美幸を守るために①
「受験勉強、もうちょっと真剣にしようと思って」
それが一晩考えてなんとか思いついた理由だった。
「そうなの…」
朝の登校中に、莉子に昼は教室でひとりで食べることにしたと話した。予想通り、莉子はとても悲しそうな顔をして理由を聞いてきたので予め用意していた理由を伝えたのだ。
「勉強なら仕方ないよね…」
莉子はしおらしく眉を下げるも、わたしの言葉を素直に受け入れたようだった。
「あたしもちゃんと進路考えないとな…」
寂しそうな莉子には申し訳ないが、これで古城の言ったことに従うことができる。美幸と藤谷を守るために、とりあえずはこうするしかない。わたしはそう決めた。
その日の昼休みは、ひとりで教室で昼食をとった。教室にいた古城が視線を向けてきた気がしたが、そちらの方は見ないようにした。
「…」
昼食を食べ終わって、手を洗うために廊下に出た。すると、廊下から中庭の様子が見えた。莉子は入船たちと昼食を食べることを続けるようにしたらしく、何かを話している様子が見える。わたしはそれを不思議な気持ちで眺めた。昨日までは美幸もあの輪の中にいたのにと。
ーー××ちゃんにとっては、退屈な時間じゃなかったんだね。
夢の中の美幸の笑みを思いだす。そう。わたしにとってこの世界で過ごす時間は決してただ退屈なものなんかじゃなかった。
教室に戻って、わたしは勉強をするために参考書を開く。教室は昼食を食べる生徒たちの会話で賑やかで、わたしのいるところだけが静かなように感じた。
そういえば美幸は莉子以外とあまり交流していないようだった。莉子と出会う前はこういう生活を送っていたのだろうか。もしかして、これは元の美幸の生活に戻っただけなのだろうか。それなら丁度いいじゃないか。悪いことばかりじゃない。そうやって、自分にそう言い聞かせた。
莉子と会うのは登校と下校のみ。それさえも古城に口を出されたらどうしようと思っていたが、昼食を莉子たちと食べなくなったらそれで満足したらしく他には何も言ってこなかった。
しかしその下校も時折古城に邪魔をされ始めた。
「片桐、放課後社会科の準備室ね」
「・・・・・・」
古城は放課後使われていない教室にわたしを呼び出して来るようになった。
「あれ、返事が聞こえないけど」
「・・・わかった」
前に呼び出されたときは、理科準備室だった。古城はどの空き教室をどの部活が使っているのか熟知をしていて、それを利用しているらしい。
古城から呼び出しがあると、従わざるを得ない。そんな時はわたしは空いた休み時間に莉子の教室へと向かった。
「あっ片桐さんだ」
「莉子いる?」
「いるよ、呼んでくるね」
そんなことで度々莉子の教室を訪れていたためか、莉子のクラスメイトの何人かと言葉を交わすようになった。
「美幸ちゃん!どうしたの?」
莉子は美幸に会うといつも明るい笑みを見せてくれたので、随分気が柔らいだ。
「ごめん莉子。今日、一緒に帰れないんだ」
「えっそうなの?」
莉子は寂しそうに眉を下げるが、詳しい理由は尋ねてこない。多分気を遣ってくれているのだと思う。
「そっか、わかった。また明日の朝ね」
「うん」
そういうことが、しばらく続いた。
「片桐。今日の放課後、第二理科室ね」
「えっ」
古城にそう声をかけられて思わず短い声が漏れた。古城はじろりとそんな美幸を見る。
「なに?」
「……二日前も呼び出したよね」
「それがなに?」
呼び出される頻度が多くなっている。最初は二週間に一回程度だったのに、最近は週に複数回が当たり前のようになっていた。
「多くない?」
「あんたには関係ない」
関係ないことはないだろうと言いたくなったが、下手に火種を増やすべきではない。わたしは言葉を飲み込んだ。
「じゃ」
古城は何も言わないわたしを一瞥して、さっさと離れていった。
「……」
