1章、3
三人でしばらく話し込んでいると(といっても奈緒はあんまり喋らなかった。引っ込み思案な子だ)、ヘリが降り始めた。いつの間にか随分陽が傾いている。深い深い茜色。そして眼下は木ばっかりだった。どこかの山の中みたいだ。
少し視線を巡らすと、山の中にぽっかりと空いた場所があって、そこにいくつかの建物が見えた。ヘリはそこに向かっているみたいだった。
ある建物の屋上に、着地。長いような短いようなフライトは終わりで、いよいよわたしたちは、これからの人生を過ごす家である、病院に辿りついたようだった。
病院が家。我ながらいやな想像。
三人して夕日が照りつける屋上に降り立つと、一人の女性が出迎えてくれた。
「初めまして。新しい患者さんたちね」
三十歳くらいの女のひとだった。ジャージ姿で、さばさばした態度で話しかけてくる。手にクリップボードみたいのを持っていて、視線がわたしたちの顔と順番に往復していた。あそこにわたしたちの顔写真その他が貼ってあったりするんだろう。
「間違いないようね」
確認を終えたらしい女の人は、ボードを下ろすと改めてわたしたちに向き直った。
「私は浅 川 瞳 。これからあなたたちの、寮母兼教師になります。よろしくね」
「あ、よろしくお願いします……」教師?
日羽は礼儀正しく、奈緒はやっぱりおっかなびっくり。三人三様に挨拶するのを待って、先生であるらしい浅川せんせは口を開いた。
「まずはあなたたちの病室に案内するわ。ついて来て」
病院の中は、ちょっとイメージと違っていた。床はフローリングで、壁にはちゃんと壁紙が張ってある。ところどころに花が飾られていたりした。病院というより小洒落たマンション?みたいな雰囲気……なのだけど、においだけは、ここが何であるのかはっきりと主張していた。ちょっと薬くさい。
せんせは階段を二階分下りて、廊下の端にある部屋の前で立ち止まった。
「ここがあなたたちの部屋よ」
部屋の入口の横にはネームプレートが掲げてあって、そこには四人分の名前が書いてあった。
日野日羽
名霧沙凪
穂ノ村奈緒
白河儚
一人だけ、知らない名前があった。しらかわはかな、と読み仮名が振られている。それを横目に、誰だろうなぁと思いつつ、扉開けっ放しの部屋の中に入ろうとしたわたしは、思わず立ち止まってしまった。
ベッドの上にお人形さんが座ってる!
だだっ広い部屋の中、四つあるベッドのひとつに、可愛らしいお人形さんがちんまりと腰を下ろしていた。半分振り返るような体勢で、こちらを見ている。ゆるゆると波打つ長い髪が、ベッドの上に散らばっていた。
そのお人形さんが、あ、と声をあげた。
そして微笑んで、小さく頭を下げるように、こんにちは、と挨拶する。長い髪が揺れて一房、ベッドの縁からはらりと落ちた。
夕日に照らされて、整った顔だちに朱と翳が差す。消えてしまいそうに儚い微笑み、それはまるで、絵みたいな光景だった。
ここまで名が体を表している人もまずいない。ベッドの上に居たのはもちろんお人形さんなんかではなくて、知らないネームプレートの女の子、白河儚だったのだ。
*
四人揃ってまずはじめに浅川せんせがやったのは、わたしたちの右手にバンドを巻きつけることだった。
桃色の、ビニールでできたバンド。生年月日と名前が書いてある。外せない構造になっているみたいで、引っ張っても取れそうになかった。
「こら、取らないの」いきなり怒られた。
「取り違えとかないようにするための、大事なものだからね」
「は、はぁい」
「それじゃ、最初は一通り案内するから、これ、暇なときにでも読んでおいて」
その次にして最後、わたしたちに手渡されたのが「病棟での生活ルール」という冊子。説明らしきものはそれで終わりらしく、浅川せんせはさっさとどこかに行ってしまった。あっさりしすぎ!と思ったけど、延々説明されても退屈そうだしこれはこれでいいかもしれない。条件反射的に冊子をぱらぱらとめくると、一日の生活スケジュールとかお風呂の使い方、図書館とかの病院内の施設についてなんかが書かれていた。
で、当然のように、閉じる。
それよりも、最後の同室者のほうが気になるのだ。
「ね、儚も今日からここなの?」
名前だけの簡単な自己紹介の後、みんなそれぞれ四つあるベッドに腰を落ち着けた辺りで、わたしはそう切り出した。
「うん、わたしも。みんなよりちょっと前に着いたみたい」
「やっぱりヘリ?」
「うん。わたしひとりだったから、ちょっと寂しかったわ」
ちょっとはかなげに苦笑い。手足なんかすごい細くて、なんというか守ってあげたくなるような女の子だった。
「あと一人くらいは乗れたと思うし、儚も一緒に連れて行けばよかったのにね」
日羽が答える。
「多分、儚が来たのと方角が違ったんじゃないかしら」
「あ、なるほどね。わたしは関東だったけど……」
「わたしは九州ね」
ということは、ここはその間にあるということか。そういえば随分長いこと、ヘリに乗ってたもんなぁ。
ところで儚は九州人。その割には……、
「九州のひとって方言ないの?」
「ある、んだけれど……でもわたしの周りには偶然、関東出身の人ばかりいたみたい」
