表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/21

2章、7

 そして順調に、わたしたちの症状安定化宣言がなされ。

「みんな、今までお疲れ様。これで全課程修了よ」

 点滴スタンドの消えた教室に、浅川せんせの声がこだまして。

 ついに、わたしたちが天使さまになる準備が、整ったというわけだ。

「あなたたちは、立派な天使さまになれると思う。自信を持って外に出て行きなさい」

 せんせが力強い笑みで激励してくれる。こういうときには定番の台詞なんだけれど、やっぱり定番になるにはそれなりの理由があるんだなと思った。

 何とかなるような気持ちに、少しだけなれた気がしたから。

 ……言う人や状況によっても、変わるものかもしれないけど。

「まあ、まだ最後のしめがあるから。それとも最初のしめと言うべきかしら?」

「宣誓の儀式……ですよね」という儚の言葉に、頷くせんせ。

 歌撫さまが言っていた、宣誓の儀式。要するに、天使さまの入学式(学じゃないと思うけど)のようなものなんだろう。詳細不明。特に予行演習なんかはないらしい。

「そう。それを以ってあなたたちは正式に天使になり、外へ出て社会貢献するようになる」

 場の雰囲気がぴしっと張り詰めたような気がした。

「明後日やるわよ。楽しみにね」



 その日の晩から次の日一日は、その話題で持ちきりだ。

「結局何するんだろうねえ、宣誓の儀式って」

「予行演習がないことだし、そう複雑なことはしないんでしょうね」

 日羽はいつも通り、落ち着いている。

「でっ、でも、き、緊張するなぁ……」

 対して、どう見ても緊張しすぎな奈緒。いや、気持ちは分かるんだけど、前の日からそんなになっちゃって大丈夫なんだろうか。

「私たちの記念すべき第一歩ね」

 そう言って笑う儚は、適度な緊張感を持っているかんじ。

 儚自身は楽しそうだったけど、それを聞いた奈緒は更にがちがちになってしまった。記念すべき、という辺りが緊張を催す、のかなぁ。

「みんな無事に天使さまになれて、良かったわよね」

「うん……」

 儚と奈緒は和やかに話しているが、わたしと、あとたぶん日羽にも、何か違った意味に聞こえてしまった。

 確かに無事は、無事なんだけれど。



 儀式前日の夜は、何だか寝付けなかった。わたしがベッドを抜け出してベランダで一人、ぼぅっと真っ黒な夜空を眺めていると、誰かが隣にやってきた。

「眠れない?」

 儚だった。

「何だか、ね」

 外は寒いので、頭を冷やすにはちょうど良かったのだ。

「日羽と奈緒は?」

「奈緒は緊張しすぎじゃないかしら? 疲れて眠っちゃったみたい」

 ふふ、と優しく笑う。

「日羽は逆に、緊張とは無縁かしらね。いつも通りという感じ」

「そうだねえ……」ここに来ていきなり緊張されたら、違う意味で心配してしまう。

「ようやく、天使さまになるのよね、私たち」

「うん」

「待ち遠しかったな……」 

 わたしはおや、と思った。ちょっとニュアンスが、いつもと違うように思えたのだ。なんだかもっと前、天使病に罹る前から、ずっとそう思っていた、みたいな。

「うん。……私、ずっと『何か』になりたいなって、思ってたの」

 何かに、なりたい。

 何となく、分かるような気がした。それはたぶん、何のために生きるのか、とかそういうことなんだろう。

「前にも言ったと思うんだけれど、私、ずっと入院してたの」

「うん」

 重い症状ではなかったけれど、病院から離れられるわけでもなかった、という話。

「ただ単に入院してるだけって、ほんとうに退屈なのよ」寂しげに笑う。「ここは違ったけれどね。授業とかがあって、それが未来に繋がっていると思えたから」

 わたしは小さく、本当に小さく溜息をついた。儚は、気付かなかったと思う。

 未来に繋がっている、という言葉。どうなんだろう。

 天使さまたちの墓地セメタリを思い出す。わたしたちの、未来の姿。

「あの頃の私は、何のために生きているんだろう、って思ってた。他の子たちは学校に行って授業を受けている。その先で社会に出て、誰かのために、働く。でも病院で何もせず、ただ治療だけ受けている私は」

