美幸を嫌うひと①
目を開けると、青い空と荒廃した大地が広がっていた。これはあの夢だ。わたしはそう思って、自分の身体を確認する。紛うことなき、××の身体だ。
「美幸?どこだ?」
広々とした空間にそう声を投げかけると、間もなく元気な声が帰ってきた。
「ここだよ!」
いつの間にそこにいたのか、美幸はすぐわたしの背後に現れた。
「やあ、××ちゃん!とうとう美幸一周年だね」
美幸の世界にいる間に毎日鏡で見ていた身体で、喜ばしいことのように言う美幸。美幸との会話は愉快で楽しい。しかし今は、美幸のそのペースに乗せられるわけにはいかなかった。
「なあ、美幸。もうわたしをもとの世界に帰してくれないか」
わたしがそう切り出すと、美幸は眉を下げて寂しそうな顔をした。美幸がそんな顔をする意味がわからない。そう美幸に当たりたくなる気持ちをぐっと飲み込んだ。
「嫌になっちゃた?美幸の世界は」
わたしの内心を察してか、美幸は静かな瞳で問いかけてきた。
「ああ。これ以上はもう耐えられるかわからない」
間髪入れずにそう返すと、やはり美幸はどこか寂しそうな顔をした。
「…そっか」
そんな美幸の態度に一抹の不安が過り、わたしは尋ねる。
「わたしは元の世界に帰れるんだよな?」
すると美幸はこちらを真っ直ぐに見据えて頷いた。
「うん。かえす。必ず」
その瞳に嘘の色は見られない。多分本当のことを言っているのだと思った。夢の中だけだが、美幸との付き合いは長い方だから。
「そうか」
わたしはほっと息をつく。しかし、美幸は表情を変えない。
「けど私にはまだ残したことがあるんだ。もうすこしだけ、待ってくれないかな」
「…もう少し?」
「…次に会う時までに、全部整えておく。そしたら、かえすから」
「次って?」
美幸は視線を彷徨わせて、迷った素振りの末に呟く。
「次の冬が来るまでには」
わたしはその言葉に思わずため息をつく。美幸の世界では、春になったばかりだ。
「…それまではどうにもならないんだな?」
「うん。まだこのままでいさせてほしい」
その願いは却下したかったが、この現象の主導権を握っているのは美幸だ。美幸がそう言うなら従うほかなかった。
「…次の冬までだな?本当だな?」
わたしは美幸に念押しをする。美幸はゆっくり頷いて、綺麗に微笑んだ。
「でも教えて××ちゃん」
わたしは首を傾げて、美幸の言葉を待つ。
「何が、そんなに耐え難いの?」
「…」
その質問の答えはすぐに出てこなくて、わたしは視線を青空に向けた。
少しの間の後、美幸はゆっくりとわたしに尋ねる。
「美幸の世界は、××ちゃんの世界より生き辛い?」
「それは違う」
生き辛いわけがない。わたしは思わず即答した。そして、付け加える。
「生き辛くないから、耐え難いんだ」
美幸はそっかと呟いてから微笑んで、それ以上は尋ねてこなかった。
お互い黙り込むと、この場はとても静かになる。だってこの夢の場所には風が吹かないから。それがなんだか居心地悪いような気がして、わたしは自分から美幸に尋ねた。
「美幸はどうしてこんなことしてるんた」
美幸は綺麗に微笑んで、人差し指を口元に持っていく。
「それはまだ秘密だよ」
「秘密が多いやつだな」
苦笑いすると、美幸は芝居がかった仕草でその場でくるりと回った。
「女の子は秘密が多いほうが美しいのです」
「なんだそれ」
わたしと美幸は顔を見合わせて小さく笑った。居心地の悪い空気がそれで払拭されたような気がした。
「それにしても美幸はよくわたしの世界に順応できるな。つらくないか?」
美幸の世界とわたしの世界は本当に天と地の差がある。穏やかな世界を生きていた美幸がわたしの殺伐とした世界に馴染めているのは未だに謎だ。
「それは全然大丈夫だよ」
美幸はなんてことないように笑った。
「仲間たちも優しいし」
「そういば美幸はあっちではわたしになりきってるんだよな。仲間たちにバレたりしないのか?」
「うん、大丈夫みたいだよ」
「へえ。わたしと美幸なんて結構性格が違うのに、よくやってるな」
