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美幸らしいこと②

美幸に会う夢も見ないまま、体育祭当日がやってきた。良く晴れた、空気の澄んだいい日だ。登校すると朝からそわそわとした空気が教室から漂っている。優勝するぞと息を巻いている同級生も結構見かけた。


「選手宣誓!」

「私たちはスポーツマンシップにのっとり」

「正々堂々と戦うことを」

「ここに誓います!」


開会式で全校生徒がグラウンドに並ぶ。全校生徒を見るのはこれが初めてじゃないが、何度見ても壮観である。若い人間が一同に会する光景はもうわたしの世界では見ることができないから。しっかり記憶に残しておこう。こういう場にいたこと。恐らく二度とこんなこと体験できないだろうから。


体育祭が始まった。プログラム通りに種目が進んでいく。出番の種目までは、グラウンドに設置された自分のクラスのテントに待機することになっている。


「行け―!」

「頑張れー!」


グラウンドの方を向いた同級生たちは、自分のクラスメイトたちを応援している。わたしは美幸がそういうことはしないだろうと思い、莉子と一緒にテントの後ろ方でただぼんやりと競技を眺めていた。わたしが出る学年合同リレーは一番最後の種目になっているので、しばらくすることがない。ちなみにもともと出るはずだった綱引きは、リレーに出るから免除になった。


「入船いいぞー!」

「かっこいー!」


入船が声援を浴びてグラウンドの中を走っている。入船は同級生たちからかなり親しまれているようだ。


「入船速いね」

「そうだね」


なんとなくそんな言葉を投げてみたが、莉子は特に入船に興味は持っていないようだった。夏休みの交流でかなり仲良くなったかと思ったのだが、そんな簡単なことではないようだ。


「そういえば、残りの二人は?」


莉子がテントを見渡しながら呟く。青葉と藤谷のことだろう。


「さっき教室で見かけた」

「あーそっかあ」


二人とも出番が後半なので、教室で時間が過ぎるのを待っているのだろう。そういうところが悪ガキと言われる由縁なのだろうが、来ているならそれでいいのだ。


しばらくして、先ほどグラウンドを走っていた入船がテントに戻ってきた。クラスメイトたちから賞賛の雨をひとしきり受けた後、入船はわたしたちの横に座ってきた。


「日高さん、片桐美幸さん!俺一位だったよ!」

「見てたよ、おめでとー」

「おめでとう」


わたしと莉子は軽く手を叩く。莉子からの言葉を聞いて、入船は嬉しそうに笑った。


「ありがと!いやーよかった!今四組何点?」

「えーっと…」


種目が終わるたびに、グラウンドの中央に設置された得点板に各チームの点が掲示される。


「今は…二組が一位で、四組は…三位?かな?」

「そうだね」

「三位かーまあまだ追い上げはできるな」


入船は勝つつもりでいるらしい。すると入船はテントの中をぐるりと見渡して、首を傾げた。


「そういえば、藤谷と響一は見なかったか?」

「教室にいる」

「なんだと。薄情な奴らめ」


入船はそう言いつつも、特に気にしていないようだ。


「呼びに行かないの?」


莉子が不思議そうに尋ねる。


「別に。好きにさせとけばいいだろ」


入船はあっさりそう言う。三人組とまとめて呼ばれることが多い彼らだが、普段の学校では別に常に一緒にいるというわけではない。しかしお互いのことは信頼しているようだし、休日はよく集まっているらしい。不思議な距離感だ。


