追走的かつ奇跡的に
有り得ない。
有り得ない、有り得ない有り得ない有り得ない有り得ない有り得ない!!目の前の、非現実的すぎる光景に、俺は身震いした。
そこには、身長3mはあるだろう、土で造られた人型の人形がいた。
「泉の水も聖杯もなく、アーサニーだけで巨大なゴーレムが造れるとは…極東の島国の土も、バカに出来ませんね…」
土の人形を造った少女も意外だったらしく、やや戸惑った感じで呟く。
勿論、戸惑っているのは声だけで、表情はマネキンの様に凍り付いているが。
「ゴー…レム…?」
全く訳が分からない。
メリッサの言っている事も、『賢者の石』とやらの事も。目の前の事象が、夢か現かさえも。
「何を呆けてるの!?逃げるよ!!」
「どわッ!」
と、未だ理解不能な状況の中、アリスは考える前に行動しろと言わんばかりに俺の手を引き、走り出す。
「ちょっ、待て待て待て!分かりやすく簡潔に要点だけを説明しろ!」
「それ、後ろ見ても同じ事言える?」
あ?と後ろを振り向くと、巨大なゴーレムがズシズシと迫って来ている。
「うわわわわッ!!」
あんな物が迫って来たら、誰だってビビる。
俺はアリスを追い抜いて走る。だが、すぐにピッタリと横に並ぶアリス。
「説明しようか?」
「ンなモン後だ後!」
広い公園を走る。
夜、という事で流石に人がいない。
こんな、軽くトラウマになりそうな光景を見られずに済む事が幸運か不運か、俺には分からなかったし考える余裕もない。
「よく分かンねェけど、お前も魔術師とやら何だろ!?火の玉でも何でもいいからアレ倒せねェのかよ!」
「あ〜無理。ボク、攻撃魔法苦手なんだ」
「あ〜そうかよチクショウ!ってテメェ、やけに落ち着いていねェか!?」
「アレを倒す事は事実上、殆ど不可能なんだよ。神殺し(ロンギヌス)の槍や聖剣、聖樹で創った杖とか…神の奇跡を宿した聖具があれば何とかなるケド、今は無理だね。複製品すらないもん」
アリスは聞いちゃいない。
「何でテメェは落ち着いてられるんだ!?」
「ゴーレムを倒す方法は知らないケド、崩す方法なら知ってるから」
さらっと、何でもないと言いたげに、アリスが告げる。思わず俺はズッ転けそうになる。
「崩すって、どうすンだよ!?ってかそれを倒すって言うんだよ大バカ野郎!!」
「Ummm...Japanese is difficult...(う〜ん…日本語って難しいね…)」
白々しすぎる。
どうやら、アリスは誤魔化したりする事が苦手らしい。が、今はそんな事はどうでもいい。
「で、マジでどうすンだ?」
「簡単だよ。ホラ、ゴーレムの頭にナイフ突き立てて護符を貼ってるでしょ?」
チラと振り返ると、なるほど確かに、ナイフを杭代わりに羊皮紙が貼り付いている。
「アレを抜けばいいんだよ」
「よっしゃ、そうと決まれば任せれ!」
急ブレーキをかけて止まり、俺はゴーレムと対峙した。
「あっ、まだ話は…!!」
アリスが叫ぶが、俺には聞こえない。
「うおぁぁァァァ!!――あ、アァあぁぁぁッ!!」
雄叫びは、たちまち悲鳴に変わる。ゴーレムの拳が、俺めがけて迫る!
「にァ!!」
とっさの横飛びで、これを何とか回避。
それと同時に、ドゴォ!なんて雷の様な轟音が響いた。
ゴロゴロと地面を転がり、ゴーレムの拳を見、戦慄した。じ、地面が…抉れ…?
