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美幸を嫌うひと③

始業式からたった数日で、穏やかだったはずの生活が変わり始めていた。


「はい、これ解いておいて」


休み時間。古城が美幸わたしの机に一枚の紙を落とす。数学の例題が何問か載っている。わたしは古城が自分の課題をわたしにやらせようとしているのかと思い、口を開く。


「こういうのは自分でやらないと為にならないと思うけど」


すると、古城は冷たく笑った。


「誰があんたの回答をマネするって言った?あんたの回答を俺が採点してやんだよ」

「…なんのために」

「あんたの知識レベルがどこまであるか、検証」

「そんなの誰が…」


わたしがそう言いかけると、古城はポケットから写真を半分こちらに見せる。


「へえ、口答えしていいんだ?」

「…」


その写真をこの教室で出されるのは困る。仕方なくわたしは素早く頷いた。


「解けばいいんでしょ」

「そうそう」


古城はにっこりと笑って、写真を再び懐にしまい込んだ。


あの日以降、古城は直接的にわたしを試そうとしてくるようになった。知能テストから始まり、心理テスト、雑学の問題など、ありとあらゆる方法で”わたし”を評価しようとしているらしい。


そしてそんな古城にわたしは実質古城の言いなりになっていた。対抗するにも今は古城の情報があまりに足りない。だから、大人しく言うことを聞くことで相手の情報を掴むほかに対抗案が思いつかなかったのである。


古城の持ってくるテストを大人しく解く中、わたしは同級生たちから密かに集めた古城の情報を反芻する。


古城こじょう翔琉かける

一年の時は一組で、二年は五組。部活には所属をしておらず、授業が終わるとすぐに帰宅している。オカルト全般に明るく、第六感を用いて心霊現象や未確認生命体、未確認飛行物体などの撮影・邂逅に成功しているという噂がある。まれに新聞部に記事や写真を提供しているらしい。運動は不得意。日頃の授業態度の様子を見るに、英語は得意でそれ以外は並程度。第六感があるオカルト好きとして同級生たちには広く知られているようだが、誰かとつるんでいる姿はあまり見ない。一人でいるのを好むらしい。


問題なのは、古城の第六感は恐らく本物であることだ。


「はい」

「ん」


わたしは古城に問題を解いた紙を渡す。古城は上機嫌でそれを受け取って机にしまい込む。


古城は常にこちらを観察はしているし、敵意は常に感じるが、今のところ多種多様なテストを持ってくる意外のことはしてこない。とりあえず大人しくしておけばあの写真を使われることはないようだ。今はそうする他に選択肢がなかった。


そうこうしているうちに、一か月が過ぎた。


”今日は葵園で撮影があったよ。無料招待券貰ったから、あげる。日高さんに渡しておくから、二人で行っておいでよ”


そのメッセージと一緒に、植物に囲まれたソーゴさんの写真が送られてきた。あおいえんとは、美幸の住む町にある植物園のことだ。広告やCMを度々見かけたことがある。


”とても綺麗ですね。葵園は行ったことがないので嬉しいです。ありがとうございます。”


ソーゴさんはこのようにホワイトデー以降も度々メールを送ってくれている。ソーゴさんはわたしの知らないことをたくさん知っているし、いろんなところに行っているのでメールのやりとりは楽しかった。


「美幸ちゃん、はい。これ、ソーゴさんから」


翌日の昼休み、ソーゴさんの言った通り莉子が植物園の招待券を持ってきた。招待券には植物園の写真が載っていてとても綺麗だ。すると入船がわたしたちの手元を見て首を傾げる。


