はじめてのぼうけん
アリーから山脈の向こう側まで繋がっている坑道は広い。
「とは、聞いていましたけど……すごいですね」
「まぁねぇ。元々はちゃんと鉱石を取ってた道だけど、当然そのまま出続けるわけはないし。それで見境なく広げた結果」
「こうなった、と」
最初に驚きの声を上げたアデリーは言葉を失い、ミストの解説を聞いた楓は呆れたような顔を隠さない。グインは最初から驚いたままだ。
「そ。脇道もたくさんあるけど、まぁ大体の人間はこの大通りを行くからね。人の気配もあるし迷うことはないんじゃないかな」
アリーから山脈の向こう側まで繋がっている坑道は広い。それはどうしても生じる空気の澱みや陽光が無いことを除けば、下手な街道よりも通りやすいほどには広く整備されているのだ。街中ほどではないにせよ見回せばかならず他の旅人がいることが、便利でそれなりに安全という証明でもある。
小ぶりな馬車ならばすれ違えるほどの幅とおよそ三階建ての建物が入るほどの高さの坑道、それをわーわーと見て回るグインとアデリーをのんびり追いながら、ミストは言葉を続けた。
「まぁ俺としては、わざわざ雑草すら生えづらい山越えをするよりはいいよ。脇道にしたって、ちゃんと位置と分岐を確認しながら行けば入り込んでも遭難することはないし」
「一体いつの間に調べたのよ……」
「俺ってばできるオトナだから、地図もバッチリ書き写しといたYO!」
楓は目を眇める。これまでに集めた情報によると、この坑道は基本的に長いだけで迷うことはないらしい。大人の足で平均五日の道のりには街道と同じく所々の休憩場が設けられており、暗闇の中へ放り出されることはない。
しかしここはあくまでも『元鉱山』なのだ。単純な本道とは逆に、そこかしこにある脇道の先はガラリと印象を違える。複雑さは折り紙つき、残されている資料は暗号のようなよく分からないメモだけという鬼畜仕様により、脇道の正確な地図は未だに存在しないという。しかも残っている資料すら防犯の問題を考慮しているゆえに誰もが閲覧できるわけでもない。複製などは当然、閲覧よりも面倒な条件と許可が要る。
(それを持っている、と?)
アリーでの情報収集において、いまいち頼りないグインの世話をアデリーに任せて楓はミストと行動していた。つまり本当ならば彼女とミストの持つ情報量は同じはずなのだ。そして少なくとも単なる旅人でしかない楓は鉱山の資料閲覧を断られていた。
わずかに浮いた疑念に気づいたのか、しかしあくまでもミストは軽い空気で片目を瞑って見せる。
「土地の情報、知ってて損はしないでしょ。まぁ、その地図は薬草の下敷きになってるけど」
「……そう」
それは本気か冗談か。臨時で組んでいるだけの相手、その荷物の中身など知る術がない楓は相づちを返すことしかできない。彼女の曖昧な態度へミストはやはり楽しげに笑った。
「不安そうだねぇ、楓ちゃん。確かにこの鉱山の地図じゃ信用することはできないかもしれないけど、いざって時のメモ用紙くらいにはなるって!」
「そのメモ用紙にもなる地図は今、薬草の下敷きになってるそうだけれどね」
諦めたように肩を竦めた楓ではあるが、顔には出さないまま気持ちを引き締める。
(信用できないのは、地図より目の前にいる得体の知れない男よ)
目の前の男はさも簡単そうに言っていたが、どのような些細な情報であっても素人ではそれほど集められないのだ。機密事項とも言える情報を知っていることから、楓は目の前でケラケラと笑う軽薄な男が存外油断ならないと肝に銘じた。
初日こそ平和のうちに休憩所へたどり着けたが、二日目以降からはそうも行かなくなっていた。正確にはどうにでもしようがあるはずが、どうにもならない状況へと転がり落ちて行ったのだ。
「う、わぁぁぁ、なんか体当たり……痛い痛い、ちょっ、噛まれた!?」
「大丈夫ですか!? すぐに治療を」
「黙りなさい! 洞窟蝙蝠は毒なんて持ってないわ!」
気合さえあれば少々力のある子供ですら撃退できる程度でしかない洞窟蝙蝠から逃げ惑い、果ては多少噛まれただけで泣き言をあげてさらに逃げ惑うグイン。その泣き言を信じて混乱しているアデリーは旅慣れていないことが前面に押し出されている。
「動かないでじっとしてなさい!」
