ひとつのテーブルで
鉱山の街・アリー。旅行者たちはこの街で選択を迫られる。高価な乗合馬車を予約するか、それとも自力で山の洞窟を抜けるか、という二択である。
アリーは背後に山脈を背負っている。直線距離としてはあまり遠くないが、異常に険しい山々が旅行者や商人たちの山越えを拒んでいた。迂回をしようにも立地条件のため気が遠くなるほどの遠回りを要し、大きな街——言い換えれば補給地点のない道程では間違っても自力では進めない。だがアリーは鉱山の街であり、越えられない山をくりぬいた道幅も範囲も広い坑道がある。山をまっすぐに貫くそれを通れば五日程度で山脈の裏側へ出るだろう。
金のある者は安全でそれなりに快適な馬車に乗り、金のない者はそれなりに危険な坑道を行く。それがアリーを通過する者たちに用意された選択肢だ。
「まぁまずは、無事アリーに着いたことを祝して」
「はい。お疲れさまです」
かんぱい。
グインたちのような職業的な旅人が集まる組合の一階。混み合う食堂の中で先ほどまでもう二人がいたテーブルは片付けられ、先にいた旅人たちと入れ違うように飲み物が届いた。席をずらして対面に座り、ようやく二人は一息を入れる。
冷たいジュースがグインの喉を滑り落ちる。移動中に氷を用意するどころか飲み物を冷やすことすらグインのような貧乏旅行者には難しいことで、夏に冷たいものを、冬に暖かいものを口にする度に安全な場所へたどり着いたと実感をするのだ。
組合には旅人たちに向けた依頼を張り出している他、素材の買取や各種相談などの役割がある。酒場を兼ねた食堂が併設されているのは組合一階の総合受付脇で、その時の彼らはなにやらとんでもない大男でも入ってきたのかと思った。
「ん?」
「あ……あれは……」
扉が開く音は聞こえなかった。シン、と、波のように静かになった旅人たちの視線をグインたちが追えば、彼らもまた周囲と同じように言葉を探し黙り込む。
「警邏に渡すよりもこっちの方が近いと思いました。引き取りをお願いします」
言葉を失う総合受付嬢へそう言いながら『荷物』を放り出したのは若い女性だった。地面についた長杖を左手と肩で軽く支えるその姿から魔術師とわかる。背がスラリと高くとも細いその体は女性で、後衛職。どう見てもどう考えても非力なはずだが、その右手には大の男の襟首をつかんでいる。どうやら気絶をしているようだ。
引きずられている男はおそらく剣士であろう。魔術師の女性よりふた周りも三周りも大きい上に気絶までしていることから、グインが推測する限りでは男ですら簡単には運べない。しかし同行者もまた女性であり魔術師よりも非力に見えるため、どの程度の距離かはともかく正真正銘この魔術師の女性が引きずってきたことがわかった。意味がわからない。
「あの子」
「あぁうん、昼間の子だねぇ。あ、こっち見た」
「はい」
「で、あの気絶してるのも昼間のおにーさんだねぇ。あ、目ぇそらされちゃった」
「……そうですね」
そう。魔術師の女性のすぐそばでハラハラと彼女を見守っているのは、昼間に休憩所で出会った医療師であり、魔術師の足元に転がっているのは昼間に休憩所で出会った男だった。昼間の事件から医療師の少女が正真正銘のか弱い少女だとグインたちは知っている。
ハッと我にかえった受付嬢は幾分引きつりながらも、何があったのかを問うた。
「乗合馬車が同じだったんですけど。チームに入るようこの子に強要してましたし、私にも強引な勧誘がありました。我慢の限界だったので張り倒して、放置するのも何なので連れてきましたが……」
「そう、ですか。わかりました。後の処理は私どもで引き受けます」
「その仲間三人は馬車の運転手に頼んで運んでもらいました。表にいると思います」
「わかりました。ありがとうございます」
魔力を扱う人材は他の才能を持つ人間よりも格段に少ない。だからこそ場所や時期を問わず、魔術師や医療師などへの強引な勧誘は珍しくもないのだろう。だが珍しくないからと言ってそれを許容するかどうかは別問題だ。すぐに”プロ”の顔を取り戻すと受付嬢は男を引き受け、警備に当たっている剣士に指示を出して男を奥へと運び入れた。運搬には二人の男が当たっていた。
その後もバタバタと出入りする警備や組合の職員、何事かを報告しているらしい女性二人を見ていると、グインたちの近場から小さな声が聞こえる。
