美幸の青春④
わたしと目が合った男の目が細くなった。まるで獲物を見つけたかのような。
逃げろとわたしの中の何かが高らかに叫び、わたしは一歩足を踏み出した。しかし男の方が一瞬速く動いて、わたしの逃げ道を阻んだ。
「っ・・・」
「やあ、こんにちは」
その様子から、明らかにこの男は美幸の顔を覚えている。わたしは血の気が引くのを感じながら、男の横をすり抜けようかとそちらに視線を向ける。
「え?何?」
「ん?」
しかし時はすでに遅く、わたしに気付いた残りの二人が男の左右に立った。背後には自動販売機。逃げ場がない。あと一瞬気付くのが早ければ。わたしは内心で唇をかんだ。
「あん時の女じゃん!」
「どうも、東雲藤谷の知り合いさん」
「俺らのこと覚えてるよな?」
男たちはにやにやと笑みを浮かべながらわたしを舐めるように見る。
「そんなに睨むなよ」
「…」
「何か言えよ」
男の一人に腕を強く掴まれた。容赦がないその暴力に、反射的に冷や汗が滲む。判断を誤らないように、わたしは一つ一つの動作に気をつけながら口を開く。
「・・・な、なにか御用ですか」
「しゃべれんじゃん」
震えながら口を開いたわたしを見て笑いながら、男はわたしの腕は離さない。
「俺たち東雲に会いに来たんだよ」
「あいつ、どこにいるか知ってる?」
目的は藤谷か。まあそうだろうな。クラスメイトが藤谷を探している友人がいると言っていたが、恐らくこの人たちのことだ。朝に顔を見たので藤谷は今も校内にはいるだろうが、そんな簡単に彼らを藤谷に引き合わせて良いとは思えない。誰かに助けを求めようかと周囲を伺うが、近くにはごく普通の生徒しかいない。この人たちは人に暴力を振るうことができる人間である。下手に巻き込んで、他の生徒に矛先が向くのは避けたい。
さあ、どうする。
わたしの頭の至極冷静な部分がそう囁いた。しかし長くは考えていられない。男たちの機嫌を悪くするのは得策ではない。わたしは小さく息を吸い込んだ。そしていかにも怯えていますという表情で、震えた声で答えた。
「・・・・・・し、知ってます」
弱気なわたしの態度を見て、男たちが愉快げに笑った。
「ちゃんと答えてくれれば悪いことしないって。どこにいんの?」
「じ、実験棟の・・・二階の理科第二準備室・・・です。さっき廊下で会って・・・よくそこにいるから・・・」
たどたどしくわたしが答えると男たちは顔を見合わせた。ちなみに美幸の学校に実験棟の二階の理科第二準備室なんてものはない。通っていない高校の教室なんてわからないだろうと賭けに出てみたが、とりあえずそれには勝ったようだ。男たちは顔を見合わせて小声で話し合ったあと、そのうちのひとりが笑顔でわたしの肩に手を置いた。
「ねぇ、そこまで案内してくれねえ?」
これでもう逃げられない。わたしは腹をくくった。
「・・・わかりました」
わたしは怯えた態度のまま、苦々しい表情でそう返事をした。
「…あっちです」
わたしが校舎を指差しながら一歩踏み出すと、男たちはわたしの前から一歩離れた。
「…こっちです」
わたしはゆっくりと、男たちを率いて歩き始めた。
「………………」
わたしは人通りが少なそうな廊下を選んで、歩みを進めた。これでは自分の教室にしばらくは戻れない。後で莉子に謝らなければ。にしても、莉子の元に入船を行かせておいてよかった。ひとりじゃ不安だろうから。
男たちはわたしの背後にぴったりとくっついて着いてきている。逃げ出そうと思えば逃げ出すこともできたかもしれないが、わたしはそうはしなかった。学校内で男三人とのおいかけっこをするなんて、どう考えても問題行動だからだ。
わたしが今すべきこと。それは、なるべく騒ぎにならないように、決して美幸の学校の人間を巻き込まないように、そして万が一にも問題を起こす美幸の姿を誰にも見られぬようにすることだ。
そもそもこの三人組をひきつけているのは、美幸のせいじゃない。”わたし”のせいだ。あの日あの時あの場に首を突っ込んだわたしの責任だ。とにかくわたしがなんとかしないと。藤谷にだって、迷惑をかけるわけにはいかない。
