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1章、1

一 天使さまの体は、砂糖菓子でできている


「いまなんて言いました、せんせ?」

「だからな、名霧なきり。お前天使さまになるんだよ」

 菱沼ひしぬませんせはわたしの顔を見ながらそう言った。

 真顔だ。

 何言ってるんだろうこのひとは。

「それってわたしが天使病だってことですか?」

「そうだってここに書いてあるし、医者の先生もそう言ってたぞ」

 せんせは手に持った紙を手の甲でぴしぴしと叩いた。わたしの健康診断結果らしい。

「でもわたし白くないですけど?」

 テレビで見る天使さまは全員真っ白けだけど、わたしは標準的な日本人のものであるところの、黒髪だ。ついでに言うと肌の色もふつう。……少なくとも今朝までは。

「これから白くなるんだろ?」

 そういうことですか。まあ、天使さまといっても、ちょっと普通じゃない病気に罹っちゃった普通のひとだもんね。最初から白いわけじゃない……ってことか。

「いやしかし、名霧が天使さまか……」

 せんせはじろじろとわたしの顔を見た。わたしは居心地が悪くなって顔を背ける。そんな目で見ないで欲しいです。恥ずかしいから(天使さまは美形揃いなので)。

 それにしても、本当にわたしが天使さま? 信じられない。

「ちょっとその紙見せてくださいよ」

 半ばひったくるようにせんせから紙を奪い、わたしは結果を確認した。よく分からない数字の羅列。ええと何処に天使病って書いてあるの?

 ……と思って見ていったら、一番下に書いてあった。

 後天性色素欠乏及び翼状畸形症候群の疑い濃厚。

 そういえば正式名称はそんな感じだったような気がする。

 うぅむ、これは、本当に、まじなのか。

 わたしは天使病で、これから白くなってちいさい羽根が生えて、テレビに出て日々ボランティアやらに明け暮れることになるのか。

 ……なるのか?

「いやぁ、すごいなあ」

 菱沼せんせは何やら感心している。そうじゃなくてですね。

「いやすごくないですって。病気ですよ?」

「でもお前、天使さまだぞ?」

 だぞ?ってそんな何を言ってるんだみたいな顔をされても困ります。

 というか、何かおかしくない? 確か天使病って、死病だったよね……。

「まさか俺の生徒の中から天使さまになるやつが出るとは! すごいなぁ!」わたしが記憶の真偽に悩む間にも、せんせのテンションはうなぎ上りだ。

「だからすごくないですって!」何度も同じことを言わせないで欲しい。

 ていうか、軽っ! 死病の告知という重々しいシーンのはずなのに何だろうこのテンション。おかげで実感がぜんぜん湧いてこない。本当なら元気出せとかそういうことを言うべきところでは?

「なあ、名霧」

「は、はい」

 ふいに菱沼せんせはたたずまいを正し、真面目な声でわたしの名を呼んだ。急だったのでわたしはどきっとした。これはあれか。ようやく教師らしく、死病であることが発覚して傷心の教え子を慰めようという気になったのか。

「天使さまになるお前に、言っておきたいことがあるんだが」

「は、はい」

 真剣な顔で見つめてくるので、ばかみたいに同じことしか言えなくなってしまう。

 緊張するわたしの前で、菱沼せんせはこう言った。

「今のうちにサインくれないか?」「お断りします」

 秒速で断るとわたしは踵を返して職員室を出た。ろくでもないだめ教師だ。緊張して損した。

 扉を閉めて歩いていると、改めて信じられない気持ちがむくむくと湧いてくる。

 本当に天使さま? わたしが?

 手にした紙をもう一度確認する。後天性何たらという長い病名は、やっぱりそこに書いてあった。夢じゃない。

「はぁ」

 何となく溜息が出た。どうなっちゃんだろう、これから。


   *


「沙凪が天使さま!?」

「声大きいって!」

 わたしは慌てて美加子の口を塞いだ。周りを見回す。学校でこの話をする気になれなくて、わたしたちは二人で公園に来ているのだ。何人か、ひとがいる。

 どうやら、誰も聞こえていなかったみたいだ。

「む、ぐ、」

「あ、ごめん」

 苦しそうな声、我に返って手を離す。

「えっと、冗談じゃないよね?」

 冗談だったら良かったのに、と思いつつまたも健康診断結果表を確認してしまうわたし。やっぱり後天性以下略という長い病名はそこにある。

「それ、ぼくにも見せて」

 わたしは黙って結果表を手渡した。今日は「ぼく」の日か……。

 何でも自分のことをぼくと呼ぶ天使さま(女のひとだ)が居るらしく、ときどき美加子の一人称はぼくになる。美加子はミーハーだから気まぐれだ。

「うわ、本当だ……」

 美加子の視線は何度もわたしの顔と結果表の間を往復した。

「へえぇええ、沙凪が天使さまかぁ……」

 美加子はそう言ってにっこり笑うと、わたしの顔をじいっと見つめた。居心地が悪くなる、わたし。なんとなく顔が赤くなっていくのが分かってしまう。そんな目で見ないで欲しい。なるほどなんて呟かないで。