「おい、あの女知ってるか? あの背の高い方だ」
「いや……杖持ってるし魔術師か? ちょうど探してたし、声かけてみようか」
「悪いことは言わねぇ。魔術師とか女のメンバーを探しててもアレだけは反対だ」
「なんだよ。魔術師で女だぞ。しかも割と美人。ちょうどいいじゃねぇか」
「アレはダメだ。魔導師の楓。そこらでふんぞり返ってる魔術師モドキのおっさんどもと違って魔術師どころか正真正銘の魔導師で、術の判断は一度組んだっていう奴らが崇拝レベルで褒めてたくらいだ……が、魔導師のくせに杖ひとつで敵陣に突っ込んで行く。しかも悪いことにそこそこ強い剣士と渡り合えるほどの力はあるらしい」
「あ、前に少し離れた街でそれっぽい噂聞いたことあるかもしれない」
小声で噂話をしていた男たちのうち、魔導師の女を知っている風の男がさらに声を潜めた。
「ちょっとでもセクハラ発言してみろよ。あいつ基準で一線を超えたら即座に杖が叩き込まれるし、言ったことが言ったことだからパーティ内外かかわらず女どもはあいつの味方だ。実力があるからうっかり急所にもらうかもしれないし、復活した頃には面目なんか丸つぶれ。仲間の男たちにとっては下手を打ったやつは女魔導師の一撃も防げない男だぜ? どっちにしてもアウトだろ」
「うわ、きっつ……」
「影ではパーティ潰しって呼ばれてるんだ。あんなナリをしてるがアレは女じゃねぇ、災害だ。あのイノシシが入るなら、悪いが俺は別のところを探す。プライドの話じゃねぇ。地雷には触らないほうが安全に決まってる。実際、知り合いがその流れでパーティ解散したしな」
「マジか……隣の子も医療師っぽいが、コンビだったらなぁ……今回はやめとくか」
「そうしろ。あいつが俺たちより強くても弱くてもパーティには悪い影響しか無い」
ことりと小首を傾げるグインの対面で、顎をさすりながら何事かを考えていたミストが『あぁ』と呟いた。
「思い出した」
「え?」
「うん、あの子だ。見かけたことがある。魔術じゃなくてあの杖で殴りに行くから、ヘタレた男どもの間で『殴り魔導師』とか呼ばれることもあるんだよね」
「え」
「しかもちょー強いよ。当然魔術も含めて、どっちも」
短い時間の付き合いでしかないが、軽く見えて他人を斜に見ているようなミストからの素直な言である。改めて尊敬の目でしげしげと眺めていると、おもむろにフロアを見回した『楓』本人と目が合った。傍らの困り顔をした少女に何事かを囁くとその肩を一度叩き、さっとこちらへ近づいてくる。
「相席いいですか?」
「おっ」
ニヤリと笑ったミストとは反対に訝しげな表情でグインが見渡せば、誰も彼もが関わり合いたくないかのように視線を逸らす。混み合ってはいても席が無いわけでもない食堂で、わざわざ席の間をぬって彼らの元へ来たのはそういう理由だろう。グインもまたコクリと頷いてミストの隣へと席を移動した。
料理と飲み物が届いたところで、ようやく四人は一息をつく。
「ごめんなさい。他のテーブルだと私はともかくこの子が落ち着けないから」
「す、すみません……」
——それは、褒めてるのかな
なぜか謝るグインと、ごく小さく呟いたミスト。ふと上げた唇の端を眼鏡を押し上げた手で隠し、一瞬後には真顔の楓がミストと正面から視線を合わせた。
「きみは確かに気にしなさそうだけどねぇ」
「それは褒め言葉として受け取っておきましょう」
彼女たちが食堂に足を踏み入れてから、早い者なら三杯から四杯は酒が進んだだろう時間が経つ。それでも未だに囁かれている自分の噂に女性は眉ひとつ動かしてはいない。その傍らには集まる視線へ小さくなる少女がおり、対極の様子に噴き出したミストは笑いながら手を振った。
「大丈夫大丈夫、俺たちも最初は相席だったしね! で? えーと」
「楓よ。こっちはアデリー。あなたたちは?」
名前を知っているが、その噂話の空気を引きずりはしない。気遣いとも揶揄とも取れる空気のミストに馬鹿らしくなったのか丁寧語を廃した楓が名乗り、隣に座る医療師の少女・アデリーをも紹介する。肩を竦めたミストはやはり何事も言葉にはせず、同じように名乗った。
「俺はミスト。こっちはグイン」
「え、っと、さっきはありがとう……」
「い、いえ……お役に立てて、よかったです……」
顔を赤らめてもじもじとしている少年少女へ、酒の入った悪い大人は積極的に絡みにいく。
