表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

暴君と女帝

作者: ふゆづき

 デルベリウスが再起動し、活動内容を変更したのを彼女ことゼフィリウスは海中で知った。

 一万年もあれば海底の地図もかなり手を加えることがあり、海の調査は楽しく飽きることはないが、報告書を受け取って読んでくれる者がいないというのは少し寂しい。

 そんな時、シロクマがルドベキアの方、ルート大陸西方に向かうと知り、興味がわいた。

 現在の陸の生活はどんなものだろう。向こうにはシロクマも、アキノもいるらしいからとっても楽しそうだ。

 ライゾウはあの二人が揃うと絶対に何かろくでもない事が起きると頭をよく抱えていたが、見ていると楽しいのだ。

 彼は今、エヒメの子の世話とメティオ基地の件で動けないし、ゴーレム生活の先達であるこの私が動かないでどうするのか。

 彼女はゆったりと海底付近を泳ぎつつ、そんなことを腹の内に抱え鼻歌交じりに考えていた。

 エヒメの子、ワカヤマを抱いていた彼は何やら急に眩暈にも似た揺れを感じ、ふらりとバランスを崩して壁につかまった。

「大丈夫ですか?」

「あ、ああ……なにか、急に……泥船に乗せられたような、嫌な予感がしてな……」

 ムラクモは遠い目をする。

「部長の勘はよく当たりますから……我々も備えます」

「すまない」

 いいんですよ、と彼は笑う。

「備えあれば患いなしと昔から言うじゃないですか」

 からからとムラクモが笑った頃。

「いっくしっ」

 ルドベキア南西部の海沿いの町、レクトにてシロクマは先程からくしゃみが止まらなかった。

「なんだ、悪口か?」

 ひとまず鼻をかみ、彼は派出所に向かう。

 派出所に着くと、横に作られた小さな飛竜小屋の傍、ちょうど日向で暖かそうな所で昼寝をしていた伝書飛竜がパチ、と目を開けた。

 大きな桃色の目をパチクリさせ、口を半開きにしてシロクマを見上げている。

 足元の小さな飛竜に気づいた彼は太陽のように笑うと、大きな手で若草色の子をなでてやり、派出所の扉をノックして入る。

 やって来た男に派出所の者も一瞬我を忘れた。それ程までに、この男と己とでは格が違うと思い知らされたのだ。

 この男は大きい、何もかもが大きいと感じた。

 男は地図を買うと、博物館の開館時間などを調べてメモを取ると去って行った。

 派出所の者たちはすぐに他の派出所に連絡して確認を取るが、メティオ村の派出所から答えがあった。

『白髪で色白で、橙色の鋭い目をした大柄な四十から五十くらいの大男だろ? ライゾウ様からその人はシロクマっていう神造騎士の一人で、嫌な予感がするから何があっても大丈夫なようにしておけとのお達しだ』

