逃げましょう
「サンショウウオさん!オオサンショウウオさん!」
「んん……?まだ朝も早いだろう、どうした。」
誰もいない城の廊下を全力疾走し、自室に戻る。夜行性のオオサンショウウオさんは水瓶の底で沈んでいたが、たたき起こす。
「どうしたもこうしたもありません!貴方サンショウウオじゃなかったんですね!」
「っなぜそれを!」
「魔法使いだなんて知ってれば連れてこなかったのに!」
「……は?」
目を丸くするオオサンショウウオさんをリンゴを収穫するときの背負う籠に突っ込み、そのまま走り出す。荷物をまとめる時間などない。サバイバルでもきっと何とかやっていけると信じて、城の敷地から出て、オオサンショウウオさんを拾った森へと入って行った。
「……おい、止まらないか、」
とにかく城から離れたくて、とにかく足を動かす。幸い城から出たのは午前中。日が出ている間に、進めるだけは進んでおきたい。
「……い、おい、ミーシャ!」
「あああああだからうるさいですね!さっきから背中でごちゃごちゃと!今は逃げるのに集中しなくちゃいけないんですよ!」
「ひとまず落ち着け!君は何か勘違いしてる!それにここは森の中だ。隠れる場所はいくらでもある。急いで遠くへ離れるよりも身を隠しながら動いた方が良い。」
「煩いですね、唐揚げにしますよ!」
「土地勘のない君がむやみやたらに動き回るより、私の話をきいた方が良い。違うか?」
籠から顔を出したオオサンショウウオに諭される。
誰のせいでこんなことになっているのか、このサンショウウオは本当にわかっているのだろうか。しかしながら正論と言えないでもないうえ、私自身、状況を飲み込めているかと問われれば曖昧な点も多い。仕方がなく動かし続けていた足をようやっととめ、大きな木の陰に腰を下ろし、籠を湿った地面に置いた。
「やれやれ、今朝は一体なんだと言うんだ。」
「あれですね。オオサンショウウオがしゃべってると思うと可愛いのに、サンショウウオに化けた人間がその口調でしゃべってると思うと、神経逆なでされる気分になります。」
「……ミーシャ、何をどこまで知ってる。」
間の抜けた顔をしたオオサンショウウオが大真面目な顔を作ってみせる。
これは人間これは人間、そう心の中で唱えるも眼前には絶妙に愛らしいオオサンショウウオがいる。愛憎入り混じって横っ面を張りたくなった。
「昨晩、姫の客人である蛙が、人間になりました。蛙は隣の国のルルヒ王国の王子だったそうです。」
「……やはり、フロッシュ・フェアディーンストだったか。」
「知り合いで。……フロッシュさんは先日悪い魔法使いにより蛙に変えられたそうです。それで森を彷徨っているときに姫に会い、城に来ました。」
掻い摘んだざっくりとした話だが、おそらく当事者たる彼にはそれで十分だろう。自身の記憶で十二分に補てんできる。いつかのように、眉間らしき部分にキュ、と皺を寄せて唸るように言う。
「なぜ、呪いが解けた。」
「私は魔法とか呪いとかよくわからないので、確かには言えません。」
「聞かせろ。」
「王子いわく、姫のやさしさだそうです。ただ蛙が王子に戻るところをたまたま目撃した友人いわく、優しさもクソもなく、我慢の限界になった姫様が蛙を壁に叩きつけたそうです。その途端、蛙が王子になった、とのことです。」
「叩っ……!それで元に戻るのか!?」
「わかりません。ただ戻ったのならそれが答えなのでしょう。」
信じられない、という風に目を見開く。
可愛い、いや可愛くないという場違いな感情のせめぎあいは鉄面皮の下にしまい込む。詐欺だ。両生類詐欺だ。
「……ひとまずわかった。だがなぜそれで私が追い掛け回されることになった?」
「それは貴方が王子を蛙に変えたからでしょう。それで二度と変えられまいと躍起になってるんです。」
「……はあ?」
心底わからない、怪訝さを何時間も鍋で煮詰めて凝縮したような顔で間抜けな声を上げた。少し驚く。彼のことだからせせら笑うとか、自分が王子を蛙に変えたことをわざとらしく鼻にかけるかと思ったのだが、彼はひたすら困惑しているように見えた。
「違うんですか?悪い魔法使いさん。」
「はあああ!?何で私が魔法使いなんだ!私だって被害者だぞ!それに私たちを爬虫類に変えたのは魔女だ!なにより私があいつに呪いをかけたなら何で魔法使いの私までこんな両生類になってると言うんだ!」
