風の記憶 〜アキ〜
なんて綺麗な髪なんだろう。まるで光っているみたい。
惜しみなく注がれる太陽の光。空は雲の欠片すらなく、どこまでも高い。
その下を、二人の自転車は蜻蛉みたいにまっすぐ翔る。
身体が空気と混ざって、後ろに尾を引いてる。
もうこれ以上ムリってくらい、力いっぱいペダルを踏み込む。
速い、速い、息ができない。
何を言ってるの?聞こえないよ!
初夏の匂い、周りの青々とした水田の上を、風が渡っていくのが見えた。
ゴメンね ゴメンね
嬉しい報告のはずなのに、アキはずっと謝り続けた。
夕暮れの近づく喫茶店の、狭すぎるくらい小さなテーブルを挟んで、アキは顔を上げもしない。
どうして謝るの?とっても嬉しいことだよ?おめでとうアキ!
そう言ってあげたいのに、咽の奥が焦げ付いてしまったようにくっついて、声が出ない。
お祝いが言えないのは、咽が渇いているからだ。
「オメデトウ。先越されちゃったな」
コップの水を一気飲みしてなんとかしぼり出したお祝いの言葉は、私の口先からポトンと落ちて、アキのところまでは届かなかった。
アキが秀則さんと結婚するってことは、実は明美から先に聞いてたんだ。
「美和は一番仲良しだから、てっきり知ってると思ってた、アキってば美和のことびっくりさせようと思って黙ってたのかなあ、私言っちゃって、悪いことしちゃったかも」なんて、明美困ってたっけ。
でも、アキは私に言い出せないでいたんだよね。
秀則さんをアキに紹介したのは、私だった。ほんと、バカみたい。秀則さんはアキみたいな所謂「お嫁さんにしたいタイプ」が好きだって知ってて、それでも私は二人を引き合わせてしまった。アキの別れたばかりの元彼が、秀則さんと似たタイプだったってことも、知っていたよ。
その時から、こうなることはわかっていたんだと思う。いや、むしろそうなって欲しいと願っていた。もう終わりにしたいって、そんな気持ちもあったのかもしれない。だから、これは私の望んだ結果だ。
秀則さんと付き合い始めたときも、アキは今日みたいに謝っていた。秀則さんから告白されたの、私、付き合ってもいい?なんて、なんでそんなこと私に聞くの?
私は秀則さんとは何もないんだからって、何度言っても、彼女は信じて疑わなかった。
私が秀則さんのことを好きだってこと。
うつむきっぱなしのアキの頬の上、彼女の長い睫毛の影が悲しげに揺れるのを、私はずっと見ていた。
喫茶店の窓の外には夕闇が迫り、窓の内側には私の干からびた笑顔が張り付く。
生暖かい風がまとわり付いて、身体と空気の境目がわからなくなってくる。
6月、薄暗くなるのに気温が下がらない。
自転車の速度を少しあげても、湿度の高いじっとりとした風をかき回すだけで、汗がひくことはなかった。
結婚式は、もう終わっただろう。今にも降り出しそうな重い梅雨空が、この時間まで堪えてくれたことが嬉しかった。
結婚式、行けなくてごめんね、どうしても外せない仕事があるんだ、なんて言い訳、アキは黙って聞いていた。
だって、やっぱり見てらんないよ。二人の幸せな瞬間、私の、恋のおわり。
好きだった。その気持ちを、どうしていいかわからなかった。
私は自転車のスピードを上げた。
あのころみたいに、思いっきりペダルを踏み込む。
何も無かった田舎町、ただ奇跡みたいに輝く水田と、前には一本道。
あてもなく、競争したっけ。
アキの髪が、光を吸い込んで、発光しているみたい。
キラキラキラキラ、到底手なんか届かない。
速い、速い、息ができない。
アキ、大好きだったよ。結婚おめでとう!
何を言ってるの?聞こえないよ!
初夏の匂い、クラクションの響くビルの間を、風が渡っていくのが見えた気がした。