 これから何が起きるというのだ、と顔色を失くしていると、外出していたグリフォンが戻って来て言った。

『この辺り一帯のゴキブリやネズミが逃げ出しているぞ。オレも逃げた方が良いと思うが……おまえたち逃げないし……』

 はー、やれやれ、と薬草を置く哀愁を漂わせたグリフォンの相棒の医者は今すぐにでも彼に乗って逃げたくなったのであった。

 一方、博物館に入ったシロクマは呆れ顔で展示物を見ていた。

 幼い頃よりライゾウの家に出入りしていて目が肥えていたのもあるかもしれないが、どこからどう見てもほとんどがバッタ物であった。

 一万年以上前、アトラシア戦役辺りで神造騎士団が使っていたトイレなどと書かれたプレートに思わず失笑してしまいそうになる。

 自分たちは出したらスコップで埋めたし、居住地は上下水道完備だったし、エルジアが造ったあいつら純粋な神造騎士団が食いはしても出すかよ、と。

 他にもユニークなバッタ物の数々を楽しみ、とうとう見つけた。

 神造騎士の涙と書かれたプレートの上の方に金色の核を持つ青白い魔石が鎮座していた。

『おーいアキノ、着いたぞ』

『ありがとうございます!』

 ふと、シロクマはもう一つ反応があるのに気付き、気配を探り驚く。

『おいおい、オレにルパンになれって?』

 この場には、数多のゴーレムコアが存在していた。

『シロクマ、神造騎士団の名前で手紙を出してみる。その返事を待ってから行動ではダメか?』

 ダメで元々という事は、言ったライゾウ本人が一番よく知っている。

『やるだけやってみよう。三日間待っても返事が無ければ、オレは怪盗紳士になってやる』

 言いつつ、彼は円卓内の倉庫パネルを表示してかつての相棒、暴君の名を冠する二足歩行戦車を己の武装に加えた。

『戦争でもしに行くのか?』

『ライゾウさん、シロクマさんが乗ったら戦いにすらなりません』

 アキノの言葉に、ライゾウは深々とうなずく。

『暴君で暴れるのはどうでもいいが、仲間のコアだけは壊すなよ。あと、人死にも出すな』

『善処するが、差出人の名義は有名どころの名前を使えよ』

 もちろんだ、とライゾウはデルベリウスの名前で出したのだった。

 円卓から戻り、シロクマは博物館の中を見て回り建物の構造を頭に叩き込む。

 一方、ライゾウはルドベキア王国、レクト村、博物館の三か所に手紙を送ったのだが……。

『シロクマ、手紙だが全部イタズラと見られて灰にされたぞ』

『だろうな。だが、一応盗られやしないかと警戒はするみたいだ。予定通り、オレは怪盗暴君になってやる』

『紳士じゃないのか?』

 からかうようなライゾウの声にシロクマは円卓内で調整している暴君を見上げる。

『こいつがそんな柄かよ』

 そして、シロクマは博物館に潜入した。

 覆面を被り、足音を立てないように移動し、博物館の中にあるゴーレムコアを回収していく。

 そんな中、深部で麻薬取引の現場を目撃した。

『ライゾウ、連中はミミュウっていう球体猫に麻薬の袋を丸呑みさせてあちこちの国に密輸するらしい。ガルトフリートにも行っていようだ。潰すか?』

 円卓内にいる、ライゾウ率いる黒狼隊の顔つきが変わった。

『まず物的証拠を全部押さえろ。第何陣かわかるか?』

『今日出荷されるのが第四陣らしい。ガルトフリートは水際で食い止めているらしい。カミヤ要塞で大抵弾かれていると』

『要塞と連絡を取ったが、カミヤ大橋でミミュウの変死が多い。検死の結果、急性麻薬中毒と判明している。胃液などの影響で腹の袋が破裂したのだろうとのことだ』

 なんて惨い、と円卓内が沈むが、ムラクモが言った。

『シロクマ一佐、私は急に球体猫が飼いたくなったので一匹連れてきてください!』

 一瞬呆気にとられるが、次から次へと声が上がる。

『部長、もしかしたらもう丸呑みさせられた子もいるかもしれません。あの子たちは立派な物的証拠です!』

 ありとあらゆる理由を述べる部下たちを宥め、シロクマは言う。

『悪いが、今回は生物を回収することを想定していない。出直しだ。獣医の手配もしておけ』

 シロクマは見取り図などを盗まず、全部目を通して映像資料として円卓内に送り輸送ルートを送った。

『すぐに派出所に連絡する』

 その後、救出保護されたミミュウたちはすべて神造騎士団の方へと流れ込んだ。

 脱出したシロクマは宿に戻り、しばらくアキノを己の配下として使うことにした。

 その日以来、ルドベキア王国貴族、レヴィール伯爵の顔色と博物館館長こと、レクト村の次期村長と見られている男の顔色は悪くなる一方だった。

 それというのも、麻薬の輸送隊が消息絶つ事が多くなっているからだ。

 持ち逃げもあり得るが、麻薬の密輸を黒服に嗅ぎ付けられたのか、どうにかして探りを入れたいが藪をつついて蛇どころか竜が出かねない。

 一方、ライゾウからの情報提供を受けたガルトフリート王国内の警察の動きは疾風どころか雷だった。

 ルドベキアと繋がっていた麻薬組織は一網打尽にされ、国内のペット業者はすべて手入れがなされ、押収された麻薬の量と逮捕された人数は過去最高となった。

「あの、ライゾウ様。この子たちはどうしましょうか?」

 みゅうみゅうと鳴くミミュウたちを、すっかり情が移ってしまったのか若い黒服の男は悲しげな顔で見て言う。

 折角助けたのに、このまま保健所に送ってしまうのはあまりにも後味が悪いしかわいそうだ。

「まず里親を探して、残った猫がいたら私に教えろ。おまえたちが引き取るのも構わん」

 ぱっと顔を明るくした彼らはすぐに里親を探し始めるのと同時に、己に一番懐いているミミュウを引き取ったのだった。

 貰い手が無く、ライゾウの所に来た白いミミュウはどこかの大男を思わせた。

 白い体に橙色の目をした大きなオスの猫で、ふてぶてしい顔をして警戒心が強く人見知りだ。

 ワカヤマが興味津々という顔でそのミミュウを見るが、ライゾウは畳にごろりと横になるとワカヤマを抱き込み言う。

「ワカヤマ、トウジは慣れるまでしばらく放置だ」

 その名前にムラクモは笑いを堪える。

「部長、一佐の名前なんて付けて大丈夫ですか?」

「構うものか。見ろ、あの面構え。あいつそのものじゃないか」

 円卓でそれを知ったシロクマは思わず苦笑する。

『まだ根に持っていたのか。まあいい。オレもこの猫にクロハタって付けるからな』

 出された黒い子猫の映像に円卓が賑わう。

 シロクマの膝の上でよだれを垂らして寝て、遊んでいる夢でも見ているのか足や尻尾がせわしなくぴくぴくと動いている。起きていたら元気に駆け回っただろう。

 円卓がミミュウ自慢と育成論の場になる一方、館長の顔色は土気色だった。

 朝起きたら残り少ない頭髪が更に少なくなっていたのもそうだが、ミミュウである。

 何度数えても足りないのだ。

 麻薬を呑ませた猫から消え、妊娠中の猫が消え、子猫が消え、もうオスの子猫一匹しか残っていない。

 どう考えても盗まれているが、いつ、誰が、どうやって、何の目的で盗んでいるのか。

 派出所に依頼しては事が露顕してしまう。

 猫が減り始めてからレヴィール伯爵から私兵が、ギルドに依頼した者たちが猫を守っているがどうなることやら。

 治安が乱れたことから私兵の存在はとっくに派出所の者に知られ、彼らの仕事は有事の際における治安維持、民間人の保護になり、主立っての戦いではなくなった。

 自国は自国の軍で守れというのだ。

 彼らからは仕事しろという声が聞こえてきそうだ。


 海中では、偵察機を飛ばして陸を、自分の目で円卓を見ていたゼフィリウスがクスクス笑っていた。

 そして誰もいなくなった作戦は数が減っていくにつれておもしろくなっていった。

 最後の一匹はどうやって盗むつもりなのか。

 彼女は円卓をそっと覗き見た。

『こっちのクロハタはこんなにかわいいのに』

 なあクロちゃん。

 みゅう、とかわいらしい鳴き声がし、まるで会話をしているようだ。

『ところで、最後の一匹はどうするんだ?』

『もちろんアキノが身も心も盗むぞ。猫だって仲間外れは嫌だろう』

 その時、円卓にアラームが鳴り響き全員の顔つきが変わった。

『デルベリウス、何があった?』

『原初第四神、エメスの攻城戦用ゴーレム、エンプレスを確認しました。主人の変更があったのか、レヴィール伯に従うようです。映像出ます!』

 滑らかな、女性的なフォルムをして大理石を思わせる純白のドレスを纏ったゴーレムは戦役を生き残り、自己修復したのか新品同様だった。

 エメスはエルジアの神造騎士団を模倣してゴーレムの軍勢を作るに至ったらしいが、当時神造騎士ですらない、ただの人間だったライゾウたちに破れた。

 また面倒な物を、とシロクマは苦い顔だ。

『大艦巨砲主義者の忘れ形見か』

 エメスのゴーレムと神造騎士団は過去幾度となく剣を交え、最早宿敵と言って良く、ほとんど一人でエメス軍の相手をしたシロクマにとっては不倶戴天の敵であった。

『一佐、潰しましょう! ゼフィリウス、いるんだろ? 手伝ってくれ』

 ムラクモが言うと、楽しそうな顔をした少女が現れてうなずいた。

『でも、ミサイルも魚雷もないから手伝えるのは輸送だけだよ』

 シロクマはニヤリと笑う。

『十分だ。アキノ、オレはエンプレスを潰すから、猫を回収したらすぐに東部の森に来い。疾風を用意しておく』

『わかりました、ご武運を』


   * * *


 星と海、眠れる大地は知っている。

 暴君がいかに暴れ、何を守ったのか。


 かつて地球と呼ばれた惑星が第四次世界大戦により限界を迎えたため、人類はそれぞれの国や地域ごとに地球を脱出した。

 造れる限りの船を造って、乗せられるだけの人を乗せて。

 日本もそうした国の一つで、ようやく住めそうな惑星を見つけて移住したが、原住民との戦争になった。

 驚異的な身体能力と超能力のような能力を持つ彼らとの争いの末、長い時間をかけて溶け、混じり合った。

 その間、稀に星間領土を広げようとする国家との戦争があり、その際に戦車の限界が問題になった。

 時代は陸戦よりも宇宙での戦いとなり、船も戦闘機も宇宙を征くのに未だ陸上を這いずり回っていると笑いの対象になっていた戦車を、根本から見直そうと動いた科学者と技術者がいた。

 目を着けたのは自分の足と、恐竜だ。

 そして、無数の試行錯誤と実戦の末に生まれたのが二足歩行の戦車、先駆けだった。

 先駆けで集められた膨大なデータを分析し、各方面に特化した機体の数々が生まれ、その中でも攻撃力に特化したのが暴君であった。

 両足には小型のミサイルポッド、小さな両腕にはアンカーとレーザー砲、背部には可変式レールガンとレドームを搭載していた。

 半永久的に動けるステラエンジンを搭載し、燃料の心配はほとんどしなくて良いがエンジンのエネルギー生産量に行動を縛られがちになってしまった。

 その弱点を嫌ったシロクマはガソリンエンジンやバッテリーを併用しているため彼の機体は大型化してしまったが縛りがほとんど無くなり、より行動力と破壊力を増したのだ。

 その暴君に一時的に乗って戦うことになった兵士は戦闘後、コックピットから転がり落ちるようにして出て、シロクマに言ったという。

「あんなバケモノ、あんたしか乗れないよ!」

 そりゃそうだ、とシロクマは呵呵大笑したが、そんな暴君のエンジンには揃って開発者の願いが刻印されている。

『どうか人々の剣となり盾となり、次代の礎になりますように』

 かつてのような汎用性はほとんど無くなってしまったが、使い方によっては迅速に武器や救援物資を持って、孤立してしまった仲間がいる戦場や道路が寸断された被災地に入れるという強みがあった。

 盾と礎にはなっても、当分剣にはなるまいと思われていた暴君が真価を発揮したのは別の惑星での事だった。

 ライゾウやシロクマたちがエルジアに保護された後に起きた戦争、当時国家ですら無かったガルトフリートの初陣であった。

 現在のガルトフリート王国の北西にある当時のローグ王国から政治や外交面で様々な嫌がらせを受け、とうとう飛竜の子が拉致され彼らは宣戦布告を行い、ローグ王国に攻め入った。

 同盟関係にある国がローグ王国に力を貸し、その力はかなり膨れ上がっていた。

 さすがに神々とその眷属は人間の争いだからと一歩引いて見るに止めていたが、戦いを見てその目を丸くした。

 エルジアも己の巣に手を出されたことはひとまず置いておき、シロクマたちが率いる軍隊の実力を見るのが主目的だったが、彼はこれを機に彼らを己の配下に欲したのだった。

 シロクマたちは等間隔に並び堂々と進軍し、足を止めて言った。

『我々はガルトフリート。ローグ王国の兵士が攫った飛竜の子、エヒメを即刻無傷で返していただきたい。さもなければ攻撃を開始する』

 展開したローグ軍からは嘲笑が、石と肉片が投げられた。

 故郷を追われた異端にして流浪の民ごときに何ができる。

 その行いはただでさえローグ王国を始めとする、己らを軽んじて舐めた態度を取る各国に腹を立てていたシロクマたちの怒りに油を注いだ。

『待つ必要はないようだな。総員突撃!』

 同朋を救え、取り返せ!

