3章、7
わたしと奈緒は二人で、テレビカメラの前に座った。
大きなカメラ。今からこれに向けて、話さないといけない。
天使さまとして何度もテレビに映り、インタビューも受けてきたけど、今からしようとしてることとはわけが違う。
生中継で、わたしたちは告発する。
日羽がきっかけを作ってくれて、
歌撫さまや他の天使さま、みんなが立ち上がってくれて、
浅川せんせに連れてきてもらって……。
みんなが身を挺してくれたお陰で、わたしたちは今ここに立てている。
テレビ局側の対応もずいぶんと速かった。今まで天使さまに関しては、国営放送《NHK》の独占状態だったせいかもしれない。内容が内 容だし……。
わたしたちの目の前で、着々と、目まぐるしく、準備は整っていく。
不安だ。
うまく言えるのかどうか。
みんながしてくれたことを、ちゃんと活かせるのか。
どうしようもなく背中が震える。緊張で喉が強張る。
羽根が重くて潰れそう。
はぁ……、と、たまらず特大のため息をこぼしたわたしの手が、そっと握られた。
「……奈緒」
奈緒の顔は真っ青だった。きっとわたしと、同じ気持ち。
「沙凪ちゃん」
ちいさくて形のいい唇が、わたしの名を呼ぶ。
わたしは、奈緒の手を握り返した。
確かに不安で、緊張しすぎてお腹痛いけど、
でもわたしは今、ひとりじゃない。
たいせつな友だちが隣にいて、手を握ってくれてる。
初めからずっと、共に居た友だち……。
奈緒がここに居てくれて、良かった。
大丈夫。わたしは頑張れる。
そして準備は整った。
撮影開始の合図が、今――下された。
*
「こんにちは、みなさん……」
まず、心を落ち着けるために、わたしは何でもない挨拶を口にした。
「今日は、みなさんに、わたしたちの……天使さまのことを、話したいと、思います」
カメラから目を外して、奈緒を見た。奈緒もわたしのほうを見た。カメラがなんだか、おそろしかった。
「今日の昼間、わたしの友だち……日羽が、テレビに出ていたのを見てくれたひとも、いると思います」
スタジオはだだっ広く、今は放送内容ゆえに余分なものが何もなく、だから余計に孤独感が煽られる。
「……日羽の言ったことは、本当です」
わたしは奈緒の身体を、ほとんど抱くように寄せながら、言った。
「天使病は、作られた病気。天使病なんていう病気は、本当はないんです」
血に塗れた、自分の左手をカメラの前にかざす。
奈緒も同じように、血に塗れた腕を見せた。
「わたしたちの血は、赤いというより……黒いです。黒雨と、同じです。黒塵がわたしたちのからだの中に入って……そのせいで、わたしたちの血は、黒く染まったんです」
喋りながら、わたしの中に、色々な想いが湧いては消えていく。
初めは、天使病に罹ったなんて、ただの災難だとしか思ってなかった。病気で、入院で、しかも面会謝絶だったから。
でも、ここのみんなに出会えて、天使さまに対するわたしの気持ちは、すこしずつ変わっていった。
着実に進行していく症状、刻々と流れる時間が怖かった。
墓地の大きさに、圧倒されたこともあった。
でも、みんながいたから、やってゆけた。
そして、みんなで羽根が生える痛みに耐えて。わたしたちは一緒に、天使さまになった。
そう、やっと、なれたのに。
みんなで、ずっと幸せなまま、天使さまをやりたかったのに。
そんなことさえ、叶えられずに。
わたしたちは、大切なともだちと、離ればなれになってしまったんだ。
もう、儚には、会えない。
胸元から、ひぅ、とちいさくしゃくりあげる声が聞こえた。
奈緒が、泣いていた。
それを見たわたしも、鼻の奥がつんとなって、喉の奥から詰まるような痛みがこみ上げてきた。
視界がぼやける。
奈緒のからだを、ぎゅっと抱きしめた。
「儚は……真っ黒になって……わたしたちの病室から、運ばれて行って……。
それで、戻って……来なかった……です」
涙が、どんどん溢れる。うまく喋れなくなってくる。
「……返せとか、治せなんて言いません。そんなこと言っても誰も、何も戻って来ないし……でも」
わたしは頑張って涙を止めて、きっとカメラを睨み吸えて。
今、一番言わなければならないことを、一生懸命に喋った。
「でも、これからのことに対しては、何も言わないなんて、できません。だから、はっきりと言います。
もう二度と、新しい天使さまは、生まれないで欲しい。もうわたしたちと同じ、ありもしない病気にされて死んでしまうような子は、生まれないで欲しいんです。
わたしたちの身体をこんな風にした人たちを、わたしたちは、許しません。その人たちのしたことの証拠が、ここにあります」
わたしは、血塗れの腕を突きつける。
左手を、胸に当てて、はっきりと示す。
「わたしたちの身体が――証拠です」
言えた。
ちゃんと言えた、と思う。
わたしはわたしにできることをやれた。
これで、いいよね? 儚……日羽……歌撫さま。
わたしちゃんと、できたよね?
「ね、奈緒……これでいいよね」
わたしは奈緒にだけ聞こえる小声で、そう確認した。
奈緒は泣き腫らして、うさぎみたいに真っ赤になった目でわたしを見ていた。
その瞳は、だけど、何かを訴えるみたいに揺れていた。
「沙凪ちゃん……」
ちいさく、わたしを呼ぶ。何か、言い忘れたことあったのかな……。
――あ、そっか……。
「待ってください」
わたしは撮影を止めようとしたスタッフのひとを制止した。
「まだ、言うこと、あります」
スタッフのひとは頷き、わたしの発言を促した。
そう、まだだいじなことを言ってなかった。
わたしたちは確かに、望まずに病気にさせられた。それは許せない。
だけど……。
「わたしたち、天使さまのお仕事は、大好きです」
袖を掴む奈緒の腕に、ぎゅっと力がこもる。奈緒は少しだけ微笑んで、わたしを見ていた。
それは、わたしの、偽らざる気持ちだった。
初めはぴんと来なかった。
ただ流されるままに天使さまになることにした。
だけど、みんなと一緒に天使さまをやっている内に、わたしの気持ちは変わった。少しずつ、少しずつ変わっていった。
今ならわかる。
断言できる。
わたし、天使さまが好きだ――。
「暗かった表情が、笑顔になるとき。みんなのよろこぶ顔が、わたしは好きです。天使さまになれて、初めて知ったこの喜びを、わたしは手放したくない。この手でできることを、大切にしたい。たとえどんな結果になっても、わたしは、白くてやさしい、天使さまのままでいたいです――」
奈緒と二人、頷き合う。
許せないことがあって、わたしたちはそれを壊そうとした。
だけど、何もかもを壊したいわけじゃない。
守りたいものも、ある。
みんなを強引に巻き込んでおいて、それはちょっとわがままかもしれないけど。
それでもわたしは、やっぱり、天使さまでいたい。