指をさして爆笑しているミストがグインを助ける様子はない。痺れを切らした楓がその長杖を振り回したことがあるかと思えば。
「待ってろグイン! 補助をかけてやる!」
「ありがとうござ……あぁぁっ、早いぃぃぃ止まらないぃぃぃぃ!!」
「何してるのミスト! グインに加速なんかさせて何の意味が」
「ごめーん☆ 間違えちゃったー☆」
「ウザい!」
『同業者だ』との自己紹介どおりアデリーと同じく医療師だったらしいミストが、ただでさえ足の速いグインにわざわざ加速の補助魔法をかけて結果的に邪魔をし。
「あーもうイライラする!」
「ちょっと、なんで魔導師が真っ先に最前線にいくんだよ!」
「うるさいわね。これが一番手っ取り早いからに決まってるでしょう」
一度や二度ではない騒動にストレスを溜めた楓が、その身ひとつで暗闇竜に直接殴りかかることもあり。
ちなみに暗黒竜は本場の竜族とは天地の差がある別種族ではあるが、竜の名が示すように力も速さもそれなりにある。その割と危険な獣を、楓はミストやアデリーが補助をかける間も無く魔術抜きで地へ沈めた。
そうかと思えばミストが魔導師たる楓の声を封じ、楓はこれ幸いと敵へ殴りかかり、グインが逃げ、アデリーはオロオロとしている。さらに地面に躓いたグインが楓による水の魔術に流されることや戦闘に慣れていないアデリーの行使した防御壁にミストが頭をぶつけることなど、失敗の枚挙には暇など小指の先もない。
蝙蝠に追いかけられたグインが全力で走った挙句に脇道へ一目散、追いかけた楓とアデリーも現在地がわからず軽く絶望したこともある。通過した枝道の数と方向からミストが本道へ誘導するまでは、さすがに騒がしい面々からも会話が消滅した。
全員が全員ともやりたい放題でチームワークという言葉を知らないかのような大騒ぎに、周囲を通行していた旅人たちがやれやれと力を貸すこともあった。坑道に入る前はあまり自分の職を触れ回りたくない様子だったミストは何が吹っ切れたのか、ここにきて手加減なしに術を——それもほとんど無駄と言える術ばかりを連発している。
——お前、いくら医療師でもアレはないわ。
助けに入ってきた旅人から残念そうな苦笑とともに言われたその言葉を、不満そうなミストの背後で楓やグインが大きな頷きとともに受け取って。
そうして迎えた坑道五日目、もうすぐ出口だという看板をようやく通過した。楓など、この面倒なパーティから解放されると安堵の息を吐いてしまうほどである。
「この先はどうなってるの?」
楓の問いにミストは少しだけ間を置いてから口を開いた。
「えぇと、森に出るね。アリーとは違って街は作られてないんだ」
「そうなの」
「そう」
一応は交通の要となっている坑道の片側だが、アリーとは違い、離れた位置に街を拓いたという。
「珍しいわね。普通なら坑道の出口を囲むように街ができてもおかしくないのに」
「そうなんだけど、鉱山信仰の祭壇が近くにあるからさ」
その近くに街を興す気にはならなかったし、移転も考えていないらしい。ミストがそう言いながら肩をすくめたその時、遠くから細く高い獣の声が聞こえた。それは常々獣と戦っている楓やミストの耳にも悲鳴として届くような、なんとも悲痛な叫びだった。
「何があったのでしょう……」
職業柄ヒト以外を診察することもあるアデリーは不安げに眉を寄せ。獣の声で肩を跳ねあげていたグインがそれをそっと戻しつつ、いつでも走り出せるように——逃げられるように脚に力を込める。楓やミストも言うに及ばず、全員が全員とも、これから来る厄介ごとを予感していた。口数少なく歩き、程なくして坑道から抜けた後も、陽光に当たるその表情が緩むことはない。
「何かが走ってくる、かしら」
「三人——いえ、四人です」
獣の悲鳴が聞こえた方角から、少なくとも二足歩行で走る音が聞こえてくる。音自体は捉えたものの小さすぎるその音では詳細を予想することができない楓に、さらりと答えた声がひとつ。目を見開いた楓だけではなくミストやアデリーまでもが振り返るが、耳に集中しているグインはそれに気づきはしなかった。
「距離は……そろそろ五百メートル」
「おかしいわね。何で整備された道からそれてるのかしら」
「この辺りにはめぼしい薬草類も無いはずなんだけど」