「なんだ?」


思わず入船を凝視してしまった。仕方ないのでわたしは素直に思っていることを口にする。


「いや、不思議な関係だなと」

「え?俺たちのこと?」

「そう」


入船はそれを聞かれるのが不思議なのか、少しきょとんとした顔でこう続けた。


「別に不思議じゃないさ。幼稚園からの幼なじみってだけだよ」


幼稚園。確か、三歳から五歳までの間行くことができる教育を受ける施設のことだ。美幸もどこかの幼稚園に通っていた、はず。


「えっ幼稚園からずっと一緒なの?」

「そう、幼稚園、小学校、中学校、んで高校。全部一緒」

「へえ」


詳しい仕組みは正直まだよくわかっていないが、多分すごいことなのだろう。


「まあな。行くとこまで来たって感じだな」

「もしかして大学も一緒?」


莉子が驚きつつ、入船に尋ねる。大学、高校を卒業してからさらに勉学に励むための場所。


「さあ、どうだろ。聞いたことないな…まだ決まってないんじゃないか?」


入船が閃いたと言いたげに莉子に尋ねる。


「日高さんたちは?大学進学?」

「私はまだ考え中かな」

「そっか…」


入船は若干残念そうにした後、わたしに視線を向ける。


「片桐美幸さんは?」


一瞬考えそうになった未来を、わたしは飲み込んだ。


「…わたしも考え中」

「まあまだみんなそんなもんだよな」


入船はそう言って、顔を洗いに行くと言ってテントから出て行った。


「進路かあ…そのうち考えなきゃいけないね」


莉子が呟く。


「そうだね」


わたしはありきたりな返事しかできない。美幸の未来は、わたしの未来じゃないからだ。進路はこの身体に美幸が戻ってきてから、美幸に考えてもらわなければいけない。高校を卒業した後の進路は、大きく分けて二つあるという。大学進学か、企業への就職か。美幸はどうするつもりなのだろう。まあそれ以前に、一体いつ身体を元に戻してくれるかというところの方がわたしにとっては重要なのだけれど。


体育祭は順調に進んでいき、とうとう学年合同リレーが目前になってきた。


「じゃあ、集合場所行ってくる」

「いってらっしゃい!頑張ってね、美幸ちゃん!」

「うん」


集合場所の入場ゲート前に行くと、そこにはすでに藤谷の姿があった。


「早いね」

「遅いぞ」


疑っていたわけではないが、来てくれて良かった。内心でそう思っていると、藤谷が眉を潜めた。


「何笑ってんだ」

「え」


そんな顔をしていたかと、わたしは頬に手を当てる。別に口角はあがっていないが。わたしは藤谷を見た。すると藤谷がニヤリと笑った。


「内心笑ってたろ」

「………」


顔に出ていたわけじゃなく、こちらの想っていることを読み取っての言葉だったのか。わたしは手を頬から離す。


「…そうかもしれない」


確かにちょっとだけ内心で微笑んだくらいはしたかもしれない。しかし素直に肯定するのがなんだか癪で、わたしは中途半端な返事を返した。すると藤谷は鼻で笑った。たまに藤谷と話していると見透かされているような感覚になることがあるが、きっと他人の心情を把握する能力に長けているのだろう。恐らく藤谷が本気になればわたしが美幸でないということもすぐに見透かすことができてしまうだろうが、今のところそんな素振りはない。


「お、四組チーム揃ったな!」


少しして伊藤先輩、城戸先輩、橋本、大森の全員が揃った。


「現時点では、四組の得点は二位だ。リレーで現在一位である三組を抜かせばまだ一位になれる可能性がある」


伊藤先輩の顔は真剣だ。


「絶対勝つぞ!」


伊藤先輩が拳を天に掲げた。


「はい!」


橋本、大森が元気よく返事をして伊藤先輩のように拳をあげる。それを見て、城戸先輩、わたし、藤谷は同じようにワンテンポ遅れて拳をあげた。


「よし!」


伊藤先輩は満足そうに頷いた。熱い人である。


「それではチームごとに走者順に並んでくださーい。第一、第三、第五走者の方はこちらへー」

「第二、第四、アンカーの人はこっちにお願いしまーす」


誘導係の人の声で、人が移動を始める。わたしが第四走者の列に並ぼうとすると、肩を軽く掴まれた。


「?」


何かと振り向くと、城戸先輩が美幸わたしの肩を掴んでいた。目が合うと、お互いの間に妙な沈黙が漂う。


「…なんでしょう」

「…この前、悪かったわね」


その言葉に少し驚く。しかし、城戸先輩は”美幸わたし”に謝るようなことをしたわけじゃない。あの時悪口を言われていたのは藤谷で、謝罪は本当は藤谷に向けられるべきものだ。しかし、わざわざ謝るために悪口を言われていたことを伝えるのもおかしい。だから、わたしは城戸先輩にこう言うことにした。