 彼らは整然と動き、要所に火力を叩き込み、敵を捻り潰していった。

 シロクマが乗る暴君のレーザー砲が火を噴く度に敵陣と敵の城が吹き飛び、可変式レールガンは光を纏う大剣へと姿を変じ驚異的な跳躍で空へ上がると飛んでいる敵の飛竜騎士を肉片へと変えた。

 民間人は逃げまどい、その先にも鋼鉄の竜や獣の姿があるのを見て絶望した。

『さっさとエヒメを返せ! 傷が一つでもあってみろ、一時間以内に国土を焼き払うぞ!』

 外部スピーカーでシロクマが怒鳴り、それを証明するかのように暴れて城砦を踏み潰して回った。

 三分と経たぬ内にローグの王がエヒメを連れて出てきたが、あろうことか人質として連れてきた。

 翼をつかまれ、首元に短剣を突きつけられたエヒメは助けを求めて鳴いている。

『オッサン、その手の命乞いなら聞かねえよ。もう一度だけ言う。その子を無事返せ』

 不気味な程に凪いだ声がスピーカー越しに放たれ、暴君の手についているレーザー砲が震えるように小刻みに動いた。

 王はヒステリックに何事かを叫び、シロクマは冷然と告げる。

『そうか、返さないか……残念だ』

 威力を最小に絞られたレーザー砲が王の半身を消した。

 あまりにあっけなかった。

 静まり返る中、どこからか指笛が鳴り、エヒメはバタバタと飛ぼうとするが腰が抜けてしまったようで飛び立てず、シロクマは器用に暴君にエヒメを運ばせるがどこからどう見ても鋼鉄の竜がつまみ食いをしている様だった。

 去り際、シロクマは言う。

『ガルトフリートは守りの力だ。おまえらが今回のようなマネをしなければこのようにはならん。もしこの先、このようなことがあれば我々は迷わず剣を取る』

 これにより暴君と、それを保有しているガルトフリートの脅威が認識された。

 それと同時に、自分の巣の財に手を出されたという事でエルジアはローグ王国の国土内に眠っている宝石や鉄などの資源を半分持って行き、シロクマたちに高純度にして与えた。

「ありがたいのですが、これは?」

「我が領域の財を取り戻してくれた礼だ。今回の件を受けて私も巣の守りを見直す。いずれおまえたちにも意見を求めるつもりだ」

 無数のケーブルを生やし、眠っている暴君を見上げてエルジアは問う。

「おまえたちはこれに勝てるか?」

「きちんとした装備と準備、情報があれば勝てます」

 シロクマは即答する。

「まだ勝ち方を知らないだけで、この星、ルート大陸の戦力でも十分に戦えます」

「そうか。もう一つ。おまえは無敵の軍隊を作れると思うか?」

「思えません。無敵そうに見える軍隊を作ることがやっとでしょう」

 神造騎士団は育成中だし、三つのエルも訓練中だ。

「こちらには魔法技術のゴーレムがあります。私なら、それを用いて人件費を使わず、大量生産できるゴーレムで暴君と同じような物を大量に作って配備するでしょう」

「作り物の敵は作り物か」

「はい。生身の人間が乗っている分通常はこちらが不利かと」

 兵器の中で何が一番高価かというと人間だと彼は続ける。

「その上、アルたち……神造騎士のように高い防御力と自己修復機能を備えたゴーレムと違い、我々の武装は自己修復しません。金属疲労や経年劣化などで必ず耐久限界を迎えます」

「それが、侵略による領土拡大を訴える愚民共を押さえつけて専守防衛を掲げる理由か?」

 侵略にうまみが無いことを懇々と諭しても通じないなら、そんなに侵略したいならおまえらだけでやれと一喝して叩き返し、実際に国境付近まで連れて行くと大人しくなるのだから不思議だ。

 シロクマは深々とうなずいた。

「広大な領土を持ってもほとんど無駄ですから。現在ライゾウと話し合っていますが、将来はルート大陸中の小さな村や町など、国家の軍の手や目が届きにくいような所にガルトフリートの派出所を設けようかと」

「ほう?」

「それで有能な者などを国に招くと同時にどこにどのような産業があるのか、どんな気候風土でどんな文化風習があるのか、あらゆる情報を集め続けるようにしようと。大使館や領事館を置くようなものです」

「おまえたちが前に言っていたデータリンクと似ているな」

「はい。何年先かはわかりませんが、これからは今までのような力と力の衝突ではなく、頭と金、資源での戦いになります」

 エルジアは静かに言う。

「では、金も、物資も、人材も、何もかも集めるが良い。おまえの言う先が見たくなった。土地の守りは我が名において約束しよう。だが、中に貯め込んだ財を守れるかはおまえたち次第だ」

 シロクマはうなずき、大急ぎで連日連夜会議をして煮詰め、数千年先でも通用しそうなだけの骨組みを作り後進の育成を急いだ。

 しかし、神造騎士たちを制御し続けるには数十年程度の寿命では当然足りず、ライゾウとシロクマはそれぞれの部下たちに声をかけてエルジアの配下、死後に神造騎士になる者を募り契約を結んだ。

 その直後勃発したアトラシア戦役にてシロクマが最も恐れていたことが起きた。

 エメスのゴーレム軍団に包囲されたシロクマは操縦桿を握り締め、僚機に指示を飛ばす。

「全弾使い切っても構わん。生き残れ!」

 ほぼ無制限に現れるゴーレムに対し、たった四両で戦わなければならないシロクマたちは瞬く間に消耗した。

 一両、また一両と爆発四散して数を減らし、とうとうシロクマだけになった。

 モニターの機体診断プログラムは撤退を提案しているが、ガルベリアが大破したとの報せから帰る家など無い、撤退できない事は彼が一番よく知っていた。

「オレが一番の暴君だな。デルベリウス、エメスを捕まえるから、その瞬間を逃すな。何があっても撃て。オレごと撃っても構わん」

『でも、おじさんは?』

「お兄さんだ。大丈夫、また会える。頼んだぞ、デルベリウス。戦役後も混乱が続くだろうが、皆を守ってやってくれ」

 ただの荷物となった壊れた武装をパージし、彼の暴君は身軽になる。

「さあ、いこう!」

 自身に、普段は意地でも使わない薬剤を打ち、エンジンを始めとする機体のリミッターを解除して彼は笑む。

 エメスは何が起こったのかわからなかった。

 あちこちから火花を散らして半死半生の体だった暴君は息を吹き返して暴風と化し、エメスのゴーレムを蹴り、時に噛み砕いている。

 操縦しているシロクマは胃液や血液をぶちまけ、肩で息をしていた。

 生まれ持って鍛えてきた強靭な肉体と耐Gスーツと、薬品、あらゆる物を使っている。薬品の影響か、恐怖か、緊張か、冷や汗が止まらない。

 とうとうコックピット付近に被弾し、彼の胸に大きな破片が突き刺さった。

 沈黙した暴君のコックピットの装甲がむしり取られ、彼は引きずり出されて地面に叩きつけられた。

 何とか受け身を取るがかつてない衝撃と内臓のダメージに息が詰まり、ごふりと血を吐いたと同時に、暴君のコックピットの中では自爆へのカウントダウンが始まった。

 機密保持のため、パスワードの入力無しにパイロットが引きずり出されたり、登録してあるパイロットからの生体信号が途絶えたりすることがあれば自爆して辺り一面を吹き飛ばすようになっていた。

