2章、8
天使さまになったら、その次に待ち受けているのは何かというと、お仕事だ。
というわけで、今日はわたしたち新天使さま(自分のことなのに「さま」をつけるのもどうかと思うけど)の初陣。とある児童養護施設を訪問し、子どもたちのお相手をするということだ。
新天使さまの初仕事ということで、テレビの取材なんかも来るって話。ただでさえ緊張してるのに、正直ちょっと勘弁してください……という感じだ。といってもどうしようもないんだけれど。
さて、どうやって移動するかというと、基本はヘリである。
わたしたちが初めて天使病棟に来たときに乗ってきたヘリ。あれがまさしく、天使さまの移動のために使われている――すなわち、空を飛ぶための天使の翼(ただし鋼鉄製)というわけだ。
ヘリ内部は、狭い。パイロット席を除けば、わたしたち四人プラス一人でもう一杯だった。
「うぅー緊張しますよせんせー」
「天使は度胸だよ、名霧」
「慈愛じゃないんですか?」
「慈愛と度胸」
「要求厳しくないですか?」
「そんなことないわよ、みんなできてるんだし。実戦で勘を掴みなさい」
なんだかこのひと、とつぜん放任主義になったな。
ちなみにヘリ内部での会話だ。パイロットは、何を隠そう、浅川瞳先生その人である。パイロットまでこなすとは、この人一体何者だ。
「かっ、歌撫さまも最初はこんな気持ちだったんですか?」
ただ一人の「わたしたち四人以外」である歌撫さまは、流石に慣れきった様子で、というより座席にだらーと座って……ずり落ちそう……リラックスし過ぎだこのひと。
「え? うん」なんか眠そうだし……。「大丈夫、すぐ慣れるよ。それより何事も初めては特別、貴重なオンリーワンだから大事にしないと、だめだよ」
ふわああああああとか大あくびしながらそんなこと言われても。
にしても、会話ができてるわたしはまだ良いほうかもしれない。奈緒に至っては顔色がちょっと悪いくらいだし……。
「奈緒、大丈夫……?」
「う、うん」
「緊張するよね」
「う、うん」
「でも奈緒は子どもの扱いは慣れてるから平気かな?」
「う、うん」
「……やっぱり、だめ?」
「う、うん」
「……」テンパってる……。
「……儚、何やってるの?」
このひとはさっきから、ヘリ内部にぶらさがってる医療器具っぽいのをいじっては戻しを繰り返している。
「ええ、ちょっと落ち着かなくて……」
「そうだよね」
「この医療器具みたいなのって役に立たないのかしら……」
いえ、緊張をほぐす役には立たないと思いますよ……。
「精神安定剤とか、ないのかしら……」
薬に頼ろうとしだした!
「日羽、何とか言ってやってよ」
さっきから一言も発さず、窓からぼーっと外を眺めている日野日羽に助けを求める。
「……本を持ってくれば良かったわ」
聞いてないし。
「あー、大混乱だね。ぼくらのときも似たようなものだったな」
そんなわたしたちの様子を面白がるように、にやにや笑いの歌撫さまが口を出してきた。ただ、目は、どこか遠くを見るように……懐かしげに、細められている。
「歌撫さまのときはどうしたんですか?」
「ん? 案ずるより、産むが易し」
「この状況じゃ何の役にも立ちませんよそれ」
「じゃあ、塞翁が馬」
「わたしは安定志向です」
「窮鼠猫を噛む」
「あなたを噛みますよ」
「ぼくは沙凪くんになら、噛まれてもいいよ……?」
「ひい」不気味にくねくねしながら近寄らないでください!
「ふふん」
なぜか勝ち誇った笑みを浮かべると、歌撫さまは黙ってしまった。誰も助けてくれない。
ヘリは、一旦どこかの学校の校庭らしきところに着陸した。目的地には停まるだけのスペースがないらしい。そこからはマイクロバスで移動。そのバスも真っ白だったけど、偶然なのかどうかは分からない。
目的地に着くとすでに子どもたちは準備万端スタンバイオッケーだったようで。
「天使さまだ――――――――――――――!!」
今まさにバスから降りようとしていた奈緒が、驚いてずり落ちそうになるくらい凄まじい音圧のお出迎え。子どもたちの怒涛が押し寄せ一瞬で包囲。手を掴まれて引きずり込まれた。
「ねーねー天使さまー」「はねさわっていーい?」「まっしろだ!」「きれー」
ええともっと穏やかで和やかなお遊び風景を想像してたんですけどっ! とんでもなくパワー溢れる子どもたちだ。これって普通? わたしたちが天使さまだから? ていうか段取りとかないのっ?