「すごいなぁ……」

 にやにやしながらしみじみと言う。圧力を感じてわたしはすこし、のけぞった。

「すごくないって! わたしは何もしてないし」

「でも、天使さまだよ? 純白の、穢れ無き、純粋無垢の象徴たる天使さま……。その浄潔の御手はすべてを癒し、あまねく救い給うのよ!」

 なんだジョウケツのミテって。

「天使さまかぁ……うふふ」

 夢見る少女、湯葉美加子の背後には少女漫画みたいな花々が乱れ咲いていた。目が遠いです……。

「ねえ沙凪」

「な、なに?」

 美加子はとつぜんわたしの名前を呼ぶと、腕をがっしと掴んだ。

「天使さまの体は、砂糖菓子でできています」

「は?」意味がわからない。

「だから甘いんです!」

 美加子が壊れた!

「だからね、沙凪」

 じりじりと、美加子の顔が近付いてくる。離れたいのに腕をしっかりと掴まれていて、それもできない。

 そしてとんでもないことを言い出した。

「食べさせて?」

「え……」

「だから、食べさせて?」

 にこーりと笑いながらおかしなことを言わないで欲しい。

「冗談だよね?」

「何が?」この人まじです?

「天使さまのお体を食べると長生きできて幸福に満ちた人生が送れるんです!」

 天使さまって病人なんだけど! 長生きどころか早死にするんじゃ?

「ね、いいでしょ?」

 よ、よくないです。

「せめてなめさせて?」

 美加子の顔はもう目の前だ。

「健康に悪いってば!」

「いいじゃない。ぼくに幸せをください!」

 そう言ってがーっと襲い掛かってくる美加子。わたしは思わず目を閉じた。

 と、ぱっと腕を掴まれる感触が消えた。

 おそるおそる目を開けると、美加子は離れて笑っていた。

「なんてね、冗談」

 さっきまでとは少し違う微笑み。ちょっと寂しそうだった。

「ちょっとふざけてみただけ。最後に」

 最後。

 ああ、

 そうなんだ。

 天使病の患者は専用の病棟に入って、そこで残りの一生を過ごす。

 つまり入院で、すなわちお別れなのだ。

「沙凪、天使さまになっても、ぼくのこと忘れないでね?」

「美加子」

 わたしはうんうん頷いた。切ない気分がどんどん心を満たしていく。

「忘れないよ。ぜったい」

「お見舞い行くから」

「うん」

「病院の場所とかってもう分かるの?」

「ううん、まだ分からない。分かったら教えるよ」

「いつから入院?」

「それもまだ、分からないんだ」

「そっか……」

 そこで言葉が途切れた。

 二人して、しばらく黙る。

「まっ」わたしは何だか泣きそうだったので、努力して明るい声を出した。「もう二度と会えないってわけじゃないと思うし、そんな大したことじゃないでしょっ」

「うん」

「わたしがテレビに出たら、あの天使さまわたしの友達なんだよすごいでしょって言えるよ」

「うん」

「まあやっぱり、ちょっとは、いやかなり寂しい、けどね……」

「うん……」

 だめだ。失敗した。

 だって、美加子のせいだ。美加子の目と鼻頭がどんどん赤くなっていくのが悪いのだ。そんな顔されて笑っていられるほどわたしは鈍くない。

「うぅー、沙凪ぃ……」

 そんなぐずぐずした声でわたしの名前を呼ぶなよぉ。

 あぁ、だめだ。涙が出てきた。目から溢れてぽたぽた落ちた。

「あ」

 それを見た美加子が声を上げた。

「ん?」

 泣きながら微笑むという、かなり切なくなる表情で。

 でも。

「涙、なめてもいい?って痛ぁっ!」

 わたしは美加子の頭のきれいな分け目にチョップしてやった。雰囲気ぶち壊しだ!

 両手で頭を押さえて、美加子は苦笑い。涙目なのはチョップのせいもあるかもしれない……(分け目チョップは素肌に直接ヒットするので、いたい)。

「まあ、湿っぽいよりはね。やっぱり笑ってお別れしたいじゃない」

 それはそうだけど。何か、釈然としないなぁ。

「入院するまでまだ少しはあるでしょ? その間にたくさん、楽しいことしようね」

 それについては、異論なし。

 わたしは、はっきりと頷いた。

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