美幸の青春①
早いもので美幸の世界にやってきて美幸としての生活が始まってから、七か月が経過した。美幸としての修学旅行も無事に終え、通常の日常が再び始まるかと思いきや、学校では早速別の行事の準備が始まっていた。
「修学旅行が終わったらもう文化祭なんて!忙しいねあたしたち」
莉子が廊下に置かれた他のクラスで制作途中の看板を見て呟く。
「そうだね」
修学旅行の時と同じように学校の貴重な行事をわたしで消費してしまうことに申し訳なさと罪悪感を感じながらも、わたしは文化祭という行事に参加できることを楽しみにしていた。
「美幸ちゃんは写真何提出するか決めた?」
「いや、まだ」
文化祭は部活やクラスごとで出し物をして校内、校外で文化的交流をしようという行事だ。出し物というのは、屋台、舞台、企画など文化祭の規定に収まっていれば何でもやっていいとのことで、数日前に美幸のクラスでも文化祭で何をするかの話し合いがあった。
出し物の案は、お化け屋敷、仮装喫茶、演劇など多種多様なものが挙げられ、紆余曲折あったものの最終的に美幸のクラスは写真展と、フォトスポットの展示をすることになった。
写真展は美幸のクラス全員参加で、テーマに沿った写真を全員が一枚ずつ提出する。それを文化祭の当日に展示し、来場者にどれが一番いいかを投票してもらうという企画だ。ちなみに一位には先生からの副賞があるとのことだ。それだけじゃ味気ないと先生からの提案で、文化祭当日は教室全体をフォトスポットにして来場者に写真撮影を楽しんでもらおうということになった。なので今美幸のクラスでは、フォトスポットの備品の制作や看板の作成と同時に、それぞれが写真展のテーマに沿った写真を提出期限までに用意をするということが行われているわけだ。
写真展のテーマは「青春」。
青春とは、一節によると人生において若い時代を指し、人生の春を表す単語のようだ。それを表した写真とは、一体どういうものが適切なのだろう。わたしはそんなことを思い悩みながら日々を過ごしていた。
「莉子は決まったの?」
「ううん!せっかくだしこれから撮ろうかなって」
「そうか」
莉子まだ撮っていないといいつつ何か撮るものが決まっているような口ぶりだ。
「ねぇ美幸ちゃん、良かったら明日の放課後に写真撮りに寄り道して帰らない?」
「え」
莉子はわたはの顔色を伺うように眉を下げながら首を傾げた。
「…莉子がいいなら」
わたしが少し迷って答えると、莉子は花が咲くように笑った。
「私が誘ってるんだよ!いいに決まってる!」
「ありがとう」
「じゃあ明日の放課後!約束ね!」
「うん」
莉子の撮る写真を参考にさせてもらおう、わたしはひとまずそう考えた。その日は水曜日だったので、モデルの仕事に行く莉子を見送った後、わたしは図書室へ向かった。いつもなら小説の本棚で読む一冊を探すのだが、その日は参考にできるものがないかと写真集の本棚へと行った。
美幸になった時に最初に見た本棚だ。そこには風景写真集、人物写真集、動物写真集、カメラの指南本など新旧様々な本が納められている。青春を題した写真集がないかなと背表紙を目で追ってみるが、流石にそんな都合の良いことはなかった。
「・・・」
それでも何かヒントになるものはないかと本棚を眺めて、目に入った路地裏の写真を手に取る。派手ではないが日常の素朴な喜びを感じるような不思議な写真らをパラパラと眺めてると、ふと隣に人が立った気配を感じた。わたしが横を向くと、青葉がそこにいた。
「やあ」
「どうも」
このやりとりはいつの間にか青葉とのお決まりのものになっていた。
「どうかした?」
「珍しい場所にいるから、何を読んでるか気になってね」
そう言って青葉はわたしの手元を見た。
「文化祭の写真展の、いいアイデアがないかと思って」
「へえ」
同じクラスのはずなのに、青葉はどこか他人事のように返事をした。
「青葉はもう写真撮ったの?」
「もう提出した」
「え」
そんなに早く提出するような人だとは思っていなかったので、少し驚いてしまった。
「・・・どんなの?」
どんな写真か尋ねると、青葉はニヤリと笑みを作った。
「教えるとつまらないでしょ」
「それは・・・そうか」
「修学旅行で撮った写真ってことだけは教えよう」
「なるほど」
そういう選択肢もあるんだな。しかしわたしは修学旅行ではほとんど自分で写真を撮っていないのでそれができない。
「これから写真撮るんだ」
「うん」
「こんな本まで読むなんて、気合入ってるねえ」
