何故アニメの信者は嫌われるのかを独断と偏見で解釈する
信者、この言葉をよく耳にするようになったのはSNSの普及が進んだ頃である。私もTwitter、LINEなどでよく見かけることがあるが、信者と自称するだけあってかなりの偏った思考を持つ人が多い、と個人的には感じる。信者というよりは狂人、と名付けたいくらいだが、その一言で片付けてしまうのはあまりにも乱暴だ。よって、私の独断と偏見を織り込んで、この場を借りて解釈を公開しようと思った次第であり、何もすることがなくて暇で暇でしょうがない、という人が暇つぶし程度に読んでもらえたら光栄極まりない限りだ。
思うに、信者と呼ばれる人々が嫌われる理由はただ一つ、あまりにも人の話を聞かずに、自分の好きなアニメを他の人が好きで当然、批判は論外、と攻撃的な態度を顕にするからなのではないかと思う。(保険をかけさせていただければ、アニメファン全員がそうだと私は思っていない)詰まる所、彼らは意見の多様性を一切認めないのだ。
こんな話がある。私のLINEアカウントの友達欄にいるアニメが好きなアカウントがいる。そのアカウントは、アニメを嫌う人はゴミだの、マスコミに洗脳されているだのと投稿を繰り返し、それに意見しようものなら、仲間を呼んで罵詈雑言を浴びせるか、少しでも自らに不都合な反論をされれば、コメントを削除して何か勝ち誇ったように自らと似た者同士のアカウントに戦勝報告をする始末だ。
これを見て、中立的な立場にある人々は一体どう思うだろう。私の考察が正しければ、「こんな攻撃的な人が好きなアニメなんてまともじゃないにきまっている」と思うのではなかろうか。少し想像すれば容易く結論が出るというのに、彼らにはその手の配慮が全く足りない。
更にそのアカウントは、日本のJ-POPは終わっている。アニメソング、またはトランス系の音楽こそが思考の音楽であり、J-POPを聞く人はマスコミに洗脳されているか、周りに合わせて曲を聞いている烏合の衆だと言うのだ。私は音楽に疎い類の愚か者故、一つの意見として聴けるが、J-POPが好きな人が聞けば、快くは思わないだろう。
ここまで読んでもらえば、読者一人一人に意見が生まれると思うが、ここでは私の意見を言わせていただきたい。先程も述べた様に、彼らは意見の多様性を一切認めないのだ。少子化と呼ばれるこの日本国内の人口だけでさえ、1億人以上の人口がいて、1億人以上の人格が存在する中、アニメが死ぬほど嫌いという人が存在したってなんら不思議ではないにも関わらず、それらの意見を認めずに反発する。これでは話し合いがまるで出来ない。話し合いが出来ないということは、高い知能を持った社会性動物である人間としてはおしまいだ。
何故こんな人々が生まれてしまったのか、それについて私は、SNSの存在が原因の一つなのだと推測する。SNSは便利だ。その気になれば、国境を越えた人と意見交換が出来るし、世界に関心を持つきっかけにもなりうる、大変素晴らしい物ではあるが、それと同時に、人によっては独りよがりな人格を形成するきっかけにもなってしまう。多くの人とつながることの出来るSNS、言い換えれば、辛い現実から逃避するための逃げ道とも見受けられるのだ。別段、現実逃避自体は何も悪いことなどではないのだが、あくまでも現実の自分を認め、なおかつネット以外での人との関わりがなくてはならない。そうしなければ、自らと似たような人間しか集まらず、イエスマンとしか関わらないようになるからだ。イエスマンとしか関わらないようになれば、世界が縮まってしまうのは当然のことである。こんな惜しい話があるだろうか、せっかく様々な考えを持った人々と関われると言うのに。
もし、自らの好きなアニメを他の人にも認められたい、と信者は願っているのだとすれば、まずは自分の好きなアニメを嫌っている相手を認めることから始めるべきではなかろうか?
相手を認めた上で、自らの好きなアニメのプレゼンテーションをすることによって、相手に「嫌いでも構わないけど、まずはこのアニメの素晴らしさを差し当たり無ければ聞いて欲しい」位の勢いでいけば、とりあえず暇なら聞いてみよう位には思うのではなかろうか。無論、完全拒否の人もいるだろう。しかし、それも一つの意見として胸のうちにしまい、決して押し付けないことが、大切なのだと私は思う。