第十九話:横流し可能な吸血鬼
第十九話
「魔王とは、その空間を支配することを認められたものと言って構いません。自ら世界を構築できず、他者の空間を占拠して国を作り上げるものなど魔王ではなく、単なる支配者です。いずれは座を追われ、語り継がれることのない単なる小物として命を散らしますが、魔王はほぼ絶対的な存在です。魔王を倒せばその空間はすべてを失い、無に帰します。まぁ、これには………」
続けようとしたところで蔵の扉があけ放たれた。
「あ、白銀と黒金さん」
「新入りがわたしたちに挨拶もなしとは大きく出たな」
「そうですそうですっ」
小さな黒金さんに隠れるように白銀がそういう。うわぁ、こいつも大きく出たな。
「なるほど、あなた方が守護者、ええと、がーでぃあんに選ばれた天使と悪魔ですね」
俺に対してのやさしい対応ではなく、事務的な口調。
「ふん、お前が蒼疾の教育係か」
「ええ、そうですよ。わたくしは若様のおばあさまである神埼シンシア様より命を受けて教育係となった俗に言う吸血鬼の近藤睦月と申します。以後、お見知り置きを」
これまた事務的でまるで二人のことを見下すようであった。
「本来ならば若様がここを継承された日に姿を現す予定でしたが………事故がございまして出ることが出来なかったのです」
「事故ですか」
「ええ、そうです。この話はまた今度にさせていただきますが、ひとつ先に言わせてもらいたいことがあります」
白銀、黒金さんを見た後にこういうのだった。
「残念ながら、お二人ともがーでぃあんになるには実力不足のようですね」
「な」
「ええっ」
驚いたのは俺と白銀。白銀だけならばこの場の誰もが納得して『なぁんだ、やっぱりか』と言っていたことに違いない。しかし、黒金さんが入っていたことを考えるとそう和やかなムードで終わるものでもなかった。
「ほう、女よ………わたしの実力すら卑下するか。ならば貴様の身体で試してみるか」
目は爛々と輝いており、それらの視線はすべて近藤のほうへと向けられている。殺気、とでもいうのか知らないが黒金さんからあふれ出ている見えない何かも怖くて近寄りがたく、白銀は気がつけば蔵の外に出て震えていた。
「わたくしのこの身体を傷めつけたい、滅茶苦茶にしていいという権利は残念ながら若様であられます蒼疾様だけです」
「そうか、それならその権利、わたしにも使わせてもらおうっ」
やれやれ、困ったものですねとつぶやくだけで近藤は何もせず、黒金さんのほうを見ていた。俺は止めようとしたのだが近藤がそれを許さない。
「若様にもしものことがあっては大変です。座っていてください………当然、わたくしもあの方もどちらも怪我などしませんからね」
ほほ笑むその表情はとても優しく、不安を打ち消す効果があった。だから俺は信じたのだろう、彼女を。
そして、黒金さんは躊躇なく剣を宙に浮かせ、近藤へと飛ばす。
「無駄ですよ」
言葉通り、剣は霧散し、当然ながら近藤には何一つとしてあたることはなかった。
「なっ」
「嘘………」
「…」
黒金さんは言葉をなくし、白銀はただただ目を見開いて近藤という女性を見つめていた。
「近藤睦月、神埼蒼疾様のすべてを世話する吸血鬼でございます。今後ともお見知り置きを………」
ただただ、慇懃に礼をする近藤睦月という女性は格好よかった、それだけだ。
――――――――
あれだけ降っていた雨がやむことはなく、暗くなった今も変わらなかった。
事務的な時計の音、そして雨音以外は聞こえることのない空間。
「………」
ただひたすらに居心地が悪かった。
黒金さん、そして白銀は先ほどからずっと近藤のことを凝視しており、近藤は静かに俺の後ろに立っているだけ。きっと、彼女の馬の尻尾も風がないので揺れることはないだろう。
「な、なぁ、近藤って呼べばいいんだっけ」
「いえ、若様はどうぞ睦月とおよびください」
「睦月さんっ」
そういったのは俺ではなく、白銀だった。
「白銀さまと言いましたか。馴れ馴れしいので近藤さんとお呼びください」
これまた事務的で冷たい。
「どっちでもいいですけど、黒金さんのあれをどうやってはじいたんですかっ。感じる魔力なんて人間に毛が生えた程度にしか感じらないんですけど」
失礼とも思ったのだろうかとても申し訳なさそうなところが天使のようであった。
「ええ、わたくしの魔力は白銀様、黒金様に匹敵することはまずあり得ません。それこそ、そこらにうじゃうじゃといる人間が束になって襲ってきたならば負けてしまうと断言できます」
「ふん、ならばさっきのあれはなんだ、悪い冗談か、手品の一種か」
不貞腐れたように黒金さんは頬杖をつきながら睨みつける。その視線を受けてもなお、近藤の、彼女の堂々とした態度は変わりようがなかった。
「まぁ、そういった類のものです。わたくしは以前、若様の血を飲んだことがありますからね」
「ああ、なるほどな」
合点が言ったとため息をついて黒金さんはそっぽを向いた。白銀は首をかしげながら俺のほうを見るが、あいにく、そういった知識を持ち合わせていないために答えようがない。他の知識なら結構持っているんだけどな。
「若様と一定距離を保っていればわたくしは若様の力を自由に使えることが出来るのです」
「え、ええっ。それって………」
「ですから、魔力は微々たるものだとしても若様の力を、言い方が悪いかもしれませんが横流しすることが可能なのです」
誇らしげにそう言って彼女は続ける。
「だから、わたくしのこの身体を傷つけることが出来るのは若様ただお一人なのですよ」
「悪い、さっぱりわからなかった」
「いえ、若様はただ座って好きなことをわたくしに言ってくれれば構いません。おはようからお休みまで、肩もみから下の世話までわたくしはなんでもいたしますから」
目の中には炎が燃えていた。
「あ、ああ、そうなんだ………って、ところでなんでそんなに俺につくそうしてるのさ」
「そうですよ、蒼疾様はぱしってなんぼの存在です」
ぱしりは時として自分より下の存在を使いっぱしりにするのである。そういえば最近、よく白銀に使われていた気がしないでもないな。代わりに、私の体を好きにしてくれて構いませんよと言われたが足で蹴っておいた。
「白銀様、後で血を抜きますから覚悟しておいてくださいね」
「へ」
「こほん、若様に絶対忠誠を誓うのにはちゃんとした理由があるんですよ」
近藤、いや、睦月はどこか遠くを見るような眼をした。白銀、そして黒金さんはそんな彼女をしっかりと見ている。
そして彼女は話し始めるのだった。
次はどうしよう、こうしようなんて考えずに前を向いて進むことができる人がどれほど羨ましいものか。雨月を構成しているものは妬み、嫉み、嫉妬、羨ましい、羨望、やさしさ、偽善、邪、他人のボケをスルーするやさしさなどです。