その言い方に投げやりなものを感じて、青葉を見た。青葉はわたしの視線を受け止めて小さく息を吐いた。
「僕はあまりこういう行事好きじゃないから」
「へえ」
みんな楽しんでやっているものと思ったが、そういう人もいるんだな。
「去年の文化祭の日、君と図書室で会った時は君も同じ人間だと思ってたけど」
え、と口から出てきそうだった言葉を飲み込んだ。そういえば、美幸の記憶に去年の文化祭のものがほとんどないと思っていたのだ。
「そういえばそうだった」
とりあえず話を合わせるべくそう言ってみた。
「でも今年はやる気あるんだ」
「まあ」
わたしは本棚を眺めながら、曖昧に返事をした。
「いいんじゃない」
咎められるような言葉をかけられるかと思ったが、そんなことはなかった。
「楽しめる時には楽しんだらいいんだこういうのは。それが青春ってもんなんじゃない」
それは青春の新しい解釈だった。
しかし青葉のその言い方はどこか達観したようなものだった。そんな言い方をしてしまうのは、もともとの青葉の特性なのか。それとも過去にそう思わざるを得ないことがあったのか。それが少し気になった。こんな命の危険がない穏やかな世界で、わざわざ自ら喜びや楽しみを放り投げるなんてわたしとしては理解がし難い。しかしきっとわたしにはまだ知らないことやわからないことがあるのだろう。
きっと理解は出来ないけれど、この世界にいる間は出来る限り寄り添っていたいとは思う。
「青葉は何が楽しいの?」
「え?」
青葉はわたしの質問に目を丸くしつつ、少し考えてこう言った。
「本を読んでる時が一番楽しいかな」
「なるほど」
わたしは頷いた。
「じゃあ青葉の青春を写真に撮るとしたら、青葉が本を読んでる姿なんだ」
「・・・そんな新発見みたいに言われてもね」
青葉は呆れたように笑って、そういえばと付け加える。
「良光や藤谷と…あと君と話しててもちょっと楽しいかも」
「え」
「はい、じゃあこの話はここで終わり」
わたしが何か言い返す間もなく、青葉はわたしに背を向けた。
「じゃあ僕は青春を謳歌してくるから。頑張って」
「うん」
わたしはその背中を見送って、もう一度写真集の棚を一瞥してからその場を離れた。
楽しいことを楽しむ。それが青春。
青葉の言葉を反芻して、美幸にとってはそれが何なのか。一人でそれを考えながら、その日は帰路についた。
そして翌日の放課後。
「それじゃあ行こうか!」
「うん」
美幸にとっての青春の答えが出ないまま、わたしは莉子と写真を撮るために様々な場所を巡った。まずは学校ということで校舎内、グラウンド、正門前、裏門前を巡り、その後近場のコンビニ、公園という感じでわたしたちは時折携帯のカメラで撮影をしながら歩き回った。そして公園のベンチに座って、自分たちが撮った写真を見返してみた。
「うーん」
莉子が携帯の画面を見ながら唸る。
「青春っぽい写真って難しいね」
「そうだね」
莉子のいう通り、青春らしい写真を撮るというのはとても難しい。そもそもわたしは美幸にとっての青春とは一体何なのかもまだ掴めていないから、答えがない問題を解いているような気分になる。
太陽はすでに傾きかけていて、辺りは薄暗くなりかけだ。橙色に染まった空を見上げてみると、鳥の群れが飛んでいる。それをただ静かに見送っていると隣で莉子が立ち上がる気配がしたので、そちらに顔を向けた。
カシャ。
「え?」
「えへ、ごめん」
莉子が携帯のカメラをこちらに向けてあははと笑う。美幸のことを撮ったみたいだ。その姿がとても楽しそうで、わたしは良かれと思って携帯のカメラを莉子に向けた。すると莉子は慌てたように背を向けた。
「待って!今日顔ちゃんと作ってない!」
「莉子はいつも綺麗だと思うけど」
本心でそう言うと莉子はぱっと嬉しそうにこちらを向いたが、カメラを未だ構えているわたしを見て慌てて再び後ろを向いた。
「嬉しい!けどだめ!今日はだめなの!撮らないで!」
莉子はそう言ってベンチから走って遠ざかっていく。その姿がなんだか面白くて、わたしはシャッターのボタンを押した。
カシャ。
「あ!今撮ったでしょ!」
「顔は写ってないよ」
「ええ?本当?」
莉子が疑わしい顔をするので、わたしは先ほど撮った写真を画面に出してそれを莉子に向ける。
「ほら」
「本当だ」
すると写真を見て頷いた莉子が、クスリと笑った。
「美幸ちゃんに写真撮られたのはじめて」
「そう、かな?」
「そうだよ!」
莉子は力強く頷いた後に、思い直したようにこう付け加えた。