大丈夫だ。わたしならなんとかできるはず。
わたしは自分自身にそう言い聞かせて、文化祭の喧騒から一歩一歩離れていった。
目指すは文化祭の企画も周囲になく、この時間帯なら人通りもほとんどない第二校舎裏の駐輪場だ。校舎からもほどよく離れているため多少騒ぎを起こしても人の目にもつきにくいはずだ。出来れば騒ぎは起こしたくはないが。
わたしはそこに辿り着いた時のことを頭の中でシミュレーションしながら、歩いていたがそう都合のいいように進むはずもなく、しばらく適当に校舎の中を歩いていると背後にいた男たちが呟きあうのが聞こえてきた。
「本当にこっちなのか?」
「どうかしたか?」
「俺たちが向かってるのは二階だろ?こっちに階段なんてないんじゃ」
「てか実験棟ってどれ?」
不審に思った男のひとりがわたしの肩をつかんだ。
「なあ」
「はい」
わたしは素直に振り返って、周囲を確認する。廊下に他に人はいない。
よし。
心中で決意した直後わたしは肩に乗った男の手をはらいのけ、男たちを背に走りだした。
「あっおい!てめぇ!」
「待て!」
廊下を少し走って、わたしは近くの開いた窓から外に飛び出した。
「くそっ!あいつ!」
二階の窓の外には一階の入り口の屋根があり、わたしはそこに一度着地した後さらに地面に下りた。そしてそのまま全速力で駆け出す。そして目的地である第二校舎裏の駐輪場まで。
人とすれ違うことなく駐輪場に辿り着いて、わたしは安心しながら息を整える。しかし思ったより男たちの足は遅かったので、他のところに隠れても良かったかもしれない。
「いたぞ!」
休息していたのも束の間、男たちがわたしの姿を見つけ走ってくるのが見えた。わたしが足を一歩引いた構えの姿勢を取ると、男たちはあの日のことを思い出したのかわたしから充分に距離を取って立ち止まった。
「殊勝な態度とってるかと思えば…てめぇなんなんだ」
あんな態度にあっさりと騙される方が悪いと思ったが、火に油を注ぎたいわけではないのでそこは胸中だけで呟いておく。わたしはどこまでも冷静でいなければならない。そう思いつつ、息を吸って言葉を吐いた。
「あそこでは話しにくかったので移動しただけです」
「ああ?」
男たちは怪訝そうに眉を潜めた。
「藤谷には会って何をする気ですか?」
「は?そりゃあ・・・ただ話すだけだよなあ?」
「ああそうだよ」
「他に何があるんってんだよな」
男たちは不快な笑いを零しながら、口々にそう言った。到底信じることができない言葉だ。
「ただお話しするだけじゃないでしょう。それなら会わせるわけにはいかない」
そう言い切ると、あからさまに苛ついた男たちがわたしを睨む。
「お前何様?」
わたしは背筋を伸ばして答えた。
「藤谷の友人で、ここはわたしの学校です。ここで問題を起こすのはやめてほしい」
「むかつく女だな!」
衝動に耐え切れないといった様子で、男のひとりがこちらに飛び込んできた。わたしはその男の腕を掴み、地面に叩きつけた。いつかの藤谷のように。
「っ!いってえ・・・」
地面に叩きつけられた男は、咳き込みながら丸まった。背中と意図的にかなり強くしたからそう簡単に動けまい。
「こいつ・・・」
「先に手を出したのはそちらですからね」
「うるせぇ!」
わたしがそう言うと、もう一人の男が叫びながらこちらに向かって走り出した。わたしは冷静にそれをいなして、回し蹴りをその男に食らわせる。
「っぐっ!」
蹴りはみぞおちに綺麗に入った。痛いだろう。男は腹を抱えて蹲る。その背後からもう一人の男が近付いて来てこちらに腕をふりかぶった。わたしはそれをしゃがんで避けて、そのまま男の顔に頭突きをした。
「っ!」
頭突きをくらった鼻を抑えて男がこちらを睨む。地面に叩きつけられた男と回し蹴りを当てた男は苦しそうに呻きながら地面に転がっている。これでもうあと一人だ。やはりわたしだけでも勝てる。そう思った瞬間だった。
「あれ?ここどこ?」
校舎の影から人が出てきた。一般の人だろう、女性二人組だ。
「あ?なんだ?」
男の視線がそちらに向く。巻き込んではいけない。わたしはとっさに声を張り上げた。
「ここから離れて!」