てっ、天使さまは慈愛と度胸! 気合を入れて子どもたちの話を聞き微笑み返し手を握って頭を撫でる。入れ代わり立ち代わり現れる大勢の子どもたち。ここは戦場かっ!?
ちらと周りを見れば、儚と奈緒はさっきまでの慌てぶりが嘘みたいに落ち着いた様子で、子どもたちの相手をしている、というか彼女たちのところにいる子どもたちは、どうしてあんなに静かなんですか?
冷静な女、日野日羽は今日も慌てず騒がず、柔和な微笑みを浮かべて子どもたちに抱きつかれたりしてる。
歌撫さまは流石に慣れたもので、一瞬前まであんなに眠そうだったのにもうめちゃくちゃしゃっきりしてる。主に男の子の相手をしてるみたいだけど、それは子どもたちが歌撫さまの少年みたいな雰囲気に敏感なのか、何なのか。
って、困ってそうなのわたしだけか。
うわっあれってテレビカメラ? 初めて見た。でかいなぁ。というかわたしたちテレビに映ってるのか。そうだよねそう言ってたもんね……。
「うわぁこのはねあったかい……」
二人くらいの女の子がさわさわとわたしの羽根を撫でている。ちょっとくすぐったい。
「ね、なんで天使さまにははねがはえてるの?」
「なんでかみの毛、しろいの?」
純粋な瞳をきらきらさせて、無邪気な質問をしてくれる子どもたち。
ええと病気だからです。
なんて言えるわけない。
「え、えーとね……」
何かいい答えはないかと脳内検索。
……。
「天使さまの体はね、お砂糖でできてるの。だから白いんだよ」
子どもたちはお口半開きで、わたしの言葉を聞いている。
「……ちなみに、黒蜜入り」
何も言わない子どもたち。
外したかなぁ……ていうかわたしは何を。
「……うわぁ……」
子どもたちの一人がちいさく声をあげる。そっちを見る。
一人の女の子がいて、
……めちゃくちゃ目が輝いていた。
「すごーい、天使さまのからだってお砂糖でできてるんだ!」
予想外の大ヒット!?
「うわあー」
「あまいの?」
「たべてもいい?」
子どもたちがものすごい勢いで迫ってきた。ぺたぺたと。ぺたぺたと。ぺたぺたと。
だ、だれだっわたしの羽根を引っ張ってるのは!
ああ、でっかい声でわたしの言ったことを言いふらさないでっ。恥ずかしいぃ。
子どもたちの波に飲まれて、わたしは意識が遠のくような気分を味わった。
薄れゆく意識の中で思う、
わが無二の親友湯葉美加子め、おかしなことをわたしに吹き込んだ恨み、晴らさでおくべきか、と。
で、ようやく子どもたちから解放されたわたしたち新天使さま四人は、まとめてインタビューを受けることになった。わたし以外は涼しい顔をしているのが、どうも納得いかない。
「さて、今日から新しく四人の天使さまが加わりました! 一人ずつインタビューしていきたいと思います」
どこかで見たようなレポーターの女の人が、無闇に明るい声でそう言った。まずは名前を聞かれたので普通に答える。
「今日は初めてのお仕事なんですよね。どうでした?」
と聞かれてマイクを向けられたので、わたしは正直なところを述べた。
「つ、疲れましたぁ……」
するとレポーターの人は一瞬きょとんとした後、大笑いした。何か変なこと言ったかな?
