すいしょうのはな
特にすることも無いため、楓とミストは男二人の部屋に集まった。不在のグインは今頃村の広場にでもいるはずである。
「いやー。実際、結構ギリギリだったねぇ」
「そうね」
窓を開けた楓は遠くの山に落ちる茜色の夕日を見ながら返事をした。宿の二階には、まるで野盗騒ぎなど無かったかのような気持ちの良い風が吹き込んでくる。
「でもまぁ、グインのやつがあんなに頑張るとは思ってなかったよ」
「そう?」
楓たちの予想はしっかりと当たっていた。宿から少し離れた村の広場では、焦げ茶の髪の少年と長い黒髪の少女が肩を並べて話している。こちらからは背中しか見えないため、向こうは楓が見ていることを気づいていないだろう。
「別にあの子の取り柄は逃げ足だけじゃないわよ。見てたんでしょう? アデリーを担ぎ上げて走り回れるくらいには筋力あるし、動体視力だって多分普通よりいいし……物覚えもね。アデリーが言ってた野盗を吹っ飛ばしたっていう技だって、確か一度か二度見せたくらいじゃないかしら。もしかしたら他の誰かが使ってるところを見たのかもしれないけれど」
「へぇ?」
「森に逃げなかったのも伏兵を予想した結果でしょ。だから本当は、剣士としていいところまでいく下地があるんだけど」
何か言ってしまったのだろう。慌てた様子のグインの肩へ、隣の小さな頭が預けられた。ビシリと固まった彼の内心は今ごろ嵐に見舞われていると思われる。楓の口元が苦笑に緩み、そのまま窓をそっと閉めた。これ以降は自分が故意に見るべきではないと。
「実際、森にも何人かいたしね。まぁ俺もさ、あいつの頭が悪いとは思ってないよ」
「あら」
「おかげでこっちの作業に邪魔が入んなかったし」
広場で固まる少年少女は知らないことだが、楓よりもミストの方が余程えげつない手段を、しかも顔色を変えずに取る。森の中で野盗たちのプライドを粉々にしたうえ情報を吐き出させたのは主にミストで、楓は多少魔力にものを言わせて脅した程度だった。すべては何も知らないグインが注意を惹きつけているうちに。
余談だが、野盗たちの巡回の穴を何も知らずにすり抜けるという強運はとてもグインらしい。
「っていうか何その驚いた顔。ちょー心外なんですけど」
「あんまりにも遠慮なくからかってるから、グインのことをそんなに評価してると思わなくて。悪かったわね、誤解してたみたい」
「あっ、やめてマジなトーンで謝らないで恥ずかしい!」
顔を隠して手を振り回しているがすべてはミストが“そう”見せている姿である。敢えて軽い態度を取ることで何を隠したいのかはわからないが、あえて話題を変えることで楓はミストの意思に乗った。
ふっと息を吐き出し、室内に残る微妙な緊張感を破って彼女は笑う。
「何にせよ無事に終わって何よりね」
「そーだね。俺もそう思うよ。この村、好きだし」
「えぇ。間に合って良かった」
楓たちが引き返したのは偶然だった。身体能力が高くとも臆病者が突然行動を変えられる筈などない。楓とミストに頼れない時間を今日の薬草採取で強制的に体験させた後、明日にでもアデリーを含めて実践経験を積ませようと考えていたのだ。グインはもとより、村に住む医療師とて知っておいた方がいいこともあるためである。
捕まえた野盗たちはアデリーと魔力を回復したミストがしっかりと麻酔処置しておいた上、明日には到着するアレッザの警備隊へ突き出す予定となっている。
「あ」
「あーあ」
そのとき突然、楓とミストが顔を見合わせる。見る先にはこの上なく残念な顔で、それが自分のものと同じだとはお互いに分かっていた。がっくりと肩を落とすと同時に、木製の扉が力任せに開かれる。
「――っ!!」
部屋へ飛び込んできた焦げ茶の髪の少年は何を言うわけでもなく自分のベッドへ飛び込んで、抱え込んだ枕へ顔を押し付けた。よくよく聞けばうーうーと呻っていて、彼を目で追っていた二人は改めて顔を見合わせる。
落ち込んでいるかと思いきや髪の間から除く耳や首筋が真っ赤で、先ほど見た光景と合わせれば楓には何となく状況が飲み込めた。
――つまり、アデリーはいい娘なのだ。
年長者たちは肩を竦めて立ち上がる。
「じゃ、私たちは術の使いすぎでお腹空いたから」
「テキトーに落ち着いたらお前も下りてこいよー」
声をかけて開けたままの扉を閉める。今日、この宿の客は三人しかいないことはグインにとって幸運だろう。階段を下りる二人の耳にくぐもった絶叫が届いた。
「色んな意味で、あの残念な度胸さえなけりゃねぇ?」
「まぁそれがあの子の長所なのかもしれないけれど」
二十人は余裕で入ることができそうな洞窟の中で咲き乱れている花は、実に不思議な花だった。
「ここ、天然の洞窟らしくてね。魔力の吹き溜まりみたいになっているらしいのだけど」
楓がそう言いながら花へ近づいた。ミストは彼女より奥で天井の穴を見上げている。穴と言うべきか、単純に洞窟の奥側半分ほど天井がないだけだと言うべきか、そこから落ちる茜混じりの陽光に照らされて花もまた輝いていた。
ぱきりと楓の細い指に手折られたそれは、どこからどう見ても。
「水晶……?」
「そう」
「でも、さっきまで。それに」
摘み取った二、三本の花を手の中で玩びながらグインたちへ振り返り、楓はぽつりと話しだす。四人の周りには水晶の花と白い花が入り混じって咲いていた。