「あれ、どうしたのそれ」

「ソーゴさんに貰った」

「えっいいな」


羨ましそうにぼやく入船を横目に、莉子はこちらに尋ねる。


「美幸ちゃん、いつ行きたい?」

「いつでもいいよ」

「じゃあさっそく今週の土曜とか?」

「いいよ」

「やった~」


莉子が招待券を持って嬉しそうに笑う。その隣にいるわたしを羨ましそうに眺めた入船は、そういえばと口を開く。


「葵園かあ、小学校の時遠足で行ったよな」


入船に話しかけられた藤谷は、眺めていた携帯から顔をあげる。青葉はいつも通り読書に夢中でこちらの話は聞いていないようだ。


「葵園?」


藤谷はそう言って考えるように宙を見つめた。


「ほら、中にバラ園があってさ。俺らが行ったとき全然咲いてなくて、ただの細い木の前で集合写真撮ったやつ」

「あー」


入船の言葉にようやく藤谷が当時を思い出したように笑った。


「めちゃくちゃつまらんかったとこ」

「はっきり言うなよ。まぁ…わからなくもないけど」


否定はできないのか、入船が苦笑いをした。話を聞いていた莉子が笑って、口を開く。


「小学生に植物園は面白くないかもね。あたしのとこは工場見学とか行ったな」

「あーそれもあったあった」

「美幸ちゃんは小学校の遠足とか覚えてる?」


莉子がこちらに話を振ってくる。わたしは美幸の記憶からそれを引っ張り出そうとするが、それは全て空振りとなった。


「さあ…もうあんまり覚えていないな」


ぽつりと返したその言葉は、思ったよりも寂しい響きになった。


「そっかーまあもう数年前のことだしね」


わたしは莉子の言葉に同意の意味で頷いた。しかし、美幸にとって年数はあまり関係がないように思えた。美幸の記憶に学校の行事はあまり残っていない。完全に残っていないというより、美幸にとっては学校の行事は日常の出来事の一つとして捉えられていて強く記憶に残っていないようだった。莉子以外に記憶に残っている人間もいないので、あまり交友関係も広くなかったのではないだろうか。


ーー私の生活は退屈だったでしょ?


おそらく、あの言葉は本心だ。退屈だったから、記憶に残っていないのだろう。美幸がこの世界に戻ってきたら、またそんな生活を送るのだろうか。


「今ならバラも見ごろなんじゃない?」

「そうだといいな~」

「響一は覚えてるか?」

「…」

「響一!」

「……え?何?」


この輪のなかに、美幸は加わってくれるのだろうか。


「じゃあ、土曜ね。美幸ちゃん」


わたしがこの世界にきて、この一年間でできた入船や藤谷や青葉たちの縁を、美幸はどうするのだろうか。


「うん」


わたしが心配する資格なんてどこにもないのに、それが少し気になった。



土曜日。わたしは莉子と待ち合わせして葵園に向かう。休日の葵園はわたしたち以外にも客が多く、賑わっている。受付で招待券を入場券に引き替えてもらい、わたしと莉子は園の中へ入場した。


「わ~!」


葵園の温室に一歩足を踏み入れると、莉子が嬉しそうに歓声を上げた。視界に広がる色とりどりの花々と、青々しく伸びる葉。息を吸うと、花と水の香りがした。瑞瑞しい、生命の香りだ。


「すごいね!美幸ちゃん」


わたしは頷く。


「綺麗だ」


温室を堪能して、わたしたちは外に出る。園内のマップを見て、莉子がある場所を指さした。


「あっこれが入船くんたちが言ってたバラ園じゃない?」

「本当だ」

「行こ!」

「うん」


莉子が美幸(わたし)の手を取って歩き始める。そうされるのにもすっかり慣れてしまった。


たどり着いたバラ園には、色とりどりのバラが咲き誇っていた。今日は天気も良く、青空の下に鮮やかな色のバラが良く映えた。


「ちゃんと咲いてる!よかったね」

「うん」


わたしと莉子は入船たちの話を思い出して顔を見合わせてふふと笑った。


「そういえばバラってね、いろんな名前が付けられてるんだよ」

「へえ」


莉子の言う通り、バラの横に名前が書かれたボードが設置されている。人の名前のようなバラや、曲や本のタイトルのようなバラもある。わたしは莉子と一緒にひとつひとつのバラの名前を見ていった。


するとそのバラ園の一部に陶器で出来た小人がいくつか置かれていたのを見つける。


「飾りかな。かわいいね!」

「うん」


その一つに、黒髪赤目の小人を見つける。仏頂面のその小人は、誰かとよく似ていた。


「どうしたの?美幸ちゃん」

「いや、なんか。似てると思って」


藤谷に。


「え?えっと…もしかして、東雲くん?」

「そう」


わたしは携帯を取り出し、その小人の写真を撮った。そしてそれを添付して藤谷に送る。そういえば、新学期に入ってからは藤谷に写真を送っていなかった。藤谷はこれを見てすぐに気付くだろうか。藤谷からの返信を楽しみにして、わたしは携帯をしまう。


「あっ美幸ちゃん、フォトスポットある!一緒に撮ろうよ」


バラ園の一角にあるフォトスポットを見つけて、莉子がはしゃいだ声を出す。フォトスポットはバラのアーチがあり、撮影に自由に使っていい小物が箱の中にまとめて置かれていた。


