たよりないつるぎ
まるで自分の行動に文句を言われたような気分になって、しかしそれは自分の気のせいだと分かっている楓は努めてゆったりと肩越しに振り返る。
「もともとが道場の娘だから、こっちの方が得意なのよ」
「いや、何度も聞いたし分かるけどさぁ」
呆れるミストを捨て置いて、楓はへたり込むグインを見下ろした。ようやく恐怖の追いかけっこが終わったことでホッとしたらしい。緩んだ笑顔で見上げてくるグインへため息をつくと、楓はざっとその全身を確認する。漏れ出た声が呆れたような色を含んでいるのは仕方のないことだろう。
「だから、真っ先に逃げるなって言ってるでしょ。いい加減にしないとアデリーに全部バラすわよ?」
「そ、それは……!」
思い人の少女へ格好悪いところは見せたくないし知らせたくない。ほんのわずかに残っていたらしいグインのプライドへ再度ため息を吐き出すと、楓は立ち上がらない彼へ片眉を上げた。
「怪我?」
「……すみません。足首、捻りました」
言い辛そうな少年へ魔導師は微妙な顔を向け、次に嫌そうな表情へ変えて背後を向く。言いたくない。聞きたくない。しかし彼の専門分野なのだから、もしかしたらという期待を込めて。
「ミスト」
「ごめーん、MP切れ☆ だから多少は力になるかなーって、最後の力で加速の魔術を用意してたんだけどね!」
やはりミストはミストだった。人間がそう簡単に変わるはずがないのだ。予想が当たったことが嬉しいやら悲しいやら複雑な心境で、それでも楓は彼へぴしゃりと声を叩きつける。
「何度も言うけどこの子にその術は必要ないっ! あーもう、あなたって医療師はっ! 応急治療術は!? まさかそれも使えないの!?」
「いやぁ、ホントに面目ないねっ☆」
ミストという医療師はいつもこうなのだ。不必要な術を乱発し、無意味な術を使い、肝心な時に魔力切れを起こす。これで腕が悪ければすぐにでも縁を切れそうなものだが、これで医療師としての腕はよく人柄もそう悪くない。軽くとも正面から謝られたら怒り続けるのも一苦労で、いわく何とも言い難い、どうともしようがない人間である。
魔導師のくせに率先して殴りに行く女、医療師のくせに肝心な時には魔力切れを起こす男、そして剣士のくせに真っ先に逃げ出し、その逃げ足には他の追随を許さない少年。そんな問題だらけの彼らがグインいわく“獣”の巣窟たる森まで来たことには理由があった。
「ったく……そんな様子で助けに行けるの? 私たちに頼られても困るわよ」
「え?」
きょとんと子供のように見開かれたヘーゼルの瞳は無駄にぱっちりとしている。街に住む娘たちならば羨むだろうか。そんなどうでも良いことを考えながら、無言で驚いているグインへ楓は肩を竦めてみせた。彼女が何事かをつぶやくと、かざした長杖に光が灯る。
楓の杖が白い光を宿したのは、彼女が行使する初歩的な医療魔術の影響である。楓は医療師ではないが、魔術を学ぶ一環として初歩的な術だけは習得していた。
「だって私、一緒に行かないもの」
「え、え、え?」
「あ、悪いグイン。俺も楓ちゃんと一緒に行くから。何せこの人魔導師のくせに突撃するでしょ? 一人にしたらそのうち大怪我しそうだしさ」
へらへらと笑うミストへ、楓はグインの足から横目でちらりと視線を流す。怒り出す様子はない。しかし。
「そうね。これでも魔導師だから、邪魔になる鎧なんか着けられないし。そのあたりは仕方ないんだけど」
「まーね。俺も同じだからそれは分かってるよ?」
魔導師だけでなく医療師もまた、金属製の鎧を身に着けることは少ない。それは術との相性が影響していた。未だ解明はされていないが、術を行使するときに影響を及ぼす金属があるのだ。杖へ使用している白金、白銀や水晶などの宝石系鉱物は術を助け、または術の邪魔をしないが、一般的に防具へ使用されている鉄や鋼などは様々な悪影響を与える。現実的な問題として白金で鎧を作れる者が旅をすることはないため、魔導師や魔術師、医療師が鎧を身に着けることはないのだ。そしてそんな彼らは通常後衛にいて、決して鎧の必要な位置にはいない。
