美幸の好きなもの③
修学旅行二日目の目的地は動物園と牧場。動物園は、敷地面積が国内で三本の指に入るという広さだそうだ。
「それでは今から自由行動です。集合は二時間後の出口なので遅れのないように!あと集合写真は出口のところで撮るので、遅れると後から個別で撮ることになるから気を付けなさいね~
」
「はーい」
「それでは解散!」
先生の掛け声で、同級生たちは一斉に園内に散らばっていく。澄んだ青空に、笑い声と足音が響いていた。
「美幸ちゃん、行こっ!」
「うん」
美幸には動物園に行った記憶がある。それに事前に動物園がどういう場所かも調べてきていた。だからどういう場所かはわかっていた。しかし実際に目で見るのは訳が違う。
「わ~ホッキョクグマだって!おおきい!かわいい~」
動物園は水族館と似た施設ではあるが、雰囲気は全く異なる。檻やケージに入れられた動物たちは一見すると残酷で自由がないように見えるが、その分生命を脅かされる危険がない。
「ね、美幸ちゃん」
動物たちの綺麗な瞳に、わたしたち人間の姿が映る。それが傲慢だとわかっていても、彼らの穏やかな生活を願わずにはいられない。
「うん。かわいいね」
二時間の自由時間は長いようでとても短かった。なにせ動物園はとにかく広く、ひとつのスペースでのんびりと滞在をしていたらあっという間に時間が無くなっていった。
やや早足で園内を見回る中でわたしの目は昨晩の男女を見つけた。想いを伝えた男子生徒と、想いに答えられなかった女子生徒。もともと同じ班だったか、別々の班だったかはわからないが賑やかに園内を回っていた集団のなかにその二人はいた。
二人は距離をとって、会話を交わす素振りはなかった。意図的なものかどうかはわからないが。あの昨晩の出来事が契機なのか、いつもそんな感じなのか。それもわからないけれど。なんとなく二人の姿をしばらく目で追った。
その後は動物園を充分に満喫してお土産もしっかりと吟味して買って、わたしたちは集合場所の動物園の出口についた。集合時間の5分前にもなると、同級生たちが何人も出口へと走ってきていた。
「はーい。集合時間までに集まってくれてありがとう。じゃあこれからクラス別に集合写真撮るので、撮ったクラスからバスに乗っていってください」
クラスの集合写真を撮って、バスに移動する間にわたしの肩を叩く人がいた。
「やあ片桐美幸さん、楽しんでる?」
「入船」
最近気付いたが、入船は莉子がわたしの隣にいないときに話しかけてくるのがやたら上手い。
「うん。そっちは?」
「青葉が寒いところ嫌いだからさ、室内の展示ばっかり見てた。後はずっと土産屋の中のベンチにいた」
「へえ」
そう言われてみれば園内で入船たちの姿は見かけることがなかった。辺りを見渡すとバスに移動する同級生たちの中に寒そうにしている青葉の姿があった。入船はやや声を落としてわたしに耳打ちする。
「ところで日高さんに気に入られた動物はいた?」
「シロクマの人形買うか最後まで悩んでたかな」
「なるほど」
そこにわたしたちに近付く明るい足音が聞こえてきて、わたしと入船は振り向いた。
「やあ日高さん」
「入船くんだ、やっほー」
入船は嬉しそうに莉子に挨拶する。莉子は入船に明るく返事をしながら、わたしと入船の間に入り込んだ。
「動物園広かったね」
「ね~!すごかった!」
莉子が美幸の腕に抱きつきつつ入船と言葉を交わす。風は冷たいが、莉子が触れているところはすぐに暖かくなった。
「お土産は何か買った?」
「クッキー買ったよ~あとぬいぐるみも悩んで・・・」
隣で繰り広げられる会話を聞きながら、わたしはバスまでの短い道のりを歩いた。空が青く、腕が暖かく、耳に心地よい楽しそうな話し声と笑い声。これだけでも満たされるのに、まだまだ修学旅行の日程は続く。そのことが、とても嬉しいと思った。
その後牧場の散策をして、二日目の日程が全て終了したわたしたちは再びホテルに帰ってきた。ホテルに戻ると昨晩の反省を生かしてか、莉子はわたしから離れないと宣言してきた。その宣言通り、晩御飯入浴の時間に莉子はわたしから離れることはなかった。そして夜の自由時間には昨晩見ることができなかった土産屋にようやく向かうことができたのだ。