 そうとは知らずエメスは微笑む。

「鋼鉄の竜はあなたが動かしていたのね。エルジアから私に乗り換えなさい。ちゃんとかわいがってあげるわ。朝も、昼も、夜も」

 エルジアの契約に干渉して上書きしようと伸ばされた手を彼はつかみ、そのまま引き寄せると頭突きをして血と胃液が多分に交じった唾をその白い顔に吐きかける。

「オレの、オレたちの主はエルジアだ。失せろ」

 かっとエメスの顔が怒りに染まり、シロクマの心臓に大きな穴が開いたが彼は死者狂いでしがみつき離れない。

 外そうと四苦八苦していると、背中に小突かれたような感覚があり、次いで首の無い自分の胴を見た。


 うそ……。


 引き延ばされる時間の中、シロクマの歪んだ口元が見えた。


 オレの勝ちだ。


 カウントダウンが強制終了し、閃光と衝撃波が何もかもを吹き飛ばす。

 以来、ゴーレムの軍勢が人を襲うことは無かったという。


 永久の眠りに就いたはずの暴君は神造騎士の武装として息を吹き返し、パイロットを待っている。

「一時間後、オレは暴君になる。アキノ、猫は任せた」

「はい。ご武運を」

 おまえもな、とシロクマは笑って暴君を見上げる。

 エンジンの刻印の他に、コックピット内にはシロクマの願いが書かれているが、それは彼しか知らぬことだった。


   * * *


 博物館に潜入したアキノは多くなった見張りに、さてどうしようかと考える。

 無線機などで連絡を取っているようにも見えず、むしろ貴族の私兵とギルドの兵は仲が悪いようだ。

 これを利用しない手は無いだろう。

 貴族用と書かれた棚から一番良さそうな酒瓶を一本抜き取り、安酒の瓶と中身を入れ換えてそれぞれの側の机に置いてやる。

 そうすれば、誰かしらのマヌケが手を出すものだ。

 嫌な仕事ならなおさら。

 そして、ギルド兵の男が酒に気づいて手を伸ばした時、女性の剣士が止めた。

「今は仕事中でしょ」

「アイラちゃん、そりゃないよ」

「それに、さっきまでそこに無かったじゃない」

「差し入れかもしれねぇだろ?」

 いいじゃんちょっとくらい。

 男が再度手を伸ばすが、アイラは阻止する。

「今は仕事中よ」

「まじめだね」

 男は呆れと軽蔑を隠さずに言い、手を引っ込めたものの目は酒を追っている。

 彼女はどうやら、まじめさを認められてはいるものの煙たがられている存在のようだ。

 あの程度で煙たいのなら、我らが黒狼隊のボス、部長はどうなるのだろうか。きっと殺虫剤を散布された虫けらのように逃げ出すだろう。

 ギルド側は失敗と思ったら、私兵の一人が噴き出した。

「な、なんだ、この酒は!?」

 水で口を濯ぐ傍ら、もう一人の兵が臭いを嗅いで言う。

「安酒じゃないか」

 誰だという話しになった時、ギルド側から芳醇な香りが漂った。

「あんた、その酒……」

 信じられない、と顔をしかめるアイラの前では赤ら顔の男がへらへらと笑いながら酒瓶を手にしていた。

 その時、不満と不信は爆発し、乱闘となった。

 その混乱に乗じて彼は下へ行く。

 下の階は薬草の工場だった。

 魔力の高い小動物が何匹も鎖に繋がれて魔力を吸い出され、この工場を維持させられている。

 ダシテ……タスケテ……。

 か細い鳴き声で訴える彼らを見捨てることはできず、彼は魔法に頼らない工具で鎖などを片端から破壊してやる。

「助け合って、森に逃げて、鋼鉄の竜に会え。言葉は通じないが彼は味方だ。ここはすぐに戦場になる」

 アリガトウ。

 通風孔の蓋を外して逃げ道を作ってやると小動物たちは逃げていく。

「あんたは逃げないの?」

 女性の声にゆっくりと振り向けば、剣を抜いたアイラがそこにいた。

「食べ物の恨みは怖いな……増援を呼ばなくていいのか?」

 アキノは槍を呼び出し、構える。

 元は鋼の色をしていた穂先が青白く輝き、己が人外になったことを示していた。

「魔導士?」

「いや、ただのヒトだ」

 彼女は怪訝な顔だ。

「これまでも、これからも、オレたちはヒトで在り続ける。やるんなら来な。間違いなく死ぬけどな」

 ふと、彼女は剣を納めた。

「行って。切らないわ」

「どういうつもりだ?」

「昔話を思い出したの。冬の神エルジアは死した勇者の魂を迎え入れて己の軍にするっていうの。その青白い槍、神造騎士の槍でしょう? 神造騎士には逆らわないっていうのが母の家に伝わる家訓なの」

 アキノは槍を消し、言う。

「ここをすぐに出て、派出所に逃げろ。命だけは助かるだろう」

 麻薬にされる薬草を踏み荒し、彼は下層に向かう。

 ふと、彼女は今更ながらに思う。

 この麻薬工場はともかく、たかがミミュウ一匹のためにここまでするだろうか。

 先程の彼の言う通り、すぐに逃げた方が良いのはわかるがどうしても確かめたかった。


「……みゅう……」

 灰色の体に青い目をしたミミュウはしょんぼりとした様子で鳴いた。

 草原で母親を待ちながら昼寝をしていたら、いきなり袋に入れられて連れて来られたのだ。

 食べられたくない、死にたくない、お母さんどこ?

 必死に鳴いていると母を見つけたが、何か大きな物を無理やりお腹に詰め込まれてから苦しそうにして元気がなくなってしまった。

 真っ黒で大きな体をした人がやって来て、元気の無い母を連れて行ってしまった。

 やめて、お母さんに手を出さないで、一人にしないでってお願いしたのに。

 でもその人は、必ずまた来るって言って、行ってしまった。

 あの人を信じていいのかわからない。

 でも、それ以外に縋れるものが無い。

 大きな音がして、三角の耳をピンと立ててそっちを見ると、あの人がいた。

「お待たせ、迎えに来たぞ」


 蛇や猫のように音も無く移動し、流れる水のように兵士を叩き伸す様に彼女は思わず見惚れた。

 こちらを一瞥したことから追跡には気づいているのだろうが、咎めも何も無く、彼女はそのまま後をつける。

 最後のミミュウの物悲しい鳴き声が小さく聞こえ、胸が痛くなるようだった。

 見張りの兵に声を上げる間も与えず気絶させ、彼はミミュウに言う。

「お待たせ、迎えに来たぞ」

 小さなその子は最初、信じられないという顔をし、本当に信じて良いのかと不安そうにか細く鳴くと彼は安心させるように言う。

「おまえのお母さんは助かったぞ。毎日おまえを探して、ご飯をちょっとしか食べてくれないって、兄ちゃんの仲間が泣いていた」

 檻を壊して、出してやる。

「さあ、お引越しだ。……で、お嬢さんはどうするんだ?」

 アイラは答える。

「もちろん逃げるわ。でもその前に、その子について聞きたいの」

「知る必要の原則……つってもわからないか。余計な事を知って、口封じに遭いたいのか?」

 暗にやめておけと言う彼に彼女は静かに言う。

「ここに入った時点で、消されることは確定しているわ。ギルド兵は乱闘があった階までしか立ち入りが許されてなかったから。あの薬草、全部麻薬になる草よね? その子はどうなるの?」