わたしはその場で小さく息をついた。莉子の寂しそうに笑う顔が脳裏に浮かんだ。
「莉子ごめん、今日放課後先生のとこに行くから、一緒に帰れない」
「そっか」
予想に反してこの日は莉子は寂しそうな顔ではなく、こちらを伺う表情を浮かべた。
「…ねえ美幸ちゃん、最近根詰めすぎじゃない?大丈夫?」
ぎくりと胸が軋んだ。わたしは今莉子に嘘をついていて、その嘘で心配をかけている。
「…大丈夫。無理はしないよ」
わたしは莉子を安心させるように笑みを見せた。莉子は一瞬眉間に皺を寄せたが、そっかと呟いて微笑んだ。
「わかった。また明日ね」
「うん。また明日」
莉子と別れて教室に戻ろうとすると、丁度藤谷と青葉が反対側の廊下からやってきた。昼食を一緒に食べなくなると、顔を合わせる機会が無くなるので藤谷と顔を合わせるのは久しぶりだった。青葉は図書館でよく顔を見るので久しぶりな感じはしない。
「何してんだ」
藤谷がこちらに近寄りながら尋ねてくる。わたしは莉子のクラスを振り返って答えた。
「莉子に用事があって」
「へえ」
そしてそのまますれ違うかと思ったら、藤谷は美幸の目の前で立ち止まった。
「…」
「…」
「どうしたの」
藤谷が無言で凝視してくるので、わたしは思わず尋ねた。
「いや」
「?」
「別に」
見返すと、藤谷に目を逸らされた。隣に視線を移すと、青葉が口を開いた。
「受験勉強は順調?」
「え、まあ、うん」
青葉にそれを聞かれるとは思っていなかったので、少し口ごもってしまった。しかし青葉はわたしの返答を聞いて僅かに口を緩めた。
「そう。それはよかったね」
「うん」
そして再び藤谷に視線を戻すと、藤谷はなんだか眉を潜めて不機嫌な様子だった。
「…どうしたの」
「別に。そろそろ休みおわんぞ」
「本当だ。じゃあ教室戻るね」
藤谷のいう通り休み時間の終わりが迫っていたので、わたしは二人に手を振ってその場を離れた。少し気分が晴れやかになったような気がした。久しぶりに藤谷たちと話せたからだろう。
しかしそんないい気分も長くは続かない。
放課後。わたしは考え事をしながら帰りの支度をしていた。
今日は古城に何をさせられるのだろう。二日前はよくわからない音楽を延々と聞かされた。その前はよくわからない映像を見せられた。その前は重い帽子をつけさせられた。古城いわく、わたしの正体を暴くためだというが彼は思い通りの結果を未だ得られていない。
明らかに怪しそうな物を出されるのでそりゃそうだと思う反面、万が一のことを考えてしまう。もし本物があって本当のことを知られてしまったら。だからどんなにくだらなくて怪しいものを試されてもわたしの心は内心穏やかじゃなかった。だから古城と会う放課後は異常に気疲れする。それこそ帰宅して勉強する気など起きないくらいに。
重い足を動かし、教室を出る。古城のもとに行きたくなかった。このまま帰ってしまいたかった。しかしそれはできない。わたしには守るものがあるのだ。
しかしだ。
「はあ」
やっぱり嫌だと、思わず重いため息が口からぽろりと出てきた。そしてそれは人通りがもう少なくなった廊下に思いの外響いた。
「おい」
「っ」
思いも寄らないところで声をかけられて、思わず肩が跳ねた。
「え?」
肩と一緒に跳ねた心臓を抑えながら振り返ると、藤谷が難しい顔をしながらそこに立っていた。
「藤谷」
藤谷の顔を見たことで、不思議と少し重いものが取り除かれたような気分になった。
「どうしたの」
わたしは一歩藤谷に近付いて尋ねると、藤谷は不快そうに眉を寄せた。
「どこに行くんだ」
ぎくりと、心臓が一度大きく鳴る。しかし顔には出せない。
「進路相談室だけど」
わたしは予め用意していた答えを出す。藤谷は眉の皺をさらに深めた。
「お前、変なことしてないか?」
