KAGUYA ~魔法使いは実はいました~
一九六九年、七月二十日。
アポロ十一号が月面着陸をしたその日――人類が偉大な一歩を踏み出したあのとき。
人類は圧倒的な敗北感を味わうことになった。
※ ※ ※
あれから五十年近く経った、とある年の、四月中旬。
とある中学校では、新入生のための部活紹介があった。
それは体育館に集まった新入生たちに、各部活の代表者が数名ずつステージに上がって自分たちの部活を紹介していくというものである。
より自分の部を印象付けるため、軽いパフォーマンスが行われるのは例年通りでもあった。
野球部ならキャッチボール、サッカー部ならリフティングなど、運動部なら実技を軽く披露。文化部なら美術部や技術部は作品を持ってきたり、放送部は早口言葉を言ったり――それぞれ自分たちの特性を活かした紹介をしていた。
そんな中、学校の中でも異質の部活である魔法研究部――通称、カグヤ部の面々が披露したのは、やはり魔法であった。
ステージの上に出てきたのは男子生徒と女子生徒である。
二人はそろって黒いとんがり帽子に、制服の上から黒いマントを羽織っていた。女子生徒のほうは、柄の長い箒を両手で持っている。
それを見れば、新入生の期待も高まるというものだ。
魔法などテレビで見ることはあっても、生で見ることなどまず無いのだから。
魔法研究部部長である男子生徒の長い説明をほとんどの生徒は聞き流し、ついに「研究成果として箒で飛んでみせましょう」と言ったときには、新入生に限らず、部活紹介に来ていた生徒も、教師だって、そのとき体育館の中にいた全員が、女子生徒に注目したものだ。
視線に圧倒されたのか、女子生徒はとても緊張しているようだった。それでも震えながら箒にまたがる。
それから数十秒……。
女子生徒の足はステージを踏んだまま。
「あーあ……」
「やっぱ飛べないじゃん」
新入生たちの中からため息と、文句が出始めたとき。
「あっ」
前列にいた新入生が声をあげた。
女子生徒の足が、確かにステージを離れたのだ。
一センチ、二センチ……と上がって、十センチは浮いている。体育館の後ろで待機している部活紹介の生徒たちにも見えた。
「すごっ」
「うわあ」
体育館内がどよめき、感嘆の声があがる。
そのとき。
「きゃっ」
小さな悲鳴。
バランスを崩した女子生徒が、箒から落ちた。
そして。
世界一の沈黙が生まれた。
※ ※ ※
十五世紀から十八世紀にかけて、ヨーロッパ、アメリカでは魔女狩りがあった。
悪魔の使い、もしくは人々をたぶらかす悪魔そのものだと思われた魔女たちは、酷い迫害を受け次々と殺される。
そんな中、魔女たちは自分の身を守るため、仕方なくこの地を離れる決心をした。
人類が追いかけられない場所。
自分たちの敵がいないところ。
そして、一五六九年。ある日。
世界各地で、箒に乗り、大荷物を抱えた魔女たちが、月に向かって飛んでいるところが目撃された。
その頃の人々には分からなかったが、それは魔女たちが月へと逃げていった姿であった。
このことは後の世で『箒の旅路』と呼ばれる。
ちなみに一五六九年以降の魔女狩りの被害者は、月に逃げなかった魔女や、魔女の仲間だった者もいるが、大多数はまったくの無関係の人間だったと分かっている。
そうして歴史の中に消えたはずの魔女たちと再会したのは、それからちょうど四〇〇年経った一九六九年。
人類初の月面着陸のとき。
月に足を下ろしたアポロ十一号船長が見たのは、にっこりと笑って手を振る一人の青年だった。
青年は魔女狩りから逃れるために月に移住した魔女の子孫だと名乗った。そして、月には魔女たちの集落があるらしい。
月にいた魔女。
それは圧倒的敗北感とともに、世界中の人々に知られることとなる。
それから、なんやかんやと色々大変なことがあったが今は省略。
とりあえず月は魔女の国と認められ、他国との国交が可能になった。
そして、いつの頃からか日本では月にいた魔女と、月にいるであろう姫をなぞらえて、魔女を『カグヤ』と呼ぶようになった。
だから魔法研究部も、カグヤ部と呼ばれるのだ。
だが今は違う。今は……。
※ ※ ※
「雄ちゃん!」
放課後の図書室。
壁際に並ぶ本棚。部屋の中央は閲覧席として、長テーブルが並べられている。
閲覧席には眠っていたり、小声で話していたり、読書していた生徒が十人ほど。そのほとんどの生徒が一斉に出入り口を見た。
小柄な男子生徒が立っている。
サラサラの黒髪に、小さな顔に、くりくりと大きな黒目。男にしては愛らしく、女子と間違えられてもおかしくない。上履きのラインが青のため、二年生だと分かる。
男子学生がキョロキョロと図書室の中を見回す。
「雄ちゃん!」
もう一度叫ぶと、一番奥の長テーブルに走っていった。
眠っていた男子生徒が顔を上げたところである。
雄ちゃんと呼ばれたのは、柏雄二。中学二年生。歳の割りに鋭い顔立ちと、鋭い目を持っている。第一印象は「ちょっと怖い」になりそうな少年だった。
「三色か」
慌てて柏に向かってくる少年――彼の名前は三色満といった。
見た目で言えば正反対であり接点などなさそうな二人だが、実は幼馴染である。
「雄ちゃん! ヤバイ! ちょっと来てよ」
「……なんだよ」
「いいから! ほんとに、やばいんだって!」
三色は柏の腕を取ると、ぐいぐいと引っ張った。
図書室の中の生徒全員が二人を見ているが、そんなことには気付かない。
「ねえ、あれって……」
「そうだよ。あの赤パンの子だって」
「違うって。男子じゃん。あの子、双子だから……」
「そっか。でもでも二人とも赤パン部だって聞いたよ」
「マジでぇ。じゃあ、もう一人も赤パン部と関係アリ?」
ヒソヒソと小声で話しているつもりだろうが、こういう声こそ聞こえてくるものだ。
柏は注目されることが好きではない。ヒソヒソと話されるのも腹が立つ。なにより話している内容が一番気に食わない。
だが、三色は周りの様子には気付かず、「早く早く」とやたらと急かしてくる。普段の三色なら、こんな状況を最も嫌がるのだが。
「……分かったって」
柏はいかにも仕方なさそうに言うと、隣の席に置いていた学校指定の鞄を持って立ち上がった。
そのときに自分たちを見ている生徒たちを睨む。普通にしていても怖いと言われる外見の柏が一睨みすれば、全員ビクッとして黙った。視線もはずれる。