「ずいぶん人間味のある天使さまですね!」いや人間ですから。
その後順々に皆の今日の感想が述べられるにつき、わたしの言ったことがどうやら標準外らしいことが分かってきた。
奈緒曰く。
「わたしは、ずっと天使さまになれたらいいなって思ってましたから……今日初めて天使さまとしてお仕事ができて、とても、何ていうか……感動してます」
日羽曰く。
「尊い仕事だと思っています。これからも皆さんのお役に立てるよう頑張りたいと思います」
儚曰く。
「私にもできることがあるんだなっていう実感が持てました。生き甲斐……ですね」
みんな立派すぎ。これじゃわたしの立場は壊滅的だ。
後に日羽にそんなことを言ったところ、
「あんなもの、適当に良いこと言っておけばいいのよ」
というクールな答えが返ってきた。奈緒や儚はかなりの部分本音だったんだろうけど、彼女はじつにドライである。
「病気の体を押して私たちのために社会貢献してくださっている天使さま。彼女たちの献身に深く感謝しつつ、彼女たちが少しでも長く生きられるよう祈りましょう!」
そんなふうにインタビューは締め括られた。天使さまになる前にニュースの中で散々聞いた言葉だ。この点については、天使さまになろうがわたしの感想は変わっていない。
盛り上がり過ぎじゃないかなぁ。
対外的にはともかく、実際はどうだったの? という話になる。
「やっぱりちょっと、気持ちが変わったっていうことはある、かな……」
奈緒はベッドにちょこんと腰かけ、足をぷらぷらさせながらそう言った。体はちいさいままでも、なんだか貫禄が出てきたような気がする。
「前はレポーターの人の言ってること、へんだなとは思わなかったけど。ううん、何というか……」
儚がちょっとだけ苦笑いしつつ、その先を継いだ。
「ちょっと、大げさな感じはするわよね」
「そ、そうだね。そんな感じ」
「天使と人間は別のもの……っていう印象よね」
日羽が淡々と言う。
「ま、確かに大げさだけど、あれが天使の存在意義でもあるわけだからねえ」
初仕事を終えたわたしたちに、歌撫さまは、そんなことを言う。
「あの盛り上がりがあるからこそ、ぼくたちの仕事の重要性が増してるのさ」
天使さまは人気者、みんなの心の拠り所、か。
「そうですね」儚は相変わらず柔らかい雰囲気だけど、目付きには強い意志を感じる。
「もっとがんばらなくちゃ」
奈緒がうんうんと頷いた。
「それにしても、子どもたちと話せたのは良かったわ。すごく喜んでくれていたみたいだもの」
「そうだね」奈緒もとても嬉しそうな微笑になる。「かわいかったなぁ」
「悪いものじゃ、なかったわね」日羽までそんなことを言う。
「わたしは疲れた……」
「沙凪ちゃん、大人気だったね」
「子どもたちも、人見てるんじゃないかしらね」
日羽のへんな笑顔が気になるけど、うぅむ。子どもたちも侮れない。
「ちょっと…………珍しいタイプの天使さまっていう感じはするわね」
儚が興味深そうな目でわたしを見ている。妙な間があったけど何言おうとしたのやら。
「ああ、インタビュー見たよ。面白かったね、あれは」
歌撫さま、からかわないでください。
「みんな立派なこと言ってたね。ずるい」
「ずるい、というか……」
ジト目のわたしを見てちょっと申し訳なくなったのか、困ったような表情の儚。
「何だかカメラ向けられると、あんな感じのこと言わなきゃいけないような気がして」
「う、うん……」
奈緒が同意。そんなものかな。
「いいんじゃないかしら。歯に衣着せないのが沙凪の魅力でもあるのよ」
そうかな?
「そうそう」歌撫さまには言われたくないです。
ともかく、……「でもある」ってのが気になるけど、褒められているんだと思っておこう。
「沙凪は、どうだったの?」
儚がどこか遠慮がちにそう聞いてきた。あぁ、そう言えば疲れたとしか言ってなかったなぁ。
「うん、子どもたちは可愛かったね。いつもどうなのか知らないけど、すごく元気だったし」
わたしはあのときの子どもたちの様子を思い出しつつ、
「笑顔が見れるお仕事って、貴重だなぁと思った」
それは本心だった。儚の言った「天使病に罹った幸運」という言葉の意味が、ほんの少しだけ、理解できたような気がする。
「わたしが笑顔を、ねぇ……」
ぼそっと呟いただけだったんだけれど、皆に聞こえていたようだ。
顔を上げると、みんな優しげに微笑んでいた。
恥ずかしかったけど、不快じゃない。
このとき確かにわたしは、天使さまのお仕事を、すてきなものだと思えていたから。
*
そうして天使さまとしての生活が始まって、わたしたちは、いろんなところでお仕事をしていった
身寄りのない子どもたちやお年寄り、障害者のひとたちと語らったり。
街角の美観のために、ゴミ拾いをしたり、緑を植えたり。
人形劇のチャリティ公演のため、お人形をせっせと作ったり。
あるいは、単にわたしたちを写すためだけの取材に答えたり。
楽なことばっかりじゃなかったけど、みんなで手を取り合って、わたしたちは頑張った。
わたし自身としては、ひとつお仕事をするごとに、こころが一歩天使さまに近付くような感じを覚えていた。
それは意外なくらい、気持ちのいい感覚で。
緩やかに穏やかに、そのすてきな時間は過ぎていった。
ずっとそんな生活が続けばいいなと、どこかでわたしは思っていた。
だけど、そんなわけはなくて。
髪の毛が抜け落ちるように、伸びた爪が切られるように、ごく自然な結論として、永遠なんか、どこにも無いのだ。
時間が止まって欲しいだなんて、そんなわがままは、通らない。
そう、わたしたちは天使さま。
不治の病の、犠牲者なのだ。