「へぇ……学校でも?」
儚もやっぱり、わたしたちと同じくらいに見える。当然学校に行ってるだろうと思って聞いてみたんだけど、儚の顔がちょっと曇った。すこしだけ困ったような微笑。
「わたし、学校には行ってなかったのよ」
「えっ」
「ずっと入院してて。あ、そんなに重い病気じゃないのよ。でも、もしものときのためって言われて」
慌てたように、言葉を重ねる儚。わたしも慌ててしまう。
「ごめん、いきなりへんなこと聞いちゃって」
「ううん、気にしないで」
てのひらをふりふり。その腕の細さも病気だったと言われると納得してしまう。
「にしても」わたしは話題を変える。「儚ってきれいだよね。お人形さんみたいな」
「……うん」
ずっと黙っていた奈緒が、ちいさな声で、感心したように、同意した。わたしや日羽と会ったときはおどおどしていた奈緒だけど、儚相手にはそんな様子がない。これは儚の出してる雰囲気のせいだと思う。とっても柔らかい雰囲気なのだ。
「ありがとう。でも、みんなも天使さまみたいにきれいよ」
ふふ、と言って花咲くように笑う。本当、絵になる笑顔だ。
「天使さまといえば、儚はどう思った? 天使さまになるって言われて」
日羽はクールで、奈緒は憧れてたって言ってたけど。
「私は、嬉しかったわよ」
ちょっとどきっとした。相変わらず雰囲気は柔らかかったけれど、強いやる気というか、意志を感じるというか、……うまく言えないけど、声にそんな感じの何かが混じったから。それがどういう意味かはわからないけれど、一つ分かったのは、儚も天使さま肯定派だということだ。
そんな雰囲気は、でも、嘘だったみたいに一瞬でどこかに行ってしまった。
儚はふと思い出したように、斜め上を見てこう言った。
「そういえば、現役の天使さまたちってどこにいるのかしら? 何だか人の気配がしないけれど……」
そういえばそうだ。
「お勤めに出てるんじゃないかしら?」
と、日羽。なるほど、お仕事中か。
「お勤めってちゃんとできるか、不安だわ……」
儚が、わたしたちの心中を代弁するようなことを言う。これに対し、日羽が衝撃の推論を述べた。
「さっきの浅川さん、寮母兼教師って言ってたわね。きっとその辺りに関する授業とか、してくれるんじゃないかしら」
先生って、そういうことか!
「病院に来てまで、勉強かぁ……」
我ながら情けない声が出た。でも考えてみれば当たり前だ。天使さまのための訓練とか何もないはずがない、それすなわち勉強、ということだ。
「ふふ。まあ、みんなで助け合っていきましょう」
日羽は余裕の笑み。この人は頭よさそうな感じがする。
「うう。よろしくお願いします……」
因みにわたしは、勉強は苦手だ。げんなり気分をごまかすべく、ばさーと布団に顔をうずめる。きもちいい。異様に肌触りのいい布団だ。家のより全然いい。
家よりいいと言えば、この病室。ベッドに机、クローゼットが四人分、さらに洗面台も大きなのが備え付けられているのに、広さにはまだまだ余裕がある。内装もきれいで、はっきり言って快適だ。
「ここ、快適だよね」
わたしがそう言うと、奈緒ががくがくと激しく頷いた。他の二人もそれぞれに同意。
「でも、病院なのよね」
日羽、さくっといい気分を破壊。わたしは突然怖ろしいことに思い当たった。
「もしや点滴とかありますか?」
「定番ね」
日羽め。すこしは気遣いというものをしてほしい。……奈緒も蒼い顔してるじゃないですか。
「大丈夫よ。慣れれば大したことないし、すぐ慣れるわよ」
儚さんそれフォローになってませんから。
「そうそう。それに点滴なんかの治療よりも、検査のほうがつらいと言うし」
どう考えてもわざとおどかしている。そのにやにや笑いをやめて欲しい。日野日羽はサディスト女だ。
「天使病の検査って、どんなのかしらね……」
そして儚はちょっと天然?
段々付き合い切れなくなってきたので、奈緒に話を振って逃げることにする。
「それ、何が書いてあるの?」
奈緒はぼやっとしていたらしく、わたしの声にびくっとして顔をあげた(多分わたしと同じで病院トークを聞きたくなかったんだろう)。その手元にはさっき浅川せんせが置いていった「病棟の生活ルール」がある。
「えっと……」
奈緒の視線はわたしの顔と手元の冊子を三往復くらいした。
「もうすぐ、ご飯の時間みたい」
そういえばお腹減ったな。
「ご飯てどんな感じなんだろうね」
「病院食だから、やっぱり健康的なのが出そうよね。儚は知ってるかしら?」
儚にあっさりと入院ネタを振れる日羽は、結構ただ者ではない。わたし的には結構触れづらい。
当の本人は全く気にしてないようで、
「そうね。配給食より少しいいものが出ているみたい」
なんてふつうに答えている。
「じゃあ、ちょっと期待していいかな。……配給っておいしくないし」
「全くね。それくらいの役得がないと、割に合わないわ」
あ、奈緒の目が、ちょっと輝いてる。相当期待してそうだ。
「なんだ、ちょうどご飯の話してたのか」
そこに聞き覚えのある声。入口を見ると、浅川せんせが立っていた。
「晩ご飯の時間だよ。食堂に案内するからついてきて」