わたしは瞬きをする。変なことってなんだ。嘘をついて古城のところに行くのは変なことか?いや、別に後ろめたいことではあるが変なことではないだろう。一応体裁は普通に放課後に同級生に会うだけである。だからわたしは思った通りに尋ねる。
「変なことってどんな?」
「…」
藤谷は一瞬目を丸くした。そして大きく息を吐いて、呟いた。
「ならいいよ」
投げやりな言い方に、何か間違えただろうかと一瞬不安になる。やはり嘘をついていることが変なことだったのだろうか。いやしかし、馬鹿正直に藤谷に古城のことは言えるはずがない。わたしが守るのは美幸だけじゃない。
「そう。じゃ、また」
「……ああ」
何か言いたげな感じはしたが、藤谷はそれ以上口を開くことはなかった。
だからわたしは藤谷に背を向けて廊下を歩き始める。するとすぐ後ろから足音が聞こえて、わたしは立ち止まった。
「…」
振り返ると、藤谷が何食わぬ顔でそこに立っている。いや今、こちらに着いてきたような。
「…もしかして、着いてきてる?」
そう尋ねると、藤谷は平然とした顔でこう言った。
「着いて行ってるわけじゃない。俺もこっちに用があるんだ」
わたしは思わず眉を潜めそうになる。しかし、わたしはそれを飲み下して静かに返事をした。
「…そう」
その後しばらく藤谷が背後から着いてくる気配があったので、わたしは仕方なく進路相談室の方へと向かう。そして進路相談室の隣にある進路資料室の扉に手をかけた。
「…」
ちらと後ろを振り向くと、やはり藤谷がいた。いや着いてきてるじゃないか。
「じゃ、じゃあね」
わたしは仕方なく資料室へと扉に手をかけ、藤谷に軽く手を振ってそこに入った。
「……」
わたしは資料室に入って、廊下に耳をすませながら適当に部屋の中にある資料に手を伸ばす。しばらくして、廊下から足音が遠ざかる音がした。
「……」
わたしはそっと資料室の扉を開けて、廊下を確認する。藤谷の姿はもうそこにはなかった。わたしはほっと息をついて、少し小走りに資料室を出る。
そして第二理科室にたどり着いて、その扉を開けた。
「遅い」
そこには、理科室の椅子に座った少し機嫌の悪い古城がいた。
「ごめん」
「逃げたのかと思ったよ」
「まさか」
すると古城は理科室の机においてある銀色のバングルを指さした。
「今日はこれつけて」
「これは何?」
「特殊な電波が出るバングル。人間には害はない」
古城は何か聞くと一応説明はしてくれる。しかし一体どこからそんなものを仕入れているのかよくわからない性能のものを持ってくる。
「こんなことしても何の意味もないよ」
「それは俺が決める」
毎度のやりとりをして、わたしはため息をつく。
「何その態度、文句があるのか?」
「…」
わたしは何も言わずに視線だけで古城に返事をして、バングルを右手につける。少し振動しているようだった。何か機械でも内蔵されているのだろう。
「今日はこれを何分?」
「三十分」
「…」
長い。ややうんざりしながら時計を見ると、古城がさらに言葉を続けた。
「そうだ。あと血の成分も見たいから、血出して」
「…は?」
古城が言ってることが理解できずに思わず聞き返した。
「血」
そう言って、古城は机の上に置いていた鞄からハサミを取り出した。
「…血って…」
わたしは身の危険を感じて、古城から一歩距離を取る。そんなわたしを見て、古城はははと軽く笑った。
「そんな怖い顔しなくても、このハサミでちょっとここに血を落としてくれればいい」
古城は理科の実験で使うようなシャーレを片手にそう言った。
「…傷を作れと?」
「血が欲しいって言ってるだけ」
さも普通のことのように話すが、今までしたこととは訳が違う。同級生にハサミで傷をつけて血を出せって言っていることの異常さが古城にはわからないのか。いや、古城はわたしのことを同級生だと思ってないのだけれど。
美幸の身体に傷をつけろって?わたしが?