その態度を見ても全然スッキリしない。
柏の表情は、さらに険悪になった。
とりあえずこの表情の柏に近づく人間は、誰もいないと思えるほどだ。
三色は前を向いているせいか、その表情にも気付かない。気付いたとしても、三色なら「怖い顔してんね」で終わりそうだ。
図書室から出ると、今まで意識していなかった音が聞こえてくる。
運動場にいる野球部やサッカー部の掛け声、吹奏楽部の楽器の音。放課後の学校は意外と音があふれている。あふれる音とは逆に、廊下に人の姿は見えない。
「小萩か?」
だから、柏は聞いた。
この時期に三色がここまで焦るとなると、小萩関係だと真っ先に思ってしまう。
案の定、三色は何度もうなずいた。
「部長がツッコの家に行くって。それで学校に来るように説得するって」
「……マジでか」
素っ気なさそうで、怒りが七割含まれている声だった。
ツッコとは、三色のいとこで、柏のもう一人の幼馴染、小萩月子のことである。
小萩は今、登校拒否中だった。
その理由は一週間前の部活紹介に遡る。
小萩と三色は魔法研究部に所属しており、あの日、箒を持ってステージに立ったのは小萩だった。
部活紹介のパフォーマンスが箒飛行だとは聞いていた。そして、それは途中までうまくいっていたらしい。
問題はその後。
バランスを崩して、小萩はステージに倒れた。そのせいでスカートがめくれてしまい、下着をさらしてしまったのだ。
綿の、無地の、真っ赤なパンツを。
そのとき箒飛行で興奮に包まれていた体育館が一気に沈黙に包まれた。
いたたまれない――いつ聞いても、あまりにもいたたまれない状況。せめて笑ってくれたら、と思うが、笑われたとしても、結果は同じだったことだろう。
下着を大勢の生徒に見られた小萩は、当然のようにその場から逃亡した。そのまま学校からも逃げ出し、家に引きこもることになった。そのまま今日まで登校拒否中である。
しかし、ある意味、登校しなくて正解だった。
次の日には全校生徒に、そのときのことが広まっていたのだ。しかも、それは魔法研究部が箒飛行に成功したことではなく、パフォーマンスした女子生徒の下着の色について。
その結果、今では魔法研究部は赤パン部と呼ばれるようになっている。
小萩がそれを知れば、恥ずかしさのあまり死を選ぶだろう。
そう考えて、柏と三色は絶対にそのことは言わなかった。
もともと小萩は人見知りで、大勢の人間の前に立つなんて最も苦手なことの一つである。
そんな小萩を無理やりステージに立たせたのが、魔法研究部の部長本人なのだ。事件の元凶と言ってもいい。
そして、この部長、かなり無神経なところがある。
小萩を心配したのか、部長が小萩に電話をかけてきたときがあった。それは、まだいい。だが、そのときにカグヤ部が赤パン部と呼ばれるようになったことを言ったのだ。
三色と柏が必死に隠していたことを、あっさりとばらしやがった。
予想していた通り、恥ずかしさのあまり「いっそ死んでやる」と暴れた小萩を、柏と三色が止めたのは記憶に新しい。
そんな奴が、今度は小萩の家まで行くと言う。
三色が慌てて、柏を呼びに来るのも分かる。
昇降口まで出たところで、それでも柏は面倒そうに言った。
「それって、あくまでカグヤ部の問題だろ。自分でなんとかしろよ」
三色は靴を替えようとして、慌ててスニーカーを蹴飛ばしていた。
「なんとか出来てたら、ツッコをあんな目に合わせてないし、カグヤ部になんて入ってないし、雄ちゃんを呼んでないよ」
怒ったように言いながら、スニーカーを取りに行く。
「だいたい、ここで雄ちゃん呼んでなかったら雄ちゃんだって怒るくせに、わざとそんなこと言うのやめろよな! だーっ、もう! なんで履けないんだ!」
「別に怒らないし怒ったこともない。お前らにいちいち巻き込まれるのはゴメンなんだよ。ってか、さっさと履けよ!」
慌てるあまりスニーカーになかなか足が入らない三色の隣で、柏は素早く靴を履き替えていた。イライラと三色を急かすあたり、言っていることに説得力がない。
「雄ちゃんが俺らに協力しなきゃいけない理由、俺がつけてあげようか。今回のことは雄ちゃんにも責任があるんだよ」
上がり口に座り込んで、三色は必死にスニーカーを履きながら言う。
「はあ? なに言ってんだ」
「もともと雄ちゃんが魔法を教えなかったら、ここまでツッコが目をつけられることもなかったんだから」
「それはっ……お前らから魔法を教えろって言ってきたんだろうが!」
「だけど、それでも雄ちゃんが教えてくれたことは事実でしょ」
三色はやっとスニーカーを履くと、挑むように柏を見上げた。
「だから、雄ちゃんが助けないと」
「こじつけだ。言いがかりだ。俺に責任なんてない!」
「もう分かったから早く! 今なら誰もいない」
三色がキョロキョロと辺りを見る。
柏も周りに誰もいないことを確認すると、三色の腕をつかんだ。
「俺は関係ないからな」
「分かったって、もう! ツッコが言ってたよ。雄ちゃんは素直じゃ」
三色の声が途切れる。
二人の姿が昇降口から消えていた。
※ ※ ※
柏は七歳まで月で過ごしていた、正真正銘のカグヤだ。
父親もカグヤであり、学生時代に日本へ留学していたことがある。
そのとき月になかった自動車に心を奪われて、月に帰った後も自動車関係の仕事に就きたいと願い続けて十数年。審査が通り、父親が日本で働けることになったのが、柏が七歳になったときだった。
父親はそのときに柏を連れて地球に降りた。
そして働き始めたのが、留学時代の友人であった三色と小萩の父親たちの自動車整備工場である。
父親の繋がりで柏と三色と小萩は出会った。
出会った当時、柏は体の弱い少年だった。
地球生活のためのリハビリは受けていたが、地球の重力になかなか慣れなかったのである。体がいつも重く感じ、動くのも辛かったのだ。
地球に来たことが辛くてたまらないとき、唯一の救いだったのが三色と小萩だった。
二人はいつも柏のところに遊びに来た。月の生活や魔法のことをとても楽しそうに聞いて、魔法を教えて欲しいと言われた。
そのとき、確かに柏はいくつか魔法を教えてしまったのだ。
地球人であっても、素質があれば魔法は使える。
三色は無理だったが、小萩には素質があった。教えた魔法をどんどん覚えていったのだ。