「あっ日高さん、片桐さん!」
「ん?」
土産屋で真剣に莉子とお菓子コーナーを見ていると、同級生の女子に話しかけられた。
「今から私たちの部屋でトランプするんだけど、よかったらどう?」
そう尋ねてきたのは女子生徒だ。顔に見覚えがある。多分隣のクラスだったような気がする。莉子とわたしは顔を見合わせる。そして先に口を開いたのは莉子だった。
「私はどっちでもいいよ。美幸ちゃんは?行きたい?」
莉子に判断を委ねられてしまって、わたしはどうしようかと悩んだ。トランプ。いわゆるカードゲームの一種。それはわたしとしては未だやったことがない娯楽の一つだった。知識としては知っているが、体験はしていないもの。やってみたい。やってみたいが、美幸はこういうことをする人だろうか。それに知識としては知っているが初心者であるのは間違いない。遊びとはいえ、ゲームの進行を邪魔して場を白けさせてしまわないだろうか。わたしの行動はどうしても美幸の印象に繋がる。慎重に判断をしないといけない。そんなことを考えて数秒が経過した。次に口を開いたのは女子生徒の方だった。
「片桐さん、どうかな?できれば人数多いと嬉しいんだけど…まあ無理にとは言わないけど」
誘ってくれた女子生徒が眉を下げて困ったように笑った。そんな顔をさせてしまった時点で、わたしの負けは決まったようなものだった。同級生とは良好な関係を築いていたいと思っているのだ。美幸のためにも。
「えっと、ルールにあんまり詳しくないんだけどそれでもいいなら」
「え、そんなの全然いいよ!教える教える」
女子生徒の言葉にわたしはほっとして、頷いた。
「じゃあ参加させてもらう」
「やった!じゃあ買い物終わってからでいいから!部屋で待ってるね~!」
そうしてわたしたちに声をかけてきた女子生徒はわたしと莉子に部屋番号を伝えて、笑顔で去っていった。その姿が見えなくなったところで、わたしは莉子に尋ねる。
「今の隣のクラスの人だよね。名前なんだっけ」
「朝倉さんだよ。バスケ部だったと思う」
「へえ」
「体育祭でも大活躍だったんだよ」
そう言われると、体育祭でその姿を見たような気がする。自分のクラスの同級生の顔と名前はさすがにわかるが、クラスが違うと名前を知る機会がないものだ。その後わたしと莉子はそれぞれお土産を買った後、朝倉さんに教えられた部屋に向かった。
「あっ待ってたよ!片桐さんと日高さん!」
笑顔の朝倉さんに迎え入れられ、入った部屋の中にはすでに三人の女子生徒がいた。
「これで揃った?」
「あとオカダさんとユカリが来る」
「多くね?手札何枚になんの」
「トランプ準備しとこ〜大富豪でいい?」
そんな会話をする様子を眺めていたわたしと莉子を見て、朝倉さんが笑う。
「何立ってるの!ほら、座って!」
「あ、うん」
その後、二人の女子生徒が部屋にやってきてわたしたちは自己紹介をしあった。
「大富豪は?8切りあり?」
「ありでしょ」
「革命は」
「あり」
「イレブンバックは?」
「えーなし」
「なんで?ありでしょ!」
これからわたしたちがやるトランプのゲーム、大富豪というものにはどうやら細かいルールがあり、わたしはそれを教えてもらいながらゲームに参加することになった。
「まずは小さい数字から出していくのがセオリーなんだけど、革命っていうのがあって…」
たった54枚のカードで繰り広げられる壮大な勝負に、わたしは舌を巻いた。
「このゲーム考えた人、すごいね」
素直な感想をこぼすと、部屋にいた全員が笑った。しまったと思ったが、嫌味もない朗らかな笑顔だった。
「うわー!やられた!!!負けた!」
「片桐さん強いね!」
3戦目でわたしは大富豪になることができた。
「あー!!もう大富豪なんてやってられっか!」
わたしが勝利を噛み締めているところに盛大に嘆き叫んだのは、初戦から大貧民、貧民、大貧民という結果に終わっている朝倉さんだ。
「片桐さん!別のゲームしよう」
「あ!あいつ逃げたぞ!」
指名されたので、わたしは尋ねる。
「何のゲーム?」
「花札って知ってる?」