「まあでも、そもそも美幸ちゃんあんまり写真撮らないもんね」
確かに美幸の携帯の写真フォルダに写真はほとんど無い。
「ね!せっかくだし一緒に写真撮ろ?」
「え」
わたしの返事を待たずに、莉子はわたしの隣に座って目の前に携帯を掲げた。携帯の画面に莉子と美幸が写っている。なるほど、内側にカメラがあるようだ。
「はい、チーズ!」
カシャ。
「今、わたし変な顔になってなかった?」
表情を作る間もなくシャッターを押されたのでさすがにちょっと心配になり、莉子の撮った写真を見ようとするとさっと手の中に隠された。
「大丈夫!美幸ちゃんはいつでも綺麗な顔してるから!」
「それならいいけど・・・」
莉子は二人で写真を撮ったことで満足したようで、今日撮った写真のどれかから選ぶと言った。それならわたしもそうしようとその日はそこで帰ることとなった。
「じゃあね美幸ちゃん!また明日!」
「うん、また明日」
莉子と十字路で別れた後、ひとりで家に向かっていると背後から足音が聞こえてきた。聞き覚えのある足音に振り向くと、声をかけられる。
「美幸ちゃん!」
「お母さん」
スーツを着た美幸の母親がこちらに小走りに駆け寄ってきていた。
「今日は早いね」
「外出からの直帰なの」
美幸の母親が横に並んで、美幸の肩に手を乗せた。
「美幸ちゃんもどこか行ってたの?」
いつもと帰り道が違うことに気付いたのだろう。わたしは先ほどまで莉子と文化祭の写真展のための写真を撮っていたと伝えた。
「写真展するの?あらーいいわね」
美幸の母親は羨ましそうにそう言って、そういえばと遠くを見ながら呟いた。
「実は昔、お母さん写真撮るの得意だったのよ」
「そうなんだ」
「美幸ちゃんの小さい頃の写真もそれはもう気合を入れていたわけよ」
美幸の小さい頃の写真。そうか。そんなものが残っているのか。
「まだそれ残ってるの?」
「もちろんよ!家帰ったら見てみる?」
わたしが頷くと、美幸の母親は嬉しそうに笑った。夕暮れの日差しが顔を照らしていて、照れているようにも見えた。
美幸の家に着くと、さっそく美幸の母親は三冊の大きな本をリビングに持ってきた。長い間仕舞われていたのかそのうちの何冊かはほこりがついている。そのほこりを手で落としながら、美幸の母親は背表紙を見る。
「えっとねこれが一番古いので、こっちが一番新しいの。高校入学までの写真は整理していると思うんだけど」
そう言って美幸の両親は一番新しいアルバムを開いた。それぞれのページに数枚の写真が整頓して並べられている。そしてその写真には全て美幸の姿があった。
「これこれ高校の入学式の日の写真!なんだかもう懐かしいわね」
美幸の母親が指さした先には、家のドアの前で真新しい制服を着た美幸が笑みを浮かべて立っている写真があった。
「これ本当は高校の門の前で撮りたかったんだけど・・・今どき高校の入学式に親は参加しないってお父さんに止められたのよね」
わたしは写真の中の美幸を眺めた。夢の中で会う美幸は、いつも花が咲くような明るい笑顔だった。しかし、写真の中の美幸の笑顔はそうではない。明るい笑みではなく、落ち着いた静かな笑みだ。わたしはアルバムを前にめくっていく。そこには今より幼い姿の中学生の制服を着た美幸がいた。中学校の行事に参加する美幸の横顔、クラスの集合写真、家族旅行写真。いろんな美幸の姿がそこにはあった。
「美幸ちゃんは昔から落ち着いてたわよね」
わたしの隣で写真を眺めながら、美幸の母親が懐かしむように呟いた。そう言われれば確かに、どの写真の美幸も落ち着いていた。周囲には元気な同級生たちが映っているので、余計にそう見える気もした。
わたしは写真の中の美幸の笑みを見つめる。もしかして夢の中で美幸は無理してああいう笑顔を作っていたのだろうか。まあそれも無理はないだろう。美幸と夢の中で初めて会った時、わたしはかなり警戒していたから。わたしの警戒を解くためにあえてああいう笑顔をしていたのかもしれない。
「ゆっくり見てていいわよ。部屋に持って行く?」
「うん。そうする」
美幸の母親は晩御飯の準備を始めたので、わたしは三冊のアルバムを抱えて美幸の部屋に入った。
美幸の机の椅子に座って、再びアルバムを開く。何ページか捲ったそこに、中学校の制服を着た美幸が学校の門の前で微笑んでいた。わたしはその写真をじっくりと眺めながら思い出す。初めて美幸と夢で会った時、確か美幸はこれくらいの年齢ではなかっただろうか。
ーーお前はなんだ?わたしに何をした!