「花かんむりある!これ着けようよ!」


莉子は小物の箱から白い花かんむりと、赤い花かんむりを手に取って、白い方を美幸わたしに渡してきた。


「頭にのせればいいの?」

「そうそう。こうやって…」


莉子が慎重に美幸わたしの頭に白い花かんむりを乗せる。


「やっぱり美幸ちゃん似合う!」

「ありがとう」


莉子は自身で花かんむりをのせ、携帯の画面を見て角度を整えている。


「よし、撮ろ!」


莉子が携帯を構えて、カメラだけをこちらに向ける。


「はい、チーズ!」


カシャ。


莉子が撮った写真を確認し、嬉しそうに笑った。満足のいく写真が撮れたようだ。その後も満足するまでバラ園や庭園を散策し、わたしたちは出口近くにある売店に入った。莉子と一緒に売店を見て回っていると、とあるクッキーが目に入った。


「バラの花びら入りクッキー…」


バラって食べられるものだったのか。わたしは先程見た鮮やかなバラの花たちを思い浮かべる。


「何かいいもの見つけた?」


クッキーの箱を手にしていると、別のコーナーを見ていた莉子が隣にやってきた。


「これってどんな味なんだろうと思って」

「へえ、バラの花びら入ってるんだ」

「莉子はバラ食べたことある?」

「なーい」

「そうか…」


バラの味というものが気になる。買ってみようか。でも結構枚数入ってるし。買って持て余してしまうのはもったいない。そう悩みながら箱を見つめて悩んでいると、美幸の携帯が震えた。あっとわたしは思い出して携帯を取り出す。


”なにこれ”


藤谷からの返信だった。特に人形に対してコメントはない。少し残念に思いつつ、わたしはその場で返信をする。


”藤谷に似てると思って”


すると、一分もかからずに返信があった。


”お土産よろしく”


小人に関して何も言われなかった。しかし、藤谷の言葉にわたしはつい声を漏らした。


「なるほど」


藤谷たちへのお土産に買えばいいのか。このクッキーは。


「あ、それ買うの?」

「うん。藤谷たちにお土産」


すると莉子は少し目を丸くして、微笑んだ。


「美幸ちゃんは優しいね」


その言葉をなんだか不思議に思って、莉子を見た。


「莉子の方が優しいと思うけど」

「え?そうかな」

「うん」


わたしはいつだって莉子のその優しさに助けられているのだ。


「それは…」


莉子は少し迷うそぶりをしながら言葉を続ける。


「あたしは、美幸ちゃんにだけだよ」

「そんな風には見えないけど」


そう言うと莉子は照れたように笑みをこぼして、首を振る。


「美幸ちゃんは、一番最初からあたしに優しかったから」


一番最初。莉子の言葉がよくわからず、わたしは首を傾げた。


「美幸ちゃんはあたしと出会った時のこと、忘れちゃったんだよね」


莉子の口ぶりから、その質問は初めてではないのだろうと思った。


「…なんだっけ」


わたしがそう言うと、莉子は眉を下げて困ったように笑う。


「美幸ちゃんは、あたしが中学の時変な男に連れ去られそうになったのを助けてくれたでしょ」


それを聞いて思い出した。美幸になったばかりの頃、下校途中に男に絡まれていた莉子を助けた時にそんなことを言われた。


「あの時、本当に嬉しかった」


莉子は視線を落としてその時のことを思い出しているようだった。


「でもその時の美幸ちゃん、名前も名乗らずすぐどこかに行っちゃったんだよ」


そのことを、美幸は覚えていない。その時の記憶が出てこない。


「お礼を言いたくて、その場所に何回か行ったりもしたんだよ。でも駄目で……でも、まさか高校で会うとは思わなかったなぁ」


莉子は可笑しそうに笑う。


「美幸ちゃんをひと目見てわかった。あの時助けてくれた人だって」

「…どうして?」


莉子はまっすぐに美幸(わたし)を見る。


「あたしは美幸ちゃんの目が好きなの」


わたしは瞬きをした。


「目?」

「そう、目」


莉子がにっこりと笑う。


「今もそうだよ」


莉子はささやくように呟いて、美幸(わたし)の肩をぽんと叩いた。


「それ買っておいでよ。あたしは出口で待ってるね」

「あ、うん」


莉子はくるりと踵を返して出口の方に歩いていった。わたしはクッキーの箱を持ってレジに向かった。会計をしている間、レジの後ろにある綺麗なガラスのパネルに美幸の姿が写っているのに気付いた。


