対立的かつ熱血的に
俺とアリス、そしてメリッサが対峙する。
その距離は、たった十メートル。
メリッサは、まるで親の仇を目の前にしたかのように睨み付けてくる。
それだけで、ビリビリと大気が引き裂かれている様な錯覚に陥る。
「ハッ……ハハッ」
不自然な、場に似つかわしくない笑い声が洩れた。
気付けば、笑っているのは俺だった。
意識しない笑い声に、俺は口に手を当てる。
人は、自分ではどうしようもない現実に直面すると、笑うという。
怖い。俺は、そう思う事が不思議と恥ずかしくない。圧倒的な実力差。生物的な本能が、危険信号を発している。だが、退く気はない。前触れもなく俺とアリスは左右に走り出した。メリッサは少し目を丸くしたが、すぐに無表情に戻す。
「挟み撃ちでなら私を倒せると思っていますか?」
言って、メリッサが何かを呟く。というか、謡う。
「Veni, creator Spiritus,mentes tuorum visita,imple superna gratia,quae tu creasti, pectora.Qui Michael diceris.」
それは、決して英語ではない。ドイツ語でもフランス語でもない。
「グレゴリオ聖歌!?」
アリスの焦った叫び。
知るか、と俺は心の中で吐き捨てる。
魔法の詠唱だか何だか知らないが、そんなもん、唱え終わる前に止めてやる。
距離はあっという間、僅か一秒半で詰まる。
「この!」
左の脇を締め、俺は思い切り右ストレートを繰り出す。
が、メリッサは難なくかわし、俺の胸ぐらを掴む。
「Ignis」
ショートヘアの少女が呟き、同時に胸ぐらを掴む手から蒼色の炎が巻き上がった。
「なっ、クソ!」
炎の熱さに耐えながら、左フック。
が、至近距離にも関わらず、メリッサはダッキング(上体を前に沈める動作)でかわす。
いつの間にか距離を詰めたアリスがメリッサに向かって叫ぶ。
「Mors tua, vita mea!!」
不可視の衝撃波がメリッサに襲いかかるが、これをバックステップで避ける。
「クソ、チクショウ!消えろ、この、消えろォ!」
制服に引火した炎を、のたうち回って何とか消火する。
制服の素材が消火しやすい化学繊維でよかったとつくづく思う。
「強ェ……」
立ち上がり、メリッサを見据える。
涼しげな表情、しかし腕は高温の蒼い炎が包み込んでいる。
肌は焼け爛れていないし、服も燃えていない。
術者には効果がないのかも知れない、とテキトーな勘を働かせる。
「シッ!」
体勢を立て直し、左ジャブを連続で三発繰り出す。
メリッサはスウェー(上体を後ろに反らす動作)でこれを楽に避ける。
「Ad mortem incu…!」
メリッサの右腕にしがみつき、アリスが叫ぼうとするがそれより早く、メリッサの左回し蹴りが脇腹に極まり、軽く二メートルくらい吹き飛ぶ。
「喰らえコラ!!」
背中を見せた状態のメリッサめがけてハイキック。
しかもメリッサの左足は浮いている。
避ける事さえ出来ないハズ。
が、右足を軸に九十度回転、左足の二枚蹴りで俺のハイキックを迎撃した。
「なっ!?」
左足が元ある場所に戻り、地に着かずに俺めがけてローキック。
バシィ、と激しい音が響いた。ローキックは見事に俺の左太股に直撃した。
「ガッ、な、めんな!!」
震える左足を無理矢理踏み込み、渾身の右アッパー。
狙うは、避けにくい腹部。
当たる、と確信した瞬間、メリッサの華麗なサイドステップで俺の右側に移動し、俺の懐に潜り込み、炎の左手でのリバーブロウ。
次いで顔面に右フック、腹に右アッパー、右手で頭を掴んで鼻面にムエタイばりの膝蹴り。
凄まじいコンビネーションが極まり、俺の視界が一瞬だけブラックアウトした。
崩れ落ちようとしている俺の身体を持ち上げる様に腰を落とした炎のアッパー。
腰が浮いたのを見計らって、右のハイキック。
俺の側頭部を薙ぐハイキックはまるで、首を刈り取る死神の鎌の様。
「ガハッ!」
グシャと、頭が地面を打ち付ける鈍い音が響く。
遠近感が無くなったのか、遠くで鳴ったかの様に聞こえた。
「チクショ……ウ……」
ベッ。ビチャッ。血痰混じりの唾を地面に吐き付ける。と、視界の半分が赤く染まっている。さっきの衝撃で額が切れたらしい。
「……強すぎだろ」
目を閉じ、苦々しく呟く。
ゴーレム戦のダメージも残っていて、全身に力が入らない。