その瞬間、全身に衝撃を感じてわたしは膝をついた。隙をついて思い切り蹴られたようだ。
「きゃあっなに!?喧嘩?」
「ちょ、やばいって!」
女性たちが悲鳴をあげながらその場を立ち去るのが聞こえた。わたしはそれを視界の隅に捉え、再び男の蹴りを受けた。一瞬息ができなくなり、わたしは咳こんだあと声を上げた。
「人が来ますよ!」
「うるせえなめやがって!このまま帰れるかよ!」
「ぐっ」
体勢を崩したままのわたしに男がのしかかってくる。しまった。動けない。
「離せ!」
「黙れ!」
わたしに馬乗りになった男の拳が顔面に迫る。視界に星が散った。
身動きが取れない。男は血走った目をわたしに向けながら、わたしの首に手をかざした。正常な判断ができていないのだろう。わたしは冷静に状況を把握しながら、唇を噛む。
失態を犯した。もっと慎重に動くべきだった。ひとりでどうにかできると勝手に高を括った。わたしはまだまだ半端者だったということだ。半端者はあくまで半端者であり、一人前になるまでは誰かが近くで見ていなければすぐに命を落としてしまうというのは”わたし”の世界の常識だったじゃないか。
でも助けを求めることなんてできたのだろうか。助けなんて呼べるはずがないのに。助けなんて来ないのに。だってこの世界にはいないのだ。
”わたし”の仲間は。
首を掴む男の手が強くなる。息ができない。
苦しい。
凄い力だ。
痛い。
やめろ。
いやだ。
だめだ。
美幸。
ごめん。
霞む視界の中そう心の中で呟いた瞬間、目の前にいた男の身体が吹っ飛んだ。
「っはあっ!」
首が開放された瞬間、わたしは息を吸い込む。勢いよく吸い込みすぎてちょっとくらくらした。
「生きてるか」
その声のする方をわたしは見た。そこには険しい顔をした藤谷が立っていた。彼が男を吹き飛ばしたのだ。
「っげほ…と、藤谷・・・ど、どして・・・」
「無事みたいだな」
そう言って藤谷はわたしの手を強く引いて立ち上がらせる。
「行くぞ。先生が来たら面倒だ」
「っう、ん」
わたしは立ち上がって自分の周りを見渡した。三人の男が呻きながら地面に転がっている。その光景を見ていたわたしの背を、藤谷が軽く叩いた。
「走れるか」
「うん」
わたしは頷く。膝が少し笑っているような気がしたが、先程の苦しみよりはよっぽどましだろうと美幸の身体を叱咤した。そんなわたしの身体の様子を察してか、途中から藤谷がわたしの腕を引いて走った。
藤谷に腕を引かれるまま、わたしは校舎の一番上の屋上へと続く階段まで向かった。そのまま屋上にでるのかと思いきや、藤谷は屋上の扉の前の段差に座れとわたしに指示する。わたしは大人しく座った。
「ここで待ってろ」
わたしの返事も聞かずに、藤谷はひとり階段を下りて行った。ひとりになって、ようやく実感が沸いてきたのか身体のいろんなところが痛みを上げ始めた。
「…」
わたしは痛む部分を気休めにさすりながら、静かな階段でひとり先ほどのことを思い返した。
美幸の世界にいるからと言って、命の危険がないわけではないことをどうして頭の片隅にでも思っておかなかったのか。甘かった自分を叱咤した。一歩間違えば、この美幸の身体は死んでいた。もしそんなことがあったらあちらの世界に行っている美幸はどうなってしまっていただろう。想像するだけであまりにも恐ろしく、わたしは深く項垂れて膝に額を当てた。
心臓がどくどくといつもより大きな音で脈を打っている。脈を打つたび息をするたび、身体が痛む。しかし、それは美幸の身体が生きている証拠でもある。痛みを噛み締めながら、わたしは目を閉じて考える。わたしはあの時どうすればよかったのだろうか。美幸も、誰も傷付けずあの場を乗り越えるには。
「…」
俯いたままどれだけ時間が経過しただろうか。遠くからこちらに近付いてくる足音が聞こえた。頭がひどく重いような気がして、わたしはそのままの体勢で足音が傍に来るのを待った。
「おい」
足音の主に声をかけられてゆっくりと顔を上げると、冷たいものが顔面にあてられた。
「うっ」
「それで顔冷やせ」
藤谷がわたしの顔に当てたのは濡れたタオルだった。