「東雲藤谷は一位でバトンを渡すと思います。わたしはその一位を守ります。だから、城戸先輩も一位を守ってください」


城戸先輩が僅かに目を見開く。別に根拠があるわけじゃなかった。ただ、信じてほしいなと思ってそう言った。ほんの少しの間の後、城戸先輩は頷いた。


「わかったわ」


その言葉には、確かな温度が感じられた。それでいいと思った。


「では」


わたしは頷いて、走者の列に並ぶ。第二第四第六走者は同じ待機場所となるので、わたしの前には大森が、後ろには伊藤先輩が並ぶ。アナウンスの後グラウンドに出て、第二走者に準備するように声がかかると、すぐ後ろにいた伊藤先輩がわたしと大森の背中を叩いた。結構強い力だった。


「頑張るぞ!大森!片桐!」

「はい!」

「はい」


せっかくだから、勝ちたい。わたしはそう思っていた。それと同時にこういう時”美幸”ならどう思うのだろうかと、くすぶるような思いが湧き上がってきてわたしは深呼吸をした。ここぞという時には余計なことを考えてはいけない。戦場だったら命取りになる。今は、このレースのことだけ考えよう。


「位置についてー」


わたしたちの反対側のグラウンドには第一走者が並んでいる。藤谷の姿もそこにある。


「よーい」


スターターが息を吸い込んで、笛に息を吹き込む。


ピーッ!


高い澄んだ音がグラウンドに響き、第一走者たちは一斉に走り出した。


「いけーっ!東雲ーっ!」


すぐ近くで伊藤先輩が叫んだ。その大声に顔をしかめることも忘れて、わたしは走者たちの中から飛び出した東雲の姿を追いかけた。速い。


「東雲先輩!」

「大森!」


大森に一番にバトンが渡った。


「いいぞ!」


伊藤先輩が再び耳のすぐそばで大声を上げる。さすがに煩いなと思いつつ、走り終わった藤谷を伊藤先輩と迎える。


「東雲やったな!」

「速かった」


藤谷はわたしたちを見て、少し得意気に微笑んだ。


「当たり前」


そんな顔の藤谷は珍しく、わたしはその笑みにつられて唇が緩んだ。


「第四走者の方、準備お願いします」

「はい」


いけないレースに集中しなければ。グラウンドの反対側を見ると、大森が別のチームの人に抜かれるのが見えた。


「ちくしょー!」


伊藤先輩が元気に叫んでいる。バトンが橋本に渡った。


「橋本ー!いけー!」

「ちょ、先輩煩い…」


橋本の足は速い。しかし、先頭の人を抜くにはあと一歩足りない。


「橋本!」


真剣に走ってくる橋本にわたしは声をかける。


「片桐先輩!すみません!」


橋本からのバトンを受け取る。


「任せて!」


わたしは本心から叫んだ。走り出した瞬間、なぜか身体がとても軽く感じた。負ける気がしなかった。


「片桐いけー!」


遠くから伊藤先輩の声。


わたしは先頭を走っていた人を抜く。


「美幸ちゃーん!」

「片桐さーん!」

「いいぞー!」

「頑張れー!」


四組のテントの前で、同級生たちの声。


不思議な感覚だった。今この走っている瞬間だけは、自分が認められているような。何かが満たされているような。このままずっと走っていてもいいなんて、そんな考えが一瞬頭に浮かぶほどに。


