:マリアベル、決意する:
「マリアベルさま、今からでも陛下の後宮へ……。そこなら、無残な死に方をすることはないでしょう?」
マリアベルは、しばし相手の顔を見た後ゆっくりと立ち上がって門番の手を取った。そのまま、貴族の令嬢がとる最上級の礼を取った。優雅で心がこもったお辞儀だ。
「マリアベルさま! なりません、そのような……」
門番が酷く慌てた。
「いいえ、わたくしの身を案じてくださったのですから。ありがとうございます。心より御礼申し上げます。ですが……その選択肢は、ありません」
「……そう、ですか……。いえ、そうおっしゃると思っておりました……」
門番は片膝をついて、マリアベルの手の甲に恭しく口づけを贈った。国の兵士である以上、王国のレディを守るのも職務の内である。普段はそんなこと、すっかり忘れてしまっているが。
「俺は、あなたさまのご遺体回収なんてことは、絶対にしたくありません。ですから、どうぞ、どうか……ご無事で……」
ありがとう、と、マリアベルは優雅に微笑んだ。うっすらと涙を浮かべた門番は、ふと思い立ったように部屋の隅にある棚へ向かった。
「マリアベルさま、水さえあれば何日でも生き残れます」
「え?」
「この水筒をお持ちください。わが隊に伝わる特殊な水筒で、どんな水も飲み水になります。いいですか、何があっても水だけは飲むのです」
「はい」
「そして……いえ……」
何かを口籠った兵士に灰色の筒を渡された。そこには王家の紋章が刻まれている。
「ありがとうございます。ですが……ここでわたくしを助けたことで、あなたが何か罪に問われることは……」
「ありません」
「よかった」
門番は、意を決したようにマリアベルの手を取った。
「さぁ、ダンジョンの入り口はこの扉の先です。どうぞ……ご無事で……」
開けられた木の扉の先は、真っ暗な穴があった。ランタンも蝋燭もない暗闇だ。
マリアベルは、思わず唾を飲みこんだ。本音を言えば今すぐ屋敷に飛んで帰りたい。ドレスの下では足がみっともなく震えて、立っているのがやっとだ。
だが、侯爵令嬢たるもの逃げ出すわけにはいかない。いや、そんな掟はないのだが、一度口にしたことはやり遂げるのが、貴族というものだ。
「では、行ってまいります」
マリアベルを見送る門番が、さらに、絞り出すように声を出した。
「マリアベルさま! もし……もし……ダンジョンの中で困ったら……」
「はい?」
「村を……頼ってください」
「え? ダンジョンの中に人がいるの?」
「少なくとも……我々は、シャルル団長の御遺体を回収しておりません」
マリアベルは、思わず目の前の門番を見つめた。
「社交界の花形の騎士団長さまが……ダンジョンの中に?」
門番は微かに頷いて、身を翻した。これ以上はもう言えない、そういうことだろう。
数分後。
門番は玄関の前に駆けて行き、大声で叫んだ。
「フォンベルファウンド侯爵さま御息女マリアベルさま、すべての罪をお認めになり、勇ましく離宮に入られました! 王がお許しになるか、王がご所望の品を発見するまで、ここから出ることはできません」
マリアベルが決意を翻して戻ってくることを期待していた人々の間から、すすり泣きが漏れた。