「…ありがとう」
わたしは濡れたタオルを、痛みと熱を持っていた頬に当てた。気持ちがいい。そして座ったまま藤谷を見上げる。
「なんだ」
「…前にも、こんなことあったと思った」
藤谷は眉を歪めて、わたしを睨んだ。
「そん時に言っただろ」
「え?」
藤谷は今度は呆れたように息を吐いた。
「なんかあったら俺に言えって」
「あー」
思い出すと共に空気が抜けるような声が出た。そこでわたしはようやく思い至った。なるほど。そうか。
「最初から藤谷に助けを求めればよかったんだ」
「…そうだ」
「次はそうする」
そう言うと藤谷がこちらをしかめっ面を向けてきた。
「次とか言うんじゃねえよ。縁起でもねえ」
「確かに」
わたしはしっかり頷いて口を閉じた。確かにもうこんなこと二度とない方が良い。沈黙がお互いの間に落ちた。
「もう二度と、ひとりでなんとかしようと思わないことだな」
「うん」
わたしはもう一度深く頷いた。すると藤谷はわたしの向かいに座り込んだ。
「・・・」
「・・・」
特にお互い何を言うでもない静かな時間が続いた。じわじわとした痛みをごまかすためにも今は何か話をしていたくて、わたしは口を開いた。
「・・・そういえばあの人たちって誰なの?」
藤谷は一度わたしの方に顔を向けてから、独り言のようにぽつりと零す。
「小学校からの腐れ縁」
腐れ縁。あまり好ましくない縁という意味の言葉。しかしそれならば、幼稚園からの幼なじみだという入船や青葉とも知り合いということだろうか。そんな疑問を抱いて瞬きを数回したわたしを一瞥して、藤谷は静かに続けた。
「言っとくが全員じゃない。小学校からの知り合いはお前を殴ってた男だけだ。そいつが小学校の時青葉をいじめてたんだ」
「えっ・・・」
予想していなかった情報に、わたしの思考は一瞬固まる。そんなわたしの顔を見て、藤谷は事もなげに言ってのけた。
「それを返り討ちにしたのが、俺」
「え?」
「それからずっと俺にちょっかいかけてくるから相手してやってるんだよ」
そう言って得意気に藤谷は笑った。わたしは驚きながら、藤谷にさらに重ねて尋ねる。
「・・・それが何歳からのこと?」
「最初が俺たちが小学四年で、あいつらが六年だったから・・・十歳くらいか?」
「十歳からあんなことしてるの」
少し非難めいた言い方になってしまったが、藤谷はそれは気にせず呆れたように笑った。
「ことあるごとにあいつが俺のとこやってきて喧嘩売ってくるんだ。だからそれの相手をしてやってたのさ」
いちいち相手をする藤谷もどうかと思ったが、説教をしたいわけではないので口にはしないでおいた。代わりにあの日の河川敷での出来事のことを口にした。
「あの日も、喧嘩を売られて?」
「そう。あいつらも大学進学して大人しくなるかなと思ってたんだが、ばったり会ったところで喧嘩を売られてな。あいつと一緒にいた男は大学で知り合った奴なんだってよ。よくやるよな」
藤谷は乾いた笑いを零した。
「でも、もう潮時だな」
「・・・喧嘩が?」
「そう、俺だって別に知り合いを巻き込みたいわけじゃないんだ」
藤谷がわたしを見てまた険しい顔をする。もしかしてこの顔は、わたしを心配してくれてる顔なのかもしれない。そう思うと罪悪感が湧いてくる。わたしの行動のせいで藤谷が責任を感じさせてしまっているなんて。
「…これは藤谷のせいじゃない」
思わず口から出た言葉は、あまりに弱々しくて自分を情けなく思った。
「元凶は俺だろ」
間髪入れずに苦笑いをした藤谷からそう言われてしまって、わたしは足元を見て言葉を探す。
「…もっと…いい方法があったはずで…それをわたしが間違えたんだ」
藤谷がため息をついた。
「あーあーわかったよ。今回は全面的にはお前のせいだ」
あまりに投げやりな言い方をするじゃないか。わたしは困惑しながら藤谷の方を見る。藤谷は薄く笑みを浮かべながら、両手を挙げていた。
「…そう」
「それで俺はお前を助けに来たただの仲間だ」
仲間。
わたしは思わずぽかんと呆けて藤谷を見た。すると藤谷はそれが心外だと言うようにわたしを指差す。