「まぁそうは言ってもね。肝心な時に魔力切れを起こす医療師が一緒にいても、そう役に立つとも思えないけれど」
「あー、そう言っちゃう? 結構役に立つんだよ俺って男は! 魔力回復も結構速いしさ!」
「それは認めるけど結局回復した分まで無駄にするでしょう」
にやりと笑いながらやりあう二人へと、ようやく足首の負傷を癒し終わったグインが泣きそうな顔を向けた。しかし楓もミストもいまさらその程度の情に流されることはない。
「森にある薬草を取りに行くから手伝ってくれって、頼られたのはあなたでしょう?」
「好きな子にいいところ見せるチャンスじゃん。良かったねー☆」
グインが想いを寄せる医療師の少女・アデリーはこの森にある村で医師兼薬師として働いている。適性や様々な条件が関わる難しい修行を終えた彼女は、グインと同い年でも立派な医者だった。
残り少なくなった薬草を補充しなくては村人たちが困る。そのためアデリーはたまたまアレッザの街にいたグインへ一緒に森へ入ってくれるよう助けを求めたのだ。何せそういった専門家のご多分に漏れず、獣に襲われた際の自衛力を彼女は持ち合わせていない。
「でも、そんな……」
「あの子もわざわざあなたを頼ったくらいだし、まんざらでもないんじゃない? ま、どうにか頑張れば草原狼くらいどうにでもなるでしょうし。気合入れて行ってきなさい」
どっちにしても、と楓は肩を竦めた。
「私も手が空いた今のうちに触媒を取りに行かなきゃいけないからね。今からだとアデリーに会いに行く時間はないの。どうせそのうち妙なことに巻き込まれるんだから」
変わった者が集まっているからか、どうも彼らは何かと騒動に巻き込まれる性質を持っている。だからこそ暇があるうちに用事を済ませてしまおうと楓は考えていた。
「夕方の短い時間にしか咲かない花だっけ。急ぎだよねぇ?」
「そうね。これからだと結構ギリギリかしら」
ちらりと空を見上げた楓は懐から地図を出しながらミストへ頷く。そしてグインへくるりと背を向けた。
「じゃ、がんばりなさい。何かあるにしても草原狼か、精々が森小熊しかいないわ」
「じゃーね!」
「あっ……」
引き留めようとしたグインへ肩越しに手を振り、二人はさっさと歩いていく。その行先は村へ行くグインとは違い、いきなり道の無い場所から森へ入るようだった。
「うー……仕方、ないかぁ……」
森小熊は子熊ではなく、そういう種類の獣である。森に住み、草原狼とそう変わらない大きさの獣はやはり臆病で、滅多に人を襲うことはない。何度もこの場所を通っている彼にはそれ以上の強い獣がいないことは分かっていたが、草原狼相手でも逃げ回る自分には楓のようにサッと倒せるとは思えないのだ。
しかしだからと言って“できない”ということも難しい。
「アデリー、待ってるよね」
大きな街であるアレッザほどではないが、途中の街にも旅人の組合がいくつかある。それにとても残念なことだが、こちらの臆病加減をアデリーもまたよく知っている。それでも半日ほどの距離とは言えアレッザの街にいたグインを選んでわざわざ“依頼”してきたのは、薬草採取だけが理由ではないのだ――と、青少年的には思いたい。連絡用の水晶を通してですら満足に目を合わせられなかった自分が残念だった。
大きな黒目とサラサラの黒髪、自分より小さな手の持ち主が脳裏によぎり、深く息を吐き出したグインは重い足をようやくの思いで踏み出す。楓の手当てを受けた足首は、体重をかけたところで何の問題も無かった。