美幸の琥珀の瞳は、不思議そうにこちらを見ていた。



そして休み明けの昼休み。昼食の時間にわたしはそのバラの花びら入りクッキーの箱を持っていった。弁当と共にその箱を取り出すと、入船が不思議そうに尋ねてきた。


「あれ、何それ」

「お土産」


するとパンの袋を開けていた藤谷が驚いたように顔をあげた。


「本当に買ってきたのか」

「え、うん」


すると藤谷はおかしそうに目を細めて笑う。


「馬鹿正直なやつ」


褒められているわけではないだろうが、藤谷がなんだか楽しそうなのでわたしは反論をせず買ってきて良かったなと思った。入船がわたしの持っている箱のパッケージを興味深そうに眺めてくる。


「バラの花びら入りクッキー?」

「どんな味か気になって」

「確かに」


箱を開けると、花が書かれた小袋に入ったクッキーが整然と並んでいる。そしてわたしは一番近くにいた入船にとりあえず一枚渡した。


「はい」

「あ、俺から?」


入船はそう言いつつもさっそく包装紙を破ってクッキーを取り出した。キツネ色のクッキーに花びららしきものが散りばめられているように見える。入船はクッキーの香りを一度確認した後、それをひょいと口に入れた。すると途端に入船の眉間に皺が寄せられる。


「え…」


入船は何も言わず、眉を潜めてクッキーを咀嚼している。その顔を見てわたしは途端に不安になった。


「…美味しくなかった?」


入船はもぐもぐと口を動かしたまま返事をしない。声まで出せないほどの味なのだろうか。あまりにひどい味なら、莉子たちに渡すのは申し訳ない。そう思ったわたしは、自分で食べる用に、ひとつクッキーを手に取る。するとそのクッキーがひょいと取り上げられた。