グインが示した方向は、坑道から街まで引かれた道からだいぶ逸れている。彼らは揃って首を傾げた。
「えっと、まっすぐこっちに来てるので、このままだと一分以内には到着ですね」
「一応、少し道から逸れましょうか」
自衛のためにも楓の提案に頷き、四人は街道から外れた木々の中を進む。
「耳いいのね」
「え、あ、はい」
ぽつりと零された楓の感心にグインが照れて頭を掻いた。
「実家が農村でして、お父さんは農業より狩猟中心でしたから。僕も子供の時から無理やり連れて行かれて」
「ちょいまち。お前の育ち方にはすげぇ興味あるんだけどさ、今はちょっと聞いてる余裕ないんじゃない?」
「あ……すみません」
恐縮しているグインの肩をひとつ叩くと、楓はグインが示した方向を見据える。気配は、街道を外れた彼らに向かって着実に近づいていた。相手も四人に気づいているらしい。
今から訪れる何かは確実に厄介ごとを引き起こし、そして躊躇なく楓たちに押し付けるだろう。旅人に助け合いは必要だろうが、最も重要な事柄は『帰還』である。究極的なことを言うならばその体ひとつだけが財産である以上、見知らぬ気配たちもまた何を、誰を犠牲にしても生き延びるだろう。
相手がそのつもりならば、情報を持っていない彼らがそれを避けることはほぼ不可能である。
「——きた」
森の木々の間、茂みの向こう側から姿を現したのは、グインが言っていた通りの四人。男ばかりのパーティは後ろを気にしつつ走り続け、楓たちの脇をすり抜けて行った。その表情に安堵と仄暗い感情が浮かんでいたことは確かだった。
「マジか」
しかしそれを気にしている場合ではない。四人の男たちを追って茂みから突っ込んできたのは、平均よりわずかに長身のミストよりも頭三つは大きく、高さに見合うほどがっちりした茶色の体毛を持つ猛獣だったのだ。
森熊と呼ばれるその種族は見上げるほどの巨体とは裏腹に穏やかな気質を持つ。男たちが何かに追われていることは確かでも、この付近の情報を知っているミストですら森熊以外の獣だと思っていた。だからこそ森熊であると認識した途端に体は動きを止め、新たな標的へ向けて振り下ろした森熊の爪を楓がギリギリで防ぐまで呆然としてしまった。
「ぐ……っ」
「ヒール!」
魔術の爆風を利用して一撃目を防ぎはしたものの、無理な動きで両腕の筋肉に深刻なダメージを受けた。楓と森熊にはどうしようもないほどの体重差があり、それを打ち消すため杖に重力倍加の術をかけている。魔導師にしか行使できない戦法は元来筋力のない彼女に強大な近接戦闘力を授けたが、その反面、ミストの医療術がなければ今にも崩れ落ちるほどの大怪我というハンデをも背負っていた。
白金の杖と森熊の爪が擦れるキリキリという音が楓の緊迫具合を示すようで、耳に障り落ち着かない。
(っ、どうするか……)
普段の軽い雰囲気はどこへやら。鋭く細めた視線でミストは周囲を見回した。森熊と杖を合わせて膠着状態の楓、彼女から二十メートルほど後方まで下がって全力の医療術をかけ続けるミスト。彼とへたり込んだグインを守る結界を作り維持しているアデリーは、ミストと楓の中間あたり。腰を抜かしたように座り込んでいるグインを背後にかばう位置である。
(分かりはするけど、こいつはねぇな)
実は、最初に狙われたのはグインだった。その鋭すぎる爪を見るだけだった彼は後ろから一足で距離を詰めた楓により後ろへ投げ飛ばされ、アデリーに守られるまま呆然としている。アデリーはといえば『両親からの餞別だ』と愛おしげに撫でていた水晶の短杖を構えて、震えながらもしっかりと立っている。比べるまでもない。
洞窟で逃げるばかりだった時から思っていた。臆病であることは罪ではない。しかし本当ならばどうにでも出来る身体能力を持ちながら周囲の——しかも後衛職である女性に全てを任せた挙句に足手まといになるならば、それは『仲間』ではなく『お客様』でしかない。洞窟蝙蝠で浮かんだその考えを、ミストは今、最終判断とした。
だからもう、何も言わない。笑いも、からかいも、叱責すらしない。ミストにとってグインはそれほどの価値も無いのだから。
今はただ置物を意識の外側へと追いやり、どうにか事態を解決できるよう彼は考え続けるだけであった。