ーー落ち着いて。ここは夢の中。あなたに危害は加えない。
青空を背にこちらに笑いかける少女の姿は、確かにあまりに現実味が無かった。
ーー夢?
ーーそう。私は美幸。美しい幸せと書いて、美幸。
わたしの世界にはない、変な響きの名前だと思った。けれど、不思議とすんなり耳に馴染んだ。
ーーあなたの名前は?
そんな会話から美幸との交流は始まった。
多分最初の出会いから三年ほど経っている。わたしの世界ではあまり年月は気にしていなかったから、正確ではないかもしれないけれど。
「あれ」
さらにアルバム数ページ前に進むと、先ほどは目につかなかったが見覚えのある日記を持って写っている美幸の姿があった。写真を見るに、あの美幸の日記帳はどこかに旅行に行った際に買ってもらったもののようだ。いつもより少し嬉しそうな、照れたような顔をした美幸を微笑ましく思いながら、わたしはアルバムをめくっていった。なんだか、かつてそこにいた美幸を写真経由で知ることができて嬉しい。
時間を巻き戻すかのように、わたしはアルバムを前へ前へとめくっていく。
運動会だろうか。青空の下で走る美幸。
遠足でどこかの公園でお弁当を食べる美幸。
合唱コンクールの一員として出場している美幸。
幼稚園の卒業式に出ている美幸。
両親と手をつないで花畑の中で笑う美幸。
四歳の誕生日を祝われる美幸。
大人たちの腕に抱かれて眠る美幸。
美幸の世界はどこを切り取っても綺麗だと思う。わたしの世界とは大違いだ。わたしの記憶にあるのはいつだって荒廃した大地と、いつも赤黒く曇った空と、焼け焦げた匂いだ。
それでも中には穏やかな記憶だってあると、わたしは微かな記憶を引っ張り出す。
まだ幼い頃。
清潔などこかに寝かされて、わたしは上を見上げていた。
そんなわたしを覗き込む仲間たち。
みんな笑ったり、手を振ったりしていて。
そこは明るくて暖かい部屋で。触れるすべてが柔らかくて、なにも恐れるものはないとわたしは安心しきっていた。
その場所で、ベッドのすぐ横の窓から差し込む光と、その先にある青い空を見るのが好きだった。
ーー青い空?
わたしははたと思考を止める。
今のは、美幸の記憶では?
わたしの世界に青い空なんてない。青い空は美幸の世界の象徴のようなもので、わたしの世界には存在しない。わたしは自分を戒めるように頭を振る。いけない。自分と美幸の記憶の区別もつかなくなるなんてかなり良くない。それは間違えてはいけないものだ。
長い間美幸として生活をしていたから、わたしのなかでの境界が曖昧になっているのかもしれない。
駄目だ。自分に強く言い聞かせる。
ここは美幸の世界。わたしの世界とは違う。ただ美幸の気まぐれでお互いの身体を交換しているだけであって、わたしの生きる世界はここではない。ぬるま湯につかって骨抜きにされていてはいけないのだ。