「えっ」

「貰うわ」


わたしの手から藤谷の手に渡ったクッキーは、早々に藤谷の口へと運ばれて行く。


「ああ…」


あまりにも不味かったらどうするんだと思いつつ、わたしは藤谷を見守ることしかできない。


「…」


クッキーを口に入れた瞬間、藤谷は眉を上げた。そしてクッキーを咀嚼しながら入船を見た。そしてクッキーを飲み込んで呟いた。


「……………普通のクッキーとどう違うんだ?」

「え?」


わたしは箱からクッキーを取り出して、そっと口に入れた。さくり、とした感触のあとに甘い味が口に広がる。これは、美味しい。しかし。


「バラ…?」


わたしは首を傾げた。普通のクッキーとの違いがよくわからなかったのだ。


「美幸ちゃん、あたしも食べたい」

「はい」


わたしは莉子にクッキーを渡す。莉子もクッキーを口に入れると、少しして首を傾げた。


「普通に美味しいクッキーだけど、バラの味はわかんないね」

「…だよね」


そしてわたしと莉子と藤谷の視線が入船に集まる。三人の視線を受けて、入船はあっけらかんと笑った。


「これは普通に美味しいクッキーだな!」

「紛らわしい反応すんな」


藤谷が入船の肩を軽く叩いた。


「いやあんまり普通のクッキーだったから…」

「まあそれは同意する」


わたしたちは笑い合った。バラの花びら入りクッキーは、普通のクッキーと何ら代わりが無かったからだ。


「まあ響一にも食べさせてみよう」


入船はそう言って、わたしからクッキーを受け取ってそれを開封した。


「響一」

「え?」

「はい」


入船はそのまま容赦なく青葉の口にクッキーを入れる。


「む」


響一は文句を言いたそうな半眼で藤谷たちを見たが、大人しくクッキーを食んだ。そして入船が尋ねた。


「響一、それ何味だと思う?」

「え?」


青葉は少し考えて答える。


「砂糖」


その答えに入船と莉子は声を上げて笑った。わたしと藤谷も思わず笑みを浮かべた。


「まあそんなもんだよな」

「これ何?」

「バラ入りクッキー」

「…………バラ?」


その反応にわたしたちはまた笑った。そして残りのクッキーもみんなで笑いながら食べた。


そしてそんな平和な昼休みの終わりがけ、莉子がお手洗いに行くからと先に輪から出て行

。そろそろ教室に戻ろうかと思っていると、入船がすっと近付いてきた。


「ところで」

「なに?」

「葵園で日高さんの写真とか撮ってないのか?」


そう言われてわたしは莉子と一緒に撮った写真のことを思い出す。


「撮ったけど」

「見せてくれ!あわよくばくれ!」

「えっ嫌だ…」

「じゃあ見るだけ!見るだけでいいから!」


入船は懇願するように美幸わたしの腕をつかむ。


「まあ」


見せるだけならいいかと思ってわたしは制服から携帯を出す。するとその画面をのぞき込むように藤谷が隣にやってきた。


「何してんだ」

「入船が写真見たいって言うから…」

「へえ」


入船と藤谷の二人に挟まれながら、わたしは携帯を操作する。そして莉子が送ってくれた写真を表示した。


「これだよ」

「うわ~日高さんかわい…」


入船が写真を見ながらそう呟いた。それには全面的に同意する。


「これ頭に乗せてるの何?」


藤谷が写真の中の美幸わたしの頭を指さす。


「花かんむり。造花だったけど」

「へえ」

「バラ園の写真は撮ってないのか?」


入船にそう言われて、わたしは頷く。


「わたしはこれしか撮ってない」


そう言って写真のフォルダを開くと、先にあの小人の写真が出てきた。


「ふっ」


隣で藤谷が小さく笑うのが聞こえた。


「バラじゃなくてなんでこれだけ?」

「藤谷に似てると思って」

「え?」


入船が藤谷と写真の中の小人を見比べる。すると藤谷はやめろと美幸の携帯を取り上げた。


「あ」

「おい藤谷」


わたしが手を伸ばすと、藤谷は携帯を掲げてわたしの手が届かないようにした。


「ちょっと」


少しむっとしてそう言うと、藤谷はふっと笑って携帯をわたしの顔の前に持ってきた。


「勝手に取らないで」

「勝手に人形と人を重ねるから悪い」


そう言いながらも藤谷は怒っているどころか機嫌が良さそうに見えた。すると本をいつの間にか閉じてこちらを見ていた青葉が立ち上がり、声を出した。


「そろそろ昼休み終わるよ」

「やべ」

「戻ろうか」


わたしたちは立ち上がり、教室に戻る準備をする。そこでわたしはふと視線を感じて顔をあげた。すると廊下の窓から、古城がこちらを見下ろしているのが見えた。


「…」


なんて冷たい目なんだろう。莉子や藤谷たちと話して暖かくなっていた心が、急速に冷えていくのを感じた。




「ちょっと今日放課後の残ってて」

「え?」


午後の休み時間、突然古城がそう言ってきた。今日は水曜日でもないので、莉子と一緒に帰る日だった。


「それは困る」


わたしがそう言うと、古城は唇に弧を描く。


「そんなの知ったこっちゃないね」


古城はそう吐き捨てた。


「いや、ちょっと…」

「じゃ、放課後に」


それは古城の中で決定事項のようだった。わたしが何を言ってももうこちらに見向きはしない。


「…」


古城を変に刺激はしたくない。仕方なくわたしは古城に従うことにした。そうしてわたしは次の休み時間に莉子の教室へと赴く。教室を覗くと、教室の中にいた入船と目が合った。


「片桐美幸じゃん、どうした?」

「莉子いる?」


入船は教室の中を見渡した。


「前の授業が移動教室だったからな。もうちょっとしたら来るんじゃないか」

「そうか」

「日高さんに何の用なんだ?言えることなら伝えておくぞ」


そういえば今日莉子を一人で家に帰すことになるので、入船にも伝えておいた方がいいだろうか。


「今日放課後に用事ができたから、莉子に先に帰ってほしいって伝えておいてほしいんだ」

「え?そうなのか」


入船の目が一瞬きらりと光る。わたしはそれを見て、背中を押すことにしてみた。


「よかったら入船が一緒に帰ってあげて」

「お、おう」

「任せるよ。じゃあ莉子によろしくね」


莉子に直接伝えたかったが、休み時間もあまり長くないので仕方ない。わたしは入船に伝言を頼んで自分の教室へと戻った。


そして放課後がやってきた。


わたしは教室に残って自習をしつつ、教室から人がいなくなるのを待った。


「じゃあまた明日ね」

「やべ、もう練習始まるじゃん」

「ばいばーい」


教室から出て行く同級生たちを見送り、やがて教室には古城とわたしの二人だけが残った。静かな教室に、遠くから運動部の掛け声が聞こえる。


わたしは立ち上がり、古城の机の横に立つ。


「それで、何の用?」


そう尋ねると、古城はあの冷たい目でこちらを見た。


「日高や入船にすり寄るのはやめろ」

「は?」


思いもしない言葉に、思わず語気が強くなった。


「あいつらをどうにかしないほうが身のためだよ」

「どうにかってなに」


古城がこちらを見る視線は冷たい。しかし、わたしも負けてはいられなかった。古城に莉子たちのことをどうにか言われる筋合いなどないと思ったからだ。


「あいつらに取り入って、この学校を乗っ取ろうとでもしてるんだろ」


古城が美幸わたしを見る時、その視線には常に敵意が含まれている。その視線の通り、古城はわたしを敵だと認識しているのはわかっている。しかし古城には"わたし"がどんな存在(敵)に見えているのだろうかと思っていた。


