暗い森を歩きましょう
「……ミーシャ。」
「何ですか?」
「衝撃的すぎて忘れていたが、君が私をどこかへ叩きつけて呪いを解き、人間に戻った方が手っ取り早いんじゃないか?」
「何ふざけたこと言ってるんですか?」
「至極正論だと思うが?」
森の中を歩き続けていると、背中の両生類が随分とふざけた提案を寄こした。本当にこのオオサンショウウオは何もわかってない。
「壁に叩きつける真実の愛(物理)のおかげで魔法が解けたのかはっきりしないんですよ?もしかしたら壁に叩きつける以外に何か魔法を解くような要因があったのかもしませんし。適当にやれば貴方が死んでしまうかもしれません。」
「しかし、」
「大体貴方の体長と体重がいくらあると思ってるんですか?壁か何かに届くまでに重力で落ちますよ。」
「何を言ってる怪力娘。」
しれっとした声に、背中をふり籠をシェイクする。悲鳴が聞こえるが、教育的指導だ。全ては私の可愛いペットのため。
「ともあれ、不確かでリスキーな方法を取るわけにはいきません。」
「……ミーシャ、何故見ず知らずのサンショウウオのためにそこまでする?叩きつけて元に戻れば君はお役御免。叩きつけてそのまま私が死ねば、何食わぬ顔で国に戻ることもできる、可愛げのないサンショウウオも始末できるだろう。」
このオオサンショウオと過ごしてまだ数週間もたたないが、彼は意外とナイーブで卑屈だ。普段は高慢傲慢俺様の似非紳士なのだが、唐突に卑屈スイッチが入る。いまだそのスイッチのタイミングが、私には掴めない。
「だからなにふざけたこと言ってるんです。私が可愛いペットを捨て置く甲斐性なしとお思いですか?」
「ペット……、一応人間なのだが。」
面倒なことをぐちゃぐちゃ言い出しそうな雰囲気に、歩くスピードを上げた。
何も言わず、ただ私の甘さに付け込んでおけば都合がいいだろうに、なぜこのオオサンショウオはこんなにも、
「貴方は人間です。赤の他人です。しかし今は私の可愛いオオサンショウウオです。……貴方が人間であれば、私は貴方を逃がそうとも守ろうともしません。偏にそれは貴方がオオサンショウウオさんだからです。」
「…………、」
「どれだけ面倒で、傲慢で、腹立たしいことを言ったとしても、私は貴方を見捨てたりはしません。人間だと思うと正直苛立つところもあります。騙されたと思うこともあります。でも貴方はサンショウウオです。ただのしゃべる、可愛いサンショウウオです。」
「オオサンショウウオは、可愛くはないだろう。」
「ええ、ええ、別に私は両生類が好きなわけでもサンショウウオが好きなわけでもありません。でも困ってる私を助けてくれて、喋って、少し可愛げがあって似非紳士なオオサンショウウオさんに見事にほだされてしまったんです。可愛くて可愛くて、ペット溺愛の域なんです。」
私は一体両生類相手に何を言っているのだろうか、どこか他人事のような部分でそう呆れるが、もうどうにもならないほどに、私はこのヌメヌメと湿ったペットを気に入ってしまっているのだ。
「愛玩動物は愛玩動物らしく、飼い主に甘えておけばいいんですよ。」
卑屈なのは勝手だ、だがそれを背中で垂れ流されてはかなわない。
可愛い可愛いペットに自殺念慮させるような、甲斐性のない飼い主のつもりはない。
「……ミーシャ、」
「何ですかオオサンショウウオさん。」
「…………ありがとう。」
プライドの高い、誰かに謝ったり、礼を言ったりしそうにない傲慢なオオサンショウウオさんからの小さな言葉。
猫を飼っていた友人がいた。
友人曰く、猫と彼女の関係はペットと飼い主ではないそうな。
猫様とその下僕、それが一番正しいのだと。
「無事に亡命しましょうね。」
その気持ちが少し、少しだけれどわかった気がした。
*********
「あと、どれくらいかわかりますか?」
「数時間もかからない。森を抜ければすぐに城の裏手の演習場に出る。」
「演習場?」
「知らないのか。ルルヒ王国は軍事国家だ。」
夜行性のオオサンショウウオさんのおかげで夜通し歩くことができる。私のメイドにはとても必要とされないスタミナスキルも相まって、ルルヒ王国目前に余力はまだ残されていた。