「お前がいつも言ってることだろ。仲間なら助けるって。学校の知り合いはみんな仲間なんだろ」
「それは、そうだけど」
その考えに偽りも変わりもないけれど。
「それと一緒だよ」
この世界で初めて"わたし"に何か返ってきたような、そんな感覚があった。
「…うん」
「しばらく気をつけろよ。あいつらキレたらなにしでかしてくるかわからないんだから」
「うん」
「いつも日高と一緒に帰ってるみたいだけど、しばらくそこに良光も交ぜとけ。その方が安心だし、あいつも喜ぶだろ」
「うん」
「良光が駄目なら俺が…って何だよその顔」
「え?」
藤谷は怪訝な顔をしてわたしを見ていた。
「気持ち悪い顔してるぞ」
「えっ…」
わたしは慌てて口元に手を当てる。触れて気付いたが唇が緩んでいた。藤谷はため息を吐いた。
「真面目な顔して話してる俺が馬鹿みたいだろうが」
「ごめん…」
そこで会話は途切れ、再び沈黙がやってきた。申し訳なさと、じわじわとした喜びを持て余したわたしは藤谷との間の宙を眺めた。
すると遠くから、誰かの笑い声が聞こえた。そう、ここは静かだがまだ文化祭の真っ最中なのだ。そう気付いて、わたしは藤谷に聞きたいことがあることを思い出した。
「そういえば写真」
「写真?」
藤谷が再びわたしに顔を向けて、少し首を傾げた。
「写真展の」
藤谷がそれが何だという顔をする。
「河川敷の夕焼けでしょう、藤谷の写真」
正直自信はあった。どうしてわかったのだと驚く藤谷の顔を期待した。すると藤谷は眉をひそめて視線を宙に向けた。
「・・・」
藤谷が何も言わないのでこちらは少し不安になる。
「・・・違った?」
「合ってる」
藤谷があっさりそう言ったので、肩透かしを食らった気分だった。
「なんですぐに言ってくれないんだ」
「なんかお前が腹立つ顔してたから」
「え?」
そんな顔をしていたか。さっきから表情管理がうまくできていないみたいだ。わたしは少し気を引き締めて、話を続ける。
「藤谷にとっては、河川敷が青春なの?」
「あんなの適当に撮っただけだ」
拍子抜けな回答だ。
「じゃあ藤谷にとっての楽しいことってなに?」
その質問に藤谷はいかにも嫌そうな顔をした。
「そんなこと聞いてどうすんだよ」
「どうもしない。知りたいだけ」
「はあ?」
「なんかない?」
わたしが藤谷の答えを待ってじっと見つめると、藤谷は渋々といった感じで考え始める。
「楽しいっつったって…遊んでる時とかじゃねぇの」
「誰と?何を?」
「えぇ?良光とか響一とゲームしてる時とか…」
「へぇ」
やはりあの三人組は仲が良いのだなぁと微笑ましく思う。するとうんうんと頷いて話を聞いていたわたしに、藤谷がどこか意地が悪そうな笑みを向けた。
「ん?」
「あとお前が俺を笑わかしてくれたら楽しいかもなぁ」
「え?」
「…」
「…」
「…ほら、俺を楽しませてくれよ」
そんな話をしていただろうか。困惑しつつも、わたしは視線を足元に落として考え始める。藤谷を笑わせるには一体どうすればいいのか。面白い話をすればいいのか。莉子がよくお笑い番組の話をして思い出して笑っているし。しかし肝心の内容はあまり覚えていないし、わたし自身はあまりお笑い番組というものを見ていない。そういえば青葉も本を読みながらたまに笑みを浮かべていることもある。けど読んでいるのが怪談だったこともあるからあまり参考にならない。入船は莉子の前にいれば勝手に笑っているし。
「…」
「…」
何度目かの沈黙がわたしたちの間に落ちる。そんなことを気にする余裕もないくらいに必死にわたしは頭を回転させていた。しかし、何も思いつかない。何秒経ったかわからない頃、素直にわからないと言うしかないと心を決めて顔を上げた。その瞬間、藤谷が耐えきれないといった様子で吹き出した。
「え?」
「そんな真剣に考えることじゃねぇだろ!」
よくわからないが、藤谷を笑わせることに成功したらしい。
「じゃあ今楽しい?」
「あー楽しい楽しい」
藤谷は笑いながら投げやりにそう言った。それが本心かは置いといて、それなら今わたしと藤谷が笑い合っている光景は藤谷にとっての青春の一場面とも言えよう。