 儚の声が、少しずつ硬くなってきたような気がする。

「私はただ、他のひとに迷惑をかけて生きているだけなんじゃないか、って、そう思ってた」

「儚」

 その様子があまりに寂しそうなので、思わず名を呼んだわたしに、儚はごめんねと笑って続けた。

「だから天使病だって言われたときは、嬉しかったわ。天使さまになれる、そうすればみんなのために生きていける。ずっと何の役にも立たなかった私に、居場所ができる」

 居場所。でも、それは……。

「天使病は」

 きゅうに背後から声が聞こえて、わたしたちはびっくりして振り返った。

 日羽がいた。

「日羽……起きてたんだ」

 おどかさないでよ、と続けようとしたわたしは、しかし、その声を飲み込んだ。

 日羽はずいぶん怖い顔で、儚を見詰めていた。

「天使病は、ただの病気。だから天使になるのは、自分の力で切り開いたわけじゃない、ただの結果論」

 まるで責めるような硬い声で、日羽は囁く。

「儚は、そんな風にして得られた居場所でも、構わないというの?」

 止めるべきか、と思った。日羽が何故そんなことを聞くのか、わたしには分かる。分かるけれど、これは、儚には余りにもつらい問いかけのはずだ。

 そんな、わたしの想いに反して。

 儚は、ふわりと笑って、それに答えた。

「偶然でも、構わないわ」

 きっぱりとした声だった。

「要するに、私が誰かのために何かをできる、という事実があればいいの。私にとっては、天使病に罹ったというのは、幸運なことだったの。私はその幸運を、めいっぱい活かすつもりよ」

 わたしは儚の言葉に、愕然とした。

 天使病に罹ったという、幸運……。

 ……何てことを言うんだろう。

「……そう」

 日羽の顔は、相変わらず険しかった。だけど声からは、厳しさが抜けている。肯定でもない、納得でもない、それはまるで、諦めみたいな声音だった。

「儚の気持ちは、分かったわ……あなたは、強いのね」

「……ありがとう。日羽」

 日羽は背を向けた。なんだかその背が、ちいさくみえた。

「邪魔したわ。明日、儀式でみっともない姿をさらさないようにしなきゃね」

 日羽はおやすみ、といって病室に戻っていった。

「私たちも、そろそろ寝なきゃ」

「あ、うん」

 儚は長い髪、細い手足を軽やかに揺らして、日羽に続き病室に戻って行った。

 わたしは少しだけその場に止まって、真っ暗な空を一瞥した。

「……原因はどうあれ、か」

 儚はすごいな、と思った。彼女は見つけたのだ、自分なりの答えを。迷いない眼で自分と、自分の行く先を見詰めている。

 うらやましいなぁと思う。わたしにもいつか、自分の答えを見つけられるだろうか。


   *


 宣誓の儀式。

 出席者はわたしたちと、浅川せんせと、現役天使さまたち。

 会場は墓地セメタリ、の中。巨大な石の十字架の中にある、教会のような雰囲気の小部屋だった。墓地に扉があるのは知ってたけど、施錠されてたから入ったことはなかった。

 中央に通路、両脇に十列ほどの長椅子が並んでいる。いちばん奥は壇になっており、壁のくぼみには、純白の天使像が収められていた。

 室内の灯りは蝋燭の炎だけで、薄暗いけれどとても厳粛、かつ幻想的な雰囲気になっている。お香が焚かれているらしく、不思議な香りが満ちていた。

 わたしたち四人は、最後列にちょこんと座っている。前のほうには現役天使さまたちの列。一番前に歌撫さまがいるのが見えた。そして壇には普段のジャージっぽい姿ではなく、黒を基調とした礼服に身を包んだ、浅川せんせの姿があった。

 喋るひとは、誰もいなかった。

 静謐な空気が、揺らめく炎に照らされている。


「――では、今期の誓約の儀式を始めます」


 浅川せんせが静かにそう告げると、ざ、と前列の天使さまたちが一斉に立ち上がった。わたしたちも慌てて立ち上がる。そうする間に天使さまたちは皆、中央の通路のほうに向き直っていた。