私の国とルルヒ王国の間には明確な国境がない。ただ一つ、この森を挟んでいるらしい。森を挟み互いの国の王城なのだが、今まで特に問題が起こったことはなかった。というものの、私の国は弱小国、一方のルルヒ王国は強大な軍事国家。私の国はわざわざ負ける喧嘩を吹っ掛けることはなく、ルルヒ王国は羽虫に構う理由がない。ゆえにお互い不干渉となり平穏は保たれていた。
「……じゃあ私たちを追うために私の国の兵とかが来たら不味くないですか?」
「非常にまずいな。国境を侵しに来る上にたどり着く先が王城の裏手だ。侵攻の意思があるともとれる。」
「あらら、」
「私たちをそこまで不当な理由で追ってくる方が悪い。」
ふん、と偉そうに鼻を鳴らすオオサンショウウオさん。
なんとなくだが、彼は王城関係者のように思える。地理に詳しければ、国家間の情報にも詳しい。いや私が単に知らなすぎるのかもしれないが、城にいる間に、蛙の王子、フロッシュから恨みを買ったのかもしれない。そして、魔女の呪いに巻き込まれた、と言うのが私の見立てだった。
もっとも、それも彼の部下という人に会えればすぐにわかるだろう。
「ところで、真実の愛(笑)で呪いが解けるんですよね?」
「……ああ、」
「じゃあルルヒ王国に戻ってどうするんですか?愛のあてがおありで?」
「いや、そっちは期待していない。とりあえず部下を使ってこんなふざけた呪いをかけた魔女を引っ張り出してシバキ倒す。呪いをかけた本人だ。解き方も知っているだろう。」
「あ、アグレッシブですね。」
魔法だのなんだの言っている割には、やたらと物理的な手段が使われている気がする。魔法解く方法は壁に投げつける。魔法使いを捕まえ吐かせる方法も物理的責め苦。妙なところで夢も希望もない。
「このままいけばおそらく明け方には演習場に着くだろう。体力は持ちそうか?」
「体力は問題ないです。問題があるとすれば追っ手がどこまで来ているか、です。」
真っ暗な森の中。吹き抜ける風は足音も話し声もかき消してしまう。
何も持たずに城から飛び出した私たちはあたりを照らすものを持っていない。今オオサンショウウオさんを背負う私は夜行性の彼の指示に従って進んでいる。明かりを持っていないために、自分たちの位置を知られることはないが、行動もスピードも制限されてしまう。
「……オオサンショウウオさんは蛙の王子と知り合いなんですよね。」
「ああ、不本意ながらな。」
「なら蛙の王子もオオサンショウウオさんがルルヒ王国に向かうことは予想できます。」
「……ああ、大方ルルヒ王国国境付近、森の中のルルヒ王国の直前に兵を置くだろう。」
ザクザク草地を踏みながら進む。今のところ、前方にも後方にも、明かりは見えない。
だが、待ち伏せされてしまえばもう私たちに打つ手はない。
「じゃあ待ち伏せされてたらどうしますか?」
「……距離による。無理してでも突破して王国に入った方が良いかは私が指示する。」
「善処はします。が、私に戦闘能力はありませんよ?」
サバイバル生活を送ってきたが、人間や兵士と戦えるかと言えば別だ。狼とは戦えるし、熊にも勝てるが、人と戦うことはまずほとんどないのだ。少なくとも、私は人を殺したことがない。戦ったことがあると言ってもそれは仲間同士で模擬戦闘だけで、本気で殺し合いを演じたことはない。
「戦わなくていい。ただ危なくなったら、私を投げつけろ。」
「……だからできるわけないでしょう。」
「やれ。いつまでもこの森の中を逃げ回っているわけにはいかない。いずれは国境を超える必要があり、亡命が遅れれば遅れるほど、王国の警備は厳しくなる。」
「それはそれ、これはこれ。理屈ではわかりますが、貴方を投げれるかと言えば別の話です。」
「それしかない。」
「いえ、たとえ戻ったとしてもそれでどうするんですか。事情を知らない人から見たらあなたは悪い魔法使いなんですよ。」
「勝算があるから言ってる。」
話は平行線。
だがこれ以上何を言っても無駄だろう。
私はオオサンショウウオさんを投げつけることはきっとできない。そしてオオサンショウウオさんは元の姿に戻れる可能性があるのなら試したい。
こればかりはどうしようもない。現実的に考えれば、真実の愛とやらを見つけるか、魔女を捕まえてしばくか。二つに一つ。だが時間が私たちにはない。
ため息を最後に、会話がなくなる。最低限、オオサンショウウオさんの指示する声だけを聞いていた。
真っ暗な森の中。見えるものはない。