「…、あ?」
ポッカリと。ゴーレムの一撃が飛弾した散歩道に巨大な穴が。
「…、あ〜」
冷や汗がダラダラと垂れ、地面を濡らす。
土の巨人は俺を見つめ、再び攻撃のモーションに入った。
「やってられるかチクショウ!!」
脇目も振らずに走り、アリスがそれに続く。
「最後まで人の話聞こうよ」
「やっかましい!大体、テメェのせいで俺まで殺されかけてんだろうが!!」
「ノォオ、痛いところヲ!!」
「…で、それはそうと…アイツどうするんだよ?倒せる勝算があるから落ち着いてんじゃねェのか?」
「え?…ああ、うん。そうだったね」
きっかけについてツッコまれなかった事が意外だったらしく、アリスはちょっと気の抜けた返事をした。
「おっ、ととと…」
足がもつれて、俺はバランスを崩しかけた。
さっきから怒鳴ってばかりだったから、息があがってきている。ヤバい。非常にヤバい。
「策があるんなら早く言え。…キツくなってきた」
ゼェゼェと荒い息を吐きながら、俺。
一方のアリスはと言うと、汗一つかいていない。
もうすでに1km近く走っているのに、どういう身体してるのか非常に気になる。
「ンじゃ、そろそろだね。メリッサとも充分離れたし…」
言って、アリスはプリーツスカートのポケットからキーホルダーの紫水晶を取り出し、ゴーレムと対峙し、
「六角の星・ダビデの盾!」
アリスが唱え、キーホルダーをかざす。
すると、信じられない事に――今の状態も充分にそうなんだが――中空に魔法陣が顕れ、ゴーレムを吹き飛ばした。
「束縛(NAUTHIZ)」
動けないゴーレムに向かって、指を動かして虚空に何かを描く。
描いた何かはゴーレムの胸元に浮かび上がる。
ゴーレムの動きが止まる。
ゴーレムの事だけでもそうだが、俺は夢を見ている様に思えた。
何もかもが現実から離れすぎている。
魔術。今更ながら、魔術は本当にあるのだと知った。だとすれば。魔術は現実なのか。そこに境界線はないのか。
「ねェ、君…あのアーサニー、早く抜いてきて…」
俺は我に返った様にアリスを見た。何やら苦しそうな顔をしている。
「でも…アレが動いたら…」
「大丈…夫、ボク…が…こうしてルーンを、刻んでいるから、…今は…動かないよ。それで、も不安なら、…ボクの、左手にある、紫水晶を、持っていって。さっき…みたいに…、守ってくれるよ」
ニコッという擬音が似合いそうな笑顔。
それは不思議と、俺を促した。
アリスの左手からキーホルダーを受け取り、ゴーレムに向かって走る。
倒れたゴーレムの脚、腹、胸、跳躍して頭に登る。
俺は羊皮紙を貫いてゴーレムと繋げているナイフを勢いよく掴み、一気に引き抜いた。
「うヌぉぉォォォォ!」
いや――引き抜こうとした。が、抜けない。
「な…か、固い…何で?」
さっき、メリッサは地面に突き立てた訳じゃない。
投げて刺したのだ。だが、これは尋常じゃない固さだ。
「まさか、聖剣封印の刻印……ッ!?」
誰でも一度は耳にした事があるだろう。
刺さった聖剣は勇者にしか抜けないという話を。
アリスは驚愕に目を見開き、ルーンを形作っていた指が強い力で弾かれた。
「きゃッ……ッ!?」
後ろに数メートル吹き飛ぶ。
その華奢な身体が、スーパーボールの様に地面をバウンドする。
だが、それだけでは終わらない。
ゴーレムが――土で造られた守護神が、俺を頭に乗せたまま、動き出した。
「なっ、クソ!」
俺は慌てた。
急に視界が三メートル強の高さまで持ち上がり、下を見て思わず目眩を起こすが必死にゴーレムにしがみつく。
「こンの……ッ、抜けろォォォ!」
儀式用ナイフに再び手をかけ、思い切り引っ張る。
拳の骨が軋む音が聞こえてくるが、今は気にしていられる状況でもない。
「アアあァァァ!!」
強く握りすぎて掌がすりむけて血が出てナイフを伝い、ゴーレムの額の護符に付着した瞬間、急に、その土の身体が溶ける様に散り始めた。
不安定にも足場は崩れ、俺は三メートルの高さから急速落下、地面に背中を打ちつけ、肺の空気の殆どが外に飛び出す。
「ゲホッ、カッ、ゲホゲホッ!」
間違って気管に唾液が入り込んでしまったかの様に噎せ込む。