「ここは麻薬の生産と密輸の拠点だ。ここの連中はどこでも売れるミミュウを利用して麻薬をルート大陸中に流していた。この子も、もう少し大きくなったら麻薬の袋を呑まされて売り飛ばされていただろう。この子はオレたちが飼う」

「みゅう! みゅう!」

 彼の腕の中にいたミミュウが激しく鳴いたと同時に背後に気配を感じ、彼女はすぐに逃げたが髪をつかまれてしまった。

 かつらが落ち、栗色の髪の下から蜂蜜色の髪が滝のように流れた。

「レヴィール」

「アイラ殿下……の、偽者か。野良猫が二匹、たっぷりかわいがってやろう」

 ねっとりと言うレヴィールに向かって青白いナイフが投げられ、彼は避けようともせず障壁を張って防ごうとしたがナイフはそこに何も無かったかのように飛んでレヴィールの顔に傷をつけた。

 彼が顔の傷に気を取られた時、アキノは風のように接近し、頑丈そうな靴でレヴィールの股間を蹴り上げる。

 短く奇妙な悲鳴を上げて泡を吹いて倒れるレヴィールの服を脱がして調べ、身分証を奪うとアイラに投げ渡した。

「必要ないなら海にでも捨てな」

 彼を追い走って脱出すると、いつの間にか森の中で、目の前には鋼鉄の、見たことの無い竜が二体いた。細身で黒い竜と、銀色で大柄な竜。

 大柄な竜の足元にいた緑色の服を着た、白髪の大男が問う。

「そっちのお嬢さんは?」

「お客さんです。私はこれから彼女を送りますので、女帝の相手をお願いします」

「任せろ。おまえたちの存在が霞む程度には暴れてやる」

「ありがとうございます」

 細身の竜の胸が開いた。

「乗れ。ルドベキアの王城まで送る。中の物には触らないでくれ」

 先に乗せられて椅子に縛り付けられ、どういうつもりか問おうとしたら彼もまた自分の体を椅子に固定していた。

 竜の胸が閉じ、不思議と外が見えるようになって光る板がたくさん現れた。

 彼がそれに触れると色が変わったりして、竜が唸ったその時、博物館が吹き飛んで白い何かが飛び出した。

『早く逃げろ、エンプレスと……何だ? 股座を押さえた男が出てきた』

 アキノは言った。

「奴がレヴィール伯です。ちなみに金玉は全損です」

 光る板がレヴィールを大きく映し、音声まで出した。

『ぇエンプレスゥッ……あの男を探せ、潰せぇっ』

 血走った目で絶叫する彼に人々は何事かという目を向け、逃げ出した。

『おまえも男だろうに……あーあ、見ているこっちまで痛くなる』

 大男が乗った竜が立ち上がり、咆哮すると白いそれは緑の双眸を光らせて動き出した。

 それは歓喜の叫びか、怨嗟の叫びか、彼女は己を造ったエメスの命令を優先してレヴィールの命令を無視した。

 即ち、神造騎士を倒せという、本能に従ったのだ。

「あのゴーレムはなに?」

「原初の神、エメスが造った攻城戦用ゴーレム。オレたちはあれをエンプレスって呼んでいる」

「なんであんな物が……」

「さあな。だが、暴君中の暴君が動いた。エンプレスも終わりだ」


   * * *


 暴君ことシロクマは実に楽しそうに笑い、エンプレスと戦っていた。

 彼女の攻撃を巨体に似合わぬ軽やかなステップで避け、強烈な蹴りを見舞う。

 白いドレスのような装甲の破片をまき散らしながら吹き飛び、地面に叩きつけられるが暴君は容赦しない。

 要所に火力を叩き込み、とうとうコアを露出させる。

 彼女は必死に脈動するように紅く輝くコアを守ろうとするが、暴君はその腕ごとコアを踏み砕いた。

 はらはらと雪のように儚く消える彼女を見送り、彼はへたり込んで呆然としているレヴィールを見る。

「おい、まさかこれで終わりか?」

 重たい音を立てて鋼鉄の竜が不満そうにレヴィールを睥睨すると、彼は短く悲鳴を上げて気絶してしまった。

 シロクマはため息を吐いてゼフィリウスに通信を入れる。

「撤収する。回収を頼む」

『了解』

 ざば、と水音を立てて海面に優美な曲線の竜が首と平たい背を出し、表面を青白い光が撫でて体中に付着していた藤壺などを弾き飛ばした。

 海の中にいてなお美しい紅の装甲は煌めき、不思議と海に溶け込みそうだ。

 シロクマはその背中目がけて暴君を疾駆させ、跳躍させる。

 その巨体からは考えられない距離を飛び海竜の背中に着地するとその中に潜り込み、それが終わると真紅の装甲を持つ海の竜もまた静かに海中に消えたのだった。

 ゼフィリウスの格納庫に暴君を固定し、コックピットから出て彼は思わず苦笑した。

「長年の習慣は抜けない?」

「ああ、抜けないな。おまえだってそうだろう? ゼフィリウス」

 彼の背後に立つ、白いワンピースを着た長い藍色の髪をした少女はおかしそうに笑う。

「うん、抜けない。ねえ、私はこれから海岸沿いに北上してアキノお兄ちゃんを回収して、ヒノモトの海岸に向かえばいいんだよね?」

「ああ。ちゃんと海の中に潜るんだぞ」

 彼女はますます嬉しそうに笑う。

「どうした?」

「だって、こうやって誰かと直接お話しするのも、一緒に海の中をお散歩するのも久しぶりなんだもん!」

 早くお兄ちゃんも来ないかなあ、と彼女が微笑のままに言った時、警報が鳴り彼は固定したばかりの暴君に飛び乗った。

『レヴィールの館近くでエンプレスを多数確認、現在攻撃を受けています。振り切れません!』

 アキノからの通信にシロクマはゼフィリウスに問う。

「どれくらいで追いつける?」

「五分!」

「アキノ、五分耐えろ! デルベリウス、アキノを援護しろ。ゼフィリウスは到着次第カタパルトでオレを射出しろ」


 五分耐えろと言われたアキノは必死に疾風を操りエンプレスの攻撃を避け続け、時に反撃する。

 今まで石像と思っていた物が動き出し、領民たちは鋼鉄の竜が追い込まれていく様を呆然と見ていた。

 空からは光の矢が降り注ぎ、鋼鉄の竜は素早く動き、まるで神話の世界だった。

 暴君より遥かに身軽だがその分装甲が薄く火力も低いが、静かで速くて身を隠すことを得意とするので忍者の異名を持つ疾風だったが、既に発見されている今回は明らかに分が悪かった。