「…………………それはできない」
わたしは絞り出すように答える。
「へえ」
古城は薄っすらと笑って、制服から写真を取り出す。
「そんなこと言っていいの?これをばらまかれたくはないんだろ?」
もちろんバラまかれるのは困る。
「・・・」
「何か血に後ろめたいことがあるの?」
「そんなのない」
「じゃあいいじゃん」
良くない。ただでさえわたしのせいでこんなことになっているのに。美幸に自傷行為のようなことをさせるなんて。ノートの隅で指を切るのとは訳が違う。しかも古城は簡単に言うが落ちるほどの血ならそこそこ深い傷を作る必要がある。それに、今これを許してしまったらこの先の要望はさらに過激なものになりかねない。古城を止めるなら、今しかない。
わたしは古城が持つハサミを見つめながら、頭を回転させる。それをどう思ったのか、古城が椅子から立ち上がった。
「もしかして怖いの?」
古城の瞳に怪しい光が宿る。
「自分でできないなら、俺がやろうか」
駄目だ。わたしは古城から逃げるように距離を取ろうとした。その瞬間、腕につけていたバングルからバチッと音がして鋭い痛みが走った。
「った!」
「逃げるなよ」
バングルに何か仕掛けがされていたのか。静電気の痛みに似ていた。
「大人しくしてたら痛くないって」
「やめ…っ!」
再びバングルから痛みが走る。あまり痛みに慣れていないこの体では、判断が鈍る。
「捕まえた」
バングルの痛みで気が逸れていた一瞬の間に、古城は美幸の腕を掴んだ。わたしは古城を諭すように口を開く。
「他人を傷つけるのは、犯罪じゃないの」
「君はこの世界の人間じゃないから、その法は適用されないだろ」
バングルがまた痛む。古城はハサミを大きく開いて、美幸の腕に当てた。冷たい感触に頭がひやりとした。
「やめろ!」
わたしは手を引くが、古城は腕を離さない。古城の目がぎらぎらと輝いている。
瞬間、わたしの頭はすごい勢いで回転した。
このまま勝手をやらせておくわけにはいかない。
でも写真が。
美幸に怪我を負わせるなんて。
どうする。
でも逆らえない。
でもこんなの許せない。
なら、
もう。
殴り倒すしかない。
いっそ写真も携帯も奪って。
やられる前にやらないと。
そうだ、わたしはそうやって生きてきた。
やるしかない!
古城がハサミを持つ手を動かそうとした瞬間、わたしはもう片方の手の拳に全身の力を込めた。
その瞬間だった。
バァン!
大きな音を立てて、理科室の扉が勢いよく開いた。
「!!」
「?!」
わたしは肩が跳ね、古城も目を丸くする。
「…」
そしてわたしと古城はあまりの驚きに徐ろにその扉の方を見た。
「あ…」
その扉の前に立っていた人を見て、思わず気の抜けた声が出た。
開いた扉の前にいたのは、藤谷だった。
「と、とうや…」
帰ったかと思っていたのに。予想外の人物の登場に思わず呆然とするわたしたちを他所に、藤谷は、無言でこちらにずかずかと歩いてきた。そして、古城の手を強くはたいた。
「った!」
古城の悲鳴と共に、ハサミが床に落ちる。はずみで美幸の腕が古城から解放される。するとわたしと古城の間に出来た隙間に、藤谷がすっと身体を入れてきた。
「し、東雲…」
「お前が古城か?」
藤谷の背中で古城の顔が見えなくなった。藤谷の身長って結構高かったんだなと、あまりうまく動いてない頭で思った。
「なにしに来た」
古城が藤谷に問う。
「お前こそ、何してんの?」
わたしは藤谷の背中しか見えないが、声音が低くて冷たい。
「俺は………そいつと話してただけだ」
「話す?」
藤谷は鼻で笑った。
「お前は腕にハサミを押し付けることを話すって言うのか?」
「…」
「じゃあ俺がお前に同じことをしても文句はないな?」
いや話が変な方向に行っている気がする。
「藤谷」
わたしは藤谷のシャツを掴む。すると藤谷は振り返ってわたしを見た。
「…お前、そんな腕輪つけてたか」
「…こ、れは」
その瞬間、再びバチッとバングルから痛みがあった。
「うっ」
「あ?」
わたしが呻いたのを見て藤谷が眉を上げる。わたしがバングルに手をかけようとすると、古城が声を上げた。
「それ以上はそいつに近づくな!」
「あぁ?」
藤谷は不機嫌そうに古城に再び向き直る。
「なんだその写真」
どきっと心臓が大きな音を立てた。
「これをバラまかれたくなかったらな!」
古城が藤谷に写真を見せたのだ。
「…文化祭のやつか」
「理解が早くて助かるよ」
バレた。藤谷に。