その結果が、赤パン事件につながると一体誰が分かるっていうんだ。
だから、柏には今回のことは関係ない。責任がない。それでも……。
放ってはおけない。
自分では認めたくないけど。
※ ※ ※
「ないって」
途切れた三色の言葉が繋がった。
学校の昇降口から、住宅の裏にある小さな庭――三色と小萩の家の庭である――に二人は突然現れた。
柏が魔法を使い、瞬間移動したのだ。
付近の住人もこの時間に家にいることはないため、ここなら誰かに発見されることはない。
「小萩君! 君が気にすることなんてなにもない!」
聞こえてきた声に、三色が「ヒッ」と息をのんだ。
柏も思いっきり顔をしかめる。
間に合わなかった。
二人は何も言わず、家の玄関口へと回った。
低い門扉の前には、一人の男子中学生が仁王立ちしていた。
クセの強い跳ねた毛先に、サイズが合わず、鼻先までずれている黒縁眼鏡。長身なこともあり、なんだか目立つ少年。
彼こそ魔法研究部部長である。
部長は視線を上に向けているせいか、二人にはまだ気付かない。口を囲むように両手をあてて、よく通る声で言った。
「君はあのとき確かに空を飛んだ。それをほとんどの生徒が目撃していたんだ。君は誇っていいんだよ! 今はそのあとの赤いパンツの印象が強くなり、我が魔法研究部も赤パン部などという名で呼ばれているが、人の噂も七十五日と言うだろう! 君が赤いパンツを穿いてることなんて、みんなすぐに忘れるよ。そもそも君のパンツに、みんなそこまで興味はない。君が思うほど、みんなが君を見ているわけじゃないんだよ! さあ、なにも心配することはない! 学校に行こう!」
「わわわわわわわーっ」
三色が叫びながら部長に突進して、前から口を押さえた。
柏も部長の背後に回ると、首に腕を回して絞める。
「ぐをっ……な、なにを……」
部長が暴れるが、縋る三色も、柏の腕も緩まない。
「なに言ってんだお前は!」
柏が思いっきり怒鳴った。怒りは限界点を越えて、このまま部長の首をキュッとしてしまいそうである。
「逆効果なこと言いまくりです! 部長!」
三色はむしろ部長の行為に怯えてさえいた。
二人から逃げようとする部長、その部長を押さえ込む三色と柏。わーわーと騒々しく暴れる三人の中で、最初に気付いたのは部長だった。
「小萩君!」
はっとして、柏と三色も二階を見る。
通りに面した二階の窓のうち、一番右側の窓が小萩の部屋である。
部屋の窓を開けて、小萩が姿を見せていた。
小萩と三色は、いとこである。
正真正銘いとこなのだが、父親同士が双子の兄弟であり、母親同士も双子の姉妹だからか、二人も双子と間違われるほどに似ている。
しかも小萩家と三色家は同じ家に住んでいるため、学校では完全に双子だと思われていた。複雑な家庭の事情で、苗字が違うと思われている。
ともかく、双子と間違われるほど三色と瓜二つの顔なのに……今はまるで別人である。
いつもサラサラの長い黒髪が、今はボサボサになって、小さな顔は生気がないようにどんよりとして、くりくりと大きな目を半眼にして、三人を見下ろしていた。
三色と柏が驚いている隙に、部長は二人から逃げると、嬉しそうに笑って言った。
「さあ分かっただろう! 何も気にせず学校に来るんだ!」
小萩は顔を伏せた。長い黒髪が垂れて、表情がまったく見えない。だが、窓に添えた手が小さく震えている。
「……るさい」
ヤバイ。
柏と三色が思ったのは同時だった。
小萩が顔を上げた。
小萩の周りに白く光る玉がいくつも生まれる。
ビリっと、電流が玉の中で、竜のように走った。
「うるさい死んじゃえバカぁ!」
小萩が泣きながら叫ぶのと、光る玉が三人めがけて飛んでくるのは同時だった。
ドゴォォォォォン――――
住宅街にはまったく不似合いな爆発音が起こった。
※ ※ ※
舞い上がる煙は筋となって、風に流れた。
道の真ん中、立っているのは柏だけである。
「ゆうちゃあん」
腰を抜かした三色は、半泣きで柏の脚に抱きついた。
「死んだと思ったぁ~」
標的にされた部長も腰を抜かして呆然としているが、髪の毛一本も焼けず無傷だった。
小萩が光る玉を投げたとき、咄嗟に柏が壁を作ったのだ。
そのおかげで玉は遮られ、全員無事だった。
ついでとは言え、部長まで守ってしまう結果になったのは不本意だ。
だが、これで反省して少しはおとなしくなるか。
そう思ったが……。
「す、すごい」
「はっ?」
「えっ?」
呆然としていた部長の表情が、見る見るうちに赤くなっていく。キラキラと目は輝き、小鼻がふくらみ、鼻息が荒くなっている。
あきらかに興奮していた。
「なんてすごいんだ。すごいよ、小萩君! なんてすばらしい魔力だ! そして、三色君!」
突然、矛先が自分に向かって、三色はビクッと震えた。
柏の脚の後ろに隠れようとするが、手を取られて前に引きずり出される。
「彼女の魔法を止めるなんて、君もすごいよ。さすがだ!」
「いえ、それは僕じゃなくて……」
柏が本物のカグヤだと知るのは、三色と小萩とその家族だけである。
それを知らない部長は、完全に三色が防いだと思い込んでいた。
「魔女の双子は、お互いが側にいるだけで魔力が増幅すると言う。この学説はやはり嘘じゃなかった。普段は魔法を使えないフリをして、やっぱり君も魔法が使えるんじゃないか! すばらしい!」
「だから僕は魔法なんて使えなくて、そもそも僕と小萩は双子じゃなくて、いとこなんですってば」
魔女の双子に関する学説ーーというより、ただの都市伝説だがーーそんなものがあるせいで、小萩が名前に『月』があるというだけで半強制的にカグヤ部に入部するはめになったとき、三色まで一緒に引きずり込まれたのだ。小萩と双子だと勘違いされているせいで。
「いいからいいから。君たちに複雑な家庭の事情があることは、みんな知っていることだ。隠さなくていいんだ。大丈夫だ」
「全然大丈夫じゃないです! 誤解なんです! 俺たち双子じゃなくて」
「こんなにも優秀な部員たちに恵まれて、僕はなんて幸せなんだ」
三色の声はまったく届いていなかった。
部長は三色の手を取ったまま、閉められた窓に顔を向ける。
「小萩君、聞いているんだろう! さあ、君も学校に来るんだ。一緒に魔法を研究して、魔力を高めて、最強の魔女になるんだ。君は魔女界の星になれる!」
こいつだけ爆発させればよかった。