「あれあれあれー、グインはともかくアデリー? どうしたのそんなに赤くなっちゃって!」
「えっと、これはその」
「はいはい、酔っ払いは絡まないで大人しく飲んでなさい」
いっそ気の毒なほどに狼狽えるアデリーにさらに絡もうとしたミストは、しかし楓に邪魔をされた。その表情が潔癖そうな嫌悪感ではなく苦笑に近いものでミストはわずかに目を見張り、一瞬でそれを打ち消す。
「ちぇー。仕方ないねぇ」
「あんまりしつこくすると嫌われるわよ」
「それは遠慮したいな」
少年めいた笑みを自分へ向けるミストにアデリーもまた苦笑を浮かべ、テーブルに並ぶ料理へと手を伸ばした。
「それで? この先はどうすんの?」
何事もなく和やかに食事を終えて一服したところでミストが切り出した。
ここは鉱山の街アリー。同時に、行き道の選択を迫られる街でもある。アリーは背後に巨大で峻厳な山脈を背負っているため、街道はそれを大きく迂回して続いていた。
深い森には安全よりも金を取った強欲な商人をねらう野盗の集団がいくつもあり、それを避けようにも点在する村は人の足には遠い。何しろ山脈の向こう側へ回るまでに馬車ですら十日もかかるのだ。アリーから先へ安全で快適な馬車の旅をしようとすると、安全面と日数により、かなりの金額を積む必要があった。
もちろんグインのような貧乏冒険者が馬車の運賃を出せるはずがない。彼らのような旅人はもうひとつの道、鉱山の洞窟を進むことになる。
アリーの裏手にある鉱山の採掘は未だほとんど手付かずだが、それでも反対側へ抜ける洞窟が整備されいている。馬車に乗れないが向こう側に用事があるという者は、日の光が届かない鉱山の中、壁面に設置された明かりを頼りに五日から七日ほどを歩き通さねばならなかった。
とはいえ高さは大人の男四人ほど、幅は武装した旅人十人が余裕ですれ違えるほどの広さがある。多少は獣との遭遇はあるものの、職業的な旅人であれば身を守る術もあるため、基本的にはこちらを選ぶ者たちで人通りが絶えることはない。
「俺たちは洞窟を行くけど……だよな、グイン?」
まるで当然のことのように声をかけられたグインが目を丸くし、慌てて頷く。まさかこの先も一緒に行くなど、自分が頼むならともかくミストから言われるとは思っていなかったのだ。慌てて頷くグインを気にせず、ミストは女性たちに顔を向ける。
「良かったら一緒にどう?」
「……一緒に?」
気軽なミストの声とは裏腹に楓の眉が吊り上がり、アデリーの眉尻が困ったように下がった。何しろアデリーは医療師、楓にいたっては噂を聞く限り、魔術師よりも稀少な魔導師らしい。魔力を持つ者は少なくないが、職業として名乗れるほどとなると人数が限られる。約束された実力、さらには女性ということもあり同行の誘いに良い記憶は無かった。
目に見えて警戒している女性二人にミストは慌てて手を振って見せる。
「あぁ、違う違う。そういう意味じゃないから」
あからさまに疑わしげな視線の楓に再び笑い、ミストはするりと声を落とした。
「ガタイは良くないけど少しは虫除けになるだろうし、女の子だけよりは目立たないっしょ」
——それに、俺も同業者だからさ。
「え?」
「は?」
小さく小さく呟かれた内容に楓とアデリーは驚いたように目を丸くし、聞こえなかったグインだけが瞬きをする。
「だから、どうかなぁってね」
そのカラリとした笑顔はミストが今まで見せたどの顔よりも明るく裏がない。ちらりとお互いに視線をぶつければアデリーが微笑み、楓が頷いた。
「そう言うなら、同行させてもらおうかしら」
「はいはい、了解! 良かったなグイン」
「は、え……?」
トントン拍子で進む事態に目を白黒させるグインへ、まるで王子様のような笑顔で、ミストはウインクを投げた。
「可愛い女の子と一緒に旅ができるぞ。俺に感謝しろよ!」
「あっ……!」
それは、つまり、目の前に座る黒髪の少女とまだ一緒にいられるということで。反射的に伏せた視線をそろりとあげると、なぜか同じように上目遣いで落ち着かない様子のアデリーがいた。
「その、よろしくお願いします……」
「えっと、うん、こちらこそ……」
ミストの言葉に頬を染め、慌てて顔を伏せ、ちらりと相手を伺うその仕草まで鏡合わせである。まるで砂を吐きだしたかのようないたたまれなさと疲労感に楓がそっと息を吐くと、その正面では、面白い出し物を見ているようにミストが笑った。