「それは俺が許さない」


でもこの時になんとなくわかった。古城は”わたし”をこの世界にいる人たちを傷つける存在だと思っているのだと。そして”わたし”からこの世界の人を守ろうとしているのだ。


その考えは理解できないわけではない。それでも古城の言い分を飲むことはできない。だって”わたし”はそんなことは決してしないし、そもそも”わたし”は美幸そのものとして振舞わなければいけないからだ。


「それはできない」


そう言うと、古城は眉を潜めた。


「へえ、この写真ばらまかれてもいいの?」


古城は写真をこちらに見せる。ここで逆上してはいけない。わたしは努めて冷静に言葉を紡ぐ。


「ばらまかれるのは困る。だけど、もしわたしが退学になったら古城も困ると思う」


わたしの言葉に、古城は笑みを消した。


「もうわたしの言う事を信じる気はないようだからそっちに話を合わせるけど、古城はわたしを暴くのが目的なんでしょう。でもわたしが学校からいなくなったら、それができなくなると思う」


とっさに絞り出した考えだったが、我ながら悪くない言い分だと思った。古城はわたしのことを敵視しながらも、こちらのことを観察したそうにしているから。これで古城がこちらを敵視するのは仕方がないが、言いなりになるのは辞めることができるのではないかと思った。すると、古城はそれは一理あるなとぽつりと呟いた。そしてこう続ける。


「そうかなるほどな」

「…?」


古城はやれやれと深くため息を吐く。そして、制服のポケットからさらに一枚の写真を取り出した。それは、男たちに回し蹴りをする女子生徒の写真じゃない。


「あんたがそう言うなら方針を変える」

「…」


写真を見て、心臓が大きな音を立てて鳴った。


「俺が弱みを握ってるのは、あんただけじゃないんだぜ?」


わたしは震える手を握りしめた。古城の手にある写真。そこには、わたしを助けるために男たちに殴りかかる藤谷の姿があった。


「…っ」


そうだ、どうしてその可能性に思い当たらなかったのだろう。いや思い当たっていなかったわけじゃなくて、そうじゃないとただ思いたかっただけなのかもしれない。


「これ、顔も綺麗に撮れてるだろ。俺の力作だ」


古城は勝ち誇ったように笑みを浮かべる。


「俺が握っている首は、あんただけじゃない」


これではまるで人質じゃないか。わたしは自分の考えが甘かったと苦々しく思った。


「……藤谷まで巻き込むつもりか」

「そもそもそれは東雲を巻き込んだお前が悪いんじゃないか?」


古城の言葉はあまりに正論で、わたしは反論できずに口を閉じた。だってその通りだったからだ。


「東雲に恨みはないが、まぁこんな暴力沙汰起こして退学になるのは仕方ないだろう」

「…やめて」


わたしは小さく呟く。すると古城は満足そうに笑った。


「あんたが抵抗しなければ、俺は何もしない」

「…」


やられた。わたしは白旗を上げるしかなかった。


「あんたは俺の言うこと聞いてればいいんだよ」


言うことを聞かないと、藤谷がどうなってもいいんだな。


わたしには古城の言葉がそう聞こえた。嫌だ、と思った。わたしはもう美幸の将来に泥を塗ろうとしている。そこに藤谷まで加わるなんて。許されるはずがないだろう。


仲間を自ら危険に晒すなんて、できない。


「わかったか?日高や入船や東雲と…あと青葉だったけ?あいつらに必要以上に近付くな」


笑いあった昼休みがもうすでに遠いもののように感じる。


「…………………わかった」


わたしの返事に古城は満足そうに頷いて、上機嫌で教室を出ていった。


誰もいない教室にひとり残されたわたしは、そっと美幸の両手の手のひらを見た。拳を強く握りすぎて、手のひらに爪の跡が残ってしまっていた。


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