柏は部長まで守ったことを、本気で後悔した。
「とりあえず赤パンの噂がある限り、あいつは学校に来れないだろ」
部長を黙らせるためにも、柏は仕方なく口を出した。
部長が柏を見る。
「そういえば君は誰だ」
「通りすがりの中学生」
「ちょっ、雄ちゃん!」
「そうか。通りすがりの中学生君! 貴重な意見をありがとう。確かにその通りだ。では作戦会議だ、三色君!」
「えっ、ちょっ」
部長が三色を引っ張って歩いていく。
「ゆーちゃぁん」
三色が手を伸ばして、必死に助けを求めてくる。だが、今は部長に一刻も早くここから離れてほしい。だから助けを求める声は無視。
「カギ」
その代わり手を出して、それだけ言った。
「えーっ、そんなぁ」
三色は不平を上げるが、柏は差し出した手を上下に振って急かす。
睨み合いとも言えないほどの、小さな駆け引きが無言で行われ……。
三色は助けはないと諦めた。しぶしぶ鞄から家のカギを出して投げる。
柏はそれをキャッチすると、恨みがましい目を向ける三色に背中を向けた。
カギを開けて、二人の家に入る。魔法で中に入るのは可能だが、それでは住居侵入になり、ただの犯罪である。それでもこの家ならば、それも許してくれるのだろうが。それくらい幼い頃から今まで何度も訪ねた家なのだ。
躊躇なく中に入ると、階段を上がって小萩の部屋の前に立った。部屋にカギがないことは知っている。
「小萩」
ドアを開けたところで、部屋の中からバタバタとすごい音がしたと思うと、バンッとドアにぶつかったような音がした。向こう側の勢いに押されて、ドアも閉まってしまう。
「開けちゃダメ! 変態!」
「なんだ変態って!」
「女の子の部屋に入るときはノック必須でしょ! 勝手に開けるな!」
「はいはい。ノックすりゃいいのか」
「ノックしてもダメ! 今開けちゃダメ! 開けたら死ぬから!」
「大袈裟」
それでもドアノブから手を離すと、柏はドアに背中をあてて寄りかかる。
「三色がラチられたぞ」
「……知らない。先にあたしを売ったのはミチだもん」
ミチとは三色のことである。
「売ったって……」
「ほんとはあの日は、ミチも一緒にステージ上がるはずだったの! それなのに直前になって逃げ出したんだから。自分は魔法出来ないし、ツッコがいればいいでしょって。……ミチはずるい」
「だからって、俺まで巻き込んで魔法ぶっ放すな。アレ、殺人未遂に引っ掛かるだろ」
「アレは当たってもビリって痛くなるだけじゃない! 雄ちゃんが防ぐから、あんな目立つ爆発になったんだよ!」
「ビリってするだけってな、お前、アレ結構痛いんだからな!」
「だって」
拗ねたような、怒ったような声だった。
付き合いの長さで、今、どんな顔をしているかまで分かる。唇を突き出して、目を泳がせているのだろう。
「三人で楽しそうにじゃれあってるから」
「どこがだ!」
思わずドアに向かって怒鳴っていた。
「あいつがあれ以上、余計なこと言わないようにしてただけだろうが!」
「そんな風には見えなかったの! だいたい助けに来るのが遅いよ。あのことがご近所にもばれちゃって、もうあたし外歩けない」
泣き出しそうなほど、弱弱しい声である。
「小萩……」
柏は言うべき言葉を必死に探すが、うまく見つからない。部長に対してはもちろん、こうなると自分にまで腹が立ってくる。
小萩が言う。
「あたし、いつもあんな下着穿いてるわけじゃないんだよ。もっと可愛いのだって持ってるもん。可愛い猫がプリントされてるのとか、水玉のだってあるもん!」
「そ、そういうこと言うな!」
「えっ……あーっ、想像したんでしょ。妄想したでしょ。雄ちゃんの変態!」
「し、してねえよ!」
叫ぶが、頭の中は見せられないものだったりする。
中二男子にそんなこと言うほうが悪い。
「……とにかくね、あのときは……ステージに上がって、大勢の人の前に立つから、気合を入れるつもりで……赤色の下着は元気が出るからいいって聞いたから……だから試してみただけで……いつもは違うんだから」
……ちょっと待て。
今の言い方だとまるで。
「お前、パンツ見られたことが嫌だったんじゃなくて、見られたパンツが嫌だったのか?」
「……っ! 何言ってんの馬鹿! 違うでしょ! 誰もそんなこと言ってないし!」
「さっきの言い方だと、そう聞こえたんだけど」
「そんなわけない! 雄ちゃんの変態!」
「変態はやめろ!」
小萩は基本的に人見知りで、大勢の人間の前に立つなんてありえないタイプだ。そうなると性格もおとなしいと思うだろうが、そんなことはない。
気安い相手には明るくて、わがままだって言ってくる。悪態だって平気でつく。柏が内弁慶という言葉を知ったとき、真っ先に思い浮かんだのが小萩だった。
「変態が嫌だったら全校生徒の記憶を消してよ! あの噂も、あの日のことも、全部魔法でなかったことにして!」
「無茶言うな! 俺はそんな魔法、知らないんだよ!」
一応、父親にも聞いてみたのだ。
人の記憶を操作する魔法はあるにはある。だが、父親がその魔法を知らない。そうなると柏が教わることも出来ない。
そもそも人に干渉するような魔法は使用が禁止されている。
はあ、と柏は息を吐いた。
ドアに背中を預けたまま、ずるずると下がっていって廊下に座る。
「だいたいな、なんでステージになんて出たんだよ」
「なんでって、部長に出ろって言われて……」
「いつもお前らの話聞いてて、あいつの押しの強さは知ってるけどな……。今回はそこまで嫌がってなかっただろ。むしろ早い段階で腹くくってた」
ドアの向こう側、小萩が息を詰まらせたのが分かる。
「いつもならギリギリまで、ずっと文句とかグチとか言い続けるくせに今回は無かったよな。ステージに立って新入部員ゲットするって張り切ってたし……だから気になってたんだ」
「それは……」
「お前さぁ……もしかして部長のこと好きなの?」
柏は間を嫌うように、続けて言った。
「それならお前がステージに立とうとしたのも、分かる気がするんだよ。あいつの力になりたいとか思ったんじゃないかってな。どこに惚れる要素があるかは分からないけど、っと……」
寄りかかっていたものが無くなり、柏は背中から倒れた。
ドアが開いたと分かったのは、自分を見下ろす小萩の顔を見たときだった。
スッと目を細めているが表情がない。なんか、怖い。
「ど、どうした?」