「この写真、ばらまかれたくはないだろ」
しかし藤谷は古城の問いにあっさり答える。
「別に。勝手にすればいいだろ」
「は?」
「えっ」
わたしと古城は驚いて声を出す。しかし藤谷はそんなことどうでもいいと言いたげに、続ける。
「お前なんなの、俺とこいつが嫌いだからいじめてるみたいな?」
藤谷の言葉に今度は古城が鼻で笑った。
「ニセモノなんだよ、そいつ」
心臓が嫌な音を立てた。
「は?」
藤谷が怪訝な声を出す。
「何のニセモノだって?」
待って。
嫌だ。
聞かないで。
焦ったわたしは藤谷の制服を強く握った。
「片桐美幸のニセモノ」
聞かれた。
藤谷に聞かれてしまった。
藤谷の制服をつかんだまま、わたしは恐怖に震えた。藤谷が古城の言葉を聞いて、何を思うのか、何を答えるのか、それを知るのがどうしてか怖かった。
藤谷が口を開くまでの時間が永遠のように感じた。
「馬鹿なこと言ってんじゃねえ」
永遠かと思われたその時間を砕いたのは、吐き捨てるような藤谷の声だった。
「おい」
「えっ」
藤谷が再びこちらを向いて、バングルに手をかけた。するとカチリとバングルの留具が外れる音がして、腕からバングルが滑り落ちていった。
カシャン
わたしはただバングルが床に落ちていくのをぼんやりと眺めた。
そんなわたしたちを見て、古城は声を上げて笑い出す。
「お前、よくそんな得体の知れないバケモノと一緒に入れるなぁ!」
バケモノ。
その一言がわたしに突き刺さる。
「あ?」
藤谷は低い声を出す。バングルは外れたが、状況は良くなっているわけではない。わたしの頭は再びぐるぐると考えが巡り始める。
「…おい」
藤谷は写真は勝手にしろとは言うが、そうはいかないだろう。
「おい」
古城の思惑を止めるにはどうしたらいいか。考えないと。
「おい、聞こえねぇのか」
「…え?」
藤谷の声がすぐ近くで聞こえるなと思って顔を上げると、すぐそこに藤谷の瞳があった。
「お前に言ってる」
藤谷は、まっすぐに美幸を見ていた。ひゅっと短く、息を吸う。知らない間に息を止めていたことにそこで気付く。
「わ、わたし…?」
出した声はかすれていた。
藤谷が頷く。
「いじめられてんのか?」
「え?」
「こいつに」
「…」
古城はやれやれとため息をつく。
「いじめなんて人聞き悪いな」
「お前は黙ってろ」
古城の言葉を藤谷がピシャリと遮った。
わたしは答えに窮する。後ろめたいことがあるのは事実なので、藤谷の問いに大きく頷くことはできなかった。でも古城のやり方はあまりに姑息で。卑怯で、逃げようがなくて。でも元はわたしのせいなのは間違いがなくて。でもこのまま受け入れるわけにもいかなくて。ぐるぐるとそんな思考が脳内で渦巻く。
「おい」
眉を潜めたままの藤谷が回答を急かす。藤谷は曖昧なままにしておく気はなさそうだった。その時、藤谷になら助けを求めていいのだろうかと、そんな気持ちが一瞬湧いた。
その一瞬の気持ちがわたしの首をわずかに動かした。首がほんの微かに動くくらいの、遠くから見れば頷いたか頷いてないかわからないくらいの、それくらいの動きだったと思う。
しかしそんなわたしとは対照的に、藤谷は大きく頷いた。
「わかった」
何を。
そんな疑問を口にする間もなく、藤谷はわたしから離れて、古城に深く踏み出していた。
そして次の瞬間には、藤谷の拳が古城の顔に真っ直ぐ飛んでいた。古城は殴られた衝撃でよろめきながら尻餅をつく。古城は殴られるとは思っていなかったのか、しばらく何が起きたかわからない顔をしていた。
しかし自分が殴られたのを理解すると、すぐさま反撃をしようと藤谷に掴みかかった。わたしはその光景を、どこか遠い世界の情景のように感じながら呆然と見ることしかできなかった。
何かが割れる音がして、椅子が転げた。しばらくするとどこからか音を聞きつけた先生がやってきて、藤谷と古城の二人は止められた。
わたしはずっとその場にへたり込んで動けなかった。
藤谷と古城は別々の先生に連れられてその場から去っていき、わたしは顔面が蒼白だと言われ先生に保健室に連れて行かれた。
「大丈夫?片桐さん」
「…」
わたしは何が起きたのかを必死に脳内で整理しようとして口を開くことができず、ただ浅く頷くだけだった。しばらくして先生が保健室から出ていっても、わたしはひとり保健室のソファで項垂れていた。
わたしは震える両の手を膝の上で握る。わたしはどうすれば良かったのかと、答えのない問いを延々と脳内で繰り返した。




