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美幸の好きなもの①

体育祭が終わってすぐ、わたしたち二年生は体育館に集められた。全員に数枚の紙が配られて、同級生たちはどこかそわそわとそれを読み込んでいた。


「それじゃあ、修学旅行の諸注意を読み上げていきます。質問は最後にまとめて聞くから、とりあえず静かにしといてね」


修学旅行。それは、郊外学習の一環で同級生たちと寝食を共にし協調性を身につけるため、さらには校舎では見ることができない、体験できないことをするための学校行事のひとつだ。


「班の申請は今週中にすること!申請忘れはこっちで完全ランダムに班分けするからな」


わたしは手元の紙を読み込みつつ、内心ため息をつく。これも本来ならば美幸が体験するべきことなのに。修学旅行までに身体が元に戻るかはわからない。もしわたしが美幸のままで修学旅行に行くことになったなら醜態を晒すことはないように気をつけなければいけないので、準備を怠ることはできないと思った。


その時は、せめて美幸にしっかりと伝える努力をしよう。わたしはそう思うことで、いろんな気持ちを押し留めることにした。


修学旅行の説明が終わり、集会は解散となる。すると美幸わたしの元に莉子がうきうきとした表情で駆け寄ってきた。


「美幸ちゃん!班一緒になろ!」

「うん」


ここ数ヶ月でよくわかったのは、美幸の知り合いの中で一番信頼できるのは莉子だということだ。断る理由はない。修学旅行の班は二人以上から結成できるので、わたしと莉子は早々に班の申請をした。


その後入船が莉子と同じ班になりたかったとわたしにメールで愚痴のようなものを送ってきたが、自ら申し入れできなかった入船の落ち度だと言うと何も返信が帰ってこなかった。代わりに翌日に粘着質なじっとりとした視線を送られた。


普段の授業の中に修学旅行のスケジュールを検討する時間が取られたり、班の結成で同級生が浮足立ったり、そうしているうちにあっという間にその日はやってきた。その間美幸に夢で合うことはなかった。


修学旅行 一日目。


当日は空港に現地集合となる。集合時間に少しでも遅れるようなら容赦なく置いていくという厳しい言葉もあってか、同級生たちはひとりも遅れることなく集合していた。


「美幸ちゃんおはよう!」


莉子が小さなキャリーケースを引きながらやってきた。


「おはよう」

「美幸ちゃんはボストンバッグなんだね」

「うん」


黒い大きなボストンバッグは美幸の父親に借りた。キャリーケースも勧められたが、入れる荷物がそんなになかったのでこちらを選んだ。


「セーター持ってきた?」

「持ってきた」

「何色?」

「紺」


まだ季節は秋めいていて、そんなに寒くはない。しかし、これからわたしたちが向かう場所は北の大地である。もう気温は冬のように低いらしく、防寒具を持っていくよう先生たちは生徒に何度も伝えていた。旅行先で風邪をひこうものなら対応が大変なのだろう。


「日高さんおはよう!それと片桐美幸さんも」

「入船くんおはよー」

「おはよう」


入船はキャリーケースだ。入船はいかにも浮かれた様子でにこにこと莉子に話しかける。


「日高さんのキャリーケースかわいいね。どこの?」

「でしょー?これね、アウトレットで見つけたんだけど…」


ごきげんな莉子と会話を始めた入船の後ろにボストンバッグを持った藤谷と、大きなリュックの青葉がいた。わたしは彼らの方に一歩近付く。


「藤谷と青葉も。おはよう」

「ああ」

「おはよう」


青葉は片手に文庫本を持っていた。そこに視線を送ると、それに気付いた青葉が口を開く。


「なに?」

「本持ってきてるんだ」

「そりゃね。移動時間多いし」


これから行く場所は広く目的地が点々としているため確かにスケジュールに書かれた移動時間は多めに見えた。しかし青葉は読む速度もかなり速い方だった気がする。


「一冊で足りる?」

「まさか。数冊持ってきてるよ。足りなくなったら向こうで買う」


青葉は読書好きな人間だとは思っていたがそこまでとは。呆れると同時に感嘆してしまう。


「本読むために旅行に来たのかよ」


呆れを含んだ藤谷の声に、青葉は小さく笑う。


「言い得て妙だね」

「あほらし」


藤谷が吐き捨てるように言う。そこに入船がやってきた。


「お前ら、何話してるんだ?」

「響一の読書癖について」

「癖とは失礼だな」

「事実だろ」


そこに莉子が美幸(わたし)の制服をつまむ。


「なんだか楽しそうだね、みんな」


莉子は唇に笑みを乗せつつ、ちらりと入船たちに視線を向ける。確かに入船や藤谷、青葉はいつもより口数が多いし調子が明るい。


「そうだね」


けれどそれはわたしも同じだと思う。


「楽しい旅行になるといいね」

「ね!」


そう言ってわたしと莉子は笑い合った。その後全員の集合を確認し、わたしたちは乗る予定の飛行機へと移動していく。大きな荷物は一括で預け、わたしたちはいつもの通学鞄一つと共に荷物検査をして搭乗口へ向かう。大きな窓から見えた飛行機の大きな機体に、心臓がどきりと鳴った。