美幸は一瞬不思議そうに目を丸くした後、微笑んだ。
「普通の人には変わってるように見えないと思うよ」
「そうなのか?」
「うん。だって、私と××ちゃんは魂の形がとても似てるから」
「へえ…え?」
わたしは瞬きをする。わたしと美幸の魂が似ているということより、どうして美幸にそんなことがわかるのかということに引っかかった。美幸の世界に魂の形なんて知る方法はないはずだ。わたしの世界でも魂の形なんて高度な霊術を用いてようやくわかるものなのにと、そこまで考えてわたしは美幸に尋ねる。
「…まさか美幸は、霊術が使えるのか?」
すると美幸は、先ほどと同じように人差し指を口元に持っていく。
「それも秘密か」
美幸はにこりと微笑んだあと、口を開く。
「…××ちゃん」
「ん?」
美幸はわたしを真っ直ぐに見る。
「美幸でいる間は、××ちゃんがしたいことをしてね」
「え?」
「次の夢までにあの世界に未練を残しちゃだめだよ」
美幸の瞳には、どこまでも真剣な光が宿っていた。
「私がこんなことをしてるのは、あなたが××ちゃんだからなんだよ」
その言葉を言い終わったと同時に、空と大地が割れ始めた。夢の終わりの合図だ。
「どういうことだよ!」
わたしは空に、美幸は大地に。わたしの叫びなんて聞いていないかのように、美幸はひらひらと手を振った。
「またね」
アラームが鳴る。
わたしは目覚める。美幸の部屋だ。美幸の身体だ。
「…」
夢で美幸と話したことを脳内でぼんやりと反芻していると、廊下の方から足音が聞こえてきた。控えめなノックの後、美幸の部屋の扉が開かれる。そこから顔を覗かせた美幸の母親と目が合った。
「おはよう、美幸ちゃん。熱はもう大丈夫?」
そうだ。美幸は熱を出して寝込んでいたのだった。
「おはよう。うん、大丈夫。もう下がってると思う」
「よかった。一応熱は計っておいてね」
「うん」
「じゃあお母さんは仕事に行くわね。新学期、頑張っておいで!」
「いってらっしゃい」
わたしは美幸の母親を見送って、ベッドから立ち上がる。もうしばらくすれば、莉子も迎えに来るだろう。
わたしは美幸の部屋の中を見渡す。もうここにわたしが戻ってくることはないと思っていたので、部屋の中は徹底的に掃除と整理整頓をしていた。机の上には美幸への伝言のつもりでここ数日莉子や入船たちに言われたことやわたしがやったことが詳細に記されていた紙が置いてあり、その横には誕生日に貰った腕時計が入った箱が置かれている。
「美幸…」
わたしは腕時計の箱を撫でながら、小さくその名前を呟く。ようやく美幸にこの世界を返せると思っていたのに。しかしこのままぼんやりとしていたら遅刻してしまう。わたしは深呼吸をして、美幸の学校に行く準備を始めた。
しばらくして、美幸の家に莉子がやってきた。
「美幸ちゃんおはよう!熱はもう下がった?学校行ける?」
金髪に、翡翠の瞳の女の子。顔が小さく、大きな眼は丸い。一年前とは違い、わたしはもうこの女の子のことをよく知っている。
「おはよう、莉子。もう大丈夫だよ」
莉子は自分の手を美幸の額に当てる。
「うん、もう熱はないみたいね」
莉子は嬉しそうに笑う。その笑顔も、もう見納めかと思っていたのに。
「じゃあ学校行こ、美幸ちゃん」
「うん」
莉子が美幸の手を取って引く。そして左腕に付けられた腕時計を見て嬉しそうに笑った。それを見てわたしの胸には苦い痛みが広がる。美幸の誕生日以降、莉子や入船たちを騙しているという罪悪感にわたしは苛まれていた。わたしは彼らに決して明かせない秘密を抱えている。秘密といえばと、夢の中の美幸が笑う。
ーー女の子は秘密が多いほうが美しいのです。
美幸は美しいかもしれないが、わたしは違う。今のわたしは、とても醜く思える。
美幸の学校に着くと、掲示板の前に人だかりが出来ている。クラス分けの紙が掲示されているからだ。わたしは莉子と並んでひとだかりの間から美幸の名前を探した。
すると、隣にいた莉子が悲痛な悲鳴をあげた。
「うそ!やだ!美幸ちゃんとクラス離れた!」