「片桐!」


気付けば視界のすぐ先には城戸先輩。


「城戸先輩!」


わたしは持っているバトンを、城戸先輩に渡した。力が入りすぎて、少し叩きつけてしまったかもしれない。


「っは…」

「やりましたね!片桐先輩!」


走路から外れて息を整えているところに、大森がやってくる。


「城戸先輩が一位保っています!これはいけますよ!」


城戸先輩はわたしが言ったことを守ってくれているようだ。わたしは流れる汗をぬぐわないまま、グラウンドを見た。


聞こえてくる生徒たちの歓声と、視界に映る土埃が舞う高く遠い空。額を伝う汗、頬と髪を撫でる風。リズムを取るように脈打つ鼓動。


「伊藤先輩にバトン渡りました!一位です!」


この感情を、この感覚を、どうやって記録に残せばいいだろう。無性に胸が締め付けられるこの感情は、一体何という名前なんだろう。


「伊藤先輩いっけー!!!」


大森が大声をあげる。そして一位を保ったまま、伊藤先輩が白いゴールテープを切った。


「やったー!」

「…」

「やりましたね!片桐先輩!…片桐先輩?」


大森の視線を感じて、わたしはそちらを向く。そこでなんだか視界が歪んでいることに気付いて、わたしは目をこすった。


「…あれ」


目元に触れた指に雫がついていた。それが何か理解する前に、衝撃が身体を襲った。


「四組やったぞー!」

「わっ」

「いっ伊藤先輩!」


走り終えた伊藤先輩が大森とわたしのところに飛び込んできたのだ。それは中々に凄まじい勢いだったので、正体不明の雫はどこかに飛んで消えた。


「やりましたね!」

「いやー!勝った勝った!」

「良かったです」


わたしたちがそうやって騒いでいると、わっと声が聞こえて走路の方を見た。伊藤先輩たちも同じようにそちらを見る。


「なんだ?」


女子生徒が一人、地面に倒れていた。ゴールしてすぐところで転んだらしい。


「あちゃー」


リレーの方は全チームがゴールしたので、競技自体は終了したようだ。そうなると走者のわたしたちはすみやかにグラウンドから退場しなければならない。しかし、その女子生徒は随分勢いよく転んだのか、膝が真っ赤に染まっていた。こちらの世界で見慣れないその色に、わたしの頭は冷水をかけられたように澄んでいく。


「立てる?」

「誰か背負ってあげたら?」

「ちょっと男子~力貸して」


誰かがそう言ったのが聞こえた。しかし周辺にいた男子たちは名乗りを上げるどころか顔を見合わせてしまった。それを見て、わたしは躊躇することなく手を挙げる。


「わたしが」


周囲にいた人たちが一斉にわたしを見る。


「え?」

「力には自信があるので」


怪我をした女子生徒を見ていた人が、戸惑ったようにわたしを見た。


「あ、そ、そう?」


意義のある人はいなさそうだ。わたしはさっさとその女子生徒の前に立って、背中を差し出した。


「乗ってください」

「えっ」


そうしている間に、退場のアナウンスが流れる。


「大丈夫ですから。はやく」

「あ、うん…」


体操服のロゴの色からして、恐らく三年生の女子生徒だ。その人は近くにいた人に手を借りつつ、わたしの背に覆いかぶさった。


「立ちますよ」

「う、うん」


わたしは淀みなく立ち上がる。周囲の人たちがおーと小さく声をあげた。スタッフの人が、救護テントの場所を指さして教えてくれたので、わたしは走者の列から離れてそちらに向かった。


「よ、汚れるかも…」

「大丈夫です。救助が優先ですので」

「……ありがとう…」


早足で救護テントに辿り着けば、転んだ様子を見ていたのか保険室の先生が女子生徒の怪我の手当の準備をして待ち構えていた。テントの中の椅子に女子生徒を下ろすと、保険室の先生はわたしに笑いかけた。


「偉いね、片桐さん」

「いえ、当たり前のことですから」

「わあかっこいい。なんだか片桐さんがそんなこと言うの意外だな」


先生の言葉に、胸がぎくりとなる。入船にも似たようなことをつい先日言われたばかりだった。急にわたしは不安になる。今しているわたしの行動、振舞いはもしかして全然美幸らしくないのではないか。それは美幸に対しての冒涜にならないだろうか。


「はーい、消毒完了。立っておくのがつらいようなら、先生に言って閉会式までどこかに座ってなさいね」

「はい」


女子生徒の手当が終わるのをテントで見守っていると、頭にポンと何かが乗ってきた。


「?」


なんだろうと頭に手を伸ばすと、ひやりと冷たい感触。続いて、背後から声がした。


「先輩からのご褒美だとよ」

「藤谷」


落とさないように頭の上にあるものをしっかりと掴んで目の前に持ってきてみれば、それは缶ジュースだった。学内の自動販売機で売っているものだ。


「伊藤先輩から?」

「女子は城戸先輩から」


藤谷の手元に視線を落とすと、そこにも缶ジュースがあった。


「ありがとう」

「別に俺が礼言われる筋合いはないけど」


それもそうだ。城戸先輩に次会う時があれば、お礼を言おう。そう思いつつ缶ジュースを見ていると、手当を受けていた女子生徒が立ち上がってこちらに来た。


「えっと、片桐さん、だっけ。ありがとう…運んでくれて」

「いえ。わたしはなんとも。テントまで送りましょうか」

「ううん。そこまではいいよ。本当にありがとうね」


女子生徒はそう言って笑って歩き始めた。大丈夫かとその背を視線で追いかけていると、

彼女に数人の女子が近付いてきて一緒に歩き始めた。あの様子ならもう問題ないなと思っていると、隣から薄く息を吐く音が聞こえた。なんだろうかと思って藤谷を見ると、薄く笑みを浮かべている。その顔が何か言いたげなので、わたしは尋ねる。