初めて見たわけではない。おぼろげに美幸の記憶にあるし、飛行機に近しいものはわたしの世界にもあった。ただし、燃料は限られた資源だったためとても貴重なものだった。飛行機で飛ぶよりも、霊術で空中に浮かぶことの方が機会としては多いと思う。


それでも、これからこれに乗って空を飛ぶのだという興奮は抑えきれそうになかった。


「はーい、奥から順番に詰めて行ってねー」

「先生~席交換していいですか~」

「隣同士が入れ替わるくらいは許可するから、はやく座りなー」

「やった、はーい」


飛行機の席順は予め決められている。出席番号順で決めたと先生は言っていた。わたしは右端の通路側の席だったが、窓側の人物がまだいない。とりあえず自分の席に座って、隣が来るのをしばし待つことにした。機内は生徒と先生の声で騒がしい。声に交じって、機体の音がする。その音に耳を澄ませていると、声がかかった。


「隣、いい?」

「あ、うん」


隣の席に座るのは、青葉だ。青葉に声をかけられて、わたしは一度通路に出て奥の席を譲ろうとする。すると青葉は通路に出ようとしたわたしを手で制した。


「え?」

「窓側は君が座りなよ」

「え」

「それくらいの交換ならいいでしょ」


確かにまあ先生はそれくらいならいいと言っていた。でも何故。そう思って青葉の顔を見ると、彼はなんてことないようにこう言った。


「君、空好きでしょ」


そうだったっけ。美幸のことを思い出そうとして、思考と身体が一瞬止まる。青葉はそんな美幸わたしを見て、少しむっとした顔をしてはらうように手を振った。


「いいから。奥行って。通路が詰まる」

「あ、ごめん」


言われるまま窓側の席に座る。小さな窓から、飛行場が見えた。その後客室乗務員の人からアナウンスがあり、シートベルトをしっかりと留めた。わたしは座席の前においてあった緊急時の案内を手に取る。


「…」


しっかりとその案内文を読んでいると、隣人がぽつりと話しかけてきた。


「飛行機初めて?」


わたしは首を振る。


「いや、随分昔に乗ったことあると思う」

「じゃあ、飛行機怖いの?」


青葉にそう尋ねられ、わたしは瞬きをひとつする。


「緊張はしているかも」

「へぇ」


青葉はわたしの言葉を特に笑うこともなく、文庫本に視線を落としたままだ。


「落ちないといいね」

「…何が」

「この飛行機さ」


もしかして美幸の世界の飛行機は落ちる確率が高いのか。一瞬そんなことを考えて、いやしかしそうだったら学校行事に使うはずがないだろうと自分の考えを否定した。


「落ちないだろう」

「100%とは言えないでしょ。何事も」


青葉は淡々としている。


「…」


そうなのか?もしここで飛行機が落ちたらどうしよう。美幸の身体のままわたしは死ぬことになるのだが。不可抗力だから美幸は許してくれるだろうが、いやしかしそんなことあり得るのか。いやでも想定しておくに越したことはない。


「…ふっ」


真剣に飛行機が落ちる時のことを考えていたら、隣から小さな笑い声が聞こえた。


「…」


青葉の顔を見ると、彼は横目でこちらを見ていた。


「冗談だ」

「…」

「そんな睨まないでよ。怖いなら寝てればいい」


青葉は再び文庫本に目を落とす。からかってるつもりなのか、気遣ってくれているのかよくわからない。


「ただ、雲の上の光景はきっと君は気に入ると思う」

「ーーそれでは、まもなく機体は離陸体制に入ります」


機内に、エンジンの音が響き渡る。わたしは思わずシートベルトを強く掴んで、手が震えないようにした。決して怖いのではない。緊張なのだと自分に言い聞かせる。


そうしているうちに機体は滑走路に移動し、エンジンの回転数があがっていく。そして一気に機体が加速する。自分の震えか機体の揺れかわからない瞬間を乗り越えると、ふっと身体に重みがかかったのがわかった。


今、飛び立った。


わたしは心の中でそう呟いた。そして、いつの間にかつぶっていた目を開く。


「…」


窓から見える景色が、あっという間に遠くなっていく。美幸の住む街が、どんどんおもちゃのように小さくなっていく。


わたしは今、空に昇っている。


静かに感動を覚えながら、わたしは窓の外から目をそらすことができなかった。


そしてしばらくして街は街としての塊として見えなくなり、機体が雲の中に入った。


真っ白な視界。雲とはこうなっているのだなと、白い景色でさえもわたしにとっては特別なものだった。


そして、白い景色から突如として視界が明るくなる。雲の上に出たのだと、瞬間的に察した。


「…!」


思わず感嘆のため息を吐いてしまうほどに、それは現実離れしたような景色だった。


青い。とにかく青い。そして白い。


青と白だけで構成された世界がそこにはあった。


全面に広がる青と、地上のように広がる白い雲。


美幸の世界の空、その中にいるのだとわたしは緊張とは違う感情で震えそうになって再びシートベルトを強く掴んだ。


「ほら、綺麗でしょ」


窓の外に釘付けになっているわたしに、青葉が話しかけてくる。どこか得意げなその言葉に、わたしは正直に答えた。


「とても綺麗だ」


青葉はまた小さく笑って、それから飛行機が着陸するまでは話しかけてくることはなかった。わたしは存分に、飛行機の窓からの景色を楽しんだ。


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