:侯爵令嬢と白い猫:
深呼吸をして再び歩き出すマリアベル。その背中を、猫が首を傾げて見送った。道の入り口あたりは、光る石が埋まっているがそこから先はそれがない。真っ暗なのだが――。
猫は、マリアベルが消えた方をじっと見つめ――耳が、ぴくっと動いた。マリアベルが、駆け戻ってきたのだ。
「ど、ど、どうしましょう……!」
声が裏返って手が小刻みに震えている。モンスターに襲われたのだろうか、白い頬に細く傷がついていて、血が滲んでいる。荒い呼吸のまま、猫の前にへたりと座り込んだ。
「みゃあん?」
「先が見えないのは怖いの。火の玉を出そうと思ったのだけどうまく出てくれなくて。どうしましょう、何か……何か……嗚呼、どうしたらいいのかしら」
猫が体を摺り寄せると、マリアベルはその小さな体を撫でる。しばらくその場に座って猫を撫でながら考え事をしていたマリアベルだが、
「そうだわ! あれが使えるはずよ!」
「みゃ?」
「待っててね!」
と、再びダンジョンへ踏み込んでいった。なかなかどうして可憐な容貌でありながら逞しい令嬢である。
どうやら、言葉の通じない相手とはいえ、話しかける『猫』という存在があらわれて、元気が出てきたらしい。しばらくしてダンジョンから思いのほか元気よく戻ってきたマリアベルの手には、結構な量の棒が握られている。
それを拾いに行っていたんだね、と、猫の尻尾が揺れる。
ドレスを着たレディが大量の枝を抱える様はなんというか――ハッキリ言って公爵令嬢に不釣り合いだ。だが、マリアベルは得意げだ。
「見て、コレよ!」
「みゃ?」
「書物で読んだのよ……枯れ枝を束ねて火をつければ……たいまつ、っていうのよ!」
床にそれらを並べて、長さをそろえるように折る。
「束ねて……紐……荷物の中にあったはずよ」
暫く試行錯誤していたが、出来たわ! と、マリアベルの顔が輝いた。
いったいどうやったものか、木の枝の先には火が灯っていて周囲を明るく照らしている。
「できるだけ魔法を使いたくないから……本で得た知識を使うことにしたのよ」
たくさんの本を読んだのは、読書が趣味だったのもあるが、それだけというわけではない。幼いころは、魔法が暴走してしまうため人と接することが怖くなり、屋敷にこもりがちだった。
そんなマリアベルの心を慰めてくれたのは、屋敷にある膨大な父の蔵書だった。恋愛ものから実用書、冒険の物語まで、あらゆる本を読んだ。
「お父さまの蔵書にも、魔法制御に関する本はなかったのよね……」
あればどれだけ良かったことか……。
「ふふ、今、魔法のお世話になったのは、たいまつに火を灯すときだけよ。魔法の火だから、普通の火よりも長く燃えて消えにくいのよ」
マリアベルの心理状態を反映してしまうのが難点ではある。炎がうまく調整できる自信はなかったが、うまくできたことでとりあえず、一安心だ。
「さ、これできっと大丈夫よ!」
言いながら、マリアベルがダンジョンへと足を向ける。しかしそのつま先は、微かに震えている。
(大丈夫、大丈夫……マリアベルは絶対、生きて帰るの……)
ダンジョンがどんなところかも、わからない。誰がいるのか、わからない。どんなモンスターに襲われるのかも、わからない。暗くてわからないことだらけの場所に行くのだ。こわくないはずがない。
「……行くわ……」
そろり、そろり、と、歩み始めるマリアベルの隣を、白い猫が歩く。
「もしかして、あなたも一緒に来てくれるの?」
尻尾がひょん、と動く。肯定だろうか。
「よろしくね、猫さん」
「にゃん!」
一人と一匹が、ゆっくり歩き始める。周囲は物音一つしない。
「ところで……あなた、翼があるのに飛ばないの?」
その問いかけには答えることなく、白い猫はトコトコと軽快に走り出した。
「ま、まって! 置いてけぼりは嫌よ!」
マリアベルの悲痛な声がダンジョンに響いた。