小さな小箱を手にした朝倉さんがわたしに笑いかけた。トランプ同様カードゲームのひとつだということはわかるが、ルールは知らない。わたしは素直にそう言った。
「名前だけしか知らない」
「よし!教えてあげる!」
「花札するの?私もやりたいな」
朝倉さんと話しているところに、莉子がやってくる。
「よし、日高さんもやろ!花合わせなら三人でできるし」
「完全に逃げたな…」
意気揚々と箱から赤いカードを出し始めた朝倉さんを見て、部屋の女子たちが呆れたように笑った。
「じゃあ私らはもうちょっと大富豪するか」
「いいよ。誰が最強か決めよう」
そうして部屋の中は、大富豪をする人たちと、花札をするわたしたちとで二分された。
「花札っていうのは、まず暦の十二月分の植物があてがわれててね」
床に模様が鮮やかな花札と説明書を並べ、朝倉さんは花札の説明を始めた。
花札の説明を受けて、試しに一勝負していると大富豪をしている方からふと耳に入る会話があった。
「サオリ、断ったってマジなの?」
「そうらしい」
「どうりで動物園で気まずい空気流れてると思った」
「あんなにワタナベと仲良かったのに」
覚えのある話に、思わずわたしは花札から目を外して顔をあげた。その顔をあげたところを見事に朝倉さんに見られた。朝倉さんは意外そうな顔をして、わたしに尋ねた。
「片桐さんもそういう話に興味あるんだ」
「え・・・」
「えっ?何の話?」
花札に集中していた莉子が慌てて顔をあげたので、わたしは昨晩告白の現場を見たのだと二人に伝えた。大富豪をしている女子たちはすでに別の話題に移っていたので、やや声を落として。
「あーそりゃ現場おさえちゃったら気になるよね。うちのクラスでは仲良いってみんな知ってるくらいの二人だったんだけどね。私も普通に付き合うかと思ってたけどなあ」
「へえ」
「でも部外者からはわからないものがあるんだろうねえ」
朝倉さんはしみじみとそう言い、そういえばと莉子に視線を向ける。
「日高さんは入船くんと仲いいってのが有名だけど、実際のところどう?」
その瞳には好奇心光が宿っていた。入船の気持ちを先に知っている自分としては、莉子はどう答えるのだろうと素直に疑問に思った。わたしから莉子にそういうことを尋ねる機会は今までなかった。何て言うのだろうと莉子に視線を向けると、莉子と丁度目が合う。莉子は数回瞬きをして、悩むように首を傾げつつを口を開いた。
「入船くんは仲いいけど・・・仲がいいっていうか・・・ライバルってのが近いかな・・・」
「あーそういえば同じモデル事務所なんだっけ?」
朝倉さんがいいなあかっこいいなあと呟く。すると莉子が目を輝かせてこう言った。
「美幸ちゃんもモデルやったことあるもんね!」
「え?そうなの?」
「いやあれは手伝いで・・・」
興味の矛先がこちらに向いてしまった。わたしが苦笑いでそう答えると、朝倉さんはそういえばと新たな矛をこちらに向けた。
「片桐さんは?好きな人とかいる?」
「え?」
「え!いるの?美幸ちゃん」
二人から熱の入った視線を送られるが、自分に飛んでくるとは思ってもみなかった質問だ。なんて答えればいいのかわたしは視線を泳がせる。
「いるの?」
「いないの?」
朝倉さんと莉子はわたしに詰め寄るようにしてそう尋ねてくる。わたしは慌てて考える。美幸の好きな人?そんな人のは知らない。考えたことがなかった。どうしよう。いない?いる?駄目だ。そもそもわからない。
「わ・・・」
「わ?」
わたしは数秒の逡巡ののち、恐る恐る口を開いた。
「わからない・・・・・・んだ。まだ・・・そういうの・・・」
わたしの答えを聞いて、朝倉さんと莉子は前かがみになっていた姿勢を元に戻した。
「そっかあ」
莉子はどこか残念そうな、でも何故か安堵したような顔をした。
「初恋がまだってことかー甘酸っぱいねー」
朝倉さんは腕を組んでしみじみと頷いた。
「じゃあぜひ、好きな人ができた時には教えてね」
やけに真剣な表情の朝倉さんに負けじと、莉子が隣で勢いよく首を縦に振っている。
「は、はい・・・」
その迫力に負けて、わたしはおずおずと頷くことしかできなかった。美幸に謝らなくてはいけないなと考えながらだったので、その後の花札勝負はいまいち身が入らなかった。