「白河儚」

「……はい」

 まず初めに名を呼ばれた儚が、ゆっくりと天使さまたちの間を通って、壇に向かう。天使さまたちの視線はさまざまだったけど、だいたいは優しげな表情で、歩む儚を眺めていた。

 儚がシスターのような雰囲気を纏った浅川せんせの前まで辿り着く。

 せんせは、誓句を詠み始めた。


 白河儚よ。

 汝は常に誇り高く、

 また尽きることなき慈愛を以って、

 この黒き濁世に於いて

 浄潔の御手と無垢なる翼持つ

 白き癒し手となり

 儚き命を全うすることを誓うか?


 いつか、どこかで聞いた――いや、見た言葉。

 それは天使さまたちの墓碑銘と対になった、誓いの言葉だった。

 わずかだけど長い沈黙の後、

「――誓います」

 と、儚は静かに、力強く、応えた。

 浅川せんせはそれに頷きで返答すると、

「では、頭を下げて」

 と言った。

 儚が言われた通りに、少し頭を下げると、せんせ自身の手によって、そこに白い花で作られた冠が載せられた。白い花の、天使の輪だ。

「これであなたは正式に、天使として認められました。今の気持ちを忘れず、尽くしなさい」

「……はい」

 儚はこちらに背を向けているので表情は分からなかったが、想像はできた。声が少し、震えていたから。

 今、また一人新しく、純白の天使さまが誕生したのだ。

 果たして戻ってきた儚は、目を赤くしながらも薄く微笑んでいた。わたしは自分の番がまだだというのに、もらい泣きしそうになってしまった。


「名霧沙凪」


「は、はいっ」

 わたしは反射的に答えると、慌ててせんせの元へ向かった。天使さまたちの間を通るときはものすごく緊張した。壇の直前で歌撫さまが笑いながら「もうちょっと落ち着きなよ」、壇に辿り着くとせんせがやっぱり少し苦笑いで「大丈夫よ、リラックスして」と小声で言ってくれた。そうして儚のときと同じ誓句を詠み上げた。

 わたしはできるだけの気持ちを込めて、

「誓います」

 と言い、言われるがままに頭を下げ、花の冠を載せてもらった。

 緊張で頭が真っ白になってしまった。顔が赤くなっているのがはっきり分かってしまい、そのせいで更に恥ずかしくなる。悪循環。

 ほうほうの態で元の場所に戻ったわたしは、すぐに椅子に座りたくなったけど、みんなが立っているのに一人だけ座るわけにもいかない。

「立派だったわよ」

 と、一足先にやることを済ませて余裕の儚から声をかけてもらい、ようやく落ち着いた。あぁ、終わったんだなぁ。

 わたしが後遺症に四苦八苦している間に、日羽は立派に役目を終えた。日野日羽はソツのない女だ。

 そして最後に、奈緒が呼ばれる。

 彼女はゆっくりと、本当にゆっくりと壇に歩み寄った。

 そして問われる。誓うか? ――と。

 少しの間があった。

 後ろから見る奈緒の顔は、しっかりと、前を向いている。

「誓います」

 清冽な鈴の音のような、凛と響く誓約だった。あの奈緒が。ずっとおどおどしていた奈緒が、誰よりも立派に、誓いを約している。

 最初はおどおどしてて、頼りなさそうな子だなと思っていた。

 だけどいちばん天使さまに憧れていたのは、奈緒だった。

 そしていちばん努力していたのも、奈緒だった。

 天使さまをやるということに対して、わたしたちの中でいちばん真摯に向き合っていたのは、このちいさな女の子、穂ノ村奈緒だったと思う。

 白い冠を載せられた奈緒が、こちらを向いた。

 真っ直ぐな目。

 そこには確かに、一人の立派な、天使さまの姿があった。


 そして厳かに告げられる、儀式の終わり。

 わたしたち四人は、こうして、天使さまになった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ネット小説ランキング>現代FTシリアス部門>「夕空の下の、天使さま。」に投票 ネット小説の人気投票です。投票していただけると励みになります。(月1回)
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