 アキノは疾風を動かすための専門教育を受けたわけではなく、同乗者は耐Gスーツを着ているわけでもないし、か弱い猫もいる。

 戦闘用の激しい動きをするわけにはいかず、見切るためにアキノはかなり神経を使っていた。

 デルベリウスの支援があるとはいえ、この数を振り切るのは無理だ。

 どうする、と冷や汗が顎を伝い流れ落ちた時、眼前に展開するエンプレスが横殴りに吹き飛ばされた。

 暴君の攻撃だ。

『待たせたな。行け、すぐに追いつく』

「ありがとうございます!」

 暴君の咆哮を背に疾風は走り一路ルドベキアの王城を目指した。

 シロクマは大軍を前に大笑する。

「そら、行くぞ!」

 咆哮し、暴君と女帝たちが激突した。

 疾走する疾風の中でアイラはシロクマの安否を問うが、アキノは心配するだけ無駄だと言う。

「シロクマさんはそのままでも強いけど、あれに乗ったら最強だ。ところで、どうして王女があんなのを調べていたんだ? あの仕事は下っ端の仕事だろ?」

「王女は王女でも、私は妾腹なの。だから、たまにこんなことをやらされる。つつましく暮らせていればそれで良かったんだけど、王妃は私の存在そのものが許せないみたい」

「逃げたいのなら、権力の永久放棄の旨を一筆書いて絶縁して、どこへなりと行けばいいじゃないか」

「簡単に言わないで。それができれば苦労しないわ。逃げ切るだけの足も、攻撃を凌ぎ切れる盾も、安心して眠れる砦も無いのよ」

 アキノはミミュウを片手で撫でて言う。

「ちょうどミミュウたちの世話係が欲しいんだが、どうだ? 人並みの生活は保障するぞ」

 目を丸くして本気かと問う彼女に彼は至って真顔でうなずく。

 その時、シロクマが追いついて来た。

『無事だな?』

「はい。シロクマさんも無事でよかった」

 その通り、シロクマの暴君には傷が無く、埃を洗い流してやるだけで良さそうだった。

『あんまり無事じゃないぞ。オーバーヒート寸前だ。悪いが一時間くれ』

 森の中に開けた場所があり、そこに暴君と疾風を止めて一行は休憩を取ることにした。

 アキノは陽炎に包まれている暴君を見上げて思う。緊急冷却装置を含め、冷却装置はフル稼働だ。

 暴君は過酷な環境下での同型機との全力戦闘も視野に入れて製造され、関節やエンジンも頑丈に、そして熱を逃がすような構造になっているのだが、何をどうしたらオーバーヒート寸前に至るのか。

「なあアキノ」

「はい?」

「暴君の反応が悪いんだが、疾風の方はどうだ? 変わりないか?」

「素人にも扱いやすい良い子ですよ。暴君の方は……言いにくいのですが、シロクマさんについていけなくなったのでは?」

 ほら、と彼は続ける。

「我々も神造騎士になって身体能力が色々と上がったじゃないですか。こいつらも頑丈になったとはいえ構造やプログラムは変わっていないので反応速度も変わりません。専門家に見てもらうしかないでしょう」

 シロクマはとうとうこいつもか、とため息交じりに見上げる。

「反応はこれ以上無理って言われちまったんだよな」

「それじゃあ新しく製造するしかないかと」

 だよなあ、と彼は肩をがっくりと落として言うのだった。

 円卓では誰もがまたか、という顔をしている。

「みゅう」

「お? おまえが最後の猫か」

「みゅう!」

 ミミュウはシロクマをキラキラした目で見上げて再び鳴いた。

「アキノ、通訳」

「了解。オジサンみたいに大きくなるにはどうしたらいいの?」

 シロクマは考える。

「好き嫌いせずに食べて、運動して、賢く、優しくなれ。そうすれば体格が小さくてもでかくなる」

 アキノの通訳を介して聞いたミミュウは首を傾げる。

「まだ理解できなくても良い。とにかく今は遊べ、食え、学べ」

「みゅう!」

 ミミュウは早速シロクマに登って遊び始めた。

「この子の名前はどうするの?」

 シロクマとアキノは同時に言う。

「アキラ」

「タイラントジュニア」

 おまえセンス無いな、とシロクマはアキノを呆れ顔で見る。

 アキラね、とアイラはアキラと名付けられたミミュウを撫でるが、するりと逃げてアキノに登った。

「オレの名前を持つんだ、賢くしぶとく生き残れよ」


 暴君の熱も程よく取れ、一行は王城を目指して北上した。

 一方、王城は急速に接近しつつある二匹の鋼鉄の竜と、レヴィール伯のゴーレム軍の暴走と壊滅に混乱していた。

 ルドベキアの第二王子、サイラスはその混乱を冷めた目で見て、妹のエメスを思う。

 生まれた時からゴーレム作りに熱中し、誰もが称えたあのゴーレム軍団を作るが満足せず、レヴィールに要らないからあげるとゴミのように与えた。

 しかしある日、ぱったりとゴーレム作りをやめてしまった。

『え? エルジアのゴーレム、全部死んじゃったの? もう誰も、一体も、肝心のエルジアももういないの!?』

 家庭教師が神話でアトラシア戦役に関して教えていた時の事だ。

 あの時の、かつてない彼女の取り乱し方や絶望した顔は見たことがなかった。

 以来、彼女は必要最小限の事しかやらなくなってしまった。

 自分のゴーレムが木端微塵に吹き飛ばされ壊滅させられ、神話にうたわれている鋼鉄の竜が現れたというのに、彼女は引きこもったままなのだろうか。

 思ったその時、ふらりとエメスが会議室に現れた。

「ねえ、今の話、本当?」

「な、何のお話でしょうか?」

「今の、鋼鉄の竜がたった一匹で、私のゴーレム軍団を壊滅させたっていうお話だよ」

 幽鬼のような気迫に呑まれ何も言えなくなっている臣下に代わり、サイラスが本当だと答えてやる。

 すると、幽鬼が国一番の美少女へと変貌した。

 彼女はこれ以上ないという程に目を、顔を輝かせ、喜色を浮かべる。

 まるで少女が憧れの男と逢瀬の約束を取り付けたかのような様子に、その場にいた者たちは天変地異の前触れかと青い顔を見合わせた。

 白皙の頬をバラ色に染めて彼女は軽やかに踵を返す。

「エメス、どこへ?」

「私のお部屋よ。おめかししなくちゃ」

 程なくして、ルドベキア一の変人にして美貌の姫が現れ、初恋の人を待つかのように待ち始めた。

「サイラス殿下、迎撃は?」

 サイラスがエメスを見ると、鈴を転がすような声が返ってきた。

「やってもいいけど、無駄よ。彼には星のお友達と冬の力があるもの」

「冬の力?」

「人間に冬の神とうたわれる、死や終焉の力を持つエルジアの守りよ。神造騎士団が他の神々の眷属や不老不死者、神々ですら楽に殺せたのはエルジアの力があったからよ。ただの人間では勝てないわ」

 数多の屍を踏み越えてやって来たあの雄々しき鋼鉄の竜と、誇り高い緑の騎士の姿は未だに目に、心に焼き付いている。

 早く、速く、風のように来てほしい。

「申し上げます! 鋼鉄の竜が二匹、城の南側より高速接近中!」

「やっと来た! 待っていたよ、人の竜!」

 胸を高鳴らせ、彼女は弄んでいた造花を髪に挿し、淑女や王女らしく歩いてなどいられず、ドレスをたくし上げて走り自ら城壁に立ち声を張り上げる。

「エメス様!?」

「我は原初第四神、エメス。神造騎士、エルジアが子よ、今一度我の挑戦を受けよ」

 大気を震わせる声に鋼鉄の竜は足を止め、かつて彼女に唾を吐きかけた男の声がした。

『悪いがまた今度だ。もう子供に顔を忘れられたくないんでな』

「その声……また今度って、この間はそう言って、次会ったら爆発したじゃない!」

『悪かったな。あれも戦だ、諦めろ。それと、こちらにでかい声での立ち話の趣味は無いんでどこかに落ち着きたいのだが、いい所はあるか?』

 私の部屋と叫びかけた彼女の口をようやく追いついたサイラスが塞ぎ、切れ切れに会議室と叫ぶ。

 わかりました、と若い声が答え、城壁ぎりぎりまで鋼鉄の竜が近づきその胸を開けた。

 細身の竜からは背の高い若い男と、アイラ、ミミュウが、大柄な竜からは大柄な男が降りてきて、二匹の竜は消えてしまった。

 不思議と二人の男の服も変わっていたが、エメスは気にも留めない。

 エメスは待ちきれない様子で大柄な男の手を引いた。

「おいおい、いいのか? オレは一応おまえの死因を作ったんだぞ」

「良いの! 戦いなんてそんなものでしょ? 私はあなたを殺したし、お互いさまじゃない。ふふ、ただの人間に殺されるとは思わなかったわ」

 物騒で殺伐とした内容のはずなのに、和やかに話しつつ進む二人をサイラスとアイラは奇異な物を見る眼で見て、アイラはアキノに問う。

「あれが当たり前なの?」

「神々とオレたちとじゃ感覚が違うんだ。エルジア様は、自分たちの死ですらこの世界の中の一部でしかなく、やるべきことをやりつくし、全力を出して満足した上での死なら神々は受け入れるって。シロクマさんは昔の戦いで死力を尽くして、エメスもゴーレム職人としての全力を出したんだと思う」