「水と一緒に魔力も吸い上げてるから、花が咲く頃には水に乗って全体に魔力が行き渡るの。茎、葉、花の全部に高濃度の魔力が溜まった状態で夕日に当たると、結晶化と物質定着を起こして水晶に変わるのよ。環境が合わなくて自家栽培できないから、必要な魔力濃度どころか水晶化の条件が時間なのか光なのかすらも未解明らしいけれど」
「難しいんですね」
グインの感心したような声に楓は頷いた。その隣にいるアデリーも初めて見た不思議へ驚いたように、黒い瞳をぱっちりと大きく見開いている。近隣に住んでいる所で彼女は魔導師や魔術師ではないため、魔術の触媒として有名なこの花の変化を直接見る機会がなかったのだ。ちょうどいいからと薬草採取がてらアデリーを誘ったのは楓である。
「街ではこの花が水晶化することにかけて、変わらない気持ちを表すものとしてアクセサリーのモチーフに人気だって。昔はこれがそのまま乱獲されていたみたいだけど発生条件とか収穫の条件とかが厳しいし、数が揃わないから今はもう本物はあんまり出回らないけれど。自然のものだからきれいな形ばかりでもないしね」
五枚の花弁が開いたそれは、夕日が当たるまでは白い花だった。色を失い質感を変える状況を目にしていなければ、水晶に混ざって咲いている白い花と元が同じだとは思えないだろう。
「えっと、収穫にもコツがいるんですか?」
「摘むだけじゃダメなんですか?」
しげしげと楓の手元を覗き込むアデリーと、アデリーの問いかけに驚いたグインがほぼ同時に楓を見上げた。同じような行動の二人へ笑いながら楓は頷く。
「摘んですぐに魔力で覆わないといけないの。やればわかるけど、きちんと均一に覆わないとすぐにただの花に戻っちゃうわ。覆ったところで丁寧にやらないと触媒になった後の質に影響するし……えぇと、確かアクセサリーにした後の純度も変わったんじゃないかしら? 濁るとか澱むとか」
「そりゃー量産できるような手間じゃないねぇ。気を使わなきゃいけないことばっかりでメンドくさい」
「それでも、きれいですね。摘んでしまうのがもったいないくらい」
咲き乱れる水晶の花へぼうっと見とれるアデリーに“そうね”と答えた楓の声は、どこか悲しげな音だった。グインが彼女へ問う前にミストが手を叩き、注目を集める。
「はいはい、そろそろ日が落ちるし帰ろう! 俺もう無理。早くメシ食べたい」
「それはミスト、あなたが無駄に魔力を使いすぎるからでしょう」
ミストはここに来るまでも擦り傷で中級回復術を乱発し、グインへ魔力強化の術を使うなど、いつも通り魔力を浪費し続けたのだ。結果としてアデリーの出番が増えて実践の経験にはなったが、それでも楓の言う通り同情できる理由ではない。
静かな空気があっさりと散ったことでグインは楓へ問いかける機会を失ってしまった。そっと眉を寄せたグインを心配そうに見たアデリーに気付き、彼は誤魔化すように手を振る。
「なんでもないよ!」
「……そうだ。グイン、アデリー。ちょうど良いから私たちは先に帰るわ。森小熊くらいしかいないけれど、日が落ちるから充分に気を付けて」
「おっ先ー☆」
「あっ!」
いつの間にか回復していたミストが自分と楓へ加速の術をかけていたらしく、止める間もなく二人はグインのわきを走り抜けた。グインの視界の隅で短杖に宿った魔力が光の尾を残し、同時にヘーゼルの瞳がはっと見開かれる。
「えっ」
「じゃーな!」
あわてて振り向いた先の、二人の背中があっという間に離れた。グインが全力で走れば追いつけたかもしれないが、アデリーを思って躊躇った一瞬のうちに彼らは視界から消え失せる。
「アデリー!」
「え、あっ」
アデリーの手を掴んだグインが急いで洞窟を出てみても、すでに時遅し。楓やミストが中途半端な行動を取るわけがないのだ。帰りが遅くなれば探すくらいはしてくれるはずだが、それに頼ってしまうのは医療師の少女の手前、何とも情けないだろう。
アデリーの手を放してグインはがくりと肩を落とした。
「やっぱり、置いて行かれた……こんな時ばっかり息が合うんだから、酷いよなぁ……」
しかもミストなど、去り際にわざわざ小声で“精々がんばれよ、青少年”などと言い残して。あれには森小熊との戦闘以外の意味も含まれていたのだとグインは理解していた。その声が、密かに憧れている大人らしい低いものだったのがまた悔しい。
グインの内心を知る訳がないアデリーが、困ったように笑いつつそっと腕に触れる。
「がんばって帰りましょう。戦いに慣れてなくて迷惑をおかけしますが、私もたくさん頑張りますから」
「うん」
ふんわりしたアデリーの笑顔で、グインは体勢を立て直す。この笑顔が、さきほど見た“水晶の花”より綺麗だなんて言ったら困るだろうか。言えない。楓はともかくミストにバレたらやっぱり大笑いされることは、深く考えるまでもなく分かるからこそ言えない。格好よく言い切れる自信も彼にはない。
(敵に遭ったら怖いけど、しっかりしなきゃ……)
何はともあれ、グインにもプライドがあるためアデリーに情けないところを見せるわけにはいかない。どうにか暗くなる前に、そして悲鳴を上げることなく村へ帰らなくてはならないのだ。木の根がめぐる悪路を獣の出現におびえながら。ため息をひとつ吐き出すと、グインはアデリーへ左手を差し出す。
「足元が悪いから掴まって。気を付けて帰ろう」
「……はい」
おずおずと重ねられた自分より小さな手を取ると、ぐっと顔を上げてグインは足を踏み出した。