「あのねぇ……そんなわけ、ないでしょおーっ!」
部屋から蹴りだされる。
「おい、てめっ」
「あたしは新入部員が欲しかっただけだよっ! 雄ちゃんにそんなこと言われたくない!」
小萩が叫んだ。
「最低! アホ。馬鹿。変態。鈍感! 一回死んじゃえ!」
バンッと勢いよくドアが閉められた。
蹴られた肩を押さえながら立ち上がる。
蹴られて腹が立ったが、それより今は……安堵感が勝った。
良かった。あれに惚れていたわけじゃなかった。
さすがに相手が部長では心配になる。もっとマシなのがいるはずだと、説得するはめになるかと思っていたのだ。
コンと軽くドアを叩く。
「あー悪かったな。変な誤解した。……とりあえず帰るわ。じゃあな」
部屋の中からの返事はない。
柏は一階に下りると、居間のテーブルの上、見つかりやすいところに三色から預かった鍵を置いた。
そして、玄関の内側から鍵をかけてから、魔法で外に出る。
今回のことで――部長の演説のせいで、小萩がさらに引きこもるのは間違いないだろう。
小萩を登校させたいなら、部長にも言ったとおり、まず噂をどうにかしないといけない。
だが、こんなことに使える魔法もない。
(あー、どうするかな……)
このときの柏は、三色が部長に連れて行かれたことをすっかり忘れていた。
覚えていたとしても、三色なら逃げ出せるだろうと気にしなかったに違いない。
だが、次の日。
柏は三色を助けなかったことを激しく後悔した。
※ ※ ※
朝からなんだか騒がしいとは思っていた。
教室の前の廊下に何人もの生徒が出ている。
窓の外を、ほとんどの生徒が笑いながら見ていた。
「はよー、柏!」
窓の外を見ていた友達が、柏に気付いた。
「はよ。ってか、なにやってんだ?」
「アレアレ」
友達が笑いながら、体を半身にして隙間を開ける。
その間から、柏は窓の外を見て……絶句した。
赤いフンドシ姿の男子生徒が二人、運動場にいたのである。
必死に顔を伏せて立っているのは三色だった。
もう一人、運動場を適当に走っているのは魔法研究部の部長である。
(なにやってんだ!)
思わず走り出そうとしたところで、
「馬鹿だよなー。なにやりてえんだろ」
友達が言った。
同じく見ていたクラスメイトも笑って頷いている。
「あれってさ、赤パンの双子だろ」
「もう一人は赤パン部の部長だ」
「ってか、なにやりたいわけ?」
「魔法の一種じゃねえの」
「なにそれ。わかんねー」
全員、馬鹿にして笑っている。
スマートフォンを持っていた生徒は、おもしろがって写真まで撮っていた。学校でスマホが見つかると没収されるが、その心配以上に撮っておきたいらしい。
「あっ。ついに逃げてった」
誰かが言ったとおり、三色が校舎の中へ戻っていった。部長も慌ててそれを追っていく。
「あーマジで笑ったわ。なにがしたかったんだ赤パン部」
「あいつら頭おかしいんじゃね。なあ、柏」
柏と三色と小萩は、中学校で同じクラスになったことがない。そうなると、やっぱり学校の中ではクラスの友達と一緒にいることが多い。
そのため小萩と三色はともかく、柏が二人と幼馴染だと知っている人間は少なかった。
だから友達は柏の前で、平気で小萩の赤パンを笑っていたし、今も笑って同意を求めるのだ。
「俺が知るか」
笑っている友達を睨んで、言葉とは裏腹に廊下を走って戻っていく。
「おい、柏?」
驚いた友達の声も無視した。
カグヤ部の部室は別棟の最上階、一番端の教室のはずだ。部室からあの格好で運動場に出たとは思えない。だったら……。
四階建のこの学校は、二年生の教室が最上階の四階にある。柏は登校してくる生徒たちとすれ違いながら、一階まで駆け下りた。
昇降口の前を通り過ぎて進むと、体育館の入り口がある。その手前には運動場との出入り口があり、この時間ならば鍵はかかっていない。
それを横目で見てから、体育館の扉を見れば隙間が空いていた。
扉を開けるが、中に人はいない。
それでも、柏は一番奥にあるステージへと進んだ。
「これでうまくいくはずだ!」
ステージ横の用具入れの中から、部長の高らかな声が聞こえた。
その瞬間、柏はキレた。
「お前らなにやってんだ!」
用具入れのドアを開ける。
マットやバスケットボールが入ったかご、バレーボールの入ったかご、跳び箱などが置かれている中で、カグヤ部部長が制服を持ったまま突っ立って右拳を突き上げていた。
三色は用具入れの奥に重ねられたマットの上で、背中を見せてしゃがんでいた。制服はちゃんと着ている。
急にドアを開けた柏に、二人の視線が突き刺さる。
三色は怯えた様子を見せたが、柏だと分かると、とても悲しそうな顔を見せた。そして、視線をそらせて丸くなる。完全に沈んでいた。
「ああ、君は……昨日の通りすがり君」
なんだ、通りすがり君って。
「また通りすがりかい?」
部長は赤いフンドシ一丁のくせに、何故か晴れやかに笑っていた。
「なにやってんだよ。あんなことして……」
「目立ってただろう!」
「悪目立ちだ。最悪だ! なにやらせてんだよ!」
部長がなにをしても柏には関係ないが、三色と小萩がからんでくると話は別である。
放っておきたくても、放っておけないのだから。
「悪目立ちでもなんでも目立てばいいんだ! これで小萩君の赤いパンツのことも、みんな忘れるだろう」
「……どういうことだ」
「昨日、君が言っていただろう。小萩君が学校に来るためには、まず噂をどうにかしないといけないと。あれ以来、我がカグヤ部も赤パン部などと呼ばれてしまって、新入部員も入ってこない。せっかく今年の新入生の中にカグヤがいるというのに! 彼女には、ぜひ我が部に入ってもらいたいんだ!」
「カグヤ……魔女がいるのか!」
思わず聞き返していた。
部長はさらに興奮したように目を見開いた。
「そうだ。魔女だ。本物だ!」
「……本当かよ」
「本当だ! 本人に確認も取ったんだ!」
新入生の中に魔女がいる。
柏と同じカグヤがいる。
もし本当なら、月での記憶がおぼろげな柏にとって、父親以外のカグヤに初めて会えるかもしれない。でも……。
「そいつ……本当に、自分が魔女だって言ったのか」
「ああ。カグヤだと言っていた!」
「……カグヤならカグヤだってことを隠すんじゃないのか。
アポロ事件があってから地球人は魔法を怖がってる。