わたしは先程引き締めたはずの唇が緩むのを感じた。だって、それは。なんだか、嬉しい。
「それより」
ふうと静かに息を吐いた藤谷が、ポケットに手を入れて携帯電話を取り出した。
「そろそろ連絡してやった方がいいんじゃねえの」
「え?」
そう言われてわたしは藤谷と同じようにポケットに入れていた携帯を開く。
「あ」
そこには、莉子からメールやら電話やらが大量に来ていた。携帯に表示されている時計を見ると、とっくに担当の時間を過ぎている。莉子への謝罪と説明をどうしようかとしばし考えていると、そこにさらにメールが飛んできた。それは入船からのメールで、莉子への連絡を催促する内容だった。
「あー・・・」
さてどうしようと携帯画面を見つめるわたしの横で、不意に藤谷が携帯を耳に当てた。
「なんだ」
藤谷がそう言うと、その携帯の向こうから入船の声がかすかに聞こえた。
「ああ」
入船の言葉に返事をした藤谷がちらと視線をこちらに向けた。
「片桐美幸なら、向かいにいるけど」
その瞬間、入船の驚きの叫び声がはっきりと聞こえた。藤谷は眉をしかめて耳から少し携帯を離した後、泰然と言い返す。
「外で転んで泣いてたから仕方なく助けてやってるだけだ」
「泣いてはない」
わたしが思わず言い返したのと同じタイミングで、今度は莉子の叫び声が藤谷の携帯から聞こえてきた。そして次に、美幸ちゃん、今どこ!?と叫ぶ莉子の声がはっきりと聞こえた。藤谷はもう耳に当てたくないのか、携帯をわたしに向ける。わたしは藤谷の携帯を受け取って、耳に当てた。
「莉子?」
「美幸ちゃん!?いまどこ!?」
莉子の焦ったような声が聞こえる。よっぽど不安にさせてしまったのだろう。罪悪感を感じながら、わたしは静かに声を出す。まずは莉子を安心させないと。
「一人にしてごめん莉子。わたしは大丈夫だから」
「美幸ちゃん、怪我したの?」
「え?」
「怪我、したの?」
莉子のこんな低い声を初めて聞いた。わたしは驚きで小さく息を飲んだ。しかしここで嘘をつくのは得策ではない。どうせすぐに顔を合わせることになるんだから。
「…少しだけ」
「どこ?」
先程の低い声から一転して、震えた小さな声が聞こえた。もう、嘘はつけなかった。
「…頬の辺り」
「っ!」
莉子が悲鳴を飲み込んだのがわかった。
「そこに行くから!どこにいる?」
藤谷に目配せをすると、肩をすくめられた。勝手にしろということだと解釈させてもらおう。
「第二校舎の屋上に続く階段のところ」
「わかった!」
元気よい返事と共に電話が切れた。わたしは携帯を藤谷に返す。
「愛されてるな」
藤谷が面白がるように言う。わたしは薄く笑って頷いた。
「そうみたいだ」
喜ばしい反面、胸を刺すのは罪悪感だ。こんなに愛されている美幸を、あんなに危険な目に合わせるなんて。
それからすぐにドタバタと廊下から足音が聞こえて、莉子と入船がやってきた。莉子はわたしの頬を見て小さく悲鳴をあげて、美幸に抱きついた。
怪我の理由はさすがに喧嘩をしたなんて言うことができず、転んだからだと言い切った。莉子は苦い顔はしつつも、何かを察してそれ以上は深く尋ねてはこなかった。そして有難いことに、莉子はわたしの怪我の手当を丁寧にしてくれた。一番助かったのは莉子が持ち歩いている化粧品で、頬や首のあざをごまかしてくれたこと。よく見なければわからないくらいになったそれらは先生や親の目に止まることはなく、美幸自身は問題を起こしていないことになった。
そうしてわたしにとって初めての文化祭は幕を閉じた。ちなみに、写真展で最も票を集めたのはなんと青葉の写真だった。一般の女性陣にとてもウケていたと、クラスメイトが話していたのを聞いた。
そして後日藤谷から聞いた話によると、あの三人組の男は倒れているところを保護され学校の外に追い出されたらしい。男たちによって名前を出された藤谷も事情を聞くために呼び出されたらしいが、その時の状況証拠がなにもないためお咎めは特になかったとのことだ。あの時に負った傷は入浴時や体育の時なんかにしばらくわたしを苦しめたけれど、自業自得だと自分を叱咤した。