「なに?」

「女子のお前がどうして背負って運んだのかと気になって」


どうして。よくわからない問いだと思いつつ、わたしは答える。


「仲間が怪我してたら助けるのは当然かと」

「…仲間?別のクラスの奴だったろ」

「チームは違うけど、広義で言えば仲間というか」

「…お前、もしかしてこの高校の奴ら全員仲間って認識なのか」


藤谷は目を細めてわたしを見る。その唇は愉快そうに歪んでいる。


「そうだけど」


そう返事をすれば、藤谷は声をあげて小さく笑った。


「お前って仲間と判断した人間なら誰でも助けるのか?」

「……何か問題でも」


どうして笑われるのか理解できなかった。わたしは思わず眉を潜めてそう言うと、藤谷は歪んだ唇を開いた。


「別に問題はないけど」


ないならいい。わたしは藤谷から缶ジュースに視線を移す。


「お前らしいな」


聞こえてきた呟きのようなその一言は、缶ジュースを開けようとしていたわたしの指を止めた。再び缶ジュースから藤谷に視線を移す。しかし藤谷はもうわたしのことを見ておらず、缶ジュースを開けていた。カシャと小気味いい音が聞こえる。


らしいと言われてホッとしていいはずなのに、なぜか胸がざわついた。


「美幸ちゃーん!速かったね!一位おめでと!」


わたしたちの元に莉子がテントから駆けてくる。藤谷は莉子の姿を見て、ジュースを飲みながらどこかに歩いて行った。わたしはその後ろ姿を見送り、莉子を迎える。


「ありがとう」

「しかもさっき先輩おぶってたよね?かっこよかった!」


莉子はきらきらと眩しい目で美幸わたしを見ている。


「さすが美幸ちゃんだね!」


不思議とその言葉は、すとんと胸に落ちてきた。莉子はニコニコしたままこちらを見ている。


「そう、かな」

「うん!美幸ちゃんはそうでなくっちゃね」


ああよかったと、わたしは心の中で呟く。わたしが欲しかったのは莉子が言ったような言葉だ。わたしがしていることはちゃんと”美幸”らしかったか。その確証がわたしはずっと欲しいと思っていた。わたしが”美幸”をちゃんとしているという誰かからの評価が。自分がちゃんと”美幸”でいられているか、時々不安になるから。


「…ありがとう」


お礼が口をついて出たが、言ってからなんだかおかしな脈絡だったかなと思う。しかし莉子は特に気にした様子もなく、わたしの手を取った。


「ねえ美幸ちゃん、今度私もおんぶして?」

「え?なんで」

「なんでって…」


莉子は少し頬を膨らませた。拗ねる時の表情である。


「私、美幸ちゃんにおんぶしてもらったことない!ずっと一緒にいるのに!」

「……まあ、そう…だね…」


了承でも拒否でも即答するのは気が引けて、わたしは曖昧な返事をした。美幸に判断を委ねたいところだ。


「今でもいいよ!」

「…今はジュース飲んでるから」

「そう言いながら缶を開けようとしないで!待って!ああ!開けちゃった!」


莉子の騒がしくも明るい声に、わたしは思わず小さく笑いつつ缶ジュースをあおった。何の変哲もないグレープサイダーだ。口の中で甘い炭酸が弾ける。ああ美味しい。あちらの世界ではこんな飲み物ないだろうから、せめてこの味だけは覚えて帰りたい。莉子に不貞腐れた顔で見られながら、わたしはその缶ジュースを時間をかけて味わった。


体育祭は無事終了し、四組チームはリレーでの高得点が功をなしたのか見事優勝した。これは美幸に胸を張って報告できると、わたしは自分の日記帳に体育祭のことをいつもより長めの文章で記した。


そして日記の最後に伝言のように付け加えておく。


莉子がおんぶをして欲しがっていたから美幸が帰ってきたらしてあげてほしい、と。


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