあげる。昨日の夜、ずっと頭の中で予行演習をしてきたはずだったのに、もう今どんな顔をしていいのかわからなくなっていた。


「おはよう、美幸ちゃん」


まっすぐに向けられた目に、わたしは情けなくうろたえる。


「…その、呼び方は…」


なんとか喉から絞り出した声は情けなく弱々しかった。そんなわたしを見て、莉子は安心させるように柔らかく微笑んだ。


「あたしが好きなように呼んでるだけだよ」


わたしが美幸でないとわかっていても、やはり莉子はわたしを美幸と呼んでくれる。今まで通りの接し方をしてくれる。それが、どれだけ有り難いことか。


「…うん…おはよう、莉子」


ようやく、声がちゃんと出せたような気がした。莉子が嬉しそうに笑った。莉子に何度救われているのかもはやわからない。この世界にいる間にその感謝を、恩を、わたしは莉子に返せるのだろうかとふと思った。


「じゃあ行こ」


莉子がわたしの手を取って歩き始める。


「あの…………話の、ことだけど」

「うん」


わたしは莉子に手を引かれながら足がもつれないように気を付けながら、たどたどしく口を開く。


「…放課後、時間貰える?」


朝や昼だけではきっと話す時間が足りないと思った結果の言葉だった。


「うん、いいよ!」


莉子の返事はどこまでも軽く、気負わない雰囲気があった。それになんだかほっとしていると、前を向いていた莉子がくるっとこちらを向いた。


「先に一個だけ言いたいことがあるんだけど、いい?」


莉子の真っ直ぐな視線に、思わず息が止まりそうになった。


「う、うん」


固く頷いたわたしを見た莉子は、ゆるく目を細めて笑う。


「あたしを見くびらないでね。あたしは、どんな美幸ちゃんも大好きだよ」

「…」


何も言えなかった。涙が零れそうだったから。わたしは静かに頷いて、再び歩き始めた莉子の隣に並んだ。


「そうそう、昨日の数学ねひどかったんだよ!先生がねーー」


何気なく莉子が昨日あったことを話し始めた。わたしは小さく深呼吸をして、相槌を返した。


「それは、大変だったね」

「ほんとに!先生次はちゃんと問題直してくるって言ってたけど本当かな」


通学路は何も変わりなく、道行く人も変わりなく、そこには普通の日常があった。


「そうそう、体育祭の種目は今日決めるって」

「そっか」


受験が近いとはいえ、三年生も体育祭には参加する。


「それで体育祭が終われば、すぐ文化祭だよ」


莉子が歌うように話す。文化祭に関しては、三年生は自由参加だ。


「文化祭、絶対一緒に回ろうね」


莉子が笑みを向けてくる。その笑顔を見て、大丈夫だと思った。漠然となんとかなると、そう思った。


「うん」


わたしたちは赤信号の交差点で足を止めた。今日も変わらず車は盛んに道路を行き交っていた。


「それでね…」

「うん」


莉子の話を頷きながら聞いていると、ふと視界の隅にやけに黒いフードを被った人が見えた。いつからいたのだろうか、その人は莉子の後ろに立っている。


その存在が妙に気になって、わたしは黒いフードの人から視線をなんとなく外さずにいた。そして風が吹いた瞬間、フードからちらりと見えたその人の顔を見た瞬間、背筋に冷たいものが走った。



やばい。そう思った瞬間、フードの男が莉子の背中を思い切り押した。



「は」

「きゃっ!」


わたしが反応する間もなく莉子の身体が車が行き交う交差点に投げ出される。莉子が飛び出してきたことに驚く車がクラクションと急ブレーキをかける音が聞こえた。


「莉子!」


わたしは無我夢中で道路に飛び出した。莉子の腕を掴み、全身全霊の力でそのまま歩道の方に投げ飛ばした。


「きゃあっ」


莉子を歩道に投げた反動で、美幸の身体は車道に残される。そして顔を上げようとした瞬間、強い衝撃が身体を襲った。







次に気が付いた時には、美幸わたしの身体は仰向けになってアスファルトの地面に倒れていた。


「きゃーっ!」

「おい!救急車!」


人々の喧騒が遠くで聞こえた。


「やだ!ねぇ!美幸ちゃん!」


莉子のつんざくような絶叫が近くで聞こえて、わたしは安堵する。昨日よく寝れていないせいで反応が遅れたが、莉子は無事だったようだ。よかった。にしてもあの黒いフードの男、あれは文化祭で喧嘩した人の中にいた奴だ。まさか莉子を狙ってくるとは。


こんな時に。


盛大に舌打ちしたい気持ちになったが、それができないほどに美幸の身体は傷ついてしまっていた。声はでない上に、手を握られている気がするが指一つ動かせない。全身が熱くて寒い。目は開いているはずなのに、空が見えない。さらにはどんどん周囲の音にノイズが混じり聞こえなくなっていく。


ああ。


これは駄目だな。自分に起きていることを理解して、諦観が漣のように寄せてきたと同時に意識が遠くに離れていく。


「美幸ちゃん!!」


莉子の声に一瞬意識が引き戻される。


莉子が呼んでいる。わたしを呼んでいる。



そうだ。そうだよ。勝手に諦めるな。



莉子、

まだ本当のことを伝えていないのに。今日、これから、伝えるはずだったのに。謝って、事情を話して、”わたし”の言葉で、向き合うはずだったのに。



莉子だけじゃない。



藤谷、

好きって言ってくれて、嬉しかった。本当に、嬉しかったんだ。なのに、まだ何も言っていない。”わたし”の言葉で何も返していない。



歯を食いしばれ。



入船、

莉子と仲良くなるために打算でわたしに近づいたんだろうけど、いろいろ話しかけてきてくれて実は嬉しかった。わたしは莉子と入船はお似合いだと思ってるんだよ。



まだ、それだけじゃなくて。



青葉、

あの本の感想をまだ伝えてない。次会ったときに話そうと思っていたのに。



みんなに、話したいことがあったのに。


しかし全身から力が抜けていく。零れ落ちていく。


だめだ、いやだ。待ってくれ。



あと少しでいいから、



あともう少しだけ

一緒に


いた












何もかもが暗転して、どこか深いところに落ちて行く感覚があった。


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