興味や好奇心……好意的な感情もあるけどな。嫉妬とか恐怖のほうがまだでかい。
だから第二の魔女狩りを防ぐ意味でも、カグヤはカグヤだと名乗りたがらないし、人前で魔法を見せたりしない。テレビでカグヤを名乗っているほとんどの奴は偽物だし、本物なんて滅多に見ない。
そいつ嘘吐いてんじゃないか」
部長はキョトンとして、柏を見た。
「ずいぶんカグヤの事情に詳しいな」
「……っ!」
「それは俺が……教えたから!」
今までなにも話さなかった三色が、突然言った。
咄嗟に柏をかばったのは言うまでもない。
部長は「そうか」とうなずく。納得したというより、そこまで気になっていないだけだろう。
「もしかして通りすがり君は、三色君の友達だったのか?」
「そうだけど」
「そうだったのか! では、君も魔法に興味があるんじゃないか。今からでもぜひ我が部に入らないか」
キラリと目を輝かせて、部長は言った。
だが、こんな奴と同じ部活は絶対無理だ。本物のカグヤだからこそ、こういう奴には近付きたくない。そういう意味でも、その新入生がカグヤだと思えないのだ。
「もう別の部に入ってるし、魔法にそこまで興味もない」
ちなみに化学部に入部しているが、放課後はいつも図書室で寝ているような幽霊部員である。
「そうか。それは残念」
柏をカグヤだと知らないためか、新入生のカグヤを入れることに必死になっているせいか、部長はあっさりと諦めた。柏としては助かる。
「では、話を戻すが……彼女が正真正銘カグヤであることは間違いない。僕の情報に偽りなしだ! だが、問題があってね。彼女は我が部に入る予定だったが……後から赤パン部などと呼ばれる部には入りたくないと言われてしまった」
「そりゃそうだ」
「そこで、小萩君のこと、赤パン部のこと、彼女が我が部に入ること。これをまとめてどうにかしようとすると、やはり噂を消してしまうのが一番だ。噂を消す手っ取り早い方法は、全校生徒に新しい話題を提供することだ。手ごたえはあった」
部長は自信たっぷりに言い切った。
言っていることは分かる。だが、方向が違う。
斜め上を思いっきり爆走している。
「あれだと赤パン部じゃなくて赤フン部になるだけだろうが!」
「…………ああっ! 本当だな! 気付かなかった」
部長は本当に今気付いたようで、心底驚いていた。
もうなんなんだ、こいつは……。
「おっ……」
チャイムが鳴り始めた。
「授業が始まるな。早く教室に戻ったほうがいい」
赤フンドシの上から制服を着ると、部長は用具入れから出て行こうとして、振り返った。
「行かないのか?」
柏はチラリと奥の三色を見る。
さっきは柏をかばってくれたが、今はもう背中を見せてしゃがみこんだままだ。
柏は軽く息を吐いてから言った。
「後から行く」
「そうか。赤フン部になってしまうという多少の手違いが判明した。三色君。また放課後、作戦会議しよう」
部長は今度こそ用具入れから出て行った。
最初の授業で体育館を使うクラスはなかったようだ。
しん、とした静けさが漂う。
「それで、なにやってんだよ」
柏はため息混じりに言った。
三色は答えない。
「あいつは強引かもしれないけど、お前なら逃げようと思ったら逃げれただろ。なんでそうしなかったんだ」
三色は答えない。
「三色!」
声を荒げると、三色はやっと動いた。
力尽きたようにマットの上に座る。顔は伏せたままだ。
「……俺だって逃げたかったけど……逃げられなかったんだ。部長だってアレが恥ずかしいってことは、ちゃんと分かってて。だから、二人ですればまだマシだって言ってて……逃げる隙もなければ、説得する力も俺には無かったんだ」
力の無い声だった。
「赤パンの噂も、どうにかしないといけなかったし。ツッコのためにも、新入部員をいれるためにも」
そういえば昨日、小萩も新入部員が欲しかったと言っていなかったか。
今までの二人なら考えられないことだ。
カグヤ部の部員は、三年生が部長と幽霊部員数名。二年生が三色と小萩のみだった。
つまり三年生が引退したとき、カグヤ部は人数的に部として認められなくなる。
二人はそれを狙っていた。部長から逃げられないなら、部長がいなくなってから廃部にしてしまえばいいと考えていたのだ。
その二人が新入部員を欲しがるのはおかしい。
「小萩のことをどうにかしたいのは分かるけど、なんで新入部員にそこまでこだわるんだよ。本物のカグヤかもしれないからか?」
小さくうなずいた三色に、柏は乱暴に頭を掻いた。
「そんなわけないだろ。本物ならあの部長には絶対近付かないね!」
「でも……すごい自信で言い切るから、もしかしたらって思ったんだ」
「それでそこまでするかよ。お前らがそこまでカグヤにこだわる必要もないだろ」
部長と違って、二人の前にはカグヤである柏がいるのだ。
カグヤをめずらしいとも思ってないし、魔法でなにかしてほしいなら柏に言えばいい。
「部長が……その子が入部しない限り、誰がカグヤか教えないって言ったから……」
「だから俺はどうしてお前らがそこまでするのか聞いてんだよ!」
「……分からないかなぁ」
三色が顔を上げた。
沈んだ瞳が、笑うのに失敗したような歪んだ口元が、三色の怒りを伝えてくる。
「雄ちゃんに会わせたかったんだよ。カグヤに会えたら雄ちゃんが喜ぶと思ったんだよ。雄ちゃんが地球に来たばかりの頃って辛そうだったし、そういうの俺らには分かんなかったから……カグヤ同士でしか分かんないことってあるだろうし。カグヤの仲間がいたほうが喜ぶって思って、だから……あーっもう! こんなこと言うつもりなかったんだ! ツッコに怒られる!」
三色が勢いよく立ち上がる。
「俺、もう帰るよ。こんなことした後で教室に行くなんて、さすがに出来ないし。そういう意味では、やっぱり部長は神経おかしいよね」
早口で言うと、三色は走って出て行った。
声を失ったように、柏はなにも言えなくなっていた。
しばらくして、
「なんだよ、それ……」
声が戻り、小さく呟いていた。
※ ※ ※
父親が笑い話として何度か話してくれたことがある。
日本に留学していたとき、カグヤであることを隠していたにも関わらず、ささいな手違いで生徒全員に知られてしまったのだと。
それからは誰かの財布がなくなったとか、交通事故にあったとか、なにかにつまづいて転んだとか、突風で女子のスカートがめくれたことでさえ、魔法を使った父親の仕業だと疑われたときがあったと。