背中は痛いし、まともに息も出来ない。
不幸中の幸いか、ゴーレムの身体を造っていた土は柔らかく、その上に落ちたせいでダメージは少なからず軽減していた。
これがなかったら、下手すれば脊髄骨折で一生車椅子生活だろう。
だが、だからといってよかったねで終わるハズもない。
下がフカフカの土だから三メートル上から背中から飛んでみろと言われて、飛ぶバカはいない。
それほどまでに、痛い。
来未のプロレス技の様な、人が耐えられるダメージは速効性だか、それを超えると鈍い『熱さ』が寄せたり引いたり、波の様に襲いかかるのだと、こんな状況ながら冷静に判断する。
一定以上の痛みは脳内麻薬の大量分泌を促して脳を覚醒状態に陥らせるというが、それを体験する為にこんな痛みを味わうのは今後は遠慮被りたい。
「……痛った〜」
我ながらのん気な声だと思う。
痛みを紛らわす為に一通りのたうち回っていると、上から声が聞こえてきた。
「ねェ、君……、大丈夫?」
「あの高さから落ちて、大丈夫だと思うか?」
自分の呼吸が定期的になるのを感じ、背中の軋みに耐えながら立ち上がってアリスにツッコむ。
「それにしても……何でコイツは急に崩れたんだ?」
先ほどまで俺らを襲っていたデク人形の残骸の土を蹴り飛ばして呟く。
背中に激痛が走り、頭痛がして思わずふらついてしまった。
「それは……コレだと思うよ」
アリスは土に転がっている儀式用ナイフとその刃に刺さった護符を拾いながら答えた。
護符についているのは俺の血だ。
黒インクで何か……少なくとも英語ではない何かの文字らしきものが書かれている。
「ゴーレム造りで有名なカバラ魔術。プラハのユダヤ教会でラビ・レーフがゴーレムを造ったと言われている。『真理(EMETH)』という言葉を刻めば動き出し、最初のEを消して『死(METH)』にすれば消える。かなり偶然だけど、君の血でEのインクが溶けて崩れちゃったんだね」
「説明はよく分からなかったケド、ようするにマグレで倒せたって事か……」
死にかけて、ようやく倒したと思ったら実は偶然でした。
なんて、痛みと情けなさで涙が出そうになる。
……あ、ちょっと出てきた。
訳も分からなく頸骨折られかけて。
訳も分からなく難癖付けられて。
訳も分からなく殺されかけて。このままで済ませてたまるか。
「さってと……ンじゃ、行くか」
「えっ……?」
驚きに顔色を染めるアリス。
言葉を聞かなくても分かる。ドコに?顔にそう書いてある。
「決まってんだろ、お前の異母妹をブン殴る為だよ」
喋る為に内臓――表現が分かりにくいが、胃の辺りが直接殴られた様な感覚――に痛みの波がくる。
いつの間にか『熱さ』が『痛み』になっている、痛覚が戻ってきた様だ。
「無理よ。あの娘は戦闘のプロよ、私たちがかなうハズないじゃない」
「知るか。俺は一発ブン殴る」
言って、俺は走ってきた行程を戻る為に歩き出す。と、俺の腕を引っ張るアリス。
「痛っでェ!」
「あ、ごめん。っじゃなくて、危険だって!」
「じゃあ、どうするつもりだよ?あの様子だ、俺らを殺すまで追ってくるぞ」
「それは……」
「だから、ブン殴る。お前はどうすんだ?」
俺はアリスを見つめた。
アリスはというと、苦虫を噛み潰した様な……いや違う。
悲しみにくれる様な……これも違う。まァとりあえず、そんな感じの表情をしている。
「私は……」
複雑な表情のまま呟き、アリスが俺を見てきた。
「……君は、まるでイヴを誘った色欲堕天使みたいだね」
「何だそりゃ?サタンの事か?」
「よく知ってるネ」
「流石に一般常識だろう。何だっけ、リンゴを食えって言ったんだっけ?」
「そう。知恵の実を食べたせいで楽園を追放されたの。君はまさしくそんな感じだね」
「……まるで俺が悪人みたいじゃねェかよ」
クスッ、とアリスが笑う。
「君はいい人だよ。うん、ボクには分かる」
「買い被りすぎだバカ」
何となく、照れ臭くなってアリスの額をペチンと叩いた。
一度、アリスと視線を合わせ、俺達は笑った。
「ンじゃ、行くぞ」
「うん!」
アリスと並んで、俺は歩き出した。