指一本動かせない。
ツカツカと、ブーツ特有の力強い足音が近付くのが分かる。
(……クソっ、チクショウ!)ふざけた話だ。
マグレのラッキーヒットすら当たらない。文字通り、手も足も出ない。
「実力差が、少しは分かりましたか?根本的な問題で、貴方如きでは私を倒すどころか触れる事すら無理なのですよ」
「この……言ってくれるな……」
ニヤケながらメリッサに答える。
勿論、余裕がある訳ではない。ただの負け惜しみだ。
「……減らず口を」
呟き、ブーツの踵が俺の左手の甲を踏みつぶした。
ガキッ、という骨の軋みも同時に聞こえた。
「ぐっ、テメェ!」
俺は、ギリギリと歯を噛み締める。今気付いたが、先程の猛攻のせいで血が出てる。
「貴方の死は無駄ではありません。それは永劫、『暁の星団』を形作る礎となるのです」
「ハッ……悪いが、俺は他人の人柱になる様な犠牲的精神は持ってないんでな。他を当たってくれ、そういう事をボランティアでやってくれる奴をよ」
少女の爪先が俺の鳩尾に突き刺さる。
強制的に息を殆ど吐かされ、吸い込む暇なくブーツの猛攻が続く。
額、肩、腕、胸、腹、脚、足。至る所に。
「さァ……そろそろ、死んでくれませんか?」
「お前……俺と後一人、忘れてないか?」
震える指先を、暗闇に向ける。
メリッサはその意図が分からず、振り返るとそこに――、
「お待たせ、……行くよ」
右腕に紫色の、強烈な雷撃を宿したアリスが立っていた。
「な、」
『ゼウスの槍』の魔法!?と、メリッサが言葉を紡ぐ前に。
一億ボルトはあろう強大な稲妻は、まるで避雷針を見つけたかの様にメリッサに襲い掛かった。
光の速度で大気を駆ける紫美の雷撃を避けられるハズもなく、それは少女の身体を内側から破壊し尽くした。
「――……!?」
悲鳴すら出ない。
瞳は虚ろで、口から泡を吹いてメリッサはうつ伏せに倒れる。
完全無欠に、俺とアリスの勝利だった。
「……まだ八時ちょい前か」
あれだけの猛攻を受けながらも、何故か奇跡的に無傷だったケータイで時刻を確認し、俺は太いため息を吐いた。
今、俺とアリスは並木道のど真ん中に座っている。
傍らでは服のあちこちが焼け爛れたメリッサが倒れている。左手の蒼い炎はすっかり消えている。
「いくら勝つ為とは言え、囮役はもう御免だな……」
正直な感想だ。
「それにしても、まさかあのメリッサを倒しちゃうなんてね……自分でもビックリだよ」
「ってか、強すぎ。魔法使いのクセして、体術も使えるとか……有り得ねェ」
RPGでは魔法だけが取り柄だという認識が強かったが、正直、最初の右ストレートをかわしたのは驚きだった。
体重移動、足運び、コンビネーション。
どれを取っても一級品で、アリスの言い分ももっともだ。
「さて、コイツどうするよ?また襲ってくるんじゃねェの?」
「『暁の星団』はしつこいからね」
「どうしようもねェ、か……。倒しても倒しても湧いてくるなんて、……サギだ」
思わず涙がちょちょぎれそう。
ため息を吐き、バカやっててもしょうがないと思い直しメリッサを見つめる。
起き上がる気配はなさそうだ。
――と思っていたら、メリッサの指がピクリと動いた。
反射的に跳び退き、伏した少女を睨みつける。
「――ァ」
声が聞こえた。
伏した少女から、ウスバカゲロウの囁きの様な小さな声が。
ググ、と。ググ、と少しずつ身体が持ち上がる。
「なん……まだ、起き上がってくるのかよ!?」
「――ァ、ァア、ウアアアアァァァァァァ!!」
掛け声よろしく叫び、一気に身体を起こして俺を睨みつけてくるメリッサ。
爛々と輝く、凍てついた泥沼の様な濁った紅の双眸が、怒りに充ち満ちているのが分かる。
「敗者復活戦……かな?」
俺は場に似合わない言葉を発し、目の前の少女を見据えた。
蒼冷めた表情なのは雷撃による吐き気なのか、ヨロヨロと俺に近付いてくる。
俺はと言うと、恐怖――というか、驚愕に凍り付いて身動きが取れない。
「あ、『暁の星団』の、命令、は……絶対……絶対に、ころ、殺す」
一歩一歩を踏み締め、メリッサが近付く。
余力はもうないと言わんばかりに、見ていてハラハラする。
限界なのだ。そして、それは俺も同じだ。
「リターンマッチ、レイズしてやるぜ。――来いよ」
互いにボロボロの身体を動かし、対峙する。
避ける事が不可能な零距離。
ハッ、と。俺の笑いが暗闇を木霊した。
「第二ラウンド、開始だ」