「そんなことで魔法を使うわけないのにな」と父親は笑って話すが、父親の親友である小萩と三色の父親たちは、いつも「馬鹿げた誤解だ」と怒っていた。
だからなのか三色と小萩の父親たちのほうが、柏がカグヤであることを隠そうとしていた。魔法を使うのは信頼できる相手にだけ。差別や変な誤解をさせないためにも、今は隠したほうがいいと子供たちに教えていたのだ。カグヤである父親よりも真剣に。
――あるとき気付いた。
父親が魔法への誤解やカグヤへの差別を笑って話せるのは、親友二人が自分以上に怒っているからなのだと。
そして、その二人の子供たちもまた同じように、柏のことを守ろうとしてくれていた。
いや……守られていたのだろう。
地球に降りたばかりの頃、辛くてたまらなかった。それでも地球での生活に耐えられたのは、三色と小萩がいたからなのだから。
だから――
俺は別にカグヤの仲間が欲しいなんて思ったことなかったんだ。
※ ※ ※
「雄ちゃんはミチに甘い。ミチが被害にあって、やっと助ける気になるなんて」
「何言ってんの。雄ちゃんはいつもツッコに甘いんだよ。いつもツッコ優先で僕のこと後回しだし」
エセ双子が並んで、柏を睨んでいた。
三人がいるのは体育館裏である。
全校朝礼の始まる前、生徒もまだ中にいないため、裏庭はいつもどおり静かであった。
赤フンドシ事件から三日。
あの日から三色も登校拒否になっていたが、全部なんとかしてやると柏が説得した結果、エセ双子は柏の瞬間移動でこっそりと登校してきた。
教師もクラスメイトも誰も、まだ三色と小萩が登校してきたことに気付いていない。
人の話し声と、大人数が移動するため響く足音、ざわめく空気。
生徒たちが体育館に集まってきたようだ。
エセ双子はビクッと震えた。心なしか顔色も悪い。
「ねえ、雄ちゃん。本当に俺たちも中に入らなきゃダメ?」
三色は今にも逃げ出しそうだ。
それを防ぐように、小萩が腕をしっかりと握っている。
「ダメだ。こういうのって共有する感覚が大事なんだ。だからお前たちは最初から体育館にいて、全校生徒と同じものを見ないといけない」
柏もそこまで自信があるわけではないが、きっぱりと断言した。ここで柏が少しでも不安を見せれば、三色はすぐに逃げ出すだろうし、それにつられて小萩も逃げ出すだろう。
「でもさぁ……」
「いいからさっさと行け」
有無を言わせず、背中を押した。
「ちょ、ちょっと待って」
小萩が三色の腕から手を離すと、スカートのポケットからサングラスを取り出した。
「お父さんのやつ。その怖い目を隠さないと、すぐに雄ちゃんだってバレちゃうからね」
そう言って、柏の顔に勝手にかける。
二人は柏の全身を見て、プッと吹きだした。
「笑うな」
こんな恥ずかしい格好、誰のためにしていると思っているんだ。
「魔女の出番、だね」
「みんな驚くね」
そう言いつつ、エセ双子はそろって申し訳なさそうな顔をしている。
柏に人前で魔法を使わせることを気にかけているのだ。これを言い出したのは柏なのに。
噂を消す手段として魔法を使うことを、二人は嫌がった。魔法で記憶を消してくれなんて言っていたくせに、本当に使うとなると抵抗を感じるのだろう。
絶対に誰にも正体をバレないようにすると約束して、やっと納得してくれたのだ。
「……前から言ってるだろ。俺のことは魔女って言うな」
男でも魔女と呼ばれるが、やはり魔女=女性のイメージが強い。そのため男の柏としては魔女とは呼ばれたくない。
「俺は魔法使いだ」
小さい頃は、二人によくそう言っていた。
それを二人も思い出したのだろう。懐かしそうに笑った。
「ほら、さっさと行け」
「はーい」
小萩はまた三色の腕をつかんだ。
今度は逃げ出すのを防ぐためではなくて、一人だと中に入れないからだろう。
二人が校舎に向かって歩き出すのを見つめる。
しばらくして……マイクを通した校長の声が届いた。
じゃあ、行くか。
※ ※ ※
校長の恒例である長い挨拶が始まった途端、体育館の窓が暗幕でふさがれた。
突然闇に包まれた体育館に、生徒も教師も騒然とする。
すると、どこからか何本もの白いスポットライトが体育館内を走り、ある一点で止まった。
バスケットゴールの上。
「うわっ」
体育館の中にいる全員が、それを見た。
黒いとんがり帽子に、黒いマフラー。黒いマントを羽織った少年が立っていた。
魔法使いの定番の格好。ただ変わっているのはサングラスをかけているところか。帽子にサングラス、さらにマフラーで顔を隠しているため誰だか分からない。
手には柄の長い箒を持っていた。
「なんだ、あれ」
「誰なんだ」
「カグヤ部か?」
「なにをしてるんだ!」
色々な声が漏れ始めた。先生の怒鳴り声も聞こえる。
そんな中で魔法使いは箒にまたがると、バスケットゴールから飛び降りた。
「うわっ」
一気にざわめくが、すぐに感嘆の声に変わる。
「わあ……」
「すごい」
魔法使いは危なげなく、軽やかに空を飛んでいた。
いつかの部活紹介の飛行とは、当然ながら比べ物にならない。
先生たちも圧倒されたのか、呆然と見るばかりである。
魔法を生で見られるなんて滅多にないのだ。
魔法使いは体育館を一周すると、今度は箒を振るように飛んだ。
すると左右に揺れる穂先から、キラッキラッと光が弾ける。
「なにこれ」
「きれい……」
まるで雪のように、体育館の中に光が降った。
手に触れると、ほんのりと温かく、ふっと溶けるように消えた。
飛んでいる軌跡をなぞるように、光は絶え間なく降り注ぐ。
ほとんどの生徒が見とれている中で、
「こんなのトリックだろ!」
一人の男子生徒が叫ぶと、魔法使いに向かって内履きを投げた。
魔法使いは投げられた内履きを箒の穂先で打ち返した。
見事、投げた男子生徒の顔に当たる。
どっと笑いが起こった。
そんな中で、
「すごい! なんてすばらしい! これこそ本物の魔法だ!」
カグヤ部部長が叫んだ。
スポットライトが生まれて、長身の彼を照らした。
魔法使いが部長の真上にまで移動、そして止まった。
みんなの注目が集まる。なんだなんだと期待も高まった。
パチン。
魔法使いが指を鳴らした。
魔法使いの下、部長の真上、巨大なたらいが現れた。
「うわああ」