怒髪天を突く勢いで憤慨するオオサンショウウオ(仮)さんはびたんびたんと太い尻尾を地面に叩きつける。思ったより音が出て、慌ててその苛立たし気な尻尾を掴み地面に抑えつけると一瞬で静かになった。急所であったらしい。
しぼみこんだオオサンショウウオさんに問う。
「それじゃあ、蛙の王子に恨まれ、こうして追い掛け回されているあなたは、いったい何者なんですか?」
ぐ、と押し黙り、それから何度か大きな口を開閉させた。だがそれは声にならない。流石にオオサンショウウオに読唇術を使うのは無理があった。全く読み取れない。
「ダメだ。どうやら自分で自分の正体を言うことは、呪いの関係からできないらしい。」
「ご都合主義な呪いですね。」
「言い訳じゃない。だからこそフロッシュのやつも、呪いが解けるまで口が聞けたのに自分の正体を周りに言わなかったんだろうさ。」
「なるほど。」
オオサンショウウオ(仮)さんの話を要約すると。
フロッシュ・フェアディーンストさんとオオサンショウウオ(仮)さんは、同一の悪い魔女に呪いを掛けられ、それぞれ蛙とオオサンショウウオに変えられてしまったらしい。それから同じくこの国とルルヒ王国の国境付近をうろついているときに、姫と私に遭遇した。そして今、想定外の呪い解除魔法(物理)によってオオサンショウウオ(仮)さんより先に蛙の王子様の呪いが解けてしまった。なお、なぜだか詳しいことはわからないが、オオサンショウウオ(仮)さんは蛙の王子に心底恨まれているようである。
「呪いの解き方は蛙の王子様もオオサンショウウオさんも知らなかったんですか?」
「…………いや、」
「知ってるなら早く戻りましょうよ。」
酷く居心地悪そうに視線を彷徨わせ、意味もなく前足を足踏みさせる。やはり可愛い。
「知っているには知っている。だが具体的な方法がわからないのだ。」
「具体的?」
「…………真実の愛があれば元の姿に戻る、そうだ。」
「あい、」
魔法とは、いったいどのようなものなのだろうか。
真実の愛(笑)でも解ける。
殺意を乗せて壁に叩きつけても戻る。
どこのだれだか知らないが、魔女よ、少々適当過ぎはしないか。
「真実の愛とは何だ!?何なんだその漠然としたものは!?そもそも両生類における真実の愛とは何なのだ!?」
「魔法とは不思議なものですね。」
うがああっ、と吠えながららしくもなく乱心するオオサンショウウオさんの尻尾をがっと掴む。すぐに静かになった。急所なのであまり触っては可哀想というのはわかるのだが、いかんせん、掴むとシュンと縮こまるオオサンショウウオさんは他に類を見ないほど愛らしいため、自重する予定はない。
「それで、これからどうしますか?ここにいてはいずれ見つかります。」
「ああ、ルルヒ王国へ向かう。」
「ルルヒ王国?」
ルルヒ王国と言えば、件の蛙の王子の国ではないかと顔を顰める。
「そっちには私の部下がいる。」
「サンショウウオですか?」
「人間だ。……すくなくとも、王国まで辿り着き、事情を知っている者と出会えればフロッシュは私を不当に捕らえることはできない。」
なるほど、道理でわざわざ蛙の王子がルルヒ王国ではなく、この国の人間にオオサンショウウオさんの捜索をしようとしたのかわかった。オオサンショウウオさんは本当は捕まえていいような人間ではないのだろう。おそらく、オオサンショウウオの姿をしているうちに魔女の汚名を着せ、始末してしまおうという算段なのではないだろうか。
どうもちぐはぐな話だ。なぜちぐはぐになっているかと言えば、オオサンショウウオさんにかけられた、自身の正体を話せない、というものに起因するのだろうが、如何せん、どこまでがセーフのラインなのかわからない。彼は明確に自分が誰だか言っていないが、少なくともルルヒ王国の人間でなおかつ誰かの上に立っている人間だとわかった。やはり魔法というものはわからない。
「簡単に言うとまあひとまずこの国の脱出、亡命ですね。」
「ああ、道はわかる。とにかく少しずつ進んでいくぞ。」
方針がまとまったところで、オオサンショウウオさんを再び籠に入れ、歩き出す。
言いふらしていたつもりはないが、きっともう私があるサンショウウオを飼っていたことはバレているだろう。本を借りた履歴、コックから聞いた話、隠滅も口止めもしてこなかった。
このまま森を抜けるのが早いか、国の人間が私たちを見つけるのが早いか。