「もう見つけたの。どこ?」
莉子は悲しそうな顔をしながら、掲示板のあるところを指さす。
「美幸ちゃんは、三組…」
そう言われて三組の欄を見ると、確かに”片桐美幸”の名前があった。
「莉子は?」
「六組…」
六組の欄に目を移すと、確かに”日高莉子”と書かれている。さらにざっと六組のクラスメイトを見ると、そこに”入船良光”の名前を見つけた。
「莉子は入船が一緒だね」
「美幸ちゃんが良かったの」
莉子が眉を下げたまま呟く。入船には良いクラス分けになったなと思いつつ、そういえば美幸のクラスに他に知り合いはいるだろうかと、わたしは三組の欄にもう一度目を戻す。
「…」
二年生の時と同じクラスだった人はいるようだが、それくらいだった。藤谷と青葉は何組だろう。
「三組と六組…教室の階も違うし、合同授業でも一緒にならなさそう…」
莉子が隣でぶつぶつと呟いている。わたしはそれを申し訳なく聞き流しながら、掲示板に目を通す。その名前は、一人が見つかるともう一人もすぐに見つかった。
七組の欄に、“青葉響一“と“東雲東谷“の名前。
「…藤谷と青葉は、七組だ」
美幸だけがひとりか。それが、わたしは何故だかとても心細く感じた。この一年間、莉子や入船たちとずっと一緒だったからだ。
「美幸ちゃん、休みは遊びに行くからね!」
自分たちのクラスに移動しながら、莉子がそう言ってくれてありがたいと思った。
「じゃあ六組はこの上だから。また昼休みにね!」
「うん」
わたしと莉子は階段で別れる。
三組の教室に入ると、すでに教室にいたクラスメイトたちが雑談をしていた。
「あっ片桐さんだ、おはよー」
そう挨拶をしてくれたのは、二年の時同じクラスだった女子生徒だ。
「おはよう」
「また一年よろしくね!」
「うん、よろしく」
その後何人かにも声をかけられた。思ったより疎外感を感じなくて良かったと、わたしは内心安堵のため息をついた。
そして黒板に記載された美幸の席に座り、予め机に配付されているプリントに目を通そうとした時のことだ。
「おはよう」
声をかけられて振り向く。美幸の後ろの席に茶髪で長めの前髪の、黒い目の男子生徒が座っていた。名前は知らない男子生徒だ。
「おはよう」
わたしが挨拶を返すと、男子生徒はニヤリと笑った。その笑みが親しげなものではなく、こちらを馬鹿にするようなものに見えて違和感を抱いた。しかし指摘するのも違うと思い、静かに席に着くと男子生徒はさらに後から話しかけてくる。
「ねえ、俺の名前わかる?」
随分挑発的に尋ねてくる。その理由がよくわからないまま、わたしは後ろを振り向いて正直に答える。
「ごめん、わからない。どこかで話したことあったっけ?」
「いや、ないね」
男子生徒は両手を頭の後に回して、またあの笑みを浮かべた。
「俺は古城」
古城。聞き覚えも特にない。
「わたしは…」
「でも俺はあんたのこと知ってるよ」
名乗ろうとしたわたしの言葉を遮って、古城は口を開いた。
「片桐美幸のニセモノ、でしょ」
「…は?」
わたしは目を見張った。今、この男は、何を言った。
「…何を言ってるの?」
内心ひどく動揺したが、それを表に出すことは出来ない。わたしは冷静に取り繕って尋ねる。すると、古城は目を細めて美幸を見た。
「俺からしたらあんたの方が何言ってるのかわかんないから気持ち悪いけどね」
その時に古城から感じたのは、明確な敵意だ。
「何を企んでるかは知らないけど、同じクラスになったからには容赦しないから」
「…はあ」
わたしは気にしていない風を装って、生返事を返して前を向いた。そして机の上で、小さく震える手を握りしめた。
意味が分からない。理解が追いつかない。
冗談で言っている雰囲気ではなかった。古城という男は確信をもって言っていた。初対面の同級生に話しかけるのではなく、美幸のことを得体の知れない敵を見ているような目をしていた。
古城はわかっているのだ。片桐美幸の”中”にいるのが、この世界のものではない”わたし”であることに。冷や汗が滲んでくる。
どうして、気付いた?
古城という男はそれ以降話しかけてくることはなかったが、背中からこちらを観察する視線を痛いほど感じた。一時も気を緩めることは許されないような気がした。
「あれっ?美幸ちゃんだ」
昼休み。わたしは古城の視線から逃げるように莉子たちのいる六組へと向かった。とりあえずあの視線がないところで考え事がしたかった。莉子は教室にやってきた美幸を見て不思議そうな顔をしたあと、嬉しそうに笑った。
「ようこそ六組へ~」
六組の教室に入ると、すぐに入船がこちらに気付いた。
「おう、片桐美幸。どうした?」
「あ、えっと…」
わたしは言葉に詰まる。古城という男子生徒から逃げてきたなんて、言えるはずがない。少し考えてわたしは口を開く。
「り、莉子に、会いたくなって…」
いい理由だと思ったが、なんだか口にするには恥ずかしいことだったと途中で気付いてしまって後半が小声になった。
「み、美幸ちゃん…!」
「片桐美幸ってそんな寂しがり屋だったんだ」
莉子が感動するように震え、入船がへえと目を丸くした。これは完全に言葉を選び間違えた。ごめん美幸。気恥ずかしく二人から視線を外していると、背後から聞きなれた声がした。
「なんだ、お前もいるのか」
「藤谷」
振り返ると、藤谷と青葉が六組の教室に来ていた。藤谷は美幸と莉子と入船を順番に見て、生暖かい雰囲気を察したのか眉を潜める。
「…何してんだ?」
「何も」
莉子と入船が何か言う前に、わたしは素早くそう返した。その後、わたしたちは入船の提案で中庭に移動して昼食を取ることにした。
「それで美幸ちゃん、三組はどんな雰囲気?」
「え」
莉子にそう尋ねられて古城の顔が一瞬浮かんだが、わたしは一旦それを頭から排除する。
「いい感じだと思うよ。前のクラスの人もいるし」
「よかった!何かあったらすぐあたしに言うんだよ」
「うん」
もう何かはあったけど。わたしはそれを飲み込んで、莉子に尋ねる。
「六組はどう?」
「そうそう!めっちゃ面白い男子がいてね」
そう言うと、莉子が思い出し笑いをし始めて話すどころではなくなってしまった。入船はそんな莉子を見て少し面白くなさそうな顔をしてから、口を開いた。
「会田って奴なんだけど、サッカー部の。知ってる?」
「いや、知らない」
「そいつがさーー…」
それからその六組の会田という人の話を聞いていると、青葉が途中で口を挟んできた。
「そいつ、一年の時もそんなことしてたな」
「響一、会田と同じクラスだったっけか」
「うん」
「佐々木は知ってるか?」
「ああ、わかるよ。バレー部の奴でしょ」
「あっあたしも知ってる~」
入船たちが同級生たちの話で、盛り上がっていく。この会話の流れならいけるかもしれないと、わたしは何気ない振りを装ってこう言った。
「そういえば、みんなは古城って知ってる?」
そんなわたしの言葉にすぐに反応したのは、青葉だった。
「知ってる。一年の時同じクラスだったから」
「会田と古城が同じってえらいバラエティに富んだクラスだな」
入船が苦笑いをする。莉子は知らないのか、不思議そうに首を傾げた。
「それって男子?どんな人なの?」
「古城もまぁ…ある意味面白い奴かな。オカルトが好きな奴で、教室で変な雑誌とかよく読んでるらしい」
「そうそう。僕もそれ見たことある」
入船と青葉が古城の話で盛り上がる。するとずっと黙っていた藤谷が口を開いた。
「なんで古城の話なんかするんだ?」
一瞬ぎくりとしたが、わたしはごまかすように苦笑いした。
「…いや、なんだか不思議な人だと思って」
「確かに古城って電波系っていうか、不思議系だな」
入船が同意するように頷いた。
「でも悪いやつじゃないと思うぞ」
「そっか、それならいいや」
わたしは入船の言葉に安心した振りをした。
そうか。悪いやつではないのか。まぁそれは当たり前だ。だって、彼の言うことは間違っていないのだから。どちらかといえば、わたしの方が“悪いやつ“だ。
「そういえば、一組の先生ってーーー」
「それでね、隣の席の男子が…」
「数学担当って、シバセンと大川先生のーー」
「今年の体育祭ってさーー」
わたしは莉子たちの会話を時折相槌を打ちながら聞いた。そこでふと気付く。この五人揃っている場を、わたしが心地よいと思っていることを。
そんな感情に気付いたわたしは、腕時計を見る。そうすれば、またあの罪悪感がちくりと胸を刺す。
そしてわたしはその痛みを感じることで、自分を戒めたつもりになっているのだ。