さすがに部長の周りの生徒は逃げていくが、部長は「おおっ!」とそれでも感嘆の声を上げた。興奮した頭では、逃げるという選択肢すら浮かばないようだ。
重力に従い、部長の上にたらいは落ちた。
ぐわあああん……「うおっ!」
部長が倒れたことで、一瞬、体育館の中はシーンと静まるが。
「すごい。すばらしい! ぜひ我が部に来てくれ、師匠!」
たらいをどかして、部長はさっと立ち上がる。痛みなんてまるでないように、興奮気味に魔法使いへと手を伸ばした。
生徒たちから、クスクスと笑いがこぼれる。
魔法使いのほうは逃げるように部長に背中を向けた。
スイスイと、ステージの上まで飛んでいく。
呆然と立っている校長の一メートル上で、魔法使いは箒の上に立った。
そして、箒から飛び降りる。
「うわぁ!」
「きゃ!」
悲鳴があがる中で、ポンっと音を立てて魔法使いは消えた。
箒がカランとステージに落ちる。
暗幕が開いて、体育館は再び明るくなる。
一瞬の沈黙の後には、歓声が爆発した。
※ ※ ※
あのときの部長の考え方は悪くなかったのだ。
噂を消すために、違う話題を作る――だから柏もそうすることにした。
赤いパンツ、赤いフンドシよりインパクトのあるもの。
思い浮かんだのは、魔法によるパフォーマンスだった。
結果は良かった。
全校朝礼が終わり、体育館から生徒が出てきたところで、帽子やマントを脱いだ柏はこっそりとその中にまぎれた。そして三色と小萩の様子を見ていたが、二人はそれぞれの友人たちに囲まれていた。周りにいる誰もが二人を笑うこともない。誰も気にしていない。
むしろ突然の魔法に興奮気味で、噂のことなんてすっかり忘れて、魔法のことについて色々と聞かれているようだった。
柏の作戦は成功した、のだろう。
それを見届けてから、柏は保健室に向かった。
今まであんなにも大勢の人間の前で魔法を披露したことはない。あんなにも魔法を使ったこともない。
緊張が途切れると、疲れが一気に出て、強烈な眠気を感じたのだ。
保健室に入った途端、ベッドを借りて眠った。
※ ※ ※
「ん……………うおっ」
目が覚めたとき、目の前に誰かの顔があった。
寝起きでエセ双子の顔を見てしまえば、長い付き合いとはいえ、一瞬頭が混乱する。
右側から三色が。左側から小萩が。それぞれ柏の顔をのぞきこんでいた。
「ああ、目が覚めた?」
ベッドと部屋を区切っていたカーテンが開いた。
五〇代の養護教諭が、柔らかく微笑む。
「もう放課後よ。ぐっすり寝てたわねぇ。わたしはちょっと職員室に行ってくるけど、あなたたちももう帰りなさい」
そう言うと、先生は出て行った。
保健室にいるのは三人だけになる。
放課後の定番の音でもある、運動部の掛け声も遠く聞こえる。
確かによく寝た。おかげで疲れはすっかり飛んでいる。
「……それで、なんだよ」
二人の顔には、噂が消えた安心や喜びがない。
むしろ、なんだか厄介そうな……。
「雄ちゃん」
三色の目がみるみる潤んだ。
小萩もギュッと眉間のしわを寄せる。
「もうやだぁー」
二人は同時に叫んだ。
三色は柏の胸にすがりつき、小萩はベッドの空いているスペースに顔を伏せた。
「うまくいかなかったか?」
「うまくいったよ! もうみんな、あんな噂のことすっかり忘れちゃってるよ。雄ちゃんの読み通りだよ」
顔を上げた三色が言った。
「だったら、なんだよ」
「問題は部長だよ! 新入部員のほうだよ!」
小萩が顔を上げて叫んだ。
「新入部員はカグヤじゃなかったの!」
「カグヤはカグヤでも別のカグヤだったんだ!」
「井上かぐやちゃん! ただ名前がカグヤってだけで」
「本人はカグヤでもなんでもなかったんだよ!」
「魔法なんて使えないし」
「月で生まれたわけじゃないし」
「魔女じゃなかったの!」
「しかも雄ちゃんの魔法で、カグヤ部には新入部員も殺到しちゃって」
「かぐやちゃんの他にもいっぱい来ちゃって」
「これじゃ部長たちが引退しても廃部に出来ないし」
「なんで、こうなるの」
そこまで交互に言うと、
「もう嫌だぁー!」
また二人は同時に言った。
双子じゃないくせに、双子以上に息が合っている。
そういえば、小萩が初めにカグヤ部に勧誘されたときも、魔法が使えることが分かったからじゃない。ただ名前に月が入っていてカグヤっぽいという理由で、部長に強く勧誘されたのだ。
つまり、今回もそうだったということか。
「なんだよ、それ……」
それなら自分たちのしたことはなんだったのだ。
すべてが無意味だった。
こんなことなら、もっとたらいでもボールでも、なんでもぶつけておけばよかった。
「もう嫌だ! 俺、今度こそ部活やめる!」
「あたしも! もういや! 絶対やめる!」
「そうしろ。それで、もう二度と俺を巻き込むな」
胸にすがりついたままの三色をはずそうとしたが、なぜかがっちりと引っ付いて離れない。
「おいっ……」
「雄ちゃん。俺、今度こそやめるから一緒に来て」
「はあ?」
「そうだよ! 雄ちゃんが来てくれたら大丈夫!」
三色の上から小萩まで乗ってきた。
「おい重いんだよ。なんだよ。なに言ってんだ!」
「あの部長相手に退部なんて言ってもうまくいかないんだよ」
「あたし魔法使えるのバレちゃったから離してくれないんだよ」
「あの人が、人の話聞かないのは知ってるでしょ」
「カグヤ部至上な人だから、退部なんて意味不明って人だし」
「そんな人、俺たちじゃ説得できないんだよ!」
「だから雄ちゃん!」
「ふざけんなっ! そこまで俺を巻き込むんじゃねえ!」
柏はなんとかエセ双子から逃げようともがく。
「お願い雄ちゃん!」
「うなずいてくれるまでどかないからね!」
言葉通り、二人はしがみついて離さなかった。
それでももがき続けるが……二人は諦めない。
やがて柏のほうが疲れてきた。
暴れるのをやめると、また同じ顔がのぞきこんでくる。
「雄ちゃん」
無意識だと思うが、二人して甘えた声を出してくる。
「ふざけんな。これ以上付き合ってられるか!」
「いやぁ~」
「そんなこと言わないでよ~」
エセ双子はしがみついたまま、子供のように首を振った。
(ガキかっ!)
なんだか、どっと疲れる。
力の抜けた柏は、ふと窓の外を見た。
空はまだ青いが、白い満月がもう姿を見せている。
その月にいる魔女たちに、柏は願わずにはいられなかった。
ああ、どうか……。
どうか、こいつらをなんとかしてくれ!
END