 アイラは楽しげに話す二人を見る。

 シロクマは時折橙の目を丸くしたり、エメスの頭をなでてやったり、まるで幼馴染のようだ。

 姉のエメスも、恋人を見るかのようで素直な表情だ。

「あんなに楽しそうな姉様、初めて見た」

「おまえもいつか、あんな風に笑えればいいな」

 え? と彼女はアキノを見るが、彼は答えなかった。


 会議室に着き、アイラは両親に報告を終え褒美の件になった時、彼女は身分を子々孫々に至るまで永久に放棄して神造騎士団に身を寄せることを、暇乞いをした。

 王妃はさも当然とうなずき、王は目を微かに細めた。

「アイラちゃん、神造騎士団に行くの?」

「は、はい」

 エメスは目を輝かせる。

「いいなあ……ねえシロクマ、私も行きたい!」

 橙が丸くなる。

「神造騎士になったら各種能力が向上したんでしょ? それならあの鋼鉄の竜の反応が悪く感じるよね? 私なら何とかできるわ。エルジアにだってすぐに追いつくから。ねえお願い、私を神造騎士団に入れて! あなたとあなたの竜をもっと知りたいの!」

 じりじりと詰め寄られ、シロクマの尻は半分以上椅子から追いやられている。

「エメス、ルドベキアの王女ともあろう者が何を言っているの!? そのようなどこの馬の骨とも知れぬ男について行くなど、はしたない!」

 扇をへし折り王妃が叫ぶように言うが、エメスはその眼に怒りを滾らせて怒鳴り返す。

「うるさい! あんたは裏で私のゴーレムを馬鹿にしたり、アイラちゃんに嫌がらせしたり、今私の目の前でシロクマを馬鹿にしたり……もう頭に来た!」

 咄嗟にシロクマが彼女の肩をつかむ。

 一瞬の間があり、紅茶色をしたリボン状の魔法陣が王妃の顔に巻き付いて消えた。

 何をしたのかと王妃は問うが、誰も答えられない。

 王妃の顔は二目と見られぬ醜い顔に、声に至っては二度と聞きたくないような酷い声に変っていた。

 鏡を見るように王はうながすが、言われた通り手鏡を見ても彼女の目には変わりなく見慣れた顔が映っている。

「おまえは……部屋に戻りなさい」

 目を見ぬままに言う王に彼女は顔を真っ赤にして立ち上がり、彼女にエメスは布に包まれた鏡を投げ渡す。

「最後だから言っておくわ。私はもうこれ以上こんな所にいたくない」

 世界創生の時から生きる女神は冷然と告げる。

「私がおまえにかけたのは、心をそのまま外見として他者に認識させる呪いよ。今与えたのは心の鏡。それを見て自分の心を知りなさい。手放そうとしても、割ろうとしても無駄よ。己の心と向き合い、死ぬまで見つめ続けなさい」

 王妃は鏡を見て、悲鳴を上げて気絶してしまった。

 アイラは泣きそうな顔をして震えながらも薄く通気性の良いハンカチで王妃の顔を隠してやった。

「アイラ?」

「父上、この人も、私の母です」

 床に落ちた鏡は悲しい顔をした少女を映していた。

「アキノ、ごめんなさい。私は母を放っては置けない」

 彼もそうだよな、とうなだれ、言った。

「アイラ、時間がかかるだろうが、まずはその人の言葉を直してみろ。最初は上辺だけでもいい。人や、他者を思いやる温かい言葉を吐かせ続けてみろ。人間が難しいなら、草花でもいい。アイラが温かい言葉をもらったら、できる限り温かい言葉を返してやれ」

 彼女はやってみるとうなずいた。

「優しさと甘さを間違えるなよ。おまえも時々鏡を見ろ。化粧と同じように直してやれ」

 彼女は深々と頭を下げると鏡を布に包んで回収し、王妃に肩を貸した。

「東の離宮をお借りします」

「あ、ああ……私も時々様子を見に行く。……すまないが、頼む」

 彼女はなるべく人目に触れないように東の離宮へと王妃を連れて行き、その後はそこで暮らしたという。

 荒れる王妃の世話を根気良く続け、時折己も鏡を見ながら王妃の言葉を直し、温かい言葉をかけ続けた。

 王妃は長いこと鏡を見ていなかったが、アイラは鏡も王妃もずっと見ていた。自分の事は自分でやらせ、骨のありそうな新人の使用人を呼んではその世話と教育をさせた。

 ある日、王妃は顔色の優れぬ使用人に言った。

「顔色が優れませんが、何かありましたか?」

「いえ……その……父が、急病で倒れたとの報せが……」

「すぐにお行きなさい。旅費と、お見舞いの品です。アイラ、これを持って医者の手配を。お金については私の生活費から」

 王妃の証を渡された彼女は失くさぬように首に下げた。

「かしこまりました。さあ、参りましょう」

 使用人の父親はアイラが手配した医者の手によって一命を取り留め、父子は一生その恩を忘れず、ある日アイラに言った。

「私は綺麗で優しい王妃様にお仕えできて、大陸一の幸せ者です」

 その言葉を聞いた彼女は誰よりも幸せそうに笑ったという。


   * * *


 海底を行くゼフィリウスの中をエメスは目を輝かせて見て回るが、その右手はしっかりとシロクマの手をつかんでいる。

 それを微笑ましい目で見て、アキノはアキラに水をやった。

「ごめんな、オモチャの類はないんだ。家に着くまで我慢できるか?」

「みゅう」

 偉いぞ、となでられた彼はゴロゴロと喉を鳴らして甘え始める。

「アキノはその子が言っている言葉がわかるの?」

「ああ。昔からわかるんだ。でも、わかっちゃうと色々と辛いこともあって、狩りとか、動物園は苦手なんだ」

 ふうん、とゼフィリウスは言い、今の猫の気持ちを問う。

「退屈、お腹が空いた、だって」

 その時、通信が入った。

『アキノ、ご苦労だった。軽食を入れておいたから倉庫から出して食べてくれ。猫の分も入れておいた』

『ありがとうございます』

 ライゾウからの差し入れに一行は腹を満たし、ヒノモトの海岸でゼフィリウスと別れて北上しカミヤ要塞に向かった。

 ガルトフリートが古より空中の城とうたわれるのはその標高にある。

 薄く冷たい大気が国土とその周辺を覆い渦巻いて盾となり、許しが無ければ何人をも拒むのだ。

 その風の盾を受けぬ唯一の玄関口、カミヤ要塞は神ではなく今を生きる人が守っていた。

「シロクマさん、身分証は?」

「オレは顔パス。おまえは昔の制服を着ておけ。エメスも問題はない。派出所から連絡が行っている。だが、アキラに関しては検疫があるから時間がかかる。その間にエメスの装備を整えるぞ」

 カミヤ要塞の門が近づき、中に入ると受付の兵士が愛想よく応じた。

「ようこそ旅の方……って、シロクマ班長!?」

「久しぶりだな!」

 シロクマが嫌に良い笑顔で言うと、兵士はシクシクと泣き出した。

「あんまりだ……もうそのムサイ顔を見ずに済むと思っていたのに……」

「そうか、オレの顔がそんなに見たかったか。ご褒美に再教育だ」

 絶望した顔をしつつ、兵士は仕事をこなす。

「麻薬の密輸の件がございますので、検疫にはいつも以上にお時間がかかります。それまでの間に大橋を渡るための装備を整えてください。旅人用の宿も要塞内にございますので、宿泊や傷病者発生の際は最寄りの兵士または売店までお願いします」

 要塞内の売店で装備を買いつつ、エメスは首を傾げる。

「この鉄の筒は?」

「そいつは酸素ボンベだ。上は空気が薄いからそいつが必要になる」

 三人は宿で一泊し、翌日検疫を終えたアキラをアキノが抱いてカミヤ大橋を渡るべく出発した。

 橋の向こう側からはちらほらと人が歩いてくる。

 恰幅の良い商人はシロクマたちを見つけると朗らかに笑って言った。

「おはようございます。少し上は凍っていたから気をつけてください」

「ありがとうございます。下の食堂では新しいメニューが出ていました」

 楽しみが増えました、と商人は荷物を背に下へと歩いて行く。

「あ、班長! 帰ったらまた稽古付けてください!」

「おう、帰ったら教えろ。気をつけて!」

 新人の騎士が相棒のグリフォンと共に下へと歩いて行く。

 次から次へとすれ違う人々と声を交わす中、エメスはどうして? とシロクマに問う。

「この大橋はきついからな。通る人は励まし合いながら進むんだ。危ない所があったら教え合う。自然とできたルールみたいなものだ」

「おはようって言われたらおはようって返すのと同じだよ」

 エメスはあどけない子供のような顔をして二人の後をついて行き、もう少しで次のポイントに差し掛かるという時の事だ。

「シロクマさん!」

 呼び止め、アキノはじっとエメスの顔を見てメモ帳に何事かを書いて出した。

「エメス、この問題解けるか?」

 アキノから出されたメモ帳には片手や暗算で計算できるような簡単な数式しか書かれていなかったが……。

「あ、あれ……え?」

「アキノ、戻るぞ」

「はい」

 シロクマは素早くエメスを抱え上げて一つ前のポイントの宿に戻り、酸素を少しだけ吸わせて深呼吸させる。

「な、何なの?」

「高山病だ。しばらくここに留まって体を慣らすぞ」

 うなずいて彼女が横を見ると、同じような人がたくさんいた。

「二人は何で平気なの?」

「大昔に慣らした後、エルジア様に頼んで自分を取り巻く大気はガルトフリートで一番高い所と同じ薄さにしてもらって、一度それを解除したら、徐々に元の濃度に戻すっていう術式を施してもらったんだ」

 アキラもさすがに少し弱っていたが、一月もいるとぴんぴんしていた。

「よし、それじゃあ行こう」

 青息吐息で進む中、彼女は言った。

「え、エルジア……なんという所に巣を……」

 前はこんなんじゃなかったのに。

 シロクマとアキノはそっと遠い目をする。

 エヒメが攫われたのと、アトラシア戦役を予見したエルジアが己の巣の守りを固めたことに起因するのだ。

 敵の手が届きにくい地形にし、そこに暮らす民が頑強になるように。

 ガルトフリート成立前の時代は人に荒らされまいと空中にあり、成立後は他の地域の高さと同じくらいだったがエヒメの一件から今の標高へと引き上げられたのだ。

 ガルトフリートを支えていると見られている大地は海と繋がるエレベーターの役割を果たし、ゼフィリウス・ドックやガルトフリート海軍基地もここに隠されていた。

 高い標高とそれに伴う薄い大気、取り巻く風の盾、エルジアによって施された魔法の大橋と岸壁の守り、大橋の両端に備え付けられている要塞とそれを守る人によって、ガルトフリートは過去一度も人による侵略を許したことは無かった。

 ガルトフリートの防人が慢心した時に、シロクマやライゾウが抜き打ちテストと称して気まぐれに襲撃してきたのもある。

 そのような事があり、カミヤ要塞の者たちはシロクマの恐ろしさを骨の髄まで叩き込まれており、内地では黒服たちの綱紀粛正と練度維持はライゾウが手ずから行っているくらいだ。

 ライゾウが要塞と大橋を通る際に入国管理をチェックし、その評価によってシロクマが部下を率いて盗賊に扮しカミヤ要塞を襲撃する。

 内地ではライゾウの部下が黒服などの警察関係に相談などを行い、対応に少しでも漏れや不備があると体制などの洗い直しが行われるのだ。

 思い出したように、不定期に起こされる事件にガルトフリートの公務員は片時も油断できない。

 そのような事を道中聞き、エメスは楽しそうに微笑む。

「だからガルトフリートには手を出すなって言われているのね」

「不正と理不尽が大嫌いな連中が作った国だからな」

「エルジアも理不尽が大嫌いだったわ」

 三か月以上かけてゆっくりと上り、大橋を渡り終えると要塞の兵士たちが三人を迎えて要塞内の宿で休ませ、医師の診察を受けさせた。

「長旅お疲れ様です。ガルトフリート王国へようこそ」

 温かみのある言葉と共に出された紅茶を飲み、エメスは言う。

「こっちの紅茶はジャムが付くのね。入れるの?」

「ジャムを舐めながら飲むんだ。紅茶に直接入れると紅茶の温度が下がっちまうからな」

「ガルトフリートの中でも温暖な方では直接入れる所もありますが……好みによります」

 満腹になったアキラはアキノの膝から降りて暖炉の前に寝そべって陣取ると、すぴぃ、と寝息を立てている。

 安心しきった寝顔を見て、エメスは目元を和らげた。

「シロクマ、アキノ」

「ん?」

「ヨール様はともかく、エルジアとアダマスがなぜ人を愛したのか、今ようやくわかったような気がする」

 シロクマはにっかりと笑いアキノは問う。

「好きになれそうか?」

「うん。人がこの温もりや在りかたを忘れない限り、私はこの地を守ると約束しよう」


 メティオ村の基地にはミミュウの鳴き声が絶えず、一匹のミミュウが三角の耳をピンと立てて外へと走った。

「みゅう!」

 アキノはアキラを降ろしてやると、二匹の大小のミミュウは互いに臭いを嗅いで舐め合い、再会を喜んだ。

「アキノ! 久しぶりだな」

「久しぶり。もうここまで直したんだな」

 アキノが感心したように言うと、ムラクモは苦笑して首を振る。

「直したんだけど、ちょっと手狭でな……他の遺跡も調べているんだが、住民の反対や保存状態が悪くて、引っ越し先に苦労しそうだ」

 シロクマは言う。

「ガルベリアを叩き起こすか?」

「デルベリウスの報告によりますと、未だ休眠中とのこと。それと、一万年分の埃が積もりに積もって埋まっているようで」

 大掃除になりそうだとシロクマは唸った。

「掘り出すにも拠点がいるな……だが、掘り出して人の手で修理したら睡眠時間を短縮できるだろう」

 こいつもいるし、とエメスを示す。

 彼女は誇らしそうに笑った。

「時間はかかるだろうけど、エルジアの術式を解析して強化するよ」

 でもその前に暴君を弄らせてね。

 シロクマは苦笑する。

「お手柔らかに頼むぞ」


 数か月後、生まれ変わった暴君を乗り回してシロクマは満足そうにうなずき、これぞ暴君だと絶賛した。

「でしょう? 私のエンプレスも強化したんだ!」

 早速手合せだ、と二人は向かい合い、激突する。

 風に煽られ燃え盛る炎のような猛々しい暴君と、揺らぐ水のような静けさの女帝と、対照的な二人が演習場を舞う。

「凄いですねえ、教科書が一冊作れちゃいそうです」

 感心したように言うツキシロにライゾウは苦い顔だ。

「二足歩行型戦車での戦い方はシロクマに学べ、だったか」

 しかしシロクマはこう言ったという。


 特別なんて何も無い。理性をしまって野生に帰れ、と。


 荒れ果てた演習場の中、暴君と女帝が寄り添うように並び、やがて限界